唯「たいふう!」
唯「ねぇ、あずにゃんあずにゃん」
梓「なんですか唯先輩?」
唯「あの子にもお父さんやお母さんがいたりするのかな?」
梓「台風一過ってそういう意味じゃないですから」
律(梓のヤツ、今のでよくわかったな・・・)
唯「あずにゃんあずにゃん!」
梓「はいはい、なんですか唯先輩?」
唯「台風の目ってあるよね!」
梓「まぁ、台風の中心部をそう呼びますね」
唯「台風って目が青いからきっとガイジンさんだねっ!」
梓「どんな発想ですか・・・。青いのは天気図の海の色ってだけですよ」
唯「陸地では緑色の目になるね~」
梓「はいはい。そうですねっ」
唯「ねぇねぇあずにゃん!」
梓「なんですか唯先輩?」
唯「『地震雷火事親父』って言葉あるよね?」
梓「ありますねぇ」
唯「その『親父』って『台風』のことだって説があるんだって!」
梓「あ、それなんか聞いたことあるかもしれません」
唯「やっぱり台風一家ってお父さんが居たんだね~」
梓「それは違うと思いますが・・・。確かに、台風は地震雷火事に並ぶ大変な災害ですもんね」
唯「ふふっ、台風が来たらたいふん(大変)ですなっ!」どやぁ
梓「・・・」
澪(親父ギャグだな)
律(親父ギャグだな)
紬(親父ギャグね)
台風にまつわる小ネタ3作でした
ちょっとクスっと来た
ほのぼの良いね
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1503782045/
Entry ⇒ 2017.08.31 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
唯「夢みる少女じゃいられない」
着信履歴は二時間前と一時間前の二件。LINEのメッセージも一件。
返信のスタンプを打とうとした途端、車内放送が流れ始めた。もう品川に着くみたい。降りなきゃ。
スマホをバックに押し込み、立ち上がって棚の上にある荷物を手に取る。
返事……まぁ、いいか。またあとで。
家族連れやカップルが多い。お盆休みの新幹線は、帰省や観光のための乗客でいっぱいだ。
三人掛けの真ん中の席しかとれなかったとはいえ、座れただけでも感謝感謝。
寝過ごして富士山を見られなかったことは残念無念。
LINEには仕事で待ち合わせに遅れる旨が送られていた。
それならわざわざ電話をかけ直して要件を確認しなくていいか。
ただ、二回も電話をかけてきていたことが気になった。
けど、仕事中だとしたら電話をするのも悪いかな。
相手の様子がわからず躊躇しているうちに、エスカレーターを上りきってしまった。
……まぁ、いいか。急用なら、またかけてくるっしょ。
歩いてくるわたしを見つけたムギちゃんは、笑顔で大きく手を振った。
わたしも大きく振り返し、改札を目指して駆け出す。
一歩を踏み出すたび、背中のリュックがぼんぼんと跳ねる。
息を切らして改札を抜けたわたしは、両手を広げてムギちゃんに抱きついた。
「唯ちゃーん! 待ってたよ~~!」
抱き合ったムギちゃんの身体は、相変わらずやわらかくてあったかい。
新幹線の冷房で冷え切った身体があったまる。
すん。あ、いい匂い。わたしの知らない、柑橘系の香り。
……ん? 周囲の視線を感じる。
あ、目立ってるかな。まぁ二十代後半、いい歳こいた女二人が公衆の面前で抱き合ってりゃねぇ。女子高生じゃあるまいし。
年齢にふさわしい行動。そんなことを考えるようになったのは大人になったからなのか。
TPOを考えろ? みっともない? うるさいよ。いいじゃん。だって大事な友達と、久々の再会なんだから。
そう、遠距離恋愛の恋人たちが、数ヶ月ぶりの再会を喜んでるみたいなもんだよ。
「ううん、わたしが唯ちゃんを呼んだんだし。それに唯ちゃんに早く会いたくって!」
と、ムギちゃんは言うけれど、わたしが心配だったに決まってる。
このわたしが、東京の電車を間違えずに乗りこなして目的地に着くなんて、できるわけがない。
…いや、これでも大人ですからね、ちゃんと調べりゃできなくはないんでