ハルヒ「古泉くんの子どもだったらあんな放蕩息子に育ってないわよ」

1: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 14:56:59.37 ID:laxrmAmeo

以前別の板で完結したものに筆を加えながら投下します。

小坂幸(こさかさき)――主人公。七重の幼馴染の少女。
               常に七重のことを気にかけている。サキと呼ばれる。

涼宮七重(ななえ)――ハルヒとキョンの娘。明るく素直で、温かい性格。
               ナナと呼ばれる。
 


2: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 14:58:00.94 ID:laxrmAmeo


サキ「はぁっ、はぁ」

走っても、走っても出口が無い。
音の無い、灰色の空に覆われた世界。いつもの町並みなのに誰一人いない。

サキ「誰か、誰か助けて……」

足を緩めて周りを見渡しても返事はない。
胸の中の恐怖がどんどん膨らんでいく。何かが来る予感。
いや、その何かが現れることをハッキリとわたしは感知している。
背後。気配に射すくめられたように足を止めて、恐る恐る振り返り……

サキ「きゃあああああっ!!」

天井。窓から朝日が差し込んでいる。あ。夢か。良かった。
じゃない、晴れて高校生活がスタートするというのに何という夢を見たんだ。
幸先が悪すぎる。いや、今日だからこそ不安でこんな夢を見たんだ、としておこう……。

大きく息を吸い込むと弾みをつけてベッドから降りた。


3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:02:02.74 ID:laxrmAmeo


七重「サキーー。おーはよっ」

全くわたしと同じ、真新しい制服に身を包んで、
七重が高々と腕を振りながらこちらに駆け寄ってくる。
相変わらず朝からテンションが高くて頼もしい。

サキ「おはよー」

わたしも表にこそ出さないけど、緊張と期待に胸が膨らんでいる。
東中の入学式の朝以来だな、こういうのは。

あの日もいつものように光陽園駅前で待ち合わせて、
お互いのセーラー服姿に何だか照れながら登校したんだっけ。
中学と高校じゃ違いはたくさんあるに違いないけど、こうして同じでいてくれる。

おかげで今朝がたの後味の悪さも随分とやわらいできた。

上り坂のあちこちを腕一杯に抱えあげた白くてほんのり桃色な花びらで彩るソメイヨシノ。
目覚めに力いっぱいの伸びをする太陽に照らされ、
お米の一粒一粒のように淡く浮かぶ街並が、水平線の輝く海まで続いてる。

そしてこの4月の陽気そのまま、と言ったら失礼だけど、
そんな七重と坂の上をゆらゆらと目指しながら、
高校生活に思い描くことをとりとめなくお喋りしてる。憂鬱になれと言う方が無理だ。


4: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:06:05.22 ID:laxrmAmeo

しかしわたしの顔色に出ていたのだろうか、ふと七重が、

七重「どうしたの、サキ」

瞬間にテンションをわたしに合わせてくれてる。
別に隠すほどのことでもなく、ありのままを話すと、

七重「うんうん、やっぱそれだよね? ああー、いいなあ!」

と音階を何段かすっとばして昇降するような羨望の声を上げた。

サキ「今の話のどこがいいの?」

七重はいたく思うところがあるらしく、ほとばしるように返してきた。

七重「だって、普通は入学式の前日って、自分も家族も緊張感を漂わせるものでしょ?
   それがまったく無かったんだよ? お父さんもお母さんも、わたしも!
   下手したらわたしが北高生になるってことが忘れられてるんじゃないかってくらい。
   さすがにそれはないけど、ただ淡々とさ……いつも通りの朝だったんだよ?」

半分ほどはそんな自分自身に、怒りと悲嘆をぶちまけるように七重は訴えると、
悔しそうに前に向き直って言葉を切った。


6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:10:11.29 ID:laxrmAmeo

入学式を前に緊張するかしないか。どちらが普通かはわからないけど、
七重は前者に憧れていて、それが果たせなかったらしい。
ムスッと唇を突き出して、幾分ひび割れたアスファルトを見つめながら歩を進めている。

確かに、あのおじさんとおばさんなら何にせよ「普通」の反応はしないだろうし、七重も
気の毒ながら本人は普通のつもりで、ナチュラルに凄い感覚を持ってるところがあるから。

ふと、道端の草地にちらちらと薄青い花を咲かせているオオイヌノフグリが目に入った。
春だな…

七重がふたたび口を開いた。

七重「だいたいお父さんとお母さんが出会った場所なのに。だから……」

そこまで言って、突然我に返ったようにわたしを見た。

七重「ごめん。嫌な夢だったんだよね」

言われて思い出すくらい、夢のことはもう気にならなくなっていた。
思わず笑みをこぼすわたしに今度は七重が怒る。
いつものわたし達そのままだ。


7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:15:06.38 ID:laxrmAmeo



さすがに今度は、七重と離ればなれの組になるんじゃないかと覚悟していたのだが、
さいわいわたし達二人はまた同じクラスだった。

わたしと七重は幼稚園からずっと同じクラスだ、と初めて聞く人は驚くのだけど、さらに
「席もほぼ前後左右で隣になってるよね」、と七不思議ネタ的に語る者がいたりするから、
驚きを通り越して何かウラ事情があるのではないかと勘繰られたり、
この世ならぬものに触れたような顔をされたりする。

当のわたし達はというと、不思議ではあるがただこの幸運に感謝している次第である。

体育館での入学式が終了すると(七重は既に校歌の歌詞をばっちり覚えていたらしい)、
お互いまだ見知らぬクラスメイトの皆と、一年五組の教室に入り、それぞれの席につく。
同じ中学出身どうしがちらほらお喋りしているほかは、
微妙に大人しい空気が教室内に漂っていた。

わたしの後ろの席の七重が声をかけてきたとき、教室の前の方の引き戸を開けて、
落ち着いた雰囲気の中年の男性が入ってきた。
が、教壇では打って変ってクラス中に響き渡る大きな声で挨拶され、
遅れ気味に皆が挨拶を返す。

その、岡部という担任となる先生は、ごく手短に自分が体育教師であること、
なんでも言い合えるクラスにしていきたい、ということを話され、
それから多少詳しく、顧問をしているハンドボール部について、
競技の魅力と部員不足なので入部希望者を大いに募っていることを力を込めて説明された。
この説明にもう少し耳を傾けていればどうだったかな、と思うことがあるが、
まあ……わたしはそうはしなかったわけである。

そして、一人一人が順番に立って自己紹介していく段になった。


8: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:19:14.62 ID:laxrmAmeo

こういう時、何か打ち込むものがないと自分の説明とはしづらいものである。
前の席の子がよろしくお願いしますと話し終え、拍手で一区切りつく。
わたしは席を立った。仕方ない。

サキ「東中学から来ました小坂幸です。よろしくお願いします。
   光陽園駅近くにお立ち寄りの際には、
 ぜひ薬や生活用品はうちのお店で買って下さい」

まあこうとでも話すほかないか。生暖かい反応に包まれながら席に着く。
とりあえずお茶をにごせたかな。
次は七重だ。目で促すと、笑顔でゆるりと立ち上がったのでわたしは前に向き直った。

七重「同じく東中学出身の涼宮七重です」

ここまでは良かった。が、

七重「春休みにインターネットで色んなページを見ていたら、
   家のパソコンが壊れて両親に物凄く怒られました。みんなも気をつけてください」

………………。
は、初めて聞くね。それは。
わたしは頬と耳が熱くなるのを感じた。
七重がツッコミを待たず席に着いて、椅子を戻す音が後ろから聞こえる。

きっと立った時のようににこにこしたままに違いない。

数人の男子が抑えきれず笑い声を漏らしている。
ちゃ、違う~~!! 七重はそんな子やないんやーーっ!
とわななくわたしの表情など、七重は想像だにしていないに違いない。

その後の学校生活の様子で、そんな子ではないと皆も分かってきたにせよ、
こういう子なことはしっかり印象づけてしまった七重である。


9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:23:16.85 ID:laxrmAmeo



ともあれ、慌ただしい4月が過ぎ、ゴールデンウィークも明けた。
高校生活も暇は無いながら、良く言えば落ち着いた、悪く言えば単調に巡るある日。

七重「ねぇ、サキは何か部活入るの?」

サキ「うーん、どうかなあ」

そういえば、中学の時からわたしは部活動というものに入部したことがない。
七重も、いわゆる帰宅部というやつだ。
入らない理由なんて聞かれるのが不思議なのだが、あえて答えるなら二つある。

まず特に好きなことがない。

もうひとつは、家事が結構あるから。
学校の帰り道にスーパーに寄って、晩ご飯の買い物をしていく。
家に帰ってからも洗濯物の取り入れや掃除、夕食の準備等あるので、
部活なんて面倒くさくて出来たものではない。
まあ最初の理由の方が大半かな。

七重はというと、一緒に涼宮家の晩ご飯の買い物をしたり、
時々わたしの家に泊まりに来る日は二人で献立を考えたりしている。

振り返ってみれば、物心ついた時から七重のお母さんに連れられて買い物したり、
一緒に料理したりの延長で、自然と今のようになっていた。

七重は色々特技があるし、家事にそこまで時間を取られることもない。
だから何か部活動に入ればと勧めたことがあるが、
「こうしている方が楽しい」と言われればそれ以上わたしから言うこともない。

たまに断り切れなかった各クラブの代役を引き受けたりして、
その度に大いに貢献しているが、本人に継続して特定の部活動をする気が無いのである。

七重「サキ足が速いのに。クラス対抗リレーだっていつもアンカーで走るじゃない」
サキ「でも走るのが好きってわけじゃないから」

わたしが唯一七重と互角程度なのは走ることかもしれない。

小さいころから野山を一緒に駆け回って培った心肺機能の賜物だ。
自分から名乗り出るわけではないのに、
体育大会のリレーでは主に七重からアンカーになるのを薦められる。
任せられると責任を感じていつも以上に頑張ってしまう面はある。

それはともかく結局、七重はまたもったいないことに、
わたしと同じく部活に入らず、こうして一緒に下校しているのだ。


10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:27:18.59 ID:laxrmAmeo

ところで、この高校に入学してよかったのは、徒歩で通学できること。
坂道続きなのが難点だが、それほど苦にもならないし。

それに、坂の途中から近くにある母のお墓にも足を運びやすいのだ。
今日はわたしの誕生日。そして、母の命日でもある。
七重を伴って霊園を訪れると、いつものように墓石がきれいに磨かれ、
水をかけた跡があった。既に父が供えた花もある。
今日は父が掃除をしていてくれたので、わたしは水をかけ、そして手を合わせる。
七重も黙って手を合わせていた。

ここは山の懐に抱かれるように静かで、今は若葉が淡く目に眩しい。


また坂の途中へ戻り、下りていると、

七重「ね、今度の金曜、家に泊まりに来ない?」

サキ「うーーん、いいね。そうさせてもらうか」

ゴールデンウィークは七重の誘いも断って、
ひと月で随分進んだ各科目の復習と宿題にほぼ費やしていたからな。
ここでいったん羽を伸ばすのもいいな、と思って答えたら、

七重「今ずいぶん考えたね」

わたしがその考えた内容を話すと、本当に驚いた顔をしている。

七重「え、宿題……すぐ終わらなかった?」


11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:31:20.03 ID:laxrmAmeo

やれやれ、まだ気づいてなかったか。

サキ「一言でいうと、あなたとわたしじゃ頭の出来が違うの。
   中学の時は同じ成績だったから気づかなかったかもしれないけど、
   ナナはわたしより相当頭がきれる、って思ってたよ」

父から聞いたことがある。
同じ大学でも、父にはとても難しくて何度も考えて分かるような問題を、
一度講義を聞いた、あるいは一度教科書を読んだだけで解いてしまう人がいたという。
そんな人が中にはいるものなのだ。

今わたしの目の前にいるそんな人は、
自分とわたしの頭脳に差異があることをまだ信じられないらしい。

七重「そんな……うーん」

このまま一緒にされては、のちのち厄介なことになりかねない。

サキ「そんなもん。すぐにとは言わないから分かれ」

ついでに、やっと問題が解けて思いっきり伸びをする時の充実感、達成感は分かるまい、
と負け惜しみも言っておきたい。
べーだ。まあ、それはそうと、

サキ「高校入って以来ばたばたしてたから、七重ん家でやっと一息つけそう」

今からほーっと息をつきながら自分の肩をたたいてるわたしに、

七重「えー、休むなんて言わずに、たっくさん話すんだからね!」

サキ「いつもナナのほうが先に寝るくせに」

七重「そ、そんなことないよ」

でも七重の言うとおり、久し振りのお泊りで色々話せそうだ。
そういえば夏物まだ全然見てないな。


12: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:35:23.08 ID:laxrmAmeo

七重「じゃあ、また明日ね」

サキ「うん。また明日」

スーパーでの買い物を一緒に済ませ、七重の家の前で別れた。

そして昼下がりと夕刻の間の、往来もまばらな住宅街を歩いている時、
ふつと湧くように海馬から呼び戻された事態に思わずひとり言が口をついてでた。

サキ「しまった」

昨日の夜炊いたごはんがお釜に入れっぱなしだ。
晩ご飯のあと、さっさと今日の分の弁当に詰めて、
弁当箱は冷蔵庫に突っ込んだのに、残りのごはんの方は入れた記憶がない。

お父さんは今日、薬剤師会の集まりに行くとか言ってたし。
最近の暖かさだと、昼にはすえてしまっているに違いない。

サキ「やれやれ……」

一つ年を取った初日からこれか。
自分のふがいなさにうんざりしながら、止まっていた足をのろのろと動かすと、

サキ「――――!」

ほとんど歩くこともなく、ふたたびわたしは立ち尽くした。
追加のうっかりを思い出したためではない。

またあの感覚だ。

ここ最近、あるときは近く、またあるときは遠く、この気配を感じていた。
あの悪夢に似た気配。
灰色の空に包まれた世界。

その世界との境界を、今、目の前の道いっぱいに感じる。

どうしよう。回り道して帰るか。
いや、どうせ気のせいだ。
両手に買い物袋と通学かばんをさげて、いちいち気のせいのために遠回りしていられるか。
それに、気のせいだって証明できる、いい機会じゃないか。

半ばヤケ気味な勢いで、わたしはその見えない壁に向かって歩いていき、
そして入ってしまった。


13: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:39:24.54 ID:laxrmAmeo

空が黒かった。

突然夜になってしまったのか、と一瞬だけ思い、すぐに違うと分かった。
星がない。月も雲もない。新月の晩だって星は出てるはずなのに、
ただ漆黒の闇だけが天に広がっている。

なにより、今歩いてきた道の電灯はぼんやりついているものの、
どの家にも明かりが灯っていない。

それにもかかわらず、空の下にぼうっと浮かび上がるように無人の町並みが続いている。
そう、人がいない。車も通らない。風もなく、何も音がしない。
夢ではない。あまりに五感が明瞭だ。
しかし、すぐにそう思いたくなることになった。

数軒先の家の門からフラフラと、白い服の女が出てきて、
道の真ん中でゆっくりとこちらを向いた。
垂らした長い髪が顔を覆っている。

刷り込みなのか本能なのか、一目で分かる。ヤバい。佇まいが余りにもそれだった。
縮み上がるような恐怖を感じる。なぜこんな郊外で都市伝説なんだ。
あと、奇妙なビデオを見た覚えはないぞ。

間違えてたら悪いけど、と振り返って走り出そうとしたら、目の前にいた。
瞬間移動はナシでしょ!
これはパターンに入っている。もう一回振り返ったら必ずまた目の前にいるはずだ。
足には多少自信あるけど、買い物袋を振り回しながら超短距離シャトルランはしたくない。

わたしが後じさりする。
女がわたしの歩幅より大きく、一歩間合いを詰める。
わたしがまた後じさりする。
女が、乗っていたマンホールの蓋ごと勢いよく跳ね飛ばされ、
五十メートルは先の家の屋根まで放物線を描いて衝突し、
地面まで転げ落ちていくのが見えた。

茫然としているわたしに、

「おいおい、どういうことだよ」

その少年は呆れたような声で私に呼びかけてきた。

「俺が相手をする時は閉鎖空間に機関の人間は来ないはずだろ」


14: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:43:25.83 ID:laxrmAmeo

声につられて振り返ると、
ダボッとした安っぽいTシャツに七分丈のジーンズをはいた少年が立っていた。

乱暴な口のきき方とは裏腹に、田舎で道に迷った人へ問うた返答を気長に待つような、
くりっとした黒目がちな大きな瞳に温かさを感じる。

静けさと反比例するように胸騒ぎを起こす場所。
そう、もう異空間と呼んでいいと思う。
そこでホラーそのものみたいな女を目の当たりにしているというのに、
彼は関係なく日常の中にいるような平然とした顔をしていた。

しかし少年はわたしに対して何かに気づいたように一瞬、眼差しをさらにきらめかせる。

「あれ、お前……。いや、もしかして覚醒したばかりで迷いこんじまったのか?」

意味こそ判然としないが飾り気のない口調の発する言葉にわたしを心配する響きがある。
その瞳がまるで輝く一番星のように、この世界にたった一つの家路への道しるべに思えた。

改めてよく見るとわたしよりも背が低く、声変わりもしていないから、
小学六年かせいぜい中学一年くらいだろう。
あどけない顔立ちのどこかになぜか七重を思わせる。

そう思い掛けた時、ずっと向こうまで吹っ飛んだはずのさっきの女が、
逆方向の、つまり少年の後ろのほうからぴた、ぴた、と近づいてくるのが見えた。
明らかに今度は少年を怨念を持った目で睨めつけながら、ゆっくりと。

サキ「危な」

わたしが口を開くあいだに、女の姿が瞬間的に少年の間近まで移動し、
まさに仕留めようと見下ろしたとき、
女は突如天から降ってきた巨大なこぶしに、地響きを立てて潰された。

わたしは轟音と震動に硬直したが、
少年は自分の後ろ、そしてわたしの後ろのことのどちらも全く気に留めない様子だった。

わたしの背後にまたいつの間にか現れた、
物凄く大きな何かの全体像がこの子の視界には入っているはずなのに。

少年の背後のそれは、半透明だけれど、確かに巨大な腕だった。
地面に突き立ったモニュメントのような柱がクレーンのように、
ゆっくり引き上げられていくのをたどって空を見上げると、
それは青白くほのかに光る体の巨人の肩から延びていたから。
何十メートルにもそびえ立つ巨体に漆黒の空が透けて見える。

わたしは何度めか分からないが、改めて絶句した。
夢でわたしが振り返ったときに見たモノが、今目の前にあるから。
恐怖と共に、何故かこの巨人と対峙しなければならないという、ありえない義務感もある。

上を向いたまま瞬きも忘れていたわたしに淡々とした少年の声が聞こえた。

「大丈夫。敵じゃない」


15: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:47:29.20 ID:laxrmAmeo

少年は膝をついて、クレーターのような穴の中に倒れている男を抱き起こしていた。
え、潰されたはずの女は?

確かに地面と巨人のこぶしの間に挟まれる瞬間を目撃したが。
道路の陥没したような窪みには女の影も形もない。
凝視しても、どう見ても眉間に皺をよせて気を失っている、痩せた若い男性だ。
見た感じかすり傷もない。

「ネットの動画から感染したのか」

うなされている男性の額に指先を当てぽつりと呟きながら、
男性の腕を自分の肩に回して持ち上げる少年。

サキ「……一体今のは何だったの。君は誰?」

「ここで説明するより、あとで柊という人が来るから、その人から聞いて」

さっさと行こうとしている。

サキ「ちょっと待って。あなた、名前は?」

「俺は……」

と言いかけて、少年は、

「いや、知らない方がいいだろう。君はまだ選んでないようだから」

サキ「だから、何の話なの?」

と言うそばから、空が一気に明るくなった。
黒い空の天頂はすでに、ふわあっと円形に拡がっていく明るい光に替わっていて、
あの青白い巨人も、繋がっていたパズルがピースに分かれるように、
うっすらと消えていくところだった。

気がつくと、ついさっきの、いつもの夕方に戻っていた。
近くを通る電車の通過音がここまで届く。
閑静なところなのに、ずいぶん様々な音が聞こえてくるものだ。
幾分傾いた日の光さえ、あちこちに色彩を与えているのだと気づかされる。

道路に目を戻すと、男性を背負った少年の姿はなかった。


16: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/14(日) 15:48:15.30 ID:laxrmAmeo

突然ですがほんのりらき☆すたクロスです。
古泉はかがみん家に婿入りしたようであります。
SOS団がこなた達のいる秋葉へ旅行した。
過去にそんなことがあったのです。

これま…いえ、今日はここまで。


29: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 20:40:30.77 ID:02mMz6wWo


習慣とは怖いものというべきか、半ば自分でも呆れるのだが、
あんな目に遭ったにもかかわらず(ほぼ突っ立っていただけだけど)、
買い物袋の中身を冷蔵庫に入れなければと足を動かしたときから、
心は宙に浮いたままわたしは日常生活のルーティンに戻っていた。

お店のシャッターが下りている。
父の書いた貼り紙に小さな安堵の溜息をつき、勝手口に回って帰宅した。

蛇口を捻って手を洗い、水をコップ一杯飲み干し、さっさと食材を保存する場所へ分ける。
お釜のフタを開けると案の定だった。
鼻を近づけ匂いをかいで、勿体ないが中身をビニール袋に詰めて、生ごみ袋に入れる。
お釜と、ついでに弁当箱を洗う。
ざるにカップでお米をすくって研ぎ、外側だけ拭いておいたお釜に入れて水を量る。
夕飯の時刻に炊飯器をセットすると、かばんを持って2階に上がる。

何だったの、あれ。
柊という人が会いに来る、わたしに。いつ? それまで悶々と過ごせというのか。

誰に相談したものか。着替えながら、七重の顔が思い浮かぶ。
どう切り出したらいいか分からない。後で考えることにして、宿題に取りかかった。


30: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 20:44:32.54 ID:02mMz6wWo

だめにしてしまったごはんは夕飯の会話のネタになってくれた。
元々毎日の食事のおりに逐一近況報告しないたちだけど、
それでもテレビのニュースについてだけ会話するより今夜は救われた。

洗い物をしながらあの少年の顔を思い出す。やっぱり、あの子は七重に似てる。

お風呂の残り湯で洗濯機を回し、また机に向かう。
残りの宿題と復習。予習は学校で、間に合う分だけすることにしている。

階下からの脱水完了メロディに脱衣所に戻り、簡単に浴槽を掃除する。
洗濯物を種々のハンガーに掛けてまとめ、再び階段を上がる。

つっかけを履いてベランダに出ると柔らかな夜風が心地いい。

近所の家々の明かりと街灯が視線を上らせるほどまばらになっていき、
やがて山の中腹を巻くように繋がる道路の街灯や、
時おり通る乗用車のヘッドライトが樹木の覆いから微かに漏れる他に光が見えなくなる。
東西の終点が見えない稜線。それは夜空よりもよほど黒々としている。
わずかに身震いを覚え、いつも以上に手早く洗濯物を干した。

部屋に戻ると、先ほど行き詰まった数学の問題に気分一新取り組む。
お店がやっていけるものかどうか分からないけど、
父の背中を見てきたし、大きなくくりでは同じ仕事につきたい。

今日予習もせずに当てられて、さっぱり答えられなかった教科書の英文。
ノートと文法書をにらめっこしてようやく理解し、ほっとする。
何度か朗読しながらペンを走らせる。こいつは後でもっと可愛がってやろう。

つい深夜になり、区切りをつけることにする。
明日の時間割分一式と今日どうしても解らなかった問題をかばんとバッグに詰め込む。
七重に教えてもらって分からなかったら先生に聞こう。

充実感と同時にどこか娯楽の足りなさを感じながら、着るものを揃える。
写真の中の母に就寝の挨拶をしてから消灯する。
布団に身を横たえながら、今日の残りごはんは冷蔵庫内に移したことを思い出す。

暗い天井を眺めながら、やはり七重に相談しようと思い、まぶたを閉じた。


31: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 20:48:33.70 ID:02mMz6wWo

だがわたしは、七重に登校時にはどうしても話すことができず、
休み時間にも級友の「お肉は燃やして食べるもの」という迷言に、
皆で罰当たりだと爆笑しながら一昨日のごはんのことを思い出したりしていた。

そして帰り道、わたしは思い切って尋ねた。

サキ「ナナは弟っていないよね?」

七重「ううん、どうして?」

サキ「昨日、ナナに少し似てる男の子に会ったから」

突然七重は驚いたような悲しいような複雑な表情でわたしを見つめた。

サキ「どうしたの」

七重「……お兄ちゃんかもしれない……」

言ってしまってから、言ってよかったことなのか迷ってる。
民法上年下の兄が発生することってあるのかな、という疑問はあるけどここはとりあえず、

サキ「そう」

とだけ答える。七重が思い出したように、

七重「わたしの家でサキに会いたいって人がいるの、ちょうどサキが家に来る日に。
   わたしのお父さんとお母さんの高校の時からの友達で」 

サキ「柊って人?」

七重「えっ? なんで知ってるの?」

サキ「男の子がそう言ってたから……。
   でもまさかナナの家でだとは思わなかったな」

七重「そう……じゃ、やっぱりその子って家のお兄ちゃんだ、きっと」

サキ「じゃあ、ナナん家で聞かせてね」

七重「うん」


32: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 20:52:34.14 ID:02mMz6wWo

そして金曜日。

サキ「じゃあ、また後でね」

いったん七重と別れた。

お店にいる父に声をかけ、帰宅。
着替えてから家じゅうの掃除。父の夕食のおかずを少し作っておく。
その旨を伝え、お泊り一式を携えて出かける。

チャイムを鳴らすと、間もなく七重の返事がインターホンから聞こえた。

門扉を開け、もう何度通ったか覚えていないアプローチに歩を進める。
限られたスペースに七重とおばさんが丹精込めて育てている季節の花に心が安らぐ。
少し尻尾を振って鼻先を寄せてくるジョンのふっかりしたあご周りを撫ぜながら挨拶して、
巣に入っているツバメの親を眺めながら玄関ドアの前で待っていると、
七重が出迎えてくれた。

わたしを玄関の中に入れてくれると、静かにドアを閉め、

七重「いらっしゃい。柊さん来てるよ」

サキ「うん。おじゃまします」

七重に続いて靴を脱ぎながら、家の中に挨拶する。

サキ「おばさん、こんにちは」

ハルヒ「ああ、サキ、上がって。お茶用意してるわよ」

リビングの方から明朗活発な顔と声だけ見せると、
ポニーテールを翻しておばさんはさっさと引っこんでしまった。

これがお泊りのときの、いつものおばさんの歓迎の仕方。
よくわたしが見た事のない(七重も見たことがないらしい)、
凄いご馳走(多国籍の料理らしい)を何時間もかけてこしらえて振る舞ってくれる。

一発でこんな美味しい料理を作れるくらいなんだし、
前に料理研究家としてテレビに出てみないかって、
近所の人を通じて誘いがあったのに、おばさんは断ってる。

他にも世界の政治情勢にやたら詳しくてニュースにツッコミを入れたり、
疎い方面なんてあるのかってほどの雑学家だし、
あと大学レベルの数学や物理の問題を暇つぶしにパズル感覚で解いたりしてるらしい。
犬のジョンの世話から炊事や洗濯、お掃除をこなして、
地域の困ったことをご近所から相談されたら解決しにいって、
ながらのこれだから、最強の専業主婦であることは間違いないけど、何だか勿体ない。

でもおばさんは今のままが性に合ってるって言うし、七重も賛成とも反対とも言わない。


33: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 20:56:35.47 ID:02mMz6wWo

七重とリビングに入ると、初めて見る人がソファに腰掛けていた。

七重のお父さんやわたしの父と同じ年頃の男性で、
知的で切れ長な目と落ち着いた柔和な表情とは対照的に、
引き締まった体つきをしているのが、グレーのジャケット姿からもうかがえた。

年齢に合わない敏捷さで男性は立ち上がると、

古泉「初めまして、柊一樹と言います。一くんから小坂さんのことをうかがっています」

サキ「あ、はじめまして」

つられて頭を下げながら応えたものの、何だか色々と疑問が先立ってしまう。

戸惑っているわたしを見て、七重が台所の流しで洗い物をしていたおばさんを呼んだ。

エプロンをしたままのおばさんに、

七重「お兄ちゃんのこと…」

と促すと、

ハルヒ「そうだサキ、黙っててごめんね。どうも、息子の一(はじめ)と会ったみたいで」

言うほどに悪びれない様子のおばさんだけど、もしかして。

サキ「あ、大丈夫です。わたし、お二人のことおじさんには黙ってますから」

おばさんと柊と名乗った男性は揃ってきょとんとした顔でわたしを見て、
それから顔を見合わせ、そして爆笑した。

ハルヒ「やだ、サキ」

と言って、まだ笑っている。わたしの横の七重まで、両手で口を押さえ顔を震わせている。

ハルヒ「古泉くんの子どもだったらあんな放蕩息子に育ってないわよ。
    あ、古泉って古泉くんの旧姓ね。
    あと、一は幼く見えたでしょうけど、七重の二つ年上の兄だから」

はは、勘違いで良かった。でもどう見ても中一くらいにしか見えなかったけど。

古泉「そういえば僕も男の子が欲しかったですね。家は娘ばかりですから。
   いや、一くんは僕や朝比奈さんや、泉さんにとっても息子みたいなものです」


34: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 21:00:37.41 ID:02mMz6wWo

ハルヒ「古泉くん、そう思ってくれるのならね」

何か違う話が始まったみたいだ。

ハルヒ「そちらでどんな決め事があるのか分からないけど、
    一をもっと世の中に役立つように向けてくれないかしら。
    今の状態って人としておかしいものだと思わない?」

古泉「ええ、涼宮さんの言うとおりだと、僕も思います。
   しかし『機関』としてはですね、そう融通が利かなくて申し訳ありません。
   今度のヤマを越えたらまた状況が変わるかもしれませんので、どうかそれまでは」

ハルヒ「いや、古泉くんを責めてるんじゃないのよ。
    そもそもあいつが自分自身で気づいて考えないといけないことだから。
    ブシンだか何だか知らないけど、幾ら有希がついてるからって、
    社会と関わりを絶って電波の相手だけしてるなんて絶対に良くない。
    やっぱりね、あの時高校を出たまま職を持つなり大学行くなりして、
    普通に人の中で揉まれて成長していくべきだったの。
    それが許されないってのなら、
    せめて一が持ってる力を人のために生かすのが筋じゃない?
    そこで余計なことをしたとか反応が返ってきたり、
    失敗して初めて学ぶものでしょう? あの子、とにかく今のままじゃ駄目だわ」

俄然とまくし立てるおばさんに、

七重「お母さん」

と七重が冷たく口を挟んだ。おばさんは我に返ったように、

ハルヒ「はい。今日はあんたのために古泉くんは来てくれたんだったわ」

口を閉じて目をくりっとして軽く頭をさげながら、両手をぱっと顔の前に広げるおばさん。


35: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 21:04:48.65 ID:02mMz6wWo

沈黙に促されるように、柊、あるいは古泉という人が落ち着いた声でわたしに話し出した。

古泉「一くんによると、小坂さん。君は空が真っ暗で無人で、
   でも風景だけは一緒だという空間に迷い込んでしまったそうだね」

サキ「はい」

しかし言われてみれば、なぜわたしは異質な空間だとすぐに分かったのだろう。
空が急に暗くなって、周りの人が消えたのだと捉えてもおかしくない状況だったのに。
いや、それは自分から「侵入した」という自覚があったからだ。

古泉「そこでホラー映画に出てくるような女に出くわし、
   襲われてるところに一くんが現れて、君を助けてくれた」

サキ「…」

ちょっと考える。
あの切迫した状況に一……七重のお兄さんだから、さんか、がいつの間にかいて、
あの能天気な態度に救われたと言えばそうだけど、
マンホールの蓋が勝手に跳ね上がったのかもしれないし、あの女を潰したのは……

古泉「それとも見た覚えのある恐ろしい巨人がその女を倒した?」

それは。

サキ「見たことがあるなんて、一さんには」

古泉「混乱させてすまない。かまをかけるつもりは無かったんだが。
   ただ僕も能力に目覚めてばかりの時は、
   《神人》を実際に目にする前からどういうものか知っていた、
   という変な状態だったから君もそうかと思ってね」

サキ「…しんじん?」

ふとこんな話に七重がついてこれるのかと思って隣を見ると、かなり必死な顔で

七重「ごめん! サキが夢で見たって聞いてたのに。
   わたし、柊さんみたいな能力を持ってないから神人ってどういうものか、
   よく知らなくて」

何故かあたふたと謝られた。

七重は話の内容は理解できてて、でもあの青い怪物については見たことはないらしい。

おばさんも、柊さんとは旧知の仲らしいけど、一さんについての話のやりとりからすると、
柊さんと全く同じ立場ではないらしい。

いや、わたしに起こったことを柊さんが説明できるということは、
むしろわたしと柊さんが同じ立場なのだ。

古泉「君が見たはずの、青白い怪物のことだ。
   だがこちらは害を及ぼす存在じゃない、今ではね。
   敵はむしろ助けられた男性の脳に寄生していた情報生命体のほうだ。」


36: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 21:08:50.92 ID:02mMz6wWo

情報生命体ってあの女のこと?

古泉「そうとはかぎらない。巨大なカマドウマの形をしたときだってある。
   実体をもたず情報そのものとしてインターネットの中に潜み、
   あるきっかけで任意のウェブサイト上に起動データがアップされると、
   それを見た人の脳組織に直接、情報として感染するんだ。
   人の脳に取り憑いて意識を奪い、異空間を作り出して被害者をそこへ転移させる。
   その上で、宿主となった人の畏怖の対象に、本人を変異させてしまう。
   具現化した情報生命体を倒せば、被害者は無事に解放される」

なんだかわけの分からない説明だが、少なくとも最後の部分だけは、
わたしがあの場所で見たことと一致している。

あの男性はペシャンコのはずなのに、傷一つついていなかった。

サキ「異空間って、あの空が全部真っ黒な場所のことですか」

古泉「君が迷い込んだのは、情報生命体が作りだした異空間を、
   一くんが自身の閉鎖空間に変換したものだ」

サキ「……閉鎖空間っていうと隔離されて、閉じ込められて出られないっていう、
   あれのことですか」

古泉「そう考えてくれて構わない。
   詳しい話は君が知りたい範囲で追い追いするとしても、ただもう一つ」

柊さんは軽く人差し指を上げながら続ける。

古泉「わざわざ空間を変換してもらうのは、こちらの優位性を保つためだ。
   彼の生み出した閉鎖空間の中でなら、
   僕のような『機関』の能力者たちが情報生命体と戦う能力を存分に発揮できるから」

さっき、おばさんとの会話の中にも出てきた『機関』という組織の名称らしい言葉。

古泉「そうだね、君や僕のような能力者が閉鎖空間でなら敵と対等にわたりあえる、
   と言った方がよかったか。
   君は正確には偶然に閉鎖空間に迷い込んでしまったんじゃない。
   閉鎖空間へ侵入することも能力の一つだと、……分かるよね、君なら」


37: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 21:12:51.70 ID:02mMz6wWo

温かく、まっすぐな目でわたしを見ながら柊さんは言った。

見透かされている。

情報生命体や『機関』についてはともかく、
実のところわたしは閉鎖空間と神人という言葉を聞いたとき既に、
その言葉の意味するところを理解していた。
知らないうちにインストールされていたソフトが不意に起動したみたいに。
そんな自分の状態の異常さを認めたくなくて、わざと知らないふりをしたり、
一般的なイメージで確認するようなポーズをとってきた。

わたしが聞く前からわかっていたこと。
閉鎖空間は一さんの生み出した、彼の精神世界を反映させた空間。

大体が半径は数キロメートルの無人でモノクロの世界であるほかは、
現実の街並と何ら変わらない。

そして、そこに現れる神人をわたしは倒さなければならない。
なぜなら神人は閉鎖空間内の街を破壊し続け、
それに比例するように閉鎖空間は拡大し続ける。
そして、閉鎖空間が地球上全てを覆う規模になったら最後。
……言葉通りの意味でこの世界は終わるから。

そして、わたしには神人を倒す力がある。ただし閉鎖空間でしかその力を発揮できない。
そして、同じ力を持った人が他にもいることを知っている。

その認識が合っているかどうか確認するために。
また、そのことを知っているか柊さんを試すために。

わたしの卑劣な猜疑心を柊さんは見抜いたうえで、
それには触れず、ただ誠意をもって問いに答えてくれたのだ。

それに、全てではないがウラの取れる言葉があった、神人は「今では」敵ではない、と。


38: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 21:16:56.82 ID:02mMz6wWo

サキ「はい。分かります」

古泉「『機関』には君や僕のような能力者が集まって、
   一くんと連携しながら情報生命体から人々を守るために戦ってるんだ。
   本来与えられた力を応用する形ではあるけどね。
   今日僕はは『機関』の者として君にお願いしにきた。
   我々の一員になって、君の力を『機関』に貸してほしいと」

それまでじっと、柊さんとわたしの言葉に耳を傾けていたおばさんが片手を挙げた。

ハルヒ「古泉くん、ひとつだけ言わせて」

柊さんが黙って頷く。

ハルヒ「サキ、あなたは要するに選ばなきゃいけないの。
    でも逆に、選ぶってことができるのよ。
    ここから先は選択によってはずっと命がけの日々を送ることになる。
    反対に今聞いたことで、
    それに脅かされず今まで通り普通に日常を生きていくことだってできる。
    どちらが偉いとかじゃないわ、全てあなたの意志次第で決められることなのよ」

おばさんは「普通に~」の辺りで強い目で柊さんに確認をとるような視線を合わせながら、ずっと昔からそうだったみたいに、
わたしや七重に辛抱強く説いて聞かせる時のはっきりと、抑えた口調で言った。

すぐに柊さんがおばさんの言葉を引き取る。

古泉「君は涼宮さんにとって大事な――人だし、君のお母さんのことも、側聞してる。
   君が関わりたくないのなら、以降僕の方から持ちかけたりはしないよ」

話しながらおばさんと目を合わせ頷き合う柊さん。

古泉「でも、閉鎖空間や神人の気配や、
   その他この件に関することで悩んだり困ったりするようなことがあれば、
   いつでも力になる。同じ感覚を持った者だから理解できることもあると思うから。
   あくまで君が、君の人生を歩む上での話でね。
   僕は自分が今していることに誇りを持っているけど、
   涼宮さんが言う通り、どちらの生き方に優劣があるわけじゃないんだ。
   僕個人は、君が心から願うほうを選ぶことにこそ意味があると思う」

そしてジャケットの懐から手帳を取り出し、手早く書き込むとそのページをちぎって、
わたしに手渡した。

古泉「僕の番号だ。いつでも、どんな答えでも、掛けても掛けなくても構わない。
   それじゃ、涼宮さん、僕はこの辺で」

ハルヒ「え、ちょっと。もうすぐ一品出来上がるから、その味見してからにしたら?」

古泉「それは惜しいですね。でも、今日は」

短いながらもしっかりした口調の返答に、おばさんも引き留めるのをあきらめた。


39: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/16(火) 21:20:58.89 ID:02mMz6wWo

きれいに磨かれた革靴を履きおえたとき、ふと柊さんは少しすまなそうに、

古泉「本当なら水入らずのところをお邪魔したくなかったんだけど……」

柊さんは、今日初めて何か言葉が見つからないみたいで、少し間が空いた。

それが何故なのか分からず、わたしも何か言った方がいいのかなと思い始めたとき、

後ろからぱたっと、わたしの頭におばさんの手が置かれた。

ハルヒ「大丈夫。この子はこう見えて高い順応性を持ってるから」

軽く頭を撫でられて、おばさんの方を向くと、
一点の疑いもなく信じている目で笑みを浮かべ、わたしを見守っていた。

はて、わたしはそうだったかな。
隣の七重と同じく、わたしも今きょとんとした顔をしているに違いない。
だが、柊さんは楽しそうな笑顔になっていたので、まあいいのだろう。

柊さんを門扉から見えなくなるまで見送ると、
(何だかんだでおばさんに押し付けられたお土産を掲げながらにこやかに歩いていった)、
七重とわたしは、おばさんにがっしと肩を捕まえられて両側から引き寄せられた。

ハルヒ「さあ、おしゃべりで遅れた分、巻き返すわよ!
    二人とも今日は手伝ってちょうだい!」

料理は多めに作ってあって、タッパに詰めて小坂家へ持ち帰るよう指示するのも、
いつものおばさんのやり方だった。


42: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/18(木) 21:13:09.60 ID:a1uWnm9Jo


七重「ねえ、サキって――」

もうぬるくなったココアをすすると、七重は宙を見つめ、
自身の頭の中で膨らんだ風船をこの部屋に浮かべるように言葉を発した。

七重「――どうするの?」

クッションを両足で挟んで床にお尻をつけたまま、
カップに視線を注ぎながらことりとローテーブルに載せ、膝を抱える。

サキ「……柊さんのこと?」

尋ねた割にどこか、答えを聞きたくないと言ってるような目が待っている。

七重「うん」

賑やかな晩餐の後、七重と久し振りにまったりと流れていた時が一時停止する。
やや不快だ。七重に対してではなく、この状況に。
わたしは女の子に、というより七重に飢えていた。
ここは、自室よりずっとくつろげるシェルターのような場所だった。

反対側からカップを置き、再びベッドに腰かけた勢いのまま上半身を倒した。

サキ「……どうかなあ。忙しいし……」

名残惜しさにぼやく。心は65パーセントくらい決まっていたから。

七重「うん、だよね。やっぱりさ」

胸越しに覗く安堵の表情が痛ましくて、わたしは天井へ目を逸らした。

サキ「でも、人を冒す或る病気があってそれはわたし達にしか治せない」

返ってくる沈黙に耐え切れず上体を起こして、七重と向かい合う。

サキ「だから……」

七重は無理に笑顔を作ってみせた。

七重「サキならそう言うんじゃないかって思ってた」

その夜は、いつもより遅くまで語らった。とりとめのない話からお互いの将来のことまで。


43: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/18(木) 21:17:11.11 ID:a1uWnm9Jo




正直なところ、わからないことの方が多い。

敵がどういう経緯でわたし達と戦うことになったのか。
戦う必然性は……。
疑問はきりがないが、結局、助けが必要な人がいて、自分に助けられる力があるのなら、
と最後に述語がつかない漠然とした感覚で、わたしは答えを出した。

教えてもらった番号に電話をかけ、わたしは伝えた。戦いに参加したいと。


44: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/18(木) 21:21:02.85 ID:a1uWnm9Jo

そして今、わたしは閉鎖空間の中を必死に走っている。

あの悪夢のように何かに追われてでなく、訓練メニューの一環としてだ。

毎日、晩ご飯の後のジョギングと称して夜八時ごろ家を抜け出し、
駅前公園の辺りですでに開いている閉鎖空間に飛び込む。

これは敵が中にいるわけではなく、柊さんが一さんに頼んで、
毎日定刻に、訓練のために開いてもらっているのだ。
閉鎖空間を開く、という言い方はなんだかおかしいけど。

父には人気のない、暗い道は避けろと言われているが、
正にそんなところをダッシュしているのである。

そう、閉鎖空間に侵入するなりジョギングは、長距離ダッシュに切り替わる。
聞いたことがない。

公園内を一周すると、訓練には絶好のコースが待っている。そう、北高への坂道だ。
登り坂を駆け上がり(駈け上がれない)、校門がゴール。
ここまで来て息が乱れない柊さんがありえない。

校庭のトラックを一周歩いて後、
陸上部の部室の壁を柊さんが吹き飛ばし(毎日来るたびに直っているけど申し訳ない)、
中の器具を拝借して筋力トレーニング。
もうここまででキツくて吐きそうになる。と言うか最初は吐いた。

筋トレでいい具合に負荷がかかったところで、
柊さんが作ってくれた足場を頼りに、校舎の横の壁をよじ登る。
屋上まで、途中落ちた所からやり直し。
屋上のふちを落ちないように一周走り、飛び降りて一とおりのメニュー終了となる。

古泉「暫定として組んでみたけど、バランス悪くないかな」

とりあえず父が心配しないくらいの時間に帰れるようにしたい。

最初のころは筋トレの途中で終了になっていたが、
だんだん壁登りの行ける高さが伸びてきた。


45: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/18(木) 21:25:05.19 ID:a1uWnm9Jo

ところで、問題があった。

勉強のことなら、帰宅してから晩ご飯の間のわずかな時間と、
ジョギングから帰ったらお風呂に入ったあとすぐ寝て、
それまでの生活より何時間か早く起きてやればなんとかなった。

問題は機関の能力者として、根本的というか決定的なところにあって、
つまりわたしは自身の紅玉化も、赤い光球を手のひらから出すこともできないのだった。

当初の訓練メニューには、神人狩りが入っていた。

一さんに制御された上で暴れまわる神人を、紅玉化して倒すのが最終目標だったが、
まずは基本の飛行技術から学ぶところで、

サキ「どうやるんですか?」

柊さんは全く予想していない質問を受けたようだった。

古泉「どうって……わからない?」

要は感覚の問題だった。あるものはある、ないものはないのだった。

そして、閉鎖空間に侵入できるのに肝心の攻撃能力が使えない、
やり方が分からない者など前代未聞らしかった。

柊さんは興味深そうに、

古泉「さすがに君みたいな例は初めてだな」

いや、それは相当ショックです。

古泉「では、できるようになると信じて、それまでは体力をつけることから始めるか」

というわけで今のメニューに変更されたのだった。

それにしても、紅玉化すれば体力なんて関係ないんじゃ、
と疑問に思い質問したことがあるが、

古泉「いや。紅玉の状態は自身が武器になるだけじゃなく、
   敵の攻撃から身を守る鎧にもなるんだが、
   その強さは精神力に左右されるんだ。そして、体力と精神力は比例するから」

体力をつける以外に精神力を強くする方法はないでしょうか。

柊さんはちょっと考えて、

古泉「まあ強制はしないけど、本を読むことかな。
   目的のためって言うより、学生なんだし読書で損はないと思うよ」

そう言われれば、世の中には難しい本がたくさんあるなあ、
と思い始めた頃から、あまり本は読んでいない。
避けていたジャンルの読書に取り組めば、精神力も強くなるものなのだろうか。


46: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/18(木) 21:29:07.39 ID:a1uWnm9Jo

そんなある日、七重が委員会で残って、
わたしが一人で下校していると不意に声を掛けられた。

例によって中学一年の時の姿のままの、七重のお兄さんである。

一「よう」

こうして並んで歩いていると、周りからは姉弟に見えるだろう。

サキ「この間は助けてくれてありがとうございました。」

自分でも丁寧語で話しているのがおかしく感じる。

一「いや。危ない目に遭わせたのはこちらの不手際さ。
  でも次からは自分の身は自分で守れよ」

分かってます。そのために毎日訓練してますから。それより、わたしに何か用ですか。

一「別に。あれからどうしてるかなと思ってさ」

サキ「おかげさまで元気です。でも一さん、高校出たままぶらぶらしてんでしょ。
   もっと有意義に時間を使ったらどうですか」

一「君が下校する所を一緒に歩くなんて、今の俺にとっちゃ有意義な時間さ。
  学生時代ってのが何より懐かしいし、
  女学生が傾きかけた陽の中を今日の学業を終えていそいそと家路につくのを見てると、
  なんかそう……ノスタルジックというか、
  もう俺には縁のない光景だなって感慨深くなるもの。
  あ、一応、君の高校のOBだから」

そんな小中学生にしか見えない顔をにこにこさせながら、
おっさんくさいことを言われてもなあ……。

サキ「じゃあ、わたしのクラスの担任、岡部先生って言うんですけど、
   どの部活の顧問か知ってますか」

一さんは諦め気味の笑顔で前を向きながら鼻で深めの溜息をついて、

一「サキも変わらんなあ。……職員室で、俺の親父の二コ下の卒業者名簿を見てみろ、
  山田って名前で載ってるから」

話がこんがらがってきた。わたしの混乱を察したように話を継ぐ。

一「ちょっと用事があって、過去に遡った。
  その時北高生として潜り込んで、そのまま今まで来たのさ。
  あ、言っとくけど学業面でチートは使ってないぞ。頭の方は七重と違って親父似だが、
  正々堂々ギリギリ卒業したからな」

なにかBTFな事情があったらしい。いや、「そのまま今まで来た」って……?


47: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/18(木) 21:33:09.22 ID:a1uWnm9Jo

一さんが足を止めた。

前方から歩いてくる、美しいストレートロングの女性を見ている。
女性も微笑みを浮かべてこちらを見ているから、

一「朝倉さん、お久しぶりです」

知り合いなのだと、

朝倉「こんにちは、一くん。それから小坂幸さん」

思ったら、

一「サキ、すまん。また巻き込んじまった。離れるなよ」

サバイバルナイフが飛んできた。


50: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:11:37.29 ID:0zLMCoDIo



サバイバルナイフが私の目の前で空中に静止している。

女性の手元できらめいた刃物が一瞬でアップするみたいに目前にあったから、
「飛んできた」と後から思ったけど、
そう表現するには余りにも直線的で、回転もせずただ前にスライドするような軌跡だった。
周りの違和感に見回すと、向こうでのんびり自転車をこいでたおっちゃんが、
アクロバティックなサイクリストもびっくりの静止を保っている。

動く物が無いから、二人の会話のほか、周りに音が無い。ああ、また異次元。


51: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:15:08.19 ID:0zLMCoDIo

一「どういうことですか」

淡々と一さんが女性に話しかける。

前触れもなくわたしの目の前のナイフが、
刃先からサラサラと砂のようなきらめく粒子に分解され消えていく。
かと思ったら同時に女性の手元で砂からナイフが構成されていく。

女性はナイフを手にしてしげしげと眺めながら、

朝倉「今度の戦いで、あなたとわたしがペアで北米一帯を任されたのは知ってるでしょう?
   なのにあなたからは何の挨拶もないし、久し振りにわたしから会いにきたわけ」

一「それは失礼しました」

ぺこりと頭を下げる一さんに、

朝倉「ああ、それはいいの。本当のところは確かめたいところがあったから」

一「と言いますと」

女性は腕を伸ばしてナイフをわたしに向けた。心臓がどきんと鳴る。

朝倉「素晴らしいわ。さすが長門さん由来の技術ね。完璧に再構成されてる」

またわたしをダーツの的にするのかと思ったら、
片目をつぶって刃に歪みが無いか確かめていたようだ。

朝倉「実を言うと、情報統合思念体では、
   あなたが前の時みたいに敵性存在に対して手加減するんじゃないか、
   という懸念があるの」

手品のように大ぶりなナイフを両手の間にすとんとしまうと、
改めて一さんの方を向いて女性は話し出した。

朝倉「わたしはそうは思わないんだけどね。
   偶然小坂さんが情報生命体に遭遇してしまった時の、あなたの対処から判断すると」

チラリとわたしを見てにっこりすると顔を戻し、

朝倉「それに一緒に戦うんだから今のあなたの力を見たかったし」


52: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:20:22.69 ID:0zLMCoDIo

一「お分かりでしょ」

朝倉「数種のシールド展開や回避、再生しかあなた繰り返さないし判断しようがないもの。
   それに、長門さんみたいに、ただ守るだけが防衛じゃない。
   攻撃は最大の防御と言うでしょう?
   今は、あなたの攻性情報の使用傾向を把握できる、理想的な条件下にあるわ」

保育士が、園児に描いた絵の披露をうながすような表情で、女性は、

朝倉「いまのあなたの全力を見せてみて」

女性の言葉に、一さんは一呼吸、間を置いて答えた。

一「わかりました。全力ですね」

一さんの全力って、今ここであの女性と戦うってこと――?



おっちゃんが、再びキコキコと自転車をこぎ出した。
普段耳にしているはずの、周りの風景の音がやけに大きく聞こえて戻ってくる。

ビデオの一時停止状態から再生ボタンを押したように、ふたたび動き出す世界で、
女性は一瞬あっけに取られたような表情をしたが、すぐにクスッと笑った。

朝倉「わたしから学んだことも忘れてはいないようね。いいわ、次は戦場で」

再び女性がこちらに近づいてきた。歩の進め方は優雅で自信に満ちている。
それでいて小気味いいリズムの足取りで、もしただ見掛けただけだったら、
自分もあんな風に歩いてみたいな、と真似てみてすぐ挫折するような、
とにかく溌剌とした華やぎを感じさせるものだった。

よく見たら、大人びた雰囲気だけどわたしと同じくらいの年頃だ。
流行でもない、普段着で揃えてるはずなのに着こなし、と言うんだろうか。
アクセサリと言えば小さな腕時計くらいだが、
気取らない細めの茶色の革の、小さい時計盤も金メッキのごくありふれたものだ。

全てわたし達の年代なら全然違和感のない、
清潔とはいえむしろ目立たないファッションのはずなのに、
とても洗練されて見えるのはなぜなんだろう。

何より、十人中十人が目を引かれるような美人だ。
人の輪の中にいても、パッと華が立ち目を覚まさせるような、
生きものとしての生命力と、若さを誇る美が調和している。
って見とれてる場合じゃ。でも一さんは何もしない。


53: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:24:26.10 ID:0zLMCoDIo

立ち尽くすわたし達とすれ違い、二、三歩過ぎた辺りで一さんが呼び止めた。
振り返る女性に、また淡々と、

一「朝倉さんと俺が組むってどうやって決まったんですか」

え、お世話になったらしい人に背を向けたまま物を尋ねるって失礼なんじゃない?
ひやりとしたわたしだが、女性は気を悪くした風でもなく、

朝倉「決定したのは統合思念体だけど、進言したのは長門さんよ」

それを聞いて、一さんはなぜか微笑んだ。相反するように声色は変えず、

一「朝倉さん」

前を向いたまま、不敵な笑みを浮かべて、

一「全力で行きますよ。
  あなたが殺されでもしたら、俺が有希さんに会わせる顔がありませんから」

女性はきょとんとしたが、やがてふっと笑い、わたしに向かって、

朝倉「あなたも、健闘を祈るわ。小坂さん」




女性が遠く見えなくなると、一さんは天を仰いでから大きく溜息をついた。

一「あー、怖かった」

いや、こっちのセリフなんですけど。

一「すまん。俺は全く予定外だったけど。
  あの人はこうして君と一緒にいる所をわざわざ狙ってたみたいだ」

すまなそうに頭をかいて笑いながら、歩き出す。

サキ「朝倉さん……って、どんな人なんですか」

わたしもついていきながら、尋ねた。

一「前に世話になったことがあったんだ。
  なのにさっき言われたとおり、ご無沙汰してたんだよ。
  長門有希さんと同じ、情報統合思念体のインターフェース、朝倉涼子さん。
  『機関』から聞いてなかった?」

サキ「いえ。お二人とも知りません。
   今度の戦いとか、前の時とか、何があるのか、あったのかも」

一「それは柊さんから聞くといい。一言で表すなら、相当やっかいなことだよ。
  気になることは全部聞いて、それから決めるといい」

気になることは全部というか、何の話だか全然分からなかった。

一「まあ君もボチボチ頑張れよ。じゃあ、また。
  あ、岡部先生はアタリだぞ。ハンドボールだけじゃなく人間も熱い先生だから」

そう言って、すぐ先の袋小路にひょい、と入っていった。
覗いてみると、もういない。




その日の訓練がひと段落つくと、わたしはさっそく、柊さんに今日あったことを話した。
朝倉さんたちのことやその他もろもろのことを聞かせてほしいと伝えると、

古泉「かなり長い話になるから、今度の日曜は空いてるかい?」


54: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:28:28.32 ID:0zLMCoDIo




日曜の午後、柊さんと待ち合わせたのは光陽園駅近くの図書館分館前だった。

古泉「待たせてすまない。急用があったもので」

サキ「いいえ。おつかれさまです」

この会話は通行人の目があるからで、待ち合わせ時間の前に閉鎖空間が開いたからだった。

古泉「いや、今さっきのは僕らが関わったわけじゃないんだ。
   一くんと直接会って話す機会がなかなかなくて、
   そちらの方を優先させてしまった。悪かったね。
   早速行こう。君に会わせたい人がいる」

『機関』の仲間だろうか。
それにしても図書館は、わざわざ長い話をする場所ではないような。
説明に必要な本でもあるからなのかな。


55: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:32:55.99 ID:0zLMCoDIo



柊さんに続き自動ドアから入ると、右手にすぐ貸出返却受付カウンターがある。
姿勢の良い人影に目を引かれると、
さらりとしたショートカットの女性の司書さんがいた。

その人はこちらにゆっくりと顔を向けた。シンプルな白いブラウスがとてもよく似合った、
知的な感じのするきれいな方だ。


長門「………………」


公共施設の運営が何でも民間委託の今時、珍しい昔ながらの物静かな司書さんのようだ。
でも不思議と、沈黙をもって迎えられても嫌な感じがしない。きっと、いい人なのだろう。
こちらをじっと見る目にもほのかに温かい雰囲気を感じる。

また今度本を借りに来ようかな、と思いつつ素通りするものだと思っていると、

古泉「長門さん、この子が小坂幸です」

と紹介された。
そう言えば、一さんがお名前を口にしていた方。慌ててお辞儀をする。

サキ「初めまして、小坂です。よろしくお願いします」

顔を上げると、長門さんが静かに椅子から立ち上がるところだった。

長門「朝倉涼子があなたに迷惑を掛けた」

僅かに頭を下げながらおっしゃった。そうか。朝倉さんの知り合いの方だったんだ。

サキ「あ、いいんです。一さんが守ってくれたみたいですから」

長門「そう」

古泉「ちょっと奥の部屋をお借りします」

長門「そう」

淡々とした会話だけ交わすと柊さんは歩き出した。
わたしはもう一度お辞儀をしてから、ついていく。


56: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:36:58.38 ID:0zLMCoDIo



カウンターから、正面玄関から入ったとおりまっすぐ歩いて突き当たりを右に曲がる。
すると書架と壁に囲まれた小さなスペースがあって、
その隅の方に、今わたし達から見て向かいにドアがあった。

ちょうどわたしがドアを見つけたとき、そのドアが開いて一人の女性が中から出てきた。
長い髪を後ろで大ざっぱに留めている。小柄ながら自信に満ちた足取り。
垢抜けた雰囲気に羨望の眼差しを向けてしまう。

柊さんとその女性がほとんど同時に足を止めた。

古泉「奇遇ですね、泉さん」

こなた「おや、古泉くん! 今かがみに会ってたところだよ」
    
古泉「取材ですか」

こなた「ううん、今日はぶらっと遊びに来ただけ」

柊さんを旧姓で呼ぶということは、かなり前からの知り合いらしい。

こなた「あ、サキじゃん。どうして古泉くんと一緒なの?」

サキ「こんにちは、泉さん」


57: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:41:00.61 ID:0zLMCoDIo


小さな図書館の片隅で、泉さんに会うとは。

七重の家で幾度か会ったことがある。時々訪れているそうだ。
おばさんとおじさんが高校の時、
部活のみんなで東京へ行ったときに知り合ってからの友人。
自分の趣味を表情豊かに熱く語ってる姿が印象的だった。

泉さんはわたしと二つ共通点がある。

誕生月が同じこと。
それから、幼い頃にお母さんを亡くされ、母親の記憶がほとんどないという点である。

学校のクラスの子が二つめの話題に触れたとき空気が微妙になるね、
その度に記憶が無いから凄く悲しいわけじゃない、と改めて説明しないといけないよね、
と何気なく話されていたのを覚えてる。

柊さんは戸惑った表情をしながら、

古泉「彼女が今度新しく入ったんですよ」

女性はテンションをすこしこちらに歩み寄るように、柊さんの顔を見て、
それから再びわたしを見つめた。好奇心を湛えた明るい瞳を持った人だ。

古泉「泉さんとは僕の女房が、それに僕も高校の時からの友人なんだ」

サキ「そうだったんですか」

こなた「どうも、よろしく。時間ができたらまた取材させてね」

悪戯っぽくウインクしながら、泉さんは名刺を差し出した。
両手で受け取った名刺を見ると、名前と住所と電話番号しか書かれていない。
そう言えば七重の家ではマンガやゲームの会話しかしてなかったから、
何してる人とか知らなかったな。

古泉「泉さんは、主にアニメーション作品の舞台になった地域と、
   そこに住んでいる人との関わりを焦点にした記事を書く、ルポライターなんだよ」

へぇ。ここ、アニメの舞台になってたんだ。

泉さんは照れるように、

こなた「そんな大げさなもんじゃないって。チンピラな物書きだよ」

でも言われてみれば人懐っこさのなかにも、見抜くような鋭さも感じる。

古泉「泉さんの独自の感性と普通見過ごしがちな事柄をすくい取る視点は、
   一読者として貴重ですよ。
   凝り固まった頭がほぐれて、日常の中にもある面白さを垣間見るような気がします」

そういう説明をされると、どんなものか読みたくなるなあ。


58: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:45:02.31 ID:0zLMCoDIo

古泉「そう言えば一くんが、ちょうど帰ってきてましたよ。会ったら喜ぶと思いますが」

こなた「え、あの子戻ってきてたの? でもまたすぐ行かなきゃいけないんでしょ?」

古泉「まだ他の場所が開いてませんから大丈夫。
   それに泉さんが来たと知ったら地球の裏側からでも飛んでくるでしょうから。
   電話すれば?」

泉さんは懐かしむような顔をして、

こなた「そうしようかな。ふむ、一には聞きたいことがあるし」

意地悪におどけた目でわたしをチラッと見たが、しかしふと顔を曇らせた。

こなた「でも一がこの地域に来てたってことは……」

柊さんは声を落として、

古泉「ええ。長門さんや喜緑さんがいるにも関わらず、です。そろそろ近い。
   泉さんも大丈夫だとは思いますが、こちらでは一応用心して下さい」

こなた「わかった。古泉くん達もね。じゃあね」

と図書館の入り口に向かって歩きかけて、泉さんは足を止めた。


59: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/20(土) 19:49:04.59 ID:0zLMCoDIo

少しの間そのままでいたので、

古泉「泉さん?」

呼びかけに振り返った泉さんはさっきとは打って変わった深い瞳をしていて、
でも違いはそれだけで柔和な表情はそのままだったけど、

こなた「古泉くん。……あの子、わたし達にとっては子どもみたいなもので、
    普通に役目に頑張ってるように見せてるけど、
    ホントはわたし達より大人な面あるから……わかってあげてね」

柊さんには泉さんの言いたいことが伝わったようで、

古泉「はい。本当に泉さんには……。
   森さんと常々話していますが、あなたの存在にどれだけ彼が救われているかと」

こなた「わたしだけじゃなく、古泉くんも、でしょ」

古泉「……」

大人が沈黙して、マジな目で見つめ合っているのは、あまり穏やかな光景とは言えない。

古泉「すみませんが、それは難しいんです」

こなた「……そうだね。……ごめん、この話はこれまで! じゃあね、また」


笑顔で手を振って歩いていった泉さんは、
閲覧テーブルで本を読んでいた人にも声をかけて、
二言三言フランクな感じで会話し、手を振りながら離れて、
今度はカウンターのところで長門さんにちゃきちゃき話しかけていた。
柊さんは、何か言い負かされたような流れの割にそんな泉さんを称賛し羨望するような、
僅かな笑みを束の間見せていたが、

古泉「さあ、行こう」

と泉さんが出てきたドアにわたしをうながした。

当時のわたしは、今の話の内容は、一さんも悩んでることがあるんだろうな、
ぐらいにしか思っていなかった。

それはそれで合っていたのだが、それが七重のお母さんが、
とりわけ世界の時事ニュースを見て、
なぜあんなに憤っているのかということを全然分からずにいたように、
それ以上は考えもしなかった。


62: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:17:12.44 ID:MYbWWDhUo




続いて中に入ったわたしが、呆けたように周りを見回していると、
柊さんは後ろで静かにドアを閉め解説を始めてくれたのだった。


古泉「市立図書館とは別に、ここでは長門さんが構築した蔵書の閲覧を許してくれている。
   ほら、正面に大きい扉があるだろう。
   気が向いたら、長門さんに頼んであちらを案内してもらうといい。
   長門さんが文化的、歴史的、科学的価値があると判断した、
   古今東西の書物が収められている。書物以外の資料もあるけど」


この奥にあるという資料、そしてそれらを収集した長門さんとはどういう人物なのか、
と気になりながらもわたしは広間の全景に目を奪われていた。

確かに足元はコツコツとした平たい床石の感触があるが、
足元の遥か下(?)の方まで奥行きのある星空が広がり、まるで全てがプラネタリウムだ。

いや、いま柊さんとわたしが立つ平面上に、
放射状の位置に並び立っている幾つかのドアやその中央にあるソファを除けば、
宇宙そのものだと言っていいくらい。

館内の隅っこのほうのはずなのに、どこにこんなスペースが、というレベルではなかった。

大小様々な、色も様々な無数の星々や銀河が散りばめられ、
足元の斜め下、遥か遠くの方を横切る彗星や、
音もなく頭上を遠ざかっていくたくさんの岩塊群が見える。
まるで身体が宇宙空間に漂っているような感覚に襲われる。

ドアにしても、中央に対し同一円周上から向かうように配置されているというだけで、
壁にはめ込まれているわけではない。
今入ってきた場所から正面の、向こうのドアだけは観音開きで一番大きいが、
他は普通の、よく見る大きさだ。
そもそも、壁自体が無く、例えばドアの後ろ側にだって歩いて回りこめそうな気がする。


63: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:21:49.11 ID:MYbWWDhUo

悠久の時と広大無辺の静寂、正に天文学的スケールの力学の世界、宇宙。
絶対零度と真空の支配する情緒のかけらもない空間のはずなのに、
この広間の冬の星々を瞬かすような静謐に満たされた空気はどうだろう。

そう、寒くはないのに鼻腔を清々しく通り抜けるのは冬の大気の匂い。

それはものの輪郭を冴え冴えと峻別する数学的に美しい横顔を見せながら、
呼吸を重ねるほどに肺胞の隅々まで浄化し、
精神を重力から解放するような快さで包んでくれる。

そして冬は、春を待つ季節でもあるように、
人智の及ばぬ未踏域への畏怖のなかに不思議と憧れと懐かしさ、静かな温もりを感じる。


きっと、これが長門さんなんだ。


不意に理由もなく直感したとき、柊さんが、

古泉「実は今このカギを使ったんだ、泉さんも、僕も」

と手の平に載せた鈍く光る小さな丸っこいカギを見せた。

古泉「ここは中央ホールで、長門さんの故郷を模したデザインになっている」


散開したドアに囲まれるように中央には、一脚のソファが置かれていた。
そこまでゆっくりと歩く柊さんについていく。

古泉「座る?」

わたしは首を振った。

サキ「いえ。それより、泉さんも柊さんもこの図書館の関係者の方なんですか」

確かに「準備室」と書かれた古く変色したプレートがドアの上にはかかっていた。
そうそう簡単に部外者が入れる場所ではないのだろう。

古泉「いや。こんな奥の方にあっても、
   人目につかないように長門さんにちょっと手助けしてもらってるけどね。
   このカギも長門さんからもらったものだ。それからこの空間も長門さんが構築した」

空間。

サキ「教えてください。
   朝倉涼子さんや長門有希さんがインターフェースとか、どういう意味なんですか。
   七重のお兄さんはその人たちの仲間なんですか」

あの黒い空間に迷い込んだあたりから、わたしは、
いや、わたし達は一さんと非常に関わりがあることだけは分かっていた。
なぜ分かるのかは知らないが。

でも朝倉さんがやったような、
周りの景色が一時停止してしまうようなことは本当にサッパリ分からない。

古泉「……何から話せばいいものか。まず答えよう。
   朝倉さんや長門さんはこの地球で生まれた人間じゃない」


64: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:25:51.50 ID:MYbWWDhUo


つまり、あの直感通り……。いや、まさか。
目を見開いたわたしの反応を見ながらも、柊さんは話を続けた。

古泉「銀河系、いや宇宙全体に渡って広がる知性そのものの意識の集合体があるとしよう。
   人類が地球上に誕生する遥か前から、
   悠久の時を専ら思索と、インテリジェンス――つまり有意な情報を探索・分析し、
   それによって更に思索を深めていく営みに費やす」

すみません、日本語でお願いします。

柊さんは片手の手のひらを天井の方へ軽くかかげながら、
路線バスが次に停留所に来る時刻を知らせるみたいに、

古泉「宇宙には今言ったような、情報統合思念体という存在があるんだ。
   朝倉さんや長門さんはそこから人類とコンタクトするために派遣された、
   有機アンドロイドなんだよ。
   我々『機関』では彼らをTFEI端末と呼称しているが、簡単に言えば宇宙人」


……………。

信じられるかどうかと言うより、あんな現象を見せられては、
そう納得した方が早い気がする……。

とりあえず、では、

サキ「一さんも朝倉さんと同じ力を使えるみたいですが、宇宙人なんですか」

答えを聞きたくないなあと思いながらわたしは尋ねた。

古泉「いや七重ちゃんの兄で人間だよ。
   ただ彼は、二つの特殊な能力を生まれながらに持っていた」


65: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:29:53.21 ID:MYbWWDhUo

サキ「というと?」

古泉「一つは僕らの知っているとおり、閉鎖空間と神人を生み出す能力。
   そしてもう一つは、どう表現したらいいのか迷うけど、
   現実に合わせて自分を変えられる能力、とでも言ったらいいかな」

サキ「それって……誰でも多かれ少なかれ、そうしてるんじゃ」

柊さんは頷いて、

古泉「現実を受け入れる、ということだね。
   彼の場合、状況を判断して、自分がどうすることが必要か判断したぶんだけ、
   それができるようになるんだ。それも、無限のキャパシティをもって」

サキ「つまり、自分のやりたいことは何でもできる……」

古泉「いや、あくまで、彼自身が、本人の意志次第で、
   制限なしの可変の対象であるという意味に限定される」

サキ「どっちも同じで問題ないじゃないですか」

柊さんは苦笑しながら言った。

古泉「大ありだよ。現実を根本から覆したり、新たに創造したりするのではないから。
   一くんにはそこまでの力はない。
   それに、生まれながらと言ったけど、
   最初彼は、閉鎖空間を生み出し、神人を暴れさせることしかできなかった。
   というより、子どものころある日、自身の生み出した閉鎖空間に迷い込んで、
   神人に踏みつぶされそうになっていたんだ。
   駆けつけた僕ら、機関の能力者が彼を助けたけどね」

懐かしそうな目で言う。

サキ「一さんが閉鎖空間に迷い込んだんですか?」

古泉「そう。思えばこの時すでにもう一つの能力の片鱗を見せていたのかもしれない。
   しかし、それ以降何度も閉鎖空間を発生させては、
   神人の破壊行動に巻き込まれて、必死に逃げ回っていたんだ。
   無意識の暴走に自分自身が危険にさらされて、
   彼にとって悪夢のような日々だったに違いない。
   なぜこんなことになるのか、本当に理解するまではね。
   それはずっと後で、閉鎖空間の空も、今と違って灰色だった」


66: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:32:54.05 ID:MYbWWDhUo

そういえばわたしが見た悪夢の空も灰色だった。

古泉「ある日、彼は僕に神人の狩り方を教えてほしい、と言ってきたんだ。
   今の君みたいだね。
   僕は、まず紅玉化について、
   これは選ばれた者にしか使えないのだと説明したんだが、
   僕の目の前で彼は紅玉化してみせたんだ」

聞きながらふと思う。わたしみたいな例は初めてじゃなかったっけ。

古泉「彼の能力が発現した瞬間だったんだね。
   意志の力で、機関の者しか扱えないはずの能力を獲得したんだ。
   それまで逃げ回るだけだったのが、自分から向かっていこうと決めたからだと思う。
   彼は機関の一員になって、僕より強い能力者になったんだ」

現実に合わせて自分を変えるって、そういうことか。
……わたしの参考にはならないな。地道にやるしかないか。

柊さんはもう、なんだか嬉しそうな顔で問わず語りに入っていた。

古泉「一くんはやはり涼宮さんと彼の子どもだよ。本当の意味で頭がよくて、
   年の差なんて関係なく、友達になりたくなるようないい奴だ。
   あ、話がそれたね。……そのうち、自分の精神をコントロールすることで、
   閉鎖空間の発生や神人をも一くんは操れるようになった。
   考えてみれば、自分の心に振り回されなければ、
   閉鎖空間も神人も発生しないんだけど、一度は通る道だったんだろうね。
   能動的に閉鎖空間の開閉ができるようになってから、空が黒くなった」

一さんの成長を喜ぶのは分かるけど、その発生源の子どもを命がけで助けながらだから、
なんだか人のいい話だなあと思う。

あ、そういえば、さっき閉鎖空間が開いて、一さんが来てたって言ってたような。

サキ「さっきの閉鎖空間って、一さんが情報生命体と戦ってたんですか」

古泉「さっきのは、一くんが戦っていたけど、相手は情報生命体じゃなかったんだ。
   確かに一くんも情報生命体と戦うこともあるけど、
   それは広範囲にわたって感染者が出たときとか、限定されてる。
   さっきの閉鎖空間は、
   天蓋領域のTFEIが涼宮ハルヒの半径300メートル以内に接近したために開かれ、
   一くんがTFEIと交戦した」

どうしてここでおばさんの名前が出てくるんだ? 天蓋領域?

古泉「この宇宙の外にある情報意識体で、
   情報統合思念体と同じく多くのインターフェイスを擁する。
   彼らが涼宮さんに近づいたのは彼女をかどわかすためだ」


67: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:39:01.95 ID:MYbWWDhUo



サキ「何ですって!?」

声を荒らげるわたしに柊さんは落ち着いた口調で続ける。

古泉「安心してくれ。ここは我々にとっても彼らにとっても、
   最重要地点と言っていい場所であり、
   長門さん達、統合思念体のTFEIの中でも精鋭で固められている。
   何せ天蓋領域のターゲットである、
   七重ちゃんの両親と長門さんが全て揃っている地域だから」

サキ「おじさんまで!?
   それに長門さんも、どうしてそいつらに狙われなきゃいけないんですか?」

こちらが詰め寄っても、柊さんは注意深そうな表情をさらに、
慎重に考えるよう促すようにして言う。まどろっこしく感じる。

古泉「狙う理由については話の中で説明するよ。
   だが先ほどの接近は、彼らも誘拐が成功できると踏んでやったとは思えない。
   裏で進行している大きなことを隠すために、
   一時的に長門さん達TFEIの注意を、
   インターネット上から逸らすのが目的だったのかもしれない」

サキ「長門さん達も情報生命体の被害者が出ないように協力してくれてるんですか?」

知ることのできる限りの情報を全て聞いておきたい。

古泉「そのとおり。感染元になった起動データの削除や、
   ネット上のどこかに巧妙に隠され仕込まれた情報生命体の探索を、日夜行っている。
   情報生命体、と言ったけど、起源は情報統合思念体と同じなんだ。
   感染元を断つのは、専門家に集中してやってもらったほうがいいから。
   パソコンの操作はTFEIの中でも長門さんが一番上手いんだけど、
   彼女はここの司書の仕事があるから。
   実際の作業は他のTFEIがほとんど行って、
   長門さんや喜緑さんに報告する形らしい」

サキ「喜緑さん?」

初めて耳にする名前だ。

古泉「彼女もこの近辺に住んでるから、いずれ紹介できると思う」

サキ「分かりました。今隠したとか仕込んだって言いましたよね。
   もしかしてそれをやったのは……」

古泉「分かってきたね。そう、天蓋領域だ。
   この宇宙で滅亡したはずの情報生命体を、兵器として送り込んできている」

兵器……戦争……。

古泉「数か月以内に情報生命体の爆発的感染が引き起こされる兆候がある。
   それに乗じて彼らはきっとTFEIをつぎこんで、
   七重ちゃんの両親や長門さんを奪いにくる。
   それに対抗して統合思念体と機関の連合が、天蓋領域と情報生命体を迎え撃つ」


68: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:42:33.96 ID:MYbWWDhUo



わたしは呆然としながら聞き、考えていた。なんでそこまで……?

古泉「……大丈夫かい?」

柊さんがソファに座るよう促したが、
わたしは力無く首を振り、頭に湧き起こる疑問をそのまま口にしていた。

サキ「……どうしてそこまでしておじさんやおばさん、長門さんを狙ってくるんですか」

古泉「延ばし延ばしで悪いけど、それについては一くんのことを話す中で説明しよう。
   構わないだろうか」

サキ「……はい」

柊さんは束の間考えて、

古泉「一くんが閉鎖空間と神人を自在にコントロールできるようになったことは話したね。
   そこまで戻るけど、このとき一くんは中学一年で、普通の子として生活していた。
   周りの人や七重ちゃんとお母さんに隠した秘密をのぞけば。
   お父さんは以前から知ってたんだ」

サキ「七重もおばさんも知ってるみたいでしたが」

古泉「もう、一くんが過去へ行くときが迫っていたから、旅立つまえに打ち明けたんだ。
   二人ともよく受け止めてくれた。
   彼自身も直前まで、時間をさかのぼることを知らされていなかったんだが」


そうだ、一さんもおじさんやおばさんが北高生だったころに、
もぐりこんだようなこと言ってたな。

確かに言われたとおり卒業アルバムには、山田というめがねを掛けて、
ぼんやりした子が載っていた。氏名より先に顔を見つけたくらい一目で分かったが、
コンピュータ研所属というのが意外だ。成績は良くないと自分で言ってたし。


サキ「一さんが過去に戻った理由ってなんですか。
   お父さんとお母さんが結婚するように仕向けなきゃいけないとか?」

柊さんは朗らかに笑った。わたしにすわ隠し子発覚かと勘繰られたときのように。

古泉「冗談が言えるようでよかった。いや、そちらの方はもう大丈夫だった。
   そうだな、朝比奈さんなら既定事項だったから、と答えるだろうし。
   でも、一くんは長門さんを守るためだったと言うだろう」


69: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:46:11.70 ID:MYbWWDhUo


次から次へと、新しい人やことを知らされる日だ。

サキ「朝比奈さん?」

古泉「朝比奈みくる。一くんを過去へ送る助けをしてくれた人だ。
   ずっと未来から来た人で、僕と同じ高校の部活の先輩で仲間だ。
   そうだ、長門さんのことを君にしっかり紹介してなかったね。
   まったくあの人は……。いや、すまない。内輪のことでね。
   ……長門さんも涼宮さんが作った部活、いや、団の、同級生の仲間なんだ。
   もともとの部室の主でもあったんだけど」

……なんだかにぎやかな部活だったんでしょうね。

古泉「そう。だがそれだけじゃなかった。
   君は涼宮さんの家で、一くんが中学一年くらいにしか見えないと言ってたね。
   あのときは話をそらしたけど、まさに君の言うとおりだ。
   一くんは中学一年から、肉体的に年を取らなくなった」

サキ「それって余りにも人間離れして……」

柊さんはじっとわたしを見た。不謹慎なことを言ってしまった。
でもその表情にはわたしを責めるというよりは、
真剣さの中にどこか一点悲しみの色が浮かんでいるようだった。

古泉「七重ちゃんのお兄さんで、涼宮さん達の子ども。そして君の……、
   これだけ言えれば、人間だと言えないかな。
   過去に行ってするべきことを知ったとき、
   一くんは自分の意志で、長門さんからTFEIの能力を伝授してもらった。
   不老は、その特性の一つだ。
   朝比奈さんからは時間跳躍の仕方を習った。
   その意志をもって一度その瞬間を見れば、能力として使えるようになるんだ。
   いずれも完璧に、それどころか無限の容量を持ち、申請を通すこともなく、
   はるかに強力に自在に、使いこなせる。
   そして、環境情報を操作して自分の記録と、七重ちゃんや両親、
   そして僕らのような限られた人々を残して、周囲の人の自分に関する記憶を消し、
   過去へ行った。僕らが北高の三年になったとき、新入生の一人としてやってきた」


70: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:49:12.63 ID:MYbWWDhUo

サキ「長門さんを守るため?」

古泉「天蓋領域のインターフェイス達からね。ずいぶん遠回りしたけど、
   やっと彼らが狙う理由に言及できそうだ。
   長門さんはこのとき涼宮ハルヒ――、
   一くんのお母さんを観測する役目についていた」

一さんの親ともなると過去にまでさかのぼって、観測の対象になってしまうのだろうか。

古泉「最初、天蓋領域側のインターフェイスは、
   周防九曜という単体しか存在しなかったが、
   ある日、長門さんが蓄積してきた観測データを彼女ごと強奪しようと、
   集団で攻めよせてきたんだ。
   彼らもまた、情報統合思念体に追随して涼宮ハルヒの観測データを欲していたから。
   天蓋領域側が、統合思念体のTFEIについて研究しつくしていたのに対し、
   統合思念体側は、天蓋領域について未知の部分が多く、不利に思われた。
   彼らは朝倉さんの、情報制御による空間封鎖さえやすやすと突破できるから、
   閉じ込めることもできない。
   統合思念体は長門さんを奪われる前に隠そうとしていたらしい」

サキ「隠すというと……」

古泉「簡単に言うと長門さんをこの世から消して、
   統合思念体の元へ戻させるということだ。
   そのときそれを止めさせて、
   代わりに襲来した天蓋領域のTFEI達から長門さんを守ったのが一くんだった」

サキ「彼らを一人で全て倒したんですか?」

古泉「違う。彼はそのとき一体も傷つけず、倒さなかった」

サキ「ええ?」

古泉「一くんはまず天蓋領域のTFEI達を閉鎖空間に閉じ込めると、
   閉鎖空間内の時間の流れを、通常空間から切り離し、後は専ら防戦に努めたようだ」


71: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:52:14.20 ID:MYbWWDhUo


意味が分からない。

サキ「それじゃあ、勝てないじゃないですか」

古泉「そう。負けず、勝たずの戦法と言える。相手の攻撃をひたすら防いで待つ」

待つって、何を。

古泉「相手の戦闘の意志がなくなるのを。そうなれば閉鎖空間を消して解放する」

帰しちゃうんですか!?

古泉「持久戦に持ち込むことで被害者が出ない限りは、
   今でも基本的に一くんはそうしてるらしい」

サキ「多数のTFEI相手にたった一人で、よくそんな戦法が通じましたね」

わたしは朝倉さんしか知らないけど、
もし戦うとなったら人間は。恐らく閉鎖空間の中での機関の能力者でさえ。
しかも、その統合思念体のTFEIが苦戦を強いられる相手となると。

古泉「確かに。
   でも一くんは無限の処理能力をもって、どんな攻撃を受けても一瞬で再生できるし、
   彼の能力の特性を考えれば、手のうちを見せたぶんだけ相手が不利になる一方だ。
   それにしたって、彼が閉鎖空間から帰ってきて、
   初めてそんなことをしていたのだと分かった。
   当時の僕らはただ中に入らぬよう言われ外で五分ほど待っていたんだ。
   でも出てきた彼を見た長門さんによると、彼は一千年近く閉鎖空間にいたという」

サキ「1000年!?」

………………。言葉が見つからない。

古泉「長門さんのためだからと言って天蓋領域のTFEI達を殺したりしたら、
   長門さんもいい気はしないだろうと言ってたが」

サキ「しかし千年って。どれだけ長い時間なのか分からないですけど、
   そんな経験してよく気が狂いませんね」

古泉「長門さんの支えが大きいんだろうね。まず彼女も似たような経験をしているから。
   それに、一くんは人間の立場から宇宙人の感覚に近づいていってるのに対して、
   長門さんはその逆を歩んできた人だから、理解しあえるところがあるんだろう」


72: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:55:14.66 ID:MYbWWDhUo

長門さんも同じように、切り離された場所で、長い時間を過ごしたことがあるのか。

サキ「ところで、そのとき天蓋領域があきらめたことで、
   それで終わ……らなかったんですよね」

古泉「ああ、現在の状況は見てのとおりだ。
   しかし、そのとき以来、一くんは自分がいた未来に時間跳躍を使って帰らず、
   そのまま過去の時間の流れから現在まで来ているんだ。
   今の一くんにこの宇宙でかなう者はいない。
   彼の存在自体で天蓋領域が攻め込んでくるのを抑止している面があるから、
   機関では俗説にならい武神と呼んだりする」

ん? 過去の時間の流れからそのまま帰らずに来たのなら、
子どものときの自分に会っちゃいけないとか、色々問題があるんじゃ……。

古泉「そのときから今までの経緯については、
   かなり入り組んだ説明になるけどいいかい?」

あ、やっぱりいいです。

古泉「ともかく今、ふたたび天蓋領域は狙ってきている」

サキ「長門さんをまた、さらおうとしているんですね」

自分から聞きたいと言ったものの、こんなに長い話になるとは思わなかった。

古泉「長門さんだけじゃない。今回は、情報生命体とあちらのTFEIによる、
   人類への侵攻を伴って、ある程度観測情報の集積が見られた本体の回収も目的だ」

本体って。

古泉「七重ちゃんのお父さんとお母さん」


73: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 20:58:16.36 ID:MYbWWDhUo


サキ「そういうことか!!」


冗談じゃない。両親がいなくなったら、七重はどうなる?
高校は何とか卒業できたとしても、頭がいいのに大学もあきらめて就職して、
兄貴はあの通り放蕩してるし、おじいさんとおばあさんの世話を一人でして、
そのうちどうでもいいような男に捕まったりしたら……


サキ「絶対に許せない!」

古泉「君が血相を変えるなんて珍しいね。いや、十分そうするに値する状況だが」

いや、柊さん笑ってる場合ですか。

古泉「ああ、悪かった。……さて、僕から話すことは以上だ。聞きたいことはある?」

サキ「今回も一さん一人で片づけてしまえないんですか」

古泉「できない。前回は長門さんを集中的に狙ってきたけど、かれらも賢い。
   世界中に情報生命体やTFEIを送りこんで、人類を攻撃しようとしている。
   そうなるとこちらの防衛力も分散せざるを得ない」

サキ「だから、そいつらも全部、閉鎖空間に閉じ込めてしまえばいいでしょう」

古泉「もちろん一くんはそうするさ。
   でも君は、閉鎖空間が世界中に拡がってしまえば、どうなるか分かってるだろう」

あ、閉鎖空間が世界と入れ換わってしまって、終わるんだった。

古泉「向こうもその事情を把握してる。その弱点をついて点を面につなげるように、
   世界全土にわたって侵攻してくるだろう。こちらの手を封じるために。
   でも、それに屈して、人々が危険にさらされるのを見過ごすわけにはいかない。
   七重ちゃんの両親と長門さんを守り抜きながら、
   いかに早く相手をせん滅し、閉鎖空間を消していくか。今回はその点も重要なんだ」


74: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/22(月) 21:07:13.42 ID:MYbWWDhUo

サキ「けど、世界が終わったら天蓋領域だって困るでしょう。
   どういう思考回路してるんですか」

古泉「そう、謎だね。チキンレースを仕掛けてるのか分からないけど、
   いずれにせよそういう戦略を取ってくるのは確かだ。
   第一、涼宮さんの観測データを奪うのが目的で、
   人類侵略はその手段に過ぎないんだ」

なんならわたしがさらわれて、おじさんやおばさんのことを連中に説明したっていい。
彼らがうんざりするほど聞かせてやる。

古泉「娘を持つ父親としてそれは賛成できないな。
   それにしても、そもそも長門さんのデータを彼らは解読できるんだろうか。
   ……さて、君はどうする。
   今ならまだ、全てを知らなかったときのようにとはいかないが、
   草の根……つまり涼宮さんや七重ちゃんのそばにいて、
   危険があればそれを我々に連絡する役につくこともできる。それだって重要な……」

サキ「何言ってるんですか。
   やらなければいけないと分かってるなら、やるしかないでしょう。
   戦わせてください」

柊さんはそれまでになく驚いた目でわたしを見たが、気を取り直したように、

古泉「……君がそのつもりなら、長門さんも君に何かと力を貸してくれるはずだよ。
   情報統合思念体から機関に、標的の護衛に少しでも多くのTFEIを配備するため、
   また、観測条件を整えるために、人類を保全してほしいという依頼が来ているから」

サキ「あきれた! わざわざ頼まれなくても、全部わたし達に切実なことばかりなのに」

古泉「お偉方の融通が利かないのは、どこも共通の事情らしくてね。
   長門さんはもともと面倒見のいい人だけど、
   建前があった方がやりやすいに違いないから。
   統合思念体にとっては、観測の継続こそが切実な問題なんだろう。
   長門さん達TFEI端末には、貴重な情報を教示してもらったり、
   『機関』としてもお世話になっているから、
   そういう浮世離れした感覚もあるのだと、尊重していかなくてはね」

長門さんも静かな表情をしていたけど、板ばさみで苦しいこともあるのかもしれないな。




古泉「聞き疲れしたろうし、君の考えを整理するためにも今夜はゆっくり……」

サキ「お気遣いありがとうございます! 大丈夫です! 失礼します!」

再び先ほどのドアから図書館内に戻ったわたしは、短く礼をするなり早足で歩きだした。


今のわたしには、閉鎖空間に侵入できる以外に、何も力がない。

訓練をもっと早く、多くこなせるようになって、
能力を使えるようになって、それから使いこなせるようにならなければ。
カウンターでレファレンスの相談に応じている長門さんにおじぎをすると、
わたしは自動ドアをくぐって駆け出した。



77: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:24:57.11 ID:vXVXQH+So




化学の教師が黒板に中間考査の範囲を書いていくと、
クラスのあちこちから溜息をもらす声があがった。

後日、教室の後ろの掲示板に、全ての教科の範囲がまとめて貼り出されるはずだけど、
今まで知らされた分だけで十分苦しい。

サキ「ふぃ~~。テスト範囲広いね」

と後ろの席の七重を振り返ると、何か考え込んだ表情をしている。


そう言えば朝会った時から何か元気がなかったが、
話しかけてるのに気付かないとはよほどのことだ。

七重はいつもは能天気なくらい開放的で、いい意味であまりものを考えてない。
周りが愚痴を漏らそうが、マイペースにボケて、
言った方までくだらないことに悩んでたような軽い気分に感化してしまう、

普段はそういうタチの悪い奴だ。
本人はいたってマジメなつもりでいるからますますタチが悪い。

成績優秀でおばさんに似て美人で、運動神経も抜群なのに、
肝心の性格がこんな隙だらけだから、同性異性問わずもてる。
にも関わらず、わたしが知る限り七重は誰とも付き合ったことはない。
それはともかく……、


わたしはもう一度呼びかけた。

サキ「七重、どうしたの」

七重はハッとしたように、

七重「え、何でもないよ」

サキ「嘘」

とわたしは言いながら、日番がもうほとんど消しかけている黒板を指さす。

七重「あ、わわ」

と慌ててシャーペンを走らせるも、時すでに遅し。

サキ「ほれ」

わたしがノートを見せると、

七重「ありがと」

なんと、ほとんど板書もノートに取ってない。

サキ「…………」


78: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:27:57.23 ID:vXVXQH+So

わたしの無言の視線攻撃に観念したのか、手を止めてふうっ息をつき、

七重「きのう、お父さんに怒られちゃった」

そう言いながらまた書き出す。

サキ「どうして?」

七重「サキのこと」

わたしのことで、おじさんが七重を怒る?

七重「どうして止めないんだって。
   ……お母さんが話したの、サキを柊さんに会わせたこと黙ってるべきじゃないって」


旧友を娘の幼馴染に紹介するのがそんな禁忌事項になってたのか。
うーん、ああ、そうか。『機関』のことでだな。


七重「お母さんは、サキが自分で選んだ以上、とやかく言うべきじゃないっていうの。
   お父さんはとにかく信じられない、て怒って柊さんに電話かけようとするし……。
   柊さんのせいじゃないのに」

そこまで言うと、唇をくちばしのように尖らせる。


しかし何だろう、この違和感は。
この家では、他の家の子のために、本気で親子喧嘩、夫婦喧嘩を始めるらしい。
わたしは感謝してるけど、他の人から見たらかなり奇異な光景が映るだろう。
おじさんとおばさんのことだから、取っ組み合いになったのかもしれない。
同居しているおじいさんとおばあさんもびっくりしただろう。


その光景を思い浮かべると、思わずクスッと笑ってしまった。

七重「……」

今度はわたしがジトッとした目でにらまれる番だった。
ごめんごめん、なんか、ありがとね。かばってくれたみたいで。

七重「わたしだって。
   ……とにかく、お父さん、サキとも直接話したいって、言ってたからね」

サキ「ああ、うん、わかった」

七重はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、残りを書き写しにかかった。
一さんのことがあるのに、
わたしの心配までしてくれてる七重の前で笑ってしまって悪かったと思う。

でも、まさかその日のうちにおじさんと話すことになる、とまでは考えが及ばなかった。


79: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:31:58.67 ID:vXVXQH+So



涼宮家はうちのお得意様である。
今日は七重が帰りに父の薬局に寄ってくれている。
買い物が済み、和やかに談笑していると表にお客さんの来る気配があって、
ガラスの引き戸を開けて入ってきたのは、

サキ「あ、おじさん……」


おじさんは地元の酒造会社のルートセールスをしている。
近くの酒屋に用があるとき、よく家のお店に立ち寄って父と立ち話をしていて、
時たまわたしや七重も鉢合わせするという、
よく分からない顔ぶれの集会に発展してしまうことがある。

しかし、よりによって、というか。
わたしと七重にとって居合わせるのは随分久しぶりであったのだが。


キョン「おう、いたのか」

引き戸を閉めるおじさん。七重はむすっと黙っている。
父のあずかり知らぬところで気まずい空気が漂った。

おじさんはいつものように栄養ドリンクを一本買うと、その場で飲み干した。
そしてわたし達のことはおくびにも出さずに父と世間話を一くさりすると、
入ってきた時みたいにさっさと出ていった。

しかし、おじさんは元々さっぱり物事にこだわらないというか、
おばさんと違って感情は間接的な言葉で表現するというか、
心の奥はいつも温かいのに淡々としているような人だけど、
今しがたのわたしと七重に対する態度は明らかにいつもと違う。

父は気づいてないみたいだけど。こういうことは早いほうがいい。
七重やおばさんと、おじさんの冷戦状態を長引かせる必要はどこにもないし。

七重と夕飯の買い物のためにお店を後にすると、
少し歩いたところでやっぱりおじさんは待っていた。

キョン「サキ。少し話せるか」

サキ「うん、いいよ」

と答えて、七重に、

サキ「ナナ。また明日ね」

七重はわたしを案ずるような眼差しを向け、それから、

七重「……ん。わかった」

と先に帰っていった。

話を済ませてから一緒に買い物するには、長すぎる「少し」になるに違いないから。



80: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:36:00.81 ID:vXVXQH+So



二人で並んで歩き出し、おじさんが話を切り出すのを待っていると、

キョン「店に入ったとき、なんで佐々木が北高の制服を着てるんだと、一瞬錯覚したぜ」

サキ「あれ、そういえば見るの初めてだっけ」

最近、祖母にも、母とますます似てきたと言われる。
父は、ものを考えるときなどのしぐさがそっくりで驚くことがあると言う。
そういうことがあるのだろうか。

キョン「ああ。似合ってるぞ」

サキ「ありがと。外で会うのなんて久しぶりだものね」

キョン「そうだな。お前も十六か」

サキ「あ、そういえばそうだった」

おじさんはぐいっと首をこちらに向けて大げさににらみながら笑った。

キョン「おいおい」

その日に色々とあったせいでずっと後ろのほうに隠れてしまっていたな。
わざわざ自分の誕生日が祝われるのに積極的でないけど、
そういう習慣も考えものかもしれない。

話を少し戻す。

サキ「でも外見はお母さんに似てても、性格は全然違うんでしょ?」

キョン「全然、てことはない。
    ものをよく見て、なおかつ動じないところなんかよく似てる」

おばさんに似たようなことを言われたような。

キョン「……だがな」

そう呟いて、おじさんは口をつぐんだ。


81: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:40:02.77 ID:vXVXQH+So



自販機で買った缶飲料を渡されて、
わたしはおじさんと光陽園駅前公園の中のベンチに腰かけた。
二人とも黙ってとりあえずプルタブを起こし、飲み物を啜る。

おじさんは一息つくと、

キョン「暖かくなったな。日も長くなった」

サキ「それ、鶴屋さんとこでお花見した時も言ってた」

キョン「ほら、あの頃は花冷えで、日が傾くとまだ肌寒かったろ」

サキ「まあ、そうだね」


会話が途切れる。


キョン「お前、親父の後を継ぐのか」

サキ「そのつもりだよ」

キョン「勉強難しいだろ」

サキ「なんとかやってる。ナナにも教えてもらったりしてるし」

キョン「そうか」


再び会話が途切れる。


おもむろに、おじさんは口を開いた。

キョン「とりあえず一は殴っといた」

サキ「ちょっおじさん!? 誰が能力者になるかなんて、一さんには分からないんだよ?」

キョン「ああ。だがあいつのふざけた力にお前を巻き込んだのは確かだからな」

サキ「でもそれじゃ『機関』の人の数だけ息子を殴らないといけなくなるよ」

キョン「それはない」

おじさんはきっぱりと言い放った。

サキ「それおかしくない?」

キョン「おかしくないとも! 俺はお前が可愛いからだ!」


82: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:43:02.88 ID:vXVXQH+So

……人通りの少ない公園でよかった。

サキ「ねえ、お母さんが生きてたら、このことを知ったらどう言うかな」

おじさんが前に、わたしの母のことを、
中学のときからの親友だと言ったことを思い出して、わたしはたずねた。

キョン「……まず殴られるのは俺だろうな。
    それからどんなことを言ってでも、お前を止めるだろうよ」

サキ「…飄々として、物事をいつも客観的に捉える人だって言ってたじゃない」

キョン「お前に関してだけは別だ。
    早くお前に会いたいと、十月も待てないようなことを言ってた」

サキ「……」

キョン「地球を侵略するエイリアンに向かってお前が戦いにいくなんてことは、
    お前の親父には話さない方がいい。
    だが佐々木なら、話を理解した上でお前にはそうすることを絶対に許さない。
    俺は、知ってる側の人間として、お前を止める義務がある」


83: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:46:04.54 ID:vXVXQH+So


わたしはおじさんを見ていたけど、おじさんは話しながらずっと前を向いたままだった。
話し終わると、缶コーヒーの残りを一気に飲み干し手に持ったまま黙っていた。

サキ「お母さんやおじさんが、その理由で止めるのなら、
   おじさんもお母さんも分かってくれると思う」

おじさんは怪訝な顔を向けた。

サキ「わたしが戦うのは、おじさんが言ったその理由と全く同じだから。
   わたしがおじさんやおばさんや七重が大好きだから。
   こんなことに脅かされずにいてほしいから。
   だから、絶対に、やめるわけにはいかないの!」

キョン「お前がそう思ってくれるのは嬉しい。
    だがな、大事に思ってくれるならなおさら止めてくれ。
    七重の父として、佐々木が認めてくれた親友としても言わせてもらうぞ。
    何もお前がやらなくてもいい。お前の頭の良さを生かした人生の選択をだな」

サキ「柊さん――古泉さんはすごく頭の良い人だけど、能力者としても――」

キョン「甘ったれるな! 奴は特別だ。お前なんかとは年季も覚悟も違う」


……確かに偉大な先駆者である柊さんとわたしを、同列に語るのはおこがましい。
しかし、柊さんとの共通項は決して能力者、という一点だけではないと、
即座に言葉にできない何かがある。功績とはまた違うところで。
柊さんと同じ役目を負うことの誇らしさ。それは――。


閃きを探るわたしの表情を逡巡と捉えたのか、おじさんは頭を下げ、

キョン「――頼む。この通りだ。お前には、お前にまで志半ばで死なれたくないんだよ。
    佐々木の分までお前は、幸せになる義務がある」

幸せ。

キョン「ああ、そうだ」


ああ。

そうだった。


ベンチを立ち上がり、見上げる空は五月晴れだった。

秋晴れは男の諦めに似て、粋だと思う。

わたしはこの空に女の執念、そしてどこまでもオプティミズムな朗らかさを感じる。


それがきっとわたしの名前に託された希望だから。


昔、父から聞かされた言葉を思い出す。

サキ「ねえ、おじさん。わたしの名前、なんで『幸』っていうか話したっけ」


84: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:49:05.58 ID:vXVXQH+So

キョン「むう、さてな」

サキ「お母さんがそうつけてほしいって。由来は幾つかあって。
   シャレみたいだけど5月生まれだろうからとか。
   神道でいう幸魂(さきみたま)から思いやりのある愛情深い人に育ってほしいとか」

キョン「ああ、お前はそういう人間になってるよ」

サキ「ありがとう。……でもね、一番の理由はシンプルに、
   『幸せになってほしい』からだって」

キョン「……ああ。だから」

サキ「わたしを産むとき、
   もしもの時はわたしを優先してほしいって言ったのもお母さんなの」

キョン「サキ。だからな」

わたしは振り向く。母が心から願ったことを、おじさんに伝えなくてはならない。
考えられる限り慎重に、言葉を紡ぐ。

サキ「……確かに、この世界にとってはわたしがやらなくていいことなのかもしれない。
   でもね、わたしが将来就きたいと思ってる仕事だって、そうなんだよ。
   病に脅かされる人が少しでも安心して暮らせるようにわたしの力を生かしたい」

キョン「それとこれとは」

サキ「同じだよ。進路だって、目の前で起きてることだって毎日毎回、選択の連続だもの。
   力を尽くして手の届かないんだったらともかく何か理由をつけて目をそらせるの?」

キョン「……」

サキ「わたしのお母さんが託した希望は、幸せは、そんな消極的なものじゃない」


少しのあいだ、表情が固まっていたおじさんは、やがて無理に笑顔を作ろうとしながら、


キョン「一を殴っておいて正解だった…」



おじさんが泣くところを初めて見た。
肩を抱いて寄り添いながら、おじさんがわたしの母を失ったことの大きさを思っていた。


やがて少し落ち着きを取り戻すと、お前は本当に似ている、佐々木は独立独歩の奴だった、
こちらが助けたくても頑なに医学の力以外頼らないと断りやがった、とおじさんは語った。


キョン「さて、時間を取らせたな」

しばらくの後、わたし達はベンチから立ち上がった。

おじさんが辺りを見回す。

サキ「何か忘れ物?」

キョン「……この場所ならあるいはと思ったんだが」

おじさんは静かに笑いながら首を振って、歩き出しながら、

キョン「いや、別にいいんだ。お前、買い物行くところだったんだろ。送ってくか?」

サキ「おじさんこそ、まだ廻る途中だったんでしょ」

キョン「いや、次まで大分間があったから構わない」

有難いけど、その気遣いを家族にまわしてほしいものだ。

サキ「ありがとう。でも、いいよ。おばさんと七重と仲直りしてね」

おじさんは決まりが悪そうに頭を掻いて、

キョン「ああ、わかった」

いつものとぼけた調子で返事した。


85: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:52:21.62 ID:vXVXQH+So



駅前でおじさんと別れ、スーパーまで向かいながら、
わたしは今の、今までのわたし達のことを考えていた。

おじさんと母は、中学の時からの親友らしい。
異性間に友情は成立するか、という問いに答えは色々あるけど、
一つ言えるのは成立すると互いの結婚式の友人席の光景が、
かなり賑やかな顔触れになるということだ。
もっとも、おばさんもおじさんと一緒に父の結婚式に参列したとも言えるし、
母の場合も然り。まあ、そういう余計な説明は不要なのである。
友情にそもそもアカウンタビリティは存在しないのだから。

父と母は本当は二人で薬局を営むはずだった。
二人は大学で知り合い、一緒にお店を開こうと約束していた。
おじさんが言うには、父と母は大人しいところがよく似ていたようだ。
ただ、どちらかと言うと母のおしゃべりを聞いて、
父が考えたところを返すような関係が印象に残っていた、と。

父は遠い地方の出身だったが、両親があまりこだわりの無い人で、
二人は薬剤師の資格を取ると、揃って関西の企業に就職した。
当初は母の実家近くに部屋を借りて通勤していたが、
開業計画のことを知っていた祖母に勧められ、ちゃっかり二人ともに同居していた。
男のプライドは、と言う人がいるかもしれないが、
父は感情と論理のバランスが取れていて、母との計画の実現のために、
誰にとっても必要のない部分には本当にあっさり、執着しなかったのだと思う。

決して目立たず地味だけど芯が強く、ゆっくりとだが着実に目標へ近づいていく父と、
大人しいところは似ているけど、
めくるめく発想の量とスピードを誇るアイデアマンでもあった母は、
社内での部門は違えど、互いにアドバイスを交換しあい、
それぞれ目覚ましい研究成果を上げていたらしい。

今でも家には、勤めていた会社の人や、大学時代の友人が訪ねてくるけど、
なぜ研究者のままでいなかったのかとよく首を捻っている。
わたしが思うのは父は、祖母や母、そしてわたし達家族の側にいたかった、
母が祖母の側にいられるようにしたかったのではないだろうか。
もちろんそれが理由のすべてとは言わないが、
父は寂しがり屋ではないけど、人が幸せそうな顔をしているのを見るのが好きだから。
とにかくそんな父のおかげでわたしはここにいられる。


86: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/24(水) 20:56:23.87 ID:vXVXQH+So


二人で貯めた資金がある程度になったころ、
父が店主の調剤薬局兼わたしと父が今二階に住んでいる店舗の話が、
おばさんと鶴屋さんから入ってきた。

鶴屋さんは地元の名家の当主で、
おばさんとは高校時代からの部活でのつきあいが続いている間柄だ。

なんでもその薬局の店主の方が高齢で、近々田舎に帰って隠居するとのこと。
そのためになるべく早く売れればいいなあ、と話していたのをおばさんが聞きつけ、
鶴屋さんにあれこれ相談し、うまく話を整えた上で持ってきてくれたのだ。

地域のことには隅々まで目の届く二人のお墨付きとなれば願ってもない話だったが、
ちょうどその頃母の妊娠が分かったばかりで、父は当初乗り気ではなかった。
しかし、千載一遇のチャンスを逃すべきでないという母の強い希望に折れて、決断した。

そしてわたしが生まれ、母は亡くなった。

母の死後、既に購入していた薬局の店舗兼住居を、
父はどうするべきか考えあぐねていたらしい。
それまでは母の実家、つまりわたしの祖母の元で暮らしていたし、
生まれたばかりのわたしのことを考えると、
わざわざ今の仕事を辞めて薬局を開業するなど、正直あきらめていたらしい。

しかし、そんな父に発破をかけたのがおばさんだった。
前からちょくちょく母の実家まで遊びにきていたおばさんとおじさんだたったが、
空いたままの店舗兼住居を売りに出すつもりだと話した父に、
わたしの祖母の前で、おばさんはこう言ったらしい。

ハルヒ「あんた佐々木さんとの夢をそんなに簡単にあきらめるつもりだったの!?
    いい? 二人で決めた通りにやりなさい!
    子どもなんてね、親が一生懸命まっすぐ生きてる背中を見てたらそう育つもんよ。
    あんたが今まで佐々木さんと一緒にあたためてきた、
    描いた夢まで失くしたら、佐々木さんはどうなっちゃうのよ!」

母がもしその場にいたら、わたしはちゃんと死んでますから現実的に考えて下さい、
と言うような気がしてならないが。

ともあれ、慌てる祖母に、この娘の面倒はあたしが見る!
……とまでおばさんは言い、


その流れの先に今の、わたし達がある。



89: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 21:58:49.64 ID:E8SB8aRMo



古泉「小坂、何をボーッとしているんだ。気を抜くんじゃない!」

柊さんの怒鳴り声でわたしは我に返った。

眼前にバスケットボールくらいの大きさの赤い光球が停止している。

日課となった閉鎖空間内での訓練。
ほんのわずかの間だが集中を欠いてしまった。

古泉「疲れが出ているようだが、体調管理は基本だぞ」


おじさんと柊さんとの間で何かしら話し合いがあったのかなかったのか分からないが、
このところ柊さんの鬼教官ぶりに拍車がかかっていた。

それはむしろ望むところだし、人知れず生命の危険がある役目を負う以上、
テスト期間中だから訓練はお休み、になどなるはずがない。
土台無理な条件だから、無理はしている。
しなければ、今まで平々凡々と生きてきた人間が戦うことなどできはしない。

とはいえ疲労は肉体に蓄積するもので、
ともすると立ったまま一瞬眠ってしまうこともあった。
戦いの最中で起こったことならと考えると叱咤されるのは当然のことである。


今は柊さんが様々な角度から放つ、火の玉を受け止める訓練をしていた。
受け止めるといっても直接手で触れるわけではない。
念の力で自分の手のひら近くに止めるのだ。

わたしはどうにか、これくらいはできるようになっていた。
自分から紅玉化や光球を出すことはできなくても、
味方が出した火球を受け取ることができれば、またパスしたり、
そのまま敵へ攻撃したりできる。

もちろん、受け損ねればやけどではすまない。
そして、実戦で使うときはもっと大きい火球を、
ハンドボールの試合の連係プレーのように、めまぐるしく交差させているらしい。
フェイントで来たパスに自分が命中しては笑い話にもならないのだ。

入学式の日の岡部先生の話をよく聞いてれば、と頭をかすめるときがあるが、
幽霊部員になるのがオチだと思うことにしている。

サキ「すみません、大丈夫です。いつもどおりです」

古泉「いつもどおりだと感じる日こそ、気を引き締めるべきだ。
   そのいつもどおりが、一瞬で崩れる境に立っているんだと、
   この場所では忘れないように」

柊さんにしてはやけに強調してるなと感じたが、実戦は最初の遭遇以来経験していない。
きっとそれだけの危険があるということなのだ。

サキ「はい。お願いします!」


90: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 22:01:51.64 ID:E8SB8aRMo



中間考査をどうにかこうにか乗り切ったばかりのある日のこと。

校門から出てしばらく歩いていた七重とわたしに前から歩いてきた女性が声をかけてきた。

森「こんにちは七重ちゃん、はじめまして小坂さん」

なんかいつかとシチュエーションが似てるな。

戸惑いながら軽く会釈していると、
隣から七重のやや改まった口調ながら親しみのこもった声が聞こえた。

七重「あ、おひさしぶりです」

サキ(どなた?)

と目配せすると、

七重「森園生さん。『機関』の、柊さんの仲間の人だよ」

サキ「はじめまして。小坂幸です」

こちらも改めてお辞儀をする。

森「突然ごめんなさいね」

言葉とは逆に上品でぽかぽかと温かな笑顔に心がふわっと包まれる。

ちょうどそのとき、通りがかった黒塗りのタクシーを森さんが手を上げて止めた。

森「ちょっといいかしら」



助手席に座った七重が、運転手の男性にお元気ですか、とにこにこ話している。やがて、

七重「森さん、今日はどうなさったんですか」

と後部座席に顔を向けてきた。

森「小坂さんとお話したくて。どう、七重ちゃん、高校は楽しい?」

七重「はい、おかげさまで。森さんは忙しいんでしょう?」

森「いつもどおりかな。こちらもおかげさまで、相変わらず元気でやってるわ」

七重「よかったです」

七重は微笑むと、顔を戻した。


91: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 22:04:52.79 ID:E8SB8aRMo


光陽園駅前まで来ると、七重は、

七重「あ、ここでいいです」

タクシーが停止し、七重は前後を確認して降りた。

七重「多丸さん、ありがとう。お二人とも、また遊びにきてくださいね。
   サキ、じゃあ、また明日」

サキ「うん、じゃあ」

タクシーが緩やかに発進し、手を振る七重が遠ざかる。

七重にしても、いったい涼宮家にはどれくらいのお客さんが来てるのだろう。
最近はわたしもつられて人の縁が次々に繋がっている気がする。
広がる友達の輪、という言葉が勝手に頭に浮かんでいると、

森「ほんとうに忙しいところをありがとう。すこしだけ時間をいただくわね」 

隣の森さんが柔和ながら凛とした微笑みを浮かべていた。
ああ、いいなあ。スマイルだけでこんなに心の凝りがほぐされる。
穏やかな言葉の響きだけで頭の後ろが心地よくぼうっとしびれてしまう。

サキ「いえ、こちらこそ。時間を割いてもらってありがとうございます」

森「古泉があなたが疲れてるみたいだ、って心配してたわ。
  めまぐるしいほど、色々なことが立て続けに起こったものね。
  ――頑張りすぎないように、自分の時間も大切にしてね」

まだ戦力にもなっていないわたしを心配してくれる。
柊さんと森さんに、何か申し訳なく、ありがたい気持ちになった。



市内の中心部にある北口駅の、ロータリーでわたし達は降りた。
電車に乗るのかな、と思うと、目の前の喫茶店に案内され、
森さんに続いてわたしも自動ドアに迎え入れられる。

店内は落ち着いた、少しレトロな雰囲気だ。静かにクラシック音楽が流れている。
席につき、注文をすますと、

森「これ、あなたに長門さんから」

大事にしてね、と手渡されたのは、あの鈍く光る不思議なカギだった。


92: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 22:08:33.85 ID:E8SB8aRMo

森「いくつか説明するわ。まず長門さんのライブラリの利用ができることは知ってるわね。
  他にも、このカギを持って、自分の行きたい場所を念じれば、
  その最寄りのドアに通じる機能があるの」

なんだか夢が広がるなあ、と思うあたり、やっぱり疲れてるのだろうか。でも。

サキ「わたしの部屋のドア、カギがついてないんですけど」

森「カギの形をしてはいるけど、囚われることはないわ。必要なとき、使えば分かるから。
  ただし、よほどのことがない限り使わないでほしいの。
  というのは、このカギは使うたびに、長門さんに労力を割いてもらっているの。
  長門さんは遠慮なく自由に使ってくれとおっしゃっているし、
  わたしから強制することではないわ。
  ただ、長門さんからの友情の証しであるということは忘れないでね」

サキ「友情……」

森「『機関』ではわたしと古泉しか持っていない。いえ、わたしは例外にあたるほうね。
  長門さんのごく親しい人々しか持っていないもの」

確かわたしは長門さんとはあの日が初対面だったと思うんだけど……。
森さんはそれまでの凛として思慮深い微笑みをほころばせた。

森「ほんとうはあなたが古泉から説明を受けたあと、カウンターへ戻ってきた時に、
  ご自身から渡したかったそうなのだけど、あなた、一目散に駆けていったものね」

サキ「え? 森さんも図書館にいらしたんですか?」

森「はい。ごめんなさいね。あの日あの場所で、
  古泉があなたに話をすることは聞いていたから、
  早くあなたに会いたくて、カウンター近くのテーブル席に腰かけてたの」

すると柊さんは入館時に、森さんの前を素通りしたわけか。

森さんは面白そうに、

森「そう。古泉にも知らせず来てたのだけど、
  あの子何食わぬ顔で長門さんにあなたを紹介して、行ってしまったでしょう。
  わたしがそういうことをする人間だって分かってるのね」  

本当に楽しそうに笑った。

森さんも茶目っ気があって親しみやすそうな方だと思ったけど、
森さんがいると分かってて直行する柊さんも柊さんだ。
同じ組織の仲間ととしてだけではない、何だか面白い関係だなと思う。

森「ともあれこうして改めて挨拶したいと思っていたの。
  遅れたけど、これからよろしくね」

サキ「はい。こちらこそ、わざわざありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」

ちょっと真似たくて笑みを浮かべると、やはりとても敵わない笑顔が待っていた。
照れ隠しに小さく笑うと、森さんも笑う。
渇いた心が久しぶりに満たされるようだった。


93: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 22:11:35.61 ID:E8SB8aRMo



注文した紅茶が運ばれてくると、
森さんはうやうやしい笑顔をウェイトレスさんに見せながら受け取った。

喜緑「どうぞごゆっくり」

背中までの長さの、ウエーブかかった髪の、美しいウェイトレスさん。
わたしと同じ年頃のはずなのに、
とても自然な所作でわたしの前に紅茶が置かれるのに見とれる。

と、森さんは居住まいを正して、

森「お世話になっています。新人の小坂です。
  この方は喜緑江美里さん。
  朝倉さんや長門さんと同じ、情報統合思念体のインターフェースの方よ」

あわてて頭を下げる。

サキ「はじめまして。よろしくお願いします」

トレイを運んできたときの微笑のまま、喜緑さんは軽く頭を下げ、

喜緑「はじめまして。あなたのことは長門からうかがっています。
   こちらこそどうぞよろしくお願いします。
   色々とお聞きになって、ご友人のことで心配がおありでしょうが、安心して下さい。
   その時が来たら、七重さんのご両親を長門さんが、
   そしてわたしが長門さんを守ります」

その時。

そうだ、閉鎖空間の外では天蓋領域のインターフェースが一斉におばさんやおじさん、
そして長門さんを攫いに襲ってくるのだ。

長門さんと喜緑さんが幾ら戦闘の術に長けているといっても、
相手の数はきっと多すぎるほどなんじゃないか。

そんなわたしの恐れを見透かしたかのように喜緑さんは優しく微笑んで、

喜緑「ご心配なく。策はあります。
   一さんが作ってくれた時間を我々は無駄にしていたのではありませんから。
   彼らが元々、我々インターフェースとのコンタクト用に造られたのであれば、
   今まで収集した彼らに関するデータを基に、
   彼らに対抗できるインターフェースを造り出すまでです」


94: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 22:14:38.89 ID:E8SB8aRMo


ってそんな極秘事項っぽいこと口に出していいんですか。

喜緑さんはにっこりと、

喜緑「ええ、このカフェはお客様がゆったりと寛いでいただけるよう、
   風通しがいいものですから」

もちろん筒抜けってことか。慌てて周りのテーブルをわたしは見回す。

森「幾らなんでもそんなに近くに座って、聞き耳を立ててるのではないわ。
  情報統合思念体や天蓋領域の情報戦ともなると、
  これくらいの情報は相手だって既につかんでるし、
  喜緑さんはわたし達のために話してくれただけよ」

宇宙からだって、この喫茶店での会話を聞いたりすることができるのだろうか。
それにしても、

サキ「そんなにお互いのことを知り尽くしてるなら、いっそ和解できたら一番いいのに」

思ったことをそのまま口に出したわたしに、
静かな微笑みを絶やさず、喜緑さんが答えてくれた。

喜緑「おっしゃる通りです。ただ、外があるから内がある、そしてその逆も。
   そういうものなのかもしれません」

わたしよりずっと賢い人が、不躾な口を利いたわたしに誠実に、
率直に答えてくれたように感じた。

シンプルすぎてよく分からないが、喜緑さんの言葉の意味をもう一度考えた。
なんだか神妙な気持ちになる。

喜緑「では、どうぞごゆっくり」


喜緑さんがカウンターに戻ってから、
何だか『機関』の部下としてやらかしてしまったのではないかと、
わたしは森さんに切り出した。

サキ「すみません……。森さんの前で、喜緑さんに分かったようなこと言ってしまって」

しかし、森さんが気にもせず、返してきてくれた言葉がまた意外だった。

森「いいえ、むしろわたしもこの状況に感謝している所もあるくらいよ」


95: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 22:17:39.87 ID:E8SB8aRMo


サキ「感謝?」

森「ええ。わたし達は他国の人間をただ敵対する相手としか認識しかねない時があるわ。
  領土や貿易、宗教の違い……人間同士、争いを起こす火種は数えきれないほどある。
  飢えや貧困、弾圧、支配……真っ先に改善すべき問題が山ほどあるのに、
  そういう状況を逆に新たに作り出しながらね。
  そんな我々が一致団結するときというのは、
  人類共通の敵が現れる時くらいじゃないのかしら。
  不思議なことに今、『機関』の能力者は世界中の各国に均等にいるの。
  そうすると、領土の広い国にはとても人員が足りないから、
  いざ情報生命体が現れたという時には、
  近隣の国や区域の人が応援に駆けつけることだってある。
  それは侵略や交戦のあった歴史がそう古くない国同士であってもよ。
  感情的なしこりは残ったままだけれど、お互いに失うことのできない仲間だから。
  そして、日本なら鶴屋家のような財閥のように、
  世界各域の経済を陰で動かしている方々に状況を説明して、
  とりあえず軍需にお金を回さないようにとか、
  僅かずつだけれど加減を変える方向づけをしてもらってる」

なんだかよく分からないが、世界中にわたし達と同じように戦っている仲間がいるらしい。

しかし、鶴屋家が『機関』と関わっていたとは。
当主の鶴屋さんのことは子どものころからよく知ってるけど、
いつもカラカラとよく笑っているイメージしかない。

だけど、こういう大事に関与していると言われればそれも信じてしまえそうな大きな人だ。


森さんはティーカップを持ち上げると、片手を包み込むように添えて静かに紅茶を啜った。

ふと、雰囲気が変わったのに気づく。

今までは微笑みは絶やさないのに隙の無い様子だったのが、
物憂げでどこか無防備な眼差しをしている。

そしてカップを持ったまま、ふと窓の外に目をやった。
中学生らしい少女達が談笑しながら通り過ぎていく。

カップとソーサーが触れ合う小さな音を立てると、
カップの中を見つめながら森さんは再び口を開いた。

森「最初のころは全て分からなかったの。
  なぜ閉鎖空間と神人が現れるのか、なぜわたし達が戦うことによってしか、
  世界を守れないのか。ずっと謎のままだった」

ゆっくりと顔を上げてわたしに話しかける。

森「わたしが古泉と会ったったばかりの頃、あなたと同じ年くらいの子がいたの。
  年だけじゃなく、あなたはあの子と似ているところがある。
  性格や容姿といったことじゃなくて、戦いに向かう姿勢がね。
  そのせいか、古泉はあなたを彼女に重ねて見ているところがあるわ」


96: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 22:44:30.63 ID:E8SB8aRMo


そう言えば、いつだったか、驚いた目でわたしを見ていたような。
ええっと、それってつまり、柊さんはわたしのことを……。

またもやあらぬ方向へ想像を走らせるわたしを見て、森さんは愉快そうに笑った。

森「言い方が悪かったわね。安心して、恋愛の意味ではないから。
  あれでかなりの子煩悩で愛妻家なのよ。
  そうだ、図書館で泉こなたさんに会ったでしょう」

サキ「はい。柊さんの奥さんの、高校のときからの友人だそうですね」

森「それも親友ね。あと、彼女は異世界の人なの。
  泉さんから見たらわたし達が異世界人とも言えるけど」

サキ「ものすごくセレブな人だったんですか?」

森「そうじゃなくて、SFアニメやファンタジー小説などに出てくる意味での、
  異次元世界の人なの」

サキ「……はあ」

森「あ、深く考えないで、そういうものだと思っておいて。
  泉さんも古泉も、長門さんのカギを使って、
  あちらとこちらの世界を行き来してるの。
  悪い見本を言うようでなんだけど、古泉はしょっちゅうよ」


すると、あのプラネタリウムホールは中継地点の役目を果たしていたんだな。

森さんは笑顔から、思い出す表情に戻って話を続けた。

森「その子の話に戻るわね。……確かに当時、古泉は彼女を好きだった。
  彼女はとても優秀で、しかもその人柄で、
  ややもすると殻にこもりがちな古泉の能力を見事に引き出したわ。
  二人はチームを組んで、周りが舌を巻くような連携を見せていた。
  ……でもある日。
  その日はいつものように、神人を倒して過ぎる、
  そしてわたしたちなりの日常に戻るはずだった。それが……。
  ……ペアの相手だった古泉が来るまで、
  わたしは彼女が独りで狩りにいくのを止めていなかった。
  わたしは絶対にそのことを忘れないわ」


97: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/26(金) 22:47:43.48 ID:E8SB8aRMo


悲しみを決意で振り切るように静かに最後の言葉を放つと、光る瞳をまた窓に向けている。
わたしも黙っていた。

しばらくして、目を戻すと森さんは続けた。

森「今ならわたし達が神人と戦ってきたことも、
  閉鎖空間で失った仲間の命も無意味ではなかったと言える。
  それで彼らが帰ってくるわけではないけど。
  そうして命がけの修練を重ねてきたからこそ、
  我々は閉鎖空間の中でなら敵性存在とも互角に戦える」


そう言えばさっき……エイリアンが攻めてくるからこそ人類が団結すると……。


森「逆説的な言い方だけれど……。そう考えると全てに意味がある。
  涼宮ハルヒさんが統合思念体のインターフェースである長門さんや、
  未来人の朝比奈さん、そして古泉を集めたお陰で、
  この三つの勢力が連携を取るきっかけになったわ。
  それに涼宮さんが彼と結婚したからこそ一くんが生まれたのだし」

とてもそんな見方をしたことはなかった。

森「でも、それは結果を振り返ったときに、そうとも見えるだけだから。
  あなたは決して無理はしないで」

それから腕時計を見て、ちょっと驚いたように微笑みながら、森さんは言った。

森「あら、いけない。つい長くなってしまったわね。送るわ」

伝票を取る森さんに合わせるように、わたしも席を立つ。
森さんが支払いを持って下さった。喜緑さんに改めて挨拶し、
わたし達が喫茶店から出てくると、なんとさっきのタクシーが待っていてくれた。


森「この辺りでいいかしら」

買い物のことを話してないのに、降ろしてくれた場所は、スーパーにほど近い場所だった。

森「ではまた、さようなら。あなたと話せて楽しかった」

サキ「わたしの方こそカギのこと、他にも色々……ありがとうございました。
   頑張りますのでよろしくお願いします」

森「こちらこそ。でも根詰めないでね」

ドアを閉め、静かに発車したタクシーが離れていく。角を曲がって見えなくなると、
わたしは小さくおじぎして歩き出した。足取りが少し軽くなったようだ。

しかしながらその歩みは、先ほど森さんが話してくれた事柄のなかで、
ある重い面があることに考えが及ぶにつれて鈍くなった。

柊さんはわたしの年齢のころ、すでに閉鎖空間で<神人>と戦っていた。
それは、どう考えても一さんの生み出したもののはずがない。
森さんは涼宮ハルヒ、つまりおばさんが柊さんたちを集めたのだと言った。

つまり……。

おじさん、おばさんはどこまで知っているのだろうか。
柊さんはおばさんにどこまで話したのだろうか。
お互い、全てを分かり合った上での、今があるのだろうか。

だからこそ、森さんはごく自然に過去にあったことを伝えてくれたのではないか。

わたしには知る由もないし、こちらから立ち入ることではないと思う。
いずれにせよおじさんもおばさんも柊さんも、今は何のわだかまりもなく、
互いに忌憚のない会話を楽しんでいるようだった。

そんな大人になりたい、と心から思う。
七重が一さんについて、わたしに多くを語ろうとしないことも、
それがきっと軽々しくは話せないことだからではないか。

いつか、きっと。
そのいつかを迎えるためには、目前の危機をまず乗り越えなければならないのだろうけど。

サキ「根詰めないで、か……」


しかし、無理をしなければならない状況が、向こうからやってくることもある。


99: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/28(日) 20:41:52.46 ID:qwwVVpwco



思えば、その日の慌ただしさは学校の帰り道から始まっていた。

七重とわたしが光陽園駅前でしゃべっていると、おばさんの呼ぶ声がした。
こちらに向かってくる姿はいつもどおり颯爽としているが、すこし奇妙な点がある。

その手に重さをものともせずにぶらさげている、
食材を詰め込んだ買い物袋からはごぼうが突き出している。

あれではどう見ても涼宮家の通常時の冷蔵庫内適正量をオーバーしてしまうはず。
昨日、わたし達が調達したばかりだから。

おばさんはやりくり上手だけど、
セールにつられて買い込んで食材を無駄にしてしまうようなことはしないのだ。

サキ「おばさん、こんにちは」

ハルヒ「二人ともおかえり。七重、あたし川井さんとこにご飯作りにいくから、
    あんた晩ご飯作っといてくれる?」

七重「あ、そうなん、わかった」

川井さん?

ハルヒ「そ。あそこ、おばあちゃんが頑張って一人暮らししてるでしょう?
    息子さん夫婦も呼びたいと思ってるんだけど、
    ここを離れたくないみたいで。でも掃除が行き届かないとこがあるじゃない?
    見るに見かねた息子さんが三日前ホコリ被ってる戸棚拭いてくれたらしいのよね、    食器まで全部出して。
    それが、戻した皿の配置が気に入らなかったみたいで、
    息子さんが帰ったあと、一人で全部直したらしいのよ。
    それがたたったのか、次の日起きたら腰を抜かしちゃって。
    で、動けるようになるまで近所で交替で炊事とか掃除とかの世話してるの。
    じゃあ、頼むわね」

合点がいったものの、
いそいそと歩いていくおばさんのすらっとした背中を見送ってると、ふいに思い当たった。

サキ「あ、ジョン」

七重「そうだ、ジョン……」


わたし達は顔を見合わせた。


普段はおばさんが夕刻にしているジョンの散歩をさせなければいけない。しかし。

犬という生きものがひたすら人間に従順だと考えるのは大きな間違いで、
実際はげんきんに人を見る。

七重が子犬の頃に拾ってきたこの雑種の大型犬は、
決して噛みはしないが何せ力が強く、しかも何を求めてか、すぐに走りたがる癖がある。

それが普段エサをやっているおばさんや、
休日にシャンプーしてるおじさんには恩を感じてか、外に出ても言う事を聞くのに、
七重やわたしは完全に同類の仲間と思われてるらしく、
二人がかりでやっと散歩が散走にならずにすむくらいだ。


100: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/28(日) 20:44:53.12 ID:qwwVVpwco


とりあえず涼宮家の上がりかまちにカバンだけ置かせてもらったわたしだが、
そこで七重が、

七重「ごめん、ちょっと待ってて」

二階へ上がっていったので、七重の祖父母に声を掛け、脱衣所を借りることにした。
ジャージに(今日は運良く体育があった)着替える必要がある。
なにせ、やつと来たら……。

庭で狂喜しているジョンに、前足であちこちどつかれながら、鎖をリードにつなぎ換える。

待ち切れないと訴えるように盛んに息荒く舌を出す顔に掛かっている首輪の、
金具の付けかえが終わるや否や、持ち手のいないリードをつけたまま犬は駆け出し、
門扉の前で、発走準備完了をしきりにアピールする。


相変わらずの欲求に一直線な姿勢に感心していると、閉鎖空間が開く気配がした。
ここから東に数十キロ離れた、関西圏の中心都市の辺りだ。


と、カチャッと玄関ドアが静かに、狭く開いて、七重が出てきた。
玄関へ元気よく出発の挨拶をしてドアを閉め、鍵をかける。
その肩にはお手製の手提げが掛かっていた。 

七重「お待たせ」

ちょっとはトレーニングの成果をと考え、わたしがリードの輪の中に手首を通した。
七重は脇で綱を握る。

サキ「行こっか」

門扉を開くと、ジョンは足を踏ん張って、わたし達を前へ引っ張った。やっぱり力が強い。



なんとか散歩を維持しながら、図書館分館前まで来ると、
七重はペロッと小さく舌を出し、手提げをかけた肩をこちらに上げてみせ、

七重「長門さんに、だいぶ前から借りてたの」

と図書館の中へ入っていった。ジョンはおすわりくらいは言うことを聞く。

長門さんから借りていたのは、あの宇宙の広間の奥にある部屋の、長門蔵書の一冊だろう。
あやつ、カギをだいぶ前から持ってたことを隠してたな、出てきたらとっちめてやらねば。
あんな素敵な場所があることを黙っていたなんて。

そう考えているとふと、舌を出しハッハと息をしているジョンと目が合った。


101: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/28(日) 20:48:23.69 ID:qwwVVpwco



走るなよ、絶対に走るなよ……。

わたしの目を見て何を勘違いしたのか、
リードとわたしの片腕がたちまちビンっと直線に伸びる。

サキ「のわあっ」

それから、猪突猛進と化したジョンに駅前公園に向かって引っ張っていかれ、
三十分ほど公園内を恣意的に駆け回るはめになった。


なんとか言う事を聞かせて(というよりはジョンの気が済んだらしい)、
トイレ袋を片手にやっと涼宮家に戻ってくると、
七重が家の前にいた。図書館から出てくるとわたしとジョンが忽然と姿を消していて、
周りにも見当たらないのでしょうがなく帰ってくるのを門前で待っていたらしい。
一人にされたおかげで目に遭ったと言おうと思ったが、どこか様子がおかしい。

サキ「どうしたの?」

七重は逡巡していたが、わたしがジョンを再びつないでいる間に、
お皿に水を汲んできて言った。


七重「さっき、柊さんが…」


あのプラネタリウム広間で、急いでドアから出てきた柊さんを見かけたらしい。
かなり緊迫した様子ですぐに次のドアを開けて出て行ったので、
ろくに話をすることもできなかった、と。

突然、柊さんと森さんの言葉が頭の中をかすめた。

いつも通りだと思う時こそ……。

さっきの閉鎖空間はまだ消えていない。
そういえば、いつもならもっと早く気配が消えるはずなのに。
今さらながら胸騒ぎがし始めた。



102: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/28(日) 20:51:24.91 ID:qwwVVpwco


柊さんは、異世界の人と知り合い、そちらで結婚し家族と居住している。
長門さんのあのカギを使って、柊さんも泉さんも、
あちらとこちらの世界を行き来できるのだ。

きっと、閉鎖空間の中で何かがあって、連絡を受けた柊さんは、
向こうの世界から緊急に駆け付けたんだ。

サキ「七重、さっきって、どれくらい前?」

七重「あの部屋に入ってすぐだから、4時半ごろ」

今5時10分回ったくらいだ。
ドアを開けたら念じた目的地のすぐ近くに出られるはずだから、
柊さんが恐らく応援のために閉鎖空間に入っていってから三十分はたっていることになる。


それにもかかわらず、まだ戦いは終わってないということだ。


サキ「わたし、行ってくる」

走り出そうとすると、七重に腕をつかまれた。

七重「サキ、待って。柊さんがサキを呼ばなかったってことは、
   それぐらい危険なんだってことじゃない?
   『機関』の他の人だって助けにいってるよ、きっと」

七重の言いたいことは分かる。
客観的に見て、わたしのように力の使えない者は足手まといになるだけかもしれない。
でも、ケガをした人を脱出させる手助けくらいはできるかもしれない。

……って、あれ、何か忘れてないか。

サキ「ナナ!!」

七重「はい!?」

サキ「今すぐあんたの兄貴に電話して!」

七重「え……あっ。そうか!」

七重が慌ててポケットから携帯を取り出す。
そうだ、武神って呼ばれるくらいの涼宮一ならすぐ助けられるはずだ。
ていうか、なんで最初から助けに来てないんだ?


103: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/28(日) 20:54:25.24 ID:qwwVVpwco


七重「あ、お兄ちゃん? ……うん、柊さんがね、……え?」

意外そうな顔をしている七重。あいづちも忘れている。わたしはもどかしくなって、

サキ「ごめん」

と七重から携帯を奪い取った。

サキ「もしもし、一さん?」

一『サキか。どうした?』

サキ「どうもこうもない。今、閉鎖空間の中で『機関』の人が戦ってるの知ってるでしょ、   苦戦してるんでしょ?」

一『ああ。知ってる』

イライラするぐらい落ち着いた声が返ってくる。

サキ「なら話が早いわ。今すぐ敵を倒して、『機関』の人を助けて!」

一『わかった。サキが頼むのならそうするよ。……でもいいのか』

サキ「え?」

一『『機関』の人は、人々をあの敵から守るために命がけで戦ってる。
  そこへ俺みたいなチート野郎が頼まれもしないのにほいさっと現れて、
  敵を倒しちまっていいのか? 彼らの今までは、培ってきたものは何になるんだ』

サキ「……」

わたしの答えを待っていた一さんが静かに言葉を継いだ。

一『森さんや柊さんからは連絡が来てない。でもサキが助けろって言うなら俺は行く』

サキ「た……」


わたしは電話を切った。言えなかった。助けを頼むのが恥ずかしいからじゃない。


……ふざけんな、ちくしょう。
命より大事なものが、何があるってんだ。


握りしめた携帯を七重に返す。

七重「サキ……」

サキ「ナナ、お願い。柊さん達に何かあったら、わたし自分が許せない」

再び図書館分館へ向けて、わたしは走り出した。
冗談じゃない。死ななくてもいいはずの人が死ぬなんて、絶対に許せない。


105: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 18:49:34.77 ID:LYacroRjo



サキ「長門さん、走ってすみません! カギありがとうございます!」

謝りながらカウンターの前を駆け抜ける。
突き当たりを右に曲がって、ポケットからカギを取り出しながらドアを目指す。

柊さんはこのドアを開けるとき、鍵穴にカギを差し込んでなかったと思うが、
念のためわたしはそうした。

中に駆け込むと、そこはプラネタリウムホールだった。

安堵するが、次の疑問が湧く。
このホール内に幾つかあるドアのうちどれが柊さんが行った場所へつながるのか。
わたしは見回した。あの場で七重に聞けばよかった。

いや、このカギはドアをくぐる時、念じた場所につながると森さんが言っていたから、
多分どれでもいいのだ。

すぐに止まっていた足を動かし、右斜め前のドアに向かって、再び駆け出す。
近づくと、今度は鍵穴がない。

(柊さんの行った場所へ、今開いている閉鎖空間の近くのドアへ)

右手にカギを握りしめ、左手でノブを回してドア引き、外へ飛び出す。


目の前の小便器で用を足していた、サラリーマンらしい男性がギョッと振り返った。

わたしも振り返るとトイレの個室からわたしは出てきたのだ。
閉鎖空間の気配はかなり近いが、もう少し走らないといけない。

トイレから飛び出すと、薄暗くて狭い階段の踊り場に出た。どうやら雑居ビルの中らしい。
迷わず階段を駆け下る。三階ならエレベーターよりこっちの方が早い。

ビルから明るい外へ出ると突然、騒音に包まれた。
ビジネス街の中だ。やはり、七重の家の庭で感じたとおりの地点だ。
すぐに左へ、歩道を走り出す。
ほとんど知らない所でも、地図など無くても、その場所が、境界線がどこかは分かる。

あった。
今車が行き交う、横断歩道の真ん中に、ある。

信号が変わり、駆け出して行きたかったが、横断者の足並みに合わせて歩きながら、
呼吸を整える。

その間、どんな状況があっても、すぐ反応できるように心の準備をして、入った。



106: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 18:52:42.83 ID:LYacroRjo



騒音から切り離され、わたしは一人横断歩道に立っていた。
この広い道路の中で見回しても、情報生命体達の姿も、
機関の能力者達の姿も辺りにはない。

しかし、ビルや道路のあちこちに隕石がぶつかった跡のような穴が空き、
コンクリートの砕けた破片がそこら中に散らばっている。
足元も見ずに駆けだすのは危ない。

漆黒の空を見上げても、紅玉となった能力者は飛び交っていない。


戦闘は終わったのか。違う。


わたしは紅玉化等の能力等が使えないので、実戦に加わったことはない。
しかし、柊さんから一通りのことは教えてもらっている。

閉鎖空間内での戦闘は、敵を攻撃する者、
倒した情報生命体に寄生されていた人を避難させる者など、
幾つかの役割と段階に分かれて行っているが、
基本的に敵を全滅させれば、閉鎖空間は消滅させられるのだ。

いったいどこで戦闘は行われているのか。
とりあえず慎重に、周りを警戒し見渡しながら歩き始めると、
足下からくぐもった爆発音がした。
地下だ。歩道に、地下へ降りる階段があったはずだ。


階段を前にして、なんとなく戦闘が長引いた理由が分かってきた気がした。
この都市の地下街はまるで迷路のようになっている。
ここが戦場なら相手によっては相当厄介だ。

そろりと降りると、意外にも照明がついていた。
中には壊されたものもあるが視界を得るには十分な明るさだ。
この世界は発電所も止まっているはずなのに、なぜか電気系統は大丈夫らしい。

突然、人の怒号と物がぶつかり合うような音が聞こえた。

一刻を争う状況かもしれないとはやる胸のうちを抑える。
ただでさえ許可もなく行動中なのだ。
不要な混乱を招くことだけは少なくとも自分の認識のあたう限り避けなければならない。
曲がり角ごとに肝試しのような心持ちで通路を小走りに行きながら、
この閉鎖空間内で得られた知見を整理し今回の敵のスペックを推察する。

まず地下街に収まりきらないような巨体ではない。また、空を飛ぶことはない。

恐らく飛び道具は使わず、接近戦が得意なほうだ。
地上のあちこちの穴はみんな同じ形をしていたから、
全て機関の能力者の火球が当たった跡だろう。
それは敵が避けた数でもあり、素早い動きをするはずだ。

それでも、幹線道路のような見晴らしのよい場所では遠隔攻撃をできるほうが有利で、
敵は地下へ逃げ込み、戦場が移った。

そして、何より柊さんが応援に来なければならないほど、手ごわい相手だと言える。


たとえば――――野犬のような。



107: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 18:55:44.66 ID:LYacroRjo


音が聞こえたと見当をつけた辺りの角で、獣の荒い息遣いが聞こえ、
そろそろと先を警戒しながら顔だけを出すと、
目の前で男性が野犬に押し倒され、今にも食いつかれそうになっていた。

野犬といっても、動物園で見たことのあるライオンくらいの大きさだ。

サキ「――うおおっ」

落ちていたガレキのブロックを火事場の馬鹿力で持ち上げ、野犬の脳天に叩きつけた。
嫌な手ごたえと共に痛恨の悲鳴を上げて、野犬が奥の方へ跳ねて転がる。

起き上がって唸る犬から目を離さずとっさに姿勢を低く、遊びを残し小さくして向き合う。
歯茎から恐ろしげな牙をむき出して、近づいてくる野犬。
溜めをつけて飛びかかってきたところに、火球がさく裂した。

わたしの後ろから、倒れていた男性が放ったのだ。
息絶えた野犬が霧のようになって消滅していくと、
そこにはスーツ姿の女性が意識を失って倒れていた。

多丸圭一「ありがとう。おかげで助かった」

サキ「大丈夫ですか?」

上半身だけ起こしていた、白髪まじりの男性のそばに膝をつくと、

多丸圭「君のほうこそ。何が起きたか信じられないかもしれないが……」

なんとタクシーの運転をしていた人だ。被害者と間違えられたらしい。

サキ「新しく入った小坂と言います。
   長い時間、タクシーで送ってくれてありがとうございました」

男性は思い出したように、

多丸圭「そうだ、君か。しかし、まだ訓練中と聞いていたが」

サキ「ごめんなさい。役に立ちたくて、勝手に来たんです」

多丸圭「ふむ? これは驚いた」

目を見開く男性に、向こうから声が飛んできた。

多丸裕「兄さん!」

この人の弟さんらしい、壮年の男性だった。


108: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:00:58.46 ID:LYacroRjo



わたし達は地下街の、噴水のある広場を目指して歩いている。
閉鎖空間では携帯も無線も使えないので、時間を決めて集合する段取りになっている。

多丸裕「君が来てくれなかったら、兄の命はなかった。小坂さん、本当にありがとう」

女性をおんぶしながら、多丸裕さんが温かな笑顔を向けてくれた。
わたしは足をケガした多丸圭一さんに肩を貸しながら歩いている。

わたしは会釈して、

サキ「……敵はあとどれぐらいいるんでしょうか」

あまり話したくない。情報の把握だけに努めていたかった。

多丸圭「そう多くはないはずだ。
    詳しくは他の奴に聞いてみないと分からないが、相当倒したから」

多丸裕「今回は企業の会議中にでも感染したのか、被害者の数は多くて。
    しかも一か所の閉鎖空間に敵が次から次へと現れた。
    データが削除されない限り、感染者は増える一方だからね」

サキ「そのデータは…」

多丸圭「もう削除されたんじゃないだろうか。
    TFEIの方の仕事なんだが、最近は相手の防護がキツいらしいけどね」

二人とも苦戦されたはずなのに、こんな話を明るい調子で話している。

多丸裕「それにしても能力が使えないのに閉鎖空間に飛び込んでくるなんて、
    君は無茶というか無鉄砲というか」

多丸圭「そうだ。しかも初陣にして大活躍とは……。
    君は強くなるよ。何、能力なんてある日突然使えるようになるもんだ」

通路に陽気な笑い声がこだまする。
幾ら二人能力者がいるといっても、もっと警戒したほうがいいんじゃ……。

多丸兄弟のお二人が、わたしに感謝してくれていて、規則を破ったわたしをかばうために、
陽気にふるまってくれるのは素直に嬉しかった。

でもわたしは噛み締めたままの口を開くことができなかった。
手のひらに突き刺さりそうなほど粗い断面のブロック。
それを全力で振り下ろした瞬間の、腕から肩に、そして背筋に伝わった殺生の感覚。
幼い頃、興味本位に昆虫をなぶり殺した思い出したくない感触。

むしろ逃避から、柊さんにぶたれたいくらいだった。


109: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:04:04.47 ID:LYacroRjo



古泉「小坂! 何しに来たんだ!」

噴水のところで、柊さんと数人の能力者、そして助けられた被害者の人達が集まっていた。

怒鳴る柊さんに、

多丸圭「怒らないでやってくれ、古泉。この子は俺の命の恩人なんだ」

けげんな顔をする柊さんに、経緯を多丸兄弟が説明してくれた。

古泉「――それはそれ、これはこれです。小坂、早く帰りなさい」

サキ「はい、帰ります。ケガした人を送らせて下さい」

厳しい目で柊さんはわたしを見たが、

古泉「本来、今の君にできることは何もない。それは分かってるな。
   ケガ人の救護も、被害者を無事元の場所へ送り届けることも、
   我々が決めた手順がある。
   しかし、その女性は君が助けた。だから責任をもって君が送りなさい。
   君の処分は追って伝える。
   圭一さんは、僕が送ります。いいですか」

圭一さんは笑みをこらえるような顔で目を上に向けながら、

多丸圭「ああ、頼むよ、古泉」

裕さんから替わって女性を背負わせてもらうと、

多丸裕「気にするなよ。君のことを心配してるんだ。
    古泉にはあとで僕らがよく言っとくから」

とウィンクとともに小声で言われた。
言葉そのものより気持ちが嬉しくて、やっとこわばっていた口元がゆるむのを感じた。



しかし、女性を背負って地上への階段を上るのはきつかった。
隣で圭一さんは、柊さんに肩を貸してもらいながら、

多丸圭「ところで古泉、敵の数のほうは分かってるのか?」

古泉「いえ、僕も後から来たので伝聞でしか知らないのですが、
   皆の情報を照らし合わせても、地下へ逃げ込んだ正確な数は分からないが、
   残党は恐らく若干であろうという……」

階段を上りきると、

古泉「……ことだったんですがね」


道路は野犬の群れに埋め尽くされていた。



110: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:08:05.75 ID:LYacroRjo



じりじりと円をせばめるように方々から低い唸り声が近づいてくる。

多丸圭「地下へ逃げ込むか」

古泉「いえ。素早くは動けませんし、背を向けると追ってくる。
   今まで助けた人々も危険にさらすことになります」

多丸圭「そうだな。しかし、俺がおとりになる。
    そのすきに地下に駆け込んで危険を知らせろ」

そのとき、地下から駆け上がってきた人物がいた。


「サキーーーーッ!」


最上段の踏み面にかけた足のばねのおつりに一瞬、
身体を浮くように揺らめかせたその人物はわたしと目が合うなり、
片足に体重をかけたままピボットターンとクラウチングスタートを同時にやってのけた。

この状況下、わたしの後方での一連の動きは首だけ振り返り見届けるしかなかったのだが、
その突発性は間近に迫る獣の群れの攻撃のきっかけになってもおかしくなかったはずだ。
あるいは、この人物のあまりに煌々たるオーラに気圧されでもしたのだろうか。

駆け寄るなりわたしを心配しながら、今度は代わりに女性を背負おうかとあたふたしだす。
当人は真剣そのものなのに場違いに駘蕩な空気をどうしても醸し出してしまい、
柊さんも圭一さんも何とも言えない表情で見守っている。

わたしはしょうがなく小声でぶっきらぼうに応えるよりほかない。

サキ「ナナ、どうして来たの? ていうかどうやって来たの?」

七重「分かんない。気づいたら来てたの。サキ、大丈夫?」

サキ「いや。悪いけど、絶体絶命よ」

七重「えぇっ!? やっぱりお兄ちゃん呼ぼうか?」

サキ「あいつには死んでも頼らん。あとここ電波届かないわよ」

七重「えぇっ!?」


七重がこんな場所にいるのがおかしいのか、こんな場所があるのが七重に許されないのか。
状況の緊迫性は変わらないままなのに心情だけがフラットにさせられてしまう。


しかしさすが、圭一さんと柊さんは切り替えも早く平然とした様子に戻っていた。

古泉「七重ちゃん、小坂。道は僕がひらくから、二人とも早くここから脱出するんだ。
   小坂、その女性と圭一さんは任せたぞ」

サキ「え?」

柊さんに異変を感じた。

古泉「この場所からは必ず無事に帰すから」

柊さんの右手が青白い光に包まれている。

わたしはそれを見て何かとてもヤな予感がした。
言うなれば死亡フラグ。弟子達を守るために師匠が命と引き換えの大技を放ち、
しかもさらに悪い場合犬死にに終わってしまって、
結局残された弟子が悲しみと怒りで真の力に目覚め、敵を撃破するシチュエーション。

冗談じゃない。そんなドラマツルギーのために死なれてたまるか。


わたしは口走っていた。

サキ「待って下さい! わたしに考えがあります」


111: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:12:07.45 ID:LYacroRjo


無いんだけど、女性をそろりと背から降ろし、壁にもたれかけさせる。

意外そうな表情で振り返る柊さんに、確信の表情だけ見せ、
次いで敵を見回すと一瞬で腹が決まった。
隣で身を寄せている七重に尋ねる。


サキ「ナナ、わたしを信じる?」

七重「うん」


目を交わし合うと、手を取って敵陣に向かって一緒に駆け出した。
走り出すと自分の狙いが次第に明瞭になってきた。


古泉「何をするんだ、やめろ!!」

サキ「柊さん、こいつらを引きつけて時間を稼ぎますから、
   早く圭一さんとその人を! 応援呼んでください!」


もう振り返れない。
これは、賭け。


柊さんは、ヤツらの目的は長門さんと七重のお父さんとお母さんをさらうことだと言った。


でも、七重が標的だとは言わなかった。


七重は重要じゃないからか? 違う、逆だ。

きっと、ヤツらにとって七重はまだ観測の対象だから。
大事な観察対象を傷付けることは出来ない。
だから、七重が側にいればヤツらもむやみに攻撃できない。

それを逆手にとってこちらから仕掛けて相手をかき回す、ということだ。
そしてその賭けは――


見事に裏目に出た。



112: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:16:08.98 ID:LYacroRjo

サキ「うわっ!」

繰り出される太い前足の爪をやっとの思いで避ける。
七重の運動神経がいいのが唯一の救いだった。
じりじりと、わたしと七重を囲む敵ににらみ返すことしかできない。

今にして思えば情報生命体は、天蓋領域にとってただの兵器、言うなれば道具に過ぎない。
配置された通りにしか動かないコマが、
こんな複雑な相関関係を踏まえているはずがない。

だけどその時のわたしはただ必死で、やらかしたという思いしかなかった。

何てことだ、よりによって七重を巻き込んで自爆するとは。
でも、後ろにいる七重はわたしが打開してくれると信じてる。
ていうかここまでしてるのに何か出ろ、力。反則だぞ。

古泉「持ちこたえろ、今行く!」

右側から柊さんの怒号と爆発音、赤い光に照らされる敵。
確認はできないけど、ヤツらの包囲をかいくぐってくるつもりだ。


――そんなの、振り出し。


また柊さんが。

窓の外を見る森さん。


サキ「いい加減に――――!!」



何か出た。



七重「サキ!?」


純白の光。


地面が揺れる。
違う、わたしが揺れてる。


全てを真っ白に包む光がわたしから周りの世界へ拡がっていくのを感じる。


音が無い。

いや、七重の呼ぶ声が……遠ざかっていく。


それが、最後の記憶だった。



113: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:20:11.08 ID:LYacroRjo




一「フォークいるか?」


無機質な感じの天井がある。

静かにだけど手早く、ナシかリンゴをむく音。あ、ナシは季節じゃないし、リンゴだな。

寝たまま、頭だけ声のした方へ動かすと、どうやらここは病院の個室のようだ。
ロビーチェアのように座面の硬そうなイスに腰かけ何でもないといった様子で、
一さんが小さなナイフでむいている。

その向かいに、テーブルを挟んで二人掛けのイスに七重が横になっているのが見える。
薄手の膝掛けのような毛布をかけられて、小さな寝息を立てている。

サキ「ナナは……」

一「見ての通り無事。ケガしてた『機関』の人も無事。君を含めて全員無事」

と答えて、

一「だから、俺との話が済んだら真先に親父さんに電話するんだな」


無事だと分かった後はぼんやりと聞きながら、上半身を起こし自分の手を見る。
ジョンのリードを握ったその日に、野犬の頭にガレキを叩きつけた。

情報生命体達の中には、最初に見たあの女のように、人の姿をしたものもあるのだろう。
それをわたしはきっと殺す。本物でなくとも何者かの命を奪う。


気がつくと一さんがそばに立っていた。
皿にリンゴを切り分けたのをよそい、ここまで来てくれたらしい。

一「娘が突然道端で倒れて病院に担ぎ込まれたことになってるから」

リンゴを乗せた皿をわたしに持たせて、薄い肌がけの、
わたしの脚の上あたりにぽんと何かを置くと、近くの棚の戸を開けた。


114: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:23:30.10 ID:LYacroRjo


何だ、これ。
手に取ってみると、コードも無ければ番号を押すボタンもない、ただの受話器だった。

見つけてきたフォーク渡し、ベッドのすぐ傍にあった背もたれの無いイスに腰かけ、
無言でリンゴをすすめてくる。

サキ「ありがとう」

ひときれ口に運んでかじっていると、

一「ところで」

一さんが真顔で尋ねてきた。

一「何をした?」


115: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:26:34.13 ID:LYacroRjo


どきりとする言葉だった。

サキ「何をしたって……」

一「俺の閉鎖空間が打ち消された。それも君によって。
  あと、君を中心にして内側から広がった通常空間と、
  閉鎖空間の間に挟まれた情報生命体はすべて消えて、
  それから機関の人のケガが全員、全て治ってた」

そうだったのか。

サキ「皆無事でよかった」

一「うん。だがどうしてこうも都合の良いことが起きる? まるで……」

と言いかけて、ひそめた眉を戻し、

一「願ったり叶ったりなんだが、君はどうしてそんなことができたんだ?」

そんなことと言われてもなあ……。
白い光が見えたことしか覚えてないんだけど。

一「柊さんはそんなの見た、とは言ってないぞ。君の周りから閉鎖空間が消えた、
  というよりは通常空間が拡がっていったようなことを言ってたし、俺もそう感じた」


116: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:29:34.71 ID:LYacroRjo


わたしの錯覚?
いや、確かに目が眩むようなまっ白い光がわたしから放射状に広がるのが見えた。

サキ「そう。……でもわたしにもよく分からない」

一さんは小さく息をついて、

一「まあ、そんなとこだろうと思ってたけど」

わたしに目を戻し、

一「これから先、君から半径300メートル以内で発生する閉鎖空間については、
  無視してくれ」

は?

一「あれだけの規模の情報爆発の中心にいた人物なら、
  連中の興味を引くのに十分だったみたいだ。あとは今までどおりで」

サキ「あ、ああ……何か余計な面倒増やしてしまったみたいで……」

一さんは真顔になって、

一「何言ってる。君はあの場にいた人全員の命の恩人なんだぜ。
  俺の方は一人二人増えたって変わりゃしないさ」

そう言われると幾分心が軽くなるけど。

サキ「……最強も色々大変ね」

一「あのね、何聞かされたか知らないけど……まあいいけど。一つ言わせてもらえれば、
  強さなんて相対的で、価値観によってころころ変わるもんだよ」

パラパラを踊るみたいに腕を伸ばしたり曲げたりしながら話す。

サキ「そうね。わたしにとっての最強はおばさんかしら」


117: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:32:35.84 ID:LYacroRjo

一「おふくろか……。まあそういう部分もあるかもしれないけど」

そこでちょっと焦ったように、

一「え、えーと、君のお母さんも凄い人なんだぜ」

ことさらいかにもという感じで言う。

サキ「あんた家のお母さんの回し者なの?」

一「い、いや、……」

目が泳いでるぞ。
彼は自分が落ち着けるまで待ってから、改めて話し出した。

一「俺は小さい頃だったから覚えてないけど、
  君のお母さんに抱っこされてる写真があるんだ。
  すごく可愛がってくれたみたいで。
  ――君を産む前から危険があることは分かってた……」

サキ「それで?」

一「えっとつまり、君を抱っこしたかっただろうなって」

七重の静かな寝息だけが流れる。

一「あ、そのさ」

サキ「はい、ここまで! お互いさまってことで」

一「え?」


118: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:35:41.87 ID:LYacroRjo

サキ「わたしもおばさんに抱っこされてる写真、いっぱい持ってるんだから」

それだけじゃなく、あんな写真やこんな写真もあるけど。

サキ「だからおあいこ、お互いさまでしょう?」

一「うん……」

サキ「それにありがと。お母さんもあんたを抱っこできたから」

一「……こちらこそだね」

七重「う~ん……」

七重に掛けられた毛布がもぞもぞと動いた。

七重の声でわたし達は二人とも七重の方を見たが、まだ眠ってるようだ。
どちらからともなく微笑みが広がるのを感じた。


七重には笑っていてほしい。だから、わたしも笑顔でいよう。


わたしは一さんに幾分小さな声で、

サキ「みんな、色々ありますな。起きたらお礼言わなきゃ」

一さんも少し声のトーンを落とし、

一「七重は昨日からつきっきりで君のそばにいたから、
  疲れてベッドにもたれたまんま寝ちまってたのさ。
  柊さんからもしょっちゅう着信入るし」

しかめっつらをこちらに向けてみせる。


119: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/05/31(水) 19:38:43.29 ID:LYacroRjo

サキ「柊さん……」

心配をかけてしまった。けど。

一「そ。目を覚ましたってことは伝えとくから」

サキ「許しませんって」

一「は?」

サキ「そう伝えて。無責任です、二度とあんなことしないでくださいって」

ぼたもちの転がってきた棚に自分のことを上げるような物言いをするわたしに、
一さんは訳の分からなそうな顔をしながらも了解してくれた。

一「……分かった。何だか分からんが、伝えとくよ。そろそろ行くかな」

静かに椅子から立ち上がり、引き戸の方へ向かおうとする一さんに、

サキ「ありがとう、色々と。……ねえ」

ふと思ったことをたずねる。

サキ「お母さん、今のわたしのことどう見てるのかしら」

一「笑ってるとも」

サキ「え?」

いやに確信に満ちた目で微笑んでいる。

一「そのナイフは皿に置いといてくれ。じゃ、お大事に」

静かにドアを引いて出ていってしまった。そして静かにドアが閉められる。


ナイフってこれのこと? ていうか受話器だけど、どう使うの?
試しに耳に当てると、呼び出し音が鳴って2コール目の途中で父が出た。




121: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/02(金) 21:50:42.50 ID:dNmk+/4bo



その日の新聞には、オフィスワーカーがビジネス街のど真ん中で集団で意識を失っていた、
という小さな記事が載っていたが、『機関』のキの字も書かれてはいなかった。
報道された内容でさえ発症者の記憶が定かでないので集団ヒステリーの原因も不明、
で片づけてしまうには奇怪すぎるはずだが、やはりそこが『機関』の為せる業なのだろう。



決戦の日は確定しないが、刻一刻と近づいてきていることは確かだった。

それと言うのも、あれだけ頻発していた閉鎖空間の発生が最近極端に減ったのである。
つまり情報生命体による被害も、天蓋領域のインターフェースによる直接の侵攻も、
鳴りを潜めているということだ。

嵐の前の静けさとは言ったものだが、来たるべき日に備えるチャンスでもある。

機関の上層部では、情報統合思念体のインターフェースと緊密に連携をはかるため、
彼らとの会合を重ねているらしい。
また、一つの閉鎖空間につきかけられる時間は幾らかなど、
戦術上の計算をするためのプログラムをアップデートしたりと、
とにかくてんやわんやの状況らしかった。

らしい、というのは柊さんから電話で聞いた断片的な話に過ぎないからである。

一方わたしは言うと、いつものように閉鎖空間内での訓練を一人黙々と行っていた。


そんなある日、長門さんから新たな援軍となる者を紹介したいとの連絡を受けて、
森さんと柊さん、そしてなぜかわたしも、
長門さんが勤めている光陽園駅近くの図書館分館に集まった。

あの宇宙そのもののホールにわたし達が入ると、
中央に置かれたソファの前で長門さんと、その人が待っていた。

挨拶しに近づいて行こうとすると、柊さんの足が止まっている。

長門さんのそばで、星空を見上げていた少女の横顔に、柊さんは釘づけになっていた。

古泉「君は……!」

ふいと顔を戻したその人は、

「久し振り。一樹」


122: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/02(金) 21:53:59.08 ID:dNmk+/4bo



柊さんが驚愕の表情のまま、言葉を失い、立ち尽くしている。

「森さんもお世話になったこと、お礼を言えませんでした。またお会いできて嬉しいです」

ゆっくりと頭を下げ、そして起こすと、
その少女は静かな笑みを湛えて懐かしそうな表情を森さんに向けている。 
森さんは静かな瞳で少女に応えるのみだった。

わたしは森さんに尋ねることにした。

サキ「お知り合いの方なんですか?」

森さんは少女に目を向けたまま、簡潔に説明してくれた。

森「わたし達の同志よ。……かつて閉鎖空間で命を落とした」

サキ「!?」


……亡くなった人が?


古泉「長門さん、新たな援軍とは、まさか……」

柊さんはまだ混乱した様子で、長門さんに疑問をぶつけた。

長門「一が生み出す限定空間内の力場を最大限に生かせるのはあなた達」

古泉「……」

長門「ゼロからそのような属性情報を付与したインターフェースを造り出すことは、
   統合思念体には、不可能だった」

重い沈黙が流れた。やがて、

古泉「……それで彼女に本来宿っていた情報生命素子を用いて、
   新たなインターフェースとして彼女を生み出したのですか」

長門「…………そう」

柊さんは抑制しきれない怒気をふくんだ声を震わせた。

古泉「確かに無駄のない策だ。TFEIと、機関の者としての能力をあわせ持つ個体ならば、
   戦局に応じてどちら側の援護にもまわれる。でも長門さん、あなたは」


123: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/02(金) 21:57:01.75 ID:dNmk+/4bo

じっと耳を傾けている長門さんに柊さんは続ける。
柊さんは言葉を切ったところで、もう一度、冷静になろうと努力したみたいだった。

古泉「――あなたのことはいかなる状況においても役目のために、
   理性的であり続ける人だと僕は尊敬しています。
   でもそれは統合思念体からあなたが生来授かった、精神の強さによる支えが大きい。
   もともと人間として生まれた者がTFEIとして、不老の時間を永久的に過ごすことが、
   本人の精神にどのような影響を及ぼすか、考えたのですか?」

長門「該当個体が統合思念体に直接申請することで、
   体組織の永久的完全復元を停止し人間としてのエイジングに移行できる」

古泉「統合思念体がその程度の認識で実行したとは信じがたい。
   それでは本人の居場所はどうなります。
   第一、僕の疑問に対する根本的な解決にはなっていません」

長門「……まず、あなたのわたしに対する認識に、実像との齟齬が見受けられる」

柊さんが言葉を呑む。

長門「わたしは統合思念体から高い知能を付与されて造り出された。
   しかし――精神的な強さ、を備えていたわけではなく、
   常に理性的であったとは言えない」


124: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/02(金) 22:00:55.49 ID:dNmk+/4bo

長門「かつてわたしが起こした異常動作によって、恐るべき事態を招いた。
   それはわたしが常に理性的であるならば起こらなかったこと。
   わたしの内部に蓄積されたエラーデータへの対処を誤った。
   削除、圧縮等わたし単体が実行してもエラーの集積は膨大になった。
   それは、感情。
   特に人に関わる心の動き。当時はその性質が全く把握できず、翻弄された。
   精神の強さがあったとは言えない」

古泉「それは普通の人間らしくなる過程の上であったことでしょう。
   げんに今のあなたは社会人としての生活とインターフェースとしての役割を両立、
   自らを周囲と共存させ――」

そこまで言って柊さんは、何かに気づいたように目を見開いた。

長門「そう。人との関わりを絶たず、人の中で生き、心の動きを否定せず、
   人との調和に理性を生かす。
   わたしが観測する、自律進化の決して完成しない過程。
   感情があるからこそ、人間は弱くもなるが、
   時間にさえ打ち克つ力を持つことができる。
   愛、信頼、責任、勇気、やさしさ、尊敬、誇り、自負……、
   全て人に関わる葛藤を乗り越えてこそ。だから強い」

古泉「……ですから長門さんはそうでも、
   人間がTFEIに変容した場合を論じたことにはなりません」

長門「同じこと。わたしは一を知っている」

古泉「同じ道を通るのなら、武神がこの世の脅威となる事態もまた、いつか発生すると?」

長門「可能性はある。だが、一は一人ではない。
   わたしが異常動作を引き起こした時も、そうであったように」

古泉「なるほど。それはそれとして、
   一くんの例を敷衍して彼女のTFEI化を論じるのには……」

森「古泉。……わたしの方から長門さんに頼んだの」


125: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/02(金) 22:04:05.34 ID:dNmk+/4bo


柊さんは完全に虚を衝かれたようだった。

それまで黙って長門さんと柊さんのやりとりを聞いていた少女が、
確固とした口調で語りはじめた。

「それに、本人の意志に関係なく一方的に、
 長門さんがあたし達を甦らせたとでも思ってるの?」

長門さんは最初からずっと同じ表情のままで、黙っている。

「あなたがあたし達を心配してくれたようなことは、承知の上よ」

堂々と胸を張り、そこへ開いた手を当てながら、
 
「あたしが今ここにいることが世界のタブーだってのなら、
 用が済んだらあちらに戻ってやるわ」


その手で自分の真下をぴんと指さす。
このプラネタリウムホールの場合、上も下もないのだが、
自らの天上でなく地底の方を迷いなく指す姿勢にわたしは引きつけられた。


古泉「そういう意味じゃない! 『機関』を挙げて君を守るとも!」

あくまで真面目に論じる柊さんとは対照的に、

「そりゃどうも。とにかくね。みんな、この世界を守るためなら構わないと思ってる。
 あたし達はそう望んで『機関』に集ったんじゃないの?」 

古泉「みんな、ということは……」


「全員、イエスを選択したというわけ」


柊さんはうつむいてしまった。

やがて、

古泉「長門さん、申し訳ない。……ありがとう……」

その声はかすれて声に色がなく、溢れる思いを絞り出すように震えていた。
長門さんは、わずかに頷いて微笑んだように見えた。

長門「そう」

顔を上げた柊さんは一変して、いつもの状況を分析するような口調に戻っていた。

古泉「君が帰ってきたからには、また僕はバックアップに回らなければならないな。
   どうせ、性懲りもなく最前線に向かうんだろう?」

「あら、あたしは長門さんを守る方の役に回ったわよ。
 一樹がエースなんだからその必要はないでしょう。あたし見てたわよ、死んだあとも。
 そうだ、危うくまた言い忘れる所だったわ。森さん、一樹。毎年来ていてくれたわね。
 そのこともありがとう。一樹、あなた、いい人つかまえたじゃない」

悪戯っぽく微笑む少女に森さんと柊さんは呆気にとられているばかりだった。


126: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/02(金) 22:07:07.56 ID:dNmk+/4bo

そんなお二人に構うことなく、
突然少女は満面の笑みに大きく息を吸い込むと、
私に駆け寄ってきて握手して一気に顔を寄せた。

「はじめまして! サキさんね、なんだか知らないことばっかり話してごめんね。
 それにしてもあなたとあたしって似てるわぁ。
 性格は違うけど、向こう見ずな戦い方なんか特にね。気が合いそうだし、よろしくね!」

なぜ初対面なのにわたしのことを知ってるのか分からないけど、

サキ「は、はい。よろしくお願いします……」


少女の自信に満ちこれからワクワクすることに向かっていくんだ、
と言わんばかりの表情を見て、わたしは思い出していた。


そうだ、この子は七重のお母さんに似ている。



127: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/02(金) 22:08:13.69 ID:dNmk+/4bo


そのカンは当たりで、先輩は面倒見が良く、わたしの訓練にその日からつきあってくれた。
球体化した先輩の動きを真似するだけでずいぶんと勉強になる。
何よりも、あの柊さんとパートナーを組み、
しかも前衛を務めた人に教えてもらえるのはまたとない幸運だった。


というのも、わたしも実戦では一番槍の役に当たることになっていたから。


しかし、それは実力によるものではなく、
ビジネス街での一件以来やっと使えるようになった能力の特殊性を買われてのことだった。

と言うわけで、特殊性その一。

わたしも球体化できるようになったのだが、紅玉ではなく白玉である。
はっきり言って、紅玉が群れて飛びまわる中の白一点は目立つ。
わたしばかりが情報生命体達の攻撃の的にされる。
逆に言えば、うまく動けば相手の注意を引きつけかく乱する役割を果たすことができる。

特殊性その二。

機関の能力者の主な攻撃方法は、紅玉して体当たりすることで、
敵に物理的にダメージを与える。
しかし、白玉化したわたしに攻撃してきた情報生命体達は触れるそばから消滅してしまう。
おかげで無謀に突っ込んでいってもケガをせずに済むし、
確実に敵の出鼻をくじくことができる。
それでも、大丈夫とは分かっていても敵陣の中を単独で飛び回るのは怖い。
そう先輩に伝えたら、笑って、

「あんた本当に面白い能力が使えるのね!
 まるでアクションゲームの無敵アイテム取ったときみたいじゃない!」

と言い、わたしが止める間もなく白玉化したわたしに、興味津々な目で触ってきた。

……特殊性その三。

機関の能力者が触れても、消えることはない、ということが分かった。
それどころか、

「……これはケガした人の、傷を治す力があるわね。あたしは今は自分で修復できるけど。 ほんっとに面白いわね、これ」

とのことらしい。なんというご都合主義な力だろうか。

ともかく最前衛という、実力に見合わないポジションをいただいたわたしだが、
奇しくもそのお手本と言うべき人に、いかに動くべきか、
みっちり叩き込まれる機会を得ることができたのだった。


129: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 15:34:42.16 ID:cQX9e7Qho



六月某日、日本では未明に、それは全世界、同時多発的に発生し、進行した。


起きるべくしてそれは起き、また起こさせてから止める以外に術がない。
数多のウェブサイト上に、統合思念体のインターフェースの防衛網をかいくぐって、
天蓋領域のTFEIが起動データをアップした。

このデータの存在するサイトの特定と、データの破棄が実行されない限り、
事態に歯止めがかかることはない。
しかし、当然容易に検索の網に引っ掛かるような痕跡は残されておらず、
作業に当たった統合思念体のインターフェースですら、それは容易ではなかったようだ。

閲覧した人間の脳へ、あらかじめネット上に仕込まれ一斉に起動した情報生命体が感染し、
犠牲者を異空間へ飛ばしてしまう。
一さんがそれを捕捉し、その空間を閉鎖空間に変換し、わたし達に明瞭に感知させる。

そうなれば、閉鎖空間内の敵を機関の能力者が撃破し、
意識を失った人々がそれぞれパソコンの前で、
「あれ、寝てたのか」と目覚めるように無事に帰してあげてその件はとりあえず解決だ。

もちろん、感染源となったウェブページ上のデータは破棄し、
多少周囲の人間を含めた記憶の方も操作済みの上でのことである。



この地球上の爆発的感染を前に、当初はどうしても後手に回らなければならず、
抜本的な解決策は即時には編み出されなかった。
長門さんなら、もしかしたらそれが出来たのかもしれない。

『機関』としても、彼女にはできればその任に当たってほしかったが、
長門さんは七重の両親の護衛に集中する、の一点張りだった。
情報統合思念体も、そして当のおじさんとおばさんですらも、
その意志は覆せなかったというから頑固な方である。


ともあれ、それはTFEI側の役目であり、お任せするより他ない。
そして、わたし達の戦場は閉鎖空間の中だった。


森「何と言うかこれは……。さながら地獄絵図ね」


数多くの人間の、それぞれの畏怖の対象が具現化したもの。
それらが閉鎖空間内を所狭しとと湧いて出ているものだから、
そう表現するのが妥当かもしれない。

しかし、確かに単体では恐いイメージを抱かせるが、
こうして勢揃いとなるとかえって滑稽な感じすらする。


森「眺めてる場合じゃないわね。さあ、行きましょう」



130: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 15:38:41.22 ID:cQX9e7Qho



今回の戦いは、今までと比べても特殊なものらしかった。

世界中に散りばめられた、とでも言うべきか、
数えきれないほどの閉鎖空間の中で機関の能力者が、
情報生命体と戦うのまでは同じなのだが、
敵をすべて倒し閉鎖空間が消えるとき、
被害者はそれぞれ情報生命体によって最初に拘束された異空間へ、
わざわざまたワープさせられる。

すると、空間の主が倒された異空間は崩壊して、
被害者は自動的に、無事元の場所に戻されるらしい。

らしい、としか言えないのは閉鎖空間が消えてわたしも通常空間に出てくると、
被害者の姿が無くなっているので、人々がどこへ行ってしまったのか、
わたしには分からないからだ。一さんのやることだから、間違いはないだろうけど。


それでは、今まではどうしていたのか。


敵を倒したあと意識を失っている人々を、
閉鎖空間内で感染した場所と同じ位置まで、機関の能力者達が運んでいたのだ。

そして、閉鎖空間が消えるときに、被害者だけ、感染した時刻にまで戻されていたらしい。
わざわざ元の場所まで運ぶ手間がはぶけるし、
いつも異空間にワープさせて戻してあげればいいと思うのだが、
それをすると、例のビジネス街の一件のように、翌日の新聞の記事になってしまうらしい。


今回は全てが片づいたら地球規模で世の中の人々の記憶改変を行う、
という条件つきの非常手段なのだそうだ。
自分が聞かされた説明を受け売り的にしているわたしだが、正直ちんぷんかんぷんである。

要は、今回は時間との戦いでもあり敵を倒しすぐ次の閉鎖空間へと向かう、
というショートカットのための手段らしい。


非常時につき閉鎖空間内は、通常空間の時間の流れから切り離されているが、
次の閉鎖空間へ向かうわずかなロスの間に、感染者の数が膨れあがってしまう。
今回は全力で相手を倒しにいく、と言った一さんに限らず、
皆が最初から死力を尽くしていた。


やがて感染元となった起動データや情報生命体が、
TFEI作業班によって全て特定、削除されると、
ようやく凄まじいまでの感染者増加の勢いが止まった。
(思えば一さんもよく戦いながら、こんなに速くしかも正確に相手を捕捉していたものだ)

閉鎖空間が減少していくのを感じるにつれ、皆の希望が確信に変わっていった。
さらにあの先輩がこちらに加勢しに来てくれた。
いち早く、七重の両親と長門さん、喜緑さんの無事の知らせを持って。


そして、受け持つべき近辺の最後の閉鎖空間で、わたし達は敵を全滅させた。



131: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 15:41:53.97 ID:cQX9e7Qho


「よし、やったわ!」

あとは他地域の応援に回ればと思った。

でも、わたし達はすぐに異変に気づいた。


古泉「これは……まるで涼宮さんの――」

森「閉鎖空間が拡大し続けている……?」


新たな発生こそ無いが残っていた閉鎖空間が、
消えるどころかぐんぐんその面積を広げていく感覚がある。

サキ「どうして……敵は全て倒したから一さんが解くはずじゃ……?」

不意にぞくりとする。最近備わった能力でなく、本能的に感じ取る畏怖だ。
それは明確な敵意と共に背中から圧するように感じ取ることができた。

「サキ、うしろ!!」

先輩が叫ぶより早くわたしは背後も確認せずに反射的に白い光球になって、
前方の宙に飛び逃れていた。
地響きとほぼ同時に反転すると、わたしのいた場所に巨大な拳が振り下ろされている。


神人。


この空間の中の被造物を破壊し続け、閉鎖空間を拡大させる巨大な怪物。
それもおびただしい数が見渡す限りタケノコのように、
ぬうっと立ち上がってくるのが見える。

一さんに会ったときに見たのとは別物かというほど暴れまわっている。
だがこれが本来の姿なのだという、奇妙な既視感を覚えながら目を離せないでいると、

森「被害者の確保、ただちに上昇! 捕まらないで!」

森さんの鋭い声に、皆は我に返り、役目に戻ったようだった。
各々、被害者の人達を抱え飛び立つも、
既に一体の長い腕の射程に巻き込まれそうな仲間がいた。

間に合わない――


そう思った時、その神人は全体が赤く発光し、消滅した。

無事にこちらへ上がってくる仲間の後方からもう一つ紅玉がついてくる。
上空で円陣を組むと、後ろから来たのは一さんだった。

一「すまん」

眉をひそめながら続ける。


一「閉鎖空間と神人がコントロールできなくなっちまった」



132: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 15:45:41.30 ID:cQX9e7Qho


柊さんとわたしの反応がほぼ同時だった。

サキ「なっ……!?」

古泉「ああ、なるほど」

足下で無人の街をぶっ壊し続ける轟音の中、一さんのトンデモ告白にも驚いたが、
わたし達は柊さんの合点がいった様子にもっと驚いた。

森「古泉、どういうことなの」

古泉「いえ、今思い当たったことで仮説に過ぎませんが」

森「話してみて」

森さんが短く早い言葉ながらも、落ち着いた口調で促す。

古泉「はい。考えてみれば、一くんが閉鎖空間で敵を倒す、
   それも全力を使って、という状況は、ここ最近はなかったのではないでしょうか。
   そもそもこの空間は一くんの負の感情で構成されているものです。
   そこに、長年抑制してきた闘争心をこの空間内で解放したことで、
   何らかの共鳴を引き起こし、
   一くん自身にすら歯止めがきかない状態になっているのではないかと」


133: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 15:49:41.34 ID:cQX9e7Qho


わたしは凍りつくようだった。

一「言われてみれば確かにそんな気もするな」

実に納得した様子で腕を組みながら頷いている。

「……この空間内だけで数百体はいる。あんた、どんだけ溜めてたの。
 他の閉鎖空間内もこれじゃ、応援は望めないな」

この人はこの人で足元を見回しながら、冷静に敵の数を見定めている。

一「まことに面目ない」

わたしは黙っているとおかしくなりそうで叫び出していた。

サキ「面目ない、じゃないわよ!
   こんなのどうしろっての、倒せるんなら自分で片付けなさいよ!」

最低だ。

自身の余りの無力さへの苛立ちを一さんにぶつけている。

そのいつもの穏やかな表情の底に確かに苦悩を抱えていて、それでも、
普通なら情緒も意欲も何もかも意味を失ってしまいそうなほどの永い時間を、
母親譲りの双眸にあかるい輝きを宿して歩んできた人に。

いや、もっと醜い。
わたしはひどく怯えていたのだ。

閉鎖空間と神人が在る以上、世界が終わる可能性は厳然として存在する。
たとえ、それを今まで制御できた一さんだって人間だから失敗はありうるのだ。
『機関』の人間なら常にその覚悟をもってここに立っていなければならなかった。

けれど、わたしは。
それだけは出来なかった。
正直、自分に万一のことはあるかもと、その分は腹を括っていたけれど。
七重が、あの笑顔が、消えてしまう、無くなってしまう。
わたしの帰る場所。それだけは。
そんな甘えた考えで「そんなことなどありえない」と現実を見据えることを放棄していた。

ああ。
こんなことなら、やり直せるならせめて七重とちゃんと――――


柊さんの、自分の手持ちの酸素が尽きそうな状況でも、
ただ冷静に目の前の人達の生存の可能性だけを追求する宇宙飛行士のような声が聞こえる。

古泉「いや、一くんがこれ以上戦闘を続行するのはまずい。
   この推論でいくと、彼が戦えば戦うほど閉鎖空間の拡大に拍車がかかることになる」

チラッとわたしに目をやって、あくまで客観的に分析するように、

古泉「それに、一くんを責めちゃいけない。
   一くんの力を過信して、この事態を予想できなかった我々のミスだ」

返す言葉もない。

「どこかに被害者を降ろす安全地帯は……なさそうね。残念、リベンジのチャンスなのに」

先輩、元気はつらつは頼もしいんですけど、そういう問題じゃ……。

今まで黙っていた森さんが、絞り出すように、

森「仮に被害者を避難させられたとしても、
  神人がこの数では……悔しいけど策が無いわ。万事休すね……」

周りの人達に重い空気が立ち込めようとした時、あっけらかんとした声が響いた。


「策ならありますよ」



134: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 15:53:41.87 ID:cQX9e7Qho


森「え?」

「ほら、全てのことに意味があるって言ったの、森さんじゃないですか」

言いながらわたしに流し目をくれる。
森さんが、そして柊さんが何かに気づいたようにわたしを見た。

一「そうか!」

突然、一さんが正面からわたしの両肩をつかんだ。

一「サキ! 今すぐ七重をここに呼んでくれ!」

サキ「今すぐ……ここへ……?」

一「そうだ、早くしないと間に合わなくなる」

自分の未熟さなどに考えが及ぶ前に、


わたしは、決壊した。


サキ「や…」

小さな自分の声が聞こえていた。
そして一さんの頬を平手打ちしていた。

サキ「いい加減にして!!」

と叫んでいたと思う。

サキ「あんた、七重の兄貴でしょう!?
   どこのバカが、実の妹をこんな戦場に呼び出すって言うのよ……ッ!」

言い終わる前に目の前が霞み出す。


135: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 15:57:43.53 ID:cQX9e7Qho

サキ「七重は……あんたをずっと心配して……ずっと待って……、
   おじさんだって、おばさんだって」

後は、自分の嗚咽が聞こえるばかりだった。人前で泣くのは子供の時以来だ。
涙の粒が、すうっと下に、神人達の暴れる中にこぼれ落ちていく。


静かに、今殴った相手とは思えないほど心のこもった声が返ってくる。

一「……すまん。サキの言う通りだ。俺は親不孝で、情けねえ兄貴だ」

違う。

サキ「……」

わたしは嘘つきだ。

一「サキにも。こんなに七重を心配してくれて」

サキ「……たしだって」

一「……?」



サキ「わたしだって七重に会いたいよ!! 今すぐ会いたいッ!!」



一「サキ……」

サキ「会って、ナナに、ちゃんと……」

一「……ありがとう。そんなに七重を思ってくれて。
  ……どうか頼む。君と七重の力が必要なんだ」

顔を上げると、目の前で不自然なくらい思いっきり頭を下げている。

サキ「……約束して」

わたしの言葉に一さんは顔を上げて、

一「何を」

わたしを見上げながら尋ねる。

サキ「この戦いが終わったら、ずっと七重の側にいるって。七重がお嫁にいくまでよ。
   今まで寂しい思いをさせた分ずっとおじさんとおばさんと七重のそばにいてあげて」

一「……わかった」

ハッキリそう聞きとれた。

サキ「……どうすんの」

一「……?」

サキ「どうやってナナをここに呼ぶのよ」

一「……これを。俺の携帯を使ってくれ」


136: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 15:59:26.12 ID:cQX9e7Qho

ポケットを探って渡された、携帯のリダイヤルを回すとすぐに見つけられた。

七重『――お兄ちゃん?』

サキ「わたし」

七重『えっ? サキ、無事なの? お兄ちゃんは?』

サキ「一さんもわたしも無事よ。……ごめん。……ナナ、お願い。あんたの助けがいるの」

七重『うん、わかった。どうやってそ』

七重「こへ行けば――」


パッとわたしの目の前に現れ、自由落下を始めそうな七重を、
すかさず一さんが後ろから抱きとめ、支えた。

一「今のは俺じゃない」

携帯を返すと、聞いてないのに説明する一さんには答えずに、七重を見る。

下がとんでもないことになってるのに、一切目もくれず、
ただわたしを心配そうな目で見てる。


七重「サキ。わたし、何ができる?」

サキ「……この世界を。
   終わろうとしてる世界をあなたとわたしで止めなきゃいけないみたい」


話しながら、わたしは何を言ってるのだろうと思う。
なんてことだ。いきなり幼馴染の親友に世界を押し付けて背負わせるのか。

それなのに、七重は戸惑いも見せずにわたしに尋ねた。

七重「……どうやるの?」

サキ「たぶん、この前みたいに、……でしょ?」

七重に答えながら、七重を抱えている一さんに目を移して尋ねる。
一さんが頷くのを確認していると突然七重に、また両肩を前からつかまれた。

七重「ダメだよ! それじゃサキがまた倒れちゃうでしょう!? ヘタしたら……」


137: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:03:31.52 ID:cQX9e7Qho

心配に顔を歪ませる七重を見て、ああ、わたしも人のこと言えないな、と思った。
どうしたってやるしかないけど、それには七重が同意しないことには……。

サキ「ねえ、そこんとこはどうなの」

一「さあ、俺にも全く予想がつかん。死ぬかもな」

おいおい、そこは嘘でも大丈夫と言おうよ。

七重は身をよじって、中学生が明日の天気でも考えるような兄の表情を見て、

七重「……そう。わかった」

え、納得したの?

七重「お兄ちゃんがああ言うなら大丈夫」

強い自信のある目をもって、今度は逆にわたしを励まそうとしている。
言葉だけ捉えればわたしの命の保障を示す内容でないのは明らかなのだが、
七重がそう言うなら兄妹の絆に賭けてみる他ない。

確かあの時は七重とは背中合わせだったけど、向かい合っての体勢でもいいはずよね……。
根拠もなくそんなことを考える間もなく、

一「放すぞ」

七重をしっかり抱き止めると、こんな時なのに変に意識して胸が高鳴った。
七重も多分、恥ずかしがってる場合じゃないとか自分に言い聞かせてるようだった。
平静を保とうとゆっくり繰り返す呼気がほのかに首筋にかかる。

一「早くしろよ、10分切ったぜ」

あんたが言うな! しかしツッコミを入れてる場合ではない。
もの凄い勢いでこの黒い空間が地球上を覆おうとしているのを感じる。


138: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:07:34.96 ID:cQX9e7Qho



世界が終わってしまったら。


まずやっぱりこれだけは七重に言っておきたかった。


サキ「七重、あのね……、ありがとう。
   わたし、お母さんがいなくて、兄弟もいなかったし、あんたがいなかったら、
   きっと凄く寂しく過ごしてたと思う。あのね……」


10分以内で話せることじゃない。

いつ会ったのか覚えてないくらいずっと昔から知っていて、
二人ですこしずつ行ける場所を広げていって、
一緒に笑って、一緒に怒られて、(つまらないことでケンカもして、でもすぐ仲直りして)
一緒に泣いた。

思い出すのはとても感動的なことじゃなくて、
何気ない、ありふれたカッコ悪いことばかりで――


サキ「大好きよ、七重……」


思い切り抱き締める。こんなに温かい。


七重「サキ、わたしも。サキが大好き」


耳元の、ずっとずっと何度も聞いた声。

絶対嫌だ。失うのは。終わるなんて、無くなるなんて絶対に嫌だ。
たとえ世界が新しく生まれ変わってそこに七重がいて、
会えたとしても、今までのわたし達で無くなるなんて絶対に、否だ。

そう、今までのわたし達はお父さん、おばさんとおじさんがいて。
七重にとっては一がいた。



……ああ、そうか、こいつ言わなかったな。

わたしにとってこいつはいなかっただけで、こいつにとってはずっと、わたしはいたんだ。



謝らなきゃ……ありがとうって言わなきゃ……

そう思いかけたとき、そのこいつが最高にあほなことを言った。

一「今だっ。キスしろ!」


139: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:11:37.11 ID:cQX9e7Qho



ふ‥

サキ「ふざけるなああっ!!」

叫ぶと同時に白い光の奔流がわたしからあふれ出し、それどころではなくなった。

世界を揺るがす無音の震動。止まらない。

でも今回は気づいた。
これはわたしの力じゃない。


わたしの胸の中が一番の中心で、そこから発せられてるけど感じる。
これは七重の願いなのだと。

七重の思い。ここで大切な人々を脅かすものを無に帰し、ここで傷ついた人を治癒する。
切なる願いがわたしに伝わってくる。


ああ、七重は小さい時からこんな祈りを背負っていたのか、
わたしにも、きっと誰にも見せず胸の奥で。
兄の無事、戦う人達の無事、滅ぼす相手への、そして何もできない自分への罪悪感。


それが折り重なって。心の奥底に押し込めて。


この眩いほどの白い光が、わたし以外の誰にも、七重自身にも見えないのは、
七重も気づかない、隠された純粋さだから。

七重の光に満たされながら、わたしは理解した。わたしだから見える。
全てのことに意味があるのなら、その中の一つのわたしの意味。


わたしだからできる。七重の思いを世界に広げよう。
七重がすべての悩みや迷いを越えて、一人胸の中でだけ貫いてきた思いだから。


だが、広げようとする白い光を圧迫し、押さえ込もうとする黒い闇を感じる。
今回は前のようにすんなりとはいかないらしい。

サキ「七重」

抱き合ったまま、顔を見ず言葉に込めて伝える。

サキ「全て渡して。わたしは大丈夫」


140: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:15:38.96 ID:cQX9e7Qho


一瞬、間があって、わたしの背中に回した腕に力が入った。

突然、段違いに大きい揺れが来る。追い越すほどのうねる波動が―――
まずい、わたし自身が翻弄されそうだ。

一「負けるな、押し返せ!」

……あんたにだけは――――

サキ「ううおおおおおおおおおおおおっ!!」


視界が360度真っ白になりながら、わたしは自分に誓っていた。

この戦いが終わったら、このバカ兄貴をもう二、三発ぶん殴ると。



141: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:19:40.73 ID:cQX9e7Qho




結局、七重が心配したような大事に至る事もなく、
わたしはただ三日ほど眠り込んでしまったらしい。

しかし、二度も突発性居眠り病に、しかも立て続けにかかってしまっては、
父の心配も深刻さを増すだろうという、
一の勝手な配慮によって、わたしは体内時計を一時的に早巻きにされ、
目が覚めた時は自宅の布団の上だった。

机の上の、七重の字の書き置きによって、わたしはそのことを知った。
三日分余計に歳をとったことになるが、
寝ていればどうせ同じことだからやはり感謝すべきなのだろう。

携帯で確認すると、あの戦いから数時間も経っていなかった。
いつも通り起床する時間も近くなっていたし、
わたしは家事と、学校に行く準備を始めたのだった。



それから、何事もない日々が続いた。

わたしは気づけば能力者としての力を全て失ってしまっていて、
もう閉鎖空間を感知することができなくなっていた。

そして、『機関』の方から知らされることもなく、わたしと七重はただ平穏の中にいた。


学校生活での変化はと言えば、他クラスではあるが、
あの先輩が同級生として転入してきたことである。

情報統合思念体のインターフェースとしての一面を持つ彼女は、
七重の観測役の任務だけ長門さんから引き継いだのだそうだ。


だけどわたしが思うに観測する役目というのは、
もっと引き気味なスタンスの人がやるものだと思う。


転入早々、自己紹介からしてクラスを湧かせたらしい彼女は、
今や次の学期は委員長、はたまた生徒会長と目されると風の噂に聞く。

そうそう、新しい部活を作ったから入らないかと誘ってくれて、
そう言えば何の部にも所属していなかったわたしと七重は、
彼女の人柄に引かれて、何の部活か確かめもせずに用紙に名前を書いてしまった。

部はいきなり作れないから正しくは同好会というのだろうか。
彼女自身、やりたい案が膨大にあるようで、
幾つかにまとめるからその時また意見を聞かせてほしい、とのこと。


今までとは違う方向に、つまり学校生活の方が賑やかになってきた。

でも、もう閉鎖空間に出入りすることはないが、
わたし達を脅かすあの存在が全て消えてしまったわけではなく、
『機関』の戦いは続いている。

なのにあれ以来、一度連絡をとった柊さんや森さんに会うこともなくなってしまった。


142: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:23:42.71 ID:cQX9e7Qho



ある日、坂道を下りてきたところで柊さんが、笑顔を浮かべて待っていた。
片手を軽く挙げて、

古泉「やあ」

七重「あ、わたし先に帰ってようか」

すると柊さんが、

古泉「今日は主に二人の友達として、話したくて来たんだ。
   天気も良くなったし、歩きながら話さない?」

なんだか今日の柊さんはとてもリラックスしていた。
にこやかにストレッチしながら歩き、周りの景色を見て、

古泉「う~~ん、ここは緑が多くて、いつ来てもいいなあ」

わざわざ話にきたはずなのに何やってるんだろう、
とわたしと七重も拍子抜けした感じでついていく。

柊さんは足に任せて、線路わきの県道から土手を登り、川沿いの遊歩道へ入る。
ずっと南のほうまで、桜並木が川の両側の道に続いている。
昨夜に止んだ雨ですこし地面が湿り気が残っているが、
よほど大きな水たまり以外は残っていない。

雲のかたまりから抜けた日が射すと、まるで子どもの何の屈託もない笑顔のように、
あたり一面がまぶしい。

木陰の乾いたベンチの上を軽く手で払うと、柊さんはわたし達に座るよううながした。
七重をまんなかに腰かけると、柊さんが顔を向けて、

古泉「小坂さん。あれから何か、困ってることはないか?」

サキ「大丈夫です。普通の日常に戻ったというか」

古泉「よかった。それが何よりだ。
   これからも『機関』の一員として、七重ちゃんのことを頼むよ」

サキ「はい……。あの、わたしと会っててもいいんですか。その……忙しいのに」


143: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:27:44.50 ID:cQX9e7Qho

柊さんは笑いながら、

古泉「何言ってる。森さんや僕、それに多丸さんたちは、
   『機関』での関係を外れたところじゃ、
   これからも君とは年の離れた友人としていたいんだが、駄目かい?」

サキ「いえ、こちらこそ皆さんのことが好きですから是非お願いしたいんです、ただ……」 
口を濁したわたしに、

古泉「そうそう、君にはまだ紹介してなかったけど、
   新川さんという、『機関』を引退した男性がいてね。
   今回のことを報告がてら君のことを話したら、とても会いたがってたよ」

サキ「そうですか……」

あれ? 新川さんって、確か。

古泉「そう。鶴屋家の執事の」

ああ、やっぱり。当主の鶴屋さんはおじさんおばさんと高校時代からの友達らしい。
涼宮家の家族旅行にわたしもご一緒する時があるけど、行き先はあちこちなれど、
宿はたいてい鶴屋さんが気前よく招いてくれた別荘だ。
そしてそんな時、決まって温厚そうな年配の男性のお世話になっていた、まさにその方だ。

もっと一番深く覚えてることがある。
この辺りには鶴屋家私有の山があるけど、子どものころ七重と勝手に遊びに入って、
道に迷っていたわたし達を、何故か探して見つけてくれたのも新川さんだ。

もうとっくに日も暮れてるのに、家まで送って帰ってくれて、
それぞれの親に叱られてるのをかばってくれた。
七重もきっとよく覚えてると思う。

森さんも柊さんも、新川さんも多丸さん兄弟も、みんな温かい目をしている。
あんな戦場をくぐり抜けてきた人ばかりだというのに、
それだけに染まらない優しく強い目をしている。


144: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:31:45.93 ID:cQX9e7Qho

わたしも新川さんに改めてご挨拶したい。でも……

思い切ってわたしは口を開いた。

サキ「柊さんや森さんはこれからも戦いつづけるんですよね。
   ……なんだか、わたしだけ抜け出したみたいで」

柊さんはわたしが話し終わるまで、静かに聞いていたが、
あのいつもの説明するときの、整然とした口調で話してくれた。

古泉「いや、僕らは今は天職だと思ってるし、
   もともと、これからも体が動くかぎりは続けていくつもりなんだよ。
   そして、皆君に感謝してる。
   それに君が力を失ったということは、その役目を果たしたんだと誇っていいことだ。
   我々にしてみれば、君がずっと力を持ち続けていることの方が心配なんだ。
   それは君がずっと危険の中へ飛び込んでいかなきゃならないってことだけじゃない。
   あの力を持った者が現れるということは、
   また涼宮一が神人を抑えきれない事態が起きる恐れがあることを、
   意味するのかもしれないから」

サキ「そんなものなんでしょうか」

古泉「森さんの言うとおり、
   全てのことには意味があるんだと思わされるところがあったからね。
   もっとも、今回は幸運に恵まれただけかもしれないけど、
   いずれにせよ、君が自分を責めることはないよ」

柊さんたちのほうが大変なのに。

サキ「そう言っていただけると……。ところで、一は今も戦ってるんですか」


145: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:35:48.53 ID:cQX9e7Qho

七重は兄の悪口は決して言わないし、
わたしには今閉鎖空間が発生しているか感じ取ることはできない。

古泉「戦いを続けてる。でも、以前に比べたら、我々に任せるようになったほうだよ」

やっぱり、あいつは時々、いや多分かなり家を留守にしてたのか。
わたしが行った時は取り繕ったように戻ってたんだな。

七重「でも、お兄ちゃん、前よりよく笑ったり話したりしてくれるようになったんだよ。
   おじいちゃんやおばあちゃんは、よく遊びにくる男の子だと思ってるけど、
   おじいちゃんの畑仕事を手伝ったり、
   おばあちゃんに世界中の旅したところの話をしたり。
   お父さんやお母さんとも、次はなるべくこの日にちに帰ってくるから、
   家族で何かしようとか……」

サキ「わたしは七重がいいなら。本来わたしが口出ししていいことでもないし。
   あいつなりに使命を帯びてやってるんだって、分かってる。
   ……あんたの兄貴は大した男よ」

七重が胸一杯、嬉しそうな顔を輝かせる。
七重がこうしている限り、わたしが誓いを果たすことはないだろう。
もう少し、この健気な妹に寂しい思いをさせないでくれればね。

古泉「しかし、今回のてん末を涼宮さんに報告したら怒られてしまってね」

頭をかきながら話す柊さん。

サキ「え、怒られた? 七重のお母さんに? 七重まで巻き込んだから?」

七重「ううん、そうじゃないの」

柊さんは川の方を見ながら答えた。

古泉「一くんのことでね。実は、涼宮さんからは前々から言われてたことなんだがね、
   一くんの力を、もっと人間同士のことに使うべきだと。
   何といっても一くんのお母さんだから」

確かに、宇宙から襲来する敵と戦うこと以外に、一が何かしてると聞いた覚えがない。
考えてみれば、スーパーマンのような、人助けにだって生かせそうな力を一は持っている。

サキ「でも、いつ現れるか分からない敵と戦いながらそうするのって、
   大変なんじゃないですか」


146: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:39:49.92 ID:cQX9e7Qho


柊さんは意外そうな目でわたしを見て言った。

古泉「……確かに。それだけじゃなく、色々な理由で、統合思念体や『機関』からは、
   今までは一くんに天蓋領域からの地球の防衛に専念するように求めてきて、
   そして一くんはそれに応えてきてたんだ。
   涼宮さんもしぶしぶながら了承する形でね」

サキ「じゃあ、今回のことでおばさん、それ見たことかだったんじゃないですか」

柊さんは痛いところを突かれたような笑顔を見せながら、

古泉「正にそのとおり。涼宮さんだけじゃなく、長門さんからもついに意見が出てきてね。
   我々もとうとう、一くんの意志に委ねることになってしまった。
   どうなることやら、とにかく森さん達の長年の苦労も水の泡だよ」

その割にどこか嬉しそうに見えるけど。
役割についての話で思い出したが前から気になってたことがある。

サキ「あの……突然ですけど柊さんって普段何してるんですか」

古泉「そう言えば今まで、話したことなかったな」

七重「ええ、二人とも……」

皆でおかしくて笑ってしまった。
確かに。何度もお会いしてるのにそれどころじゃなかったから。

古泉「大学で文化人類学を教えてる。
   それから、妻の家が神社なんだが、そこで神主の仕事も少々ね。
   まあ、ほとんど研究のための出張ってことで家を空けて、
   家族からは半ば呆れられてるけど。
   ……妻も娘達も理解してくれてるのは本当に有難いことだ」

柊さんに教わる学生は幸運だ。
それにしても、そんないい奥さんや娘さんたちを悲しませないでくださいね。

柊さんは苦笑して、

古泉「一くんから聞いたよ。ありがとう、めったなことでは無理はしないさ。
   でも、奥さんって呼び方は正確じゃないかもしれないな。
   小さいけれど町に弁護士事務所を開いて、
   彼女も家事と仕事で毎日忙しくしてるからね。
   娘達が曲がらずに育ってくれたのは、彼女のお陰だよ」


147: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:41:42.50 ID:cQX9e7Qho

森さんによると柊さんは子煩悩の愛妻家らしいから、『機関』の仕事の合間にも、
あのカギを使ってこっそりあちらの世界に戻ったりしているのかもしれない。

そうだ、カギで思い出した。

サキ「これ」

わたしはポケットからカギを取り出した。

サキ「長門さんにお返ししようとしたんですが、
  『いい』とか『わたしからのお礼』とかおっしゃって首を振るばかりで」

古泉「持ってればいいじゃないか。
   君の判断で使えばいいし、別にあの場所は利用してくれて構わないよ」

サキ「でも、落としたりしたら困るし」

古泉「君はそんなにおっちょこちょいには見えないけどね。
   そうそう、今度家に遊びに来てくれ。娘達は君達と同い年だし、
   きっと気が合うと思うよ」

七重「わたしもそう思う。時々しか会わないけど、
   双子ちゃんなのに全然性格が違ってて、でも二人ともすごくいい子だよ」

それは会ってみたいな。今度、うかがう時にわたしからお電話します。
じゃあ、そろそろ失礼します……



挨拶して見送り、わたし達も歩き出すと、七重が言った。

七重「ねえ、このまま北口まで歩いていかない?」

サキ「うーん、夕飯の買い物あるしなあ……」

七重「たまに北口で買ってもいいじゃない、帰りはバスで」

サキ「でもやっぱり歩くにはちょっと遠いよ……」

七重「じゃあ走ろうっ」

と駆け出す七重。

サキ「ええっ。なんでそうなるの!?」

わたしも走ってついていく。

まあでも、こんなことで騒げる日が戻ってきたことが素直に嬉しい。
北口駅辺りを二人でぶらっとするなんて随分久しぶりだ。

そう言えば、もうすぐ七夕。七重の誕生日だ。
あの「転入生」の子を誘って七重に内緒でプレゼントを探す、その下見にしようかな。

七重「サキ、何ニヤニヤしてるの?」

サキ「ううん、何でもないよ」


昨日降った雨の水たまりには、雲間から顔を出した太陽がキラキラ光っていた。




148: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/06/04(日) 16:49:31.90 ID:cQX9e7Qho

ここまで読んでくださってありがとうございました。レス感謝です。
このSSは「幸せな瞬間を詰め込みたい」と思いながら書いていました。
もしそんなひとときをお届けできたなら幸いです。




掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1494741419/
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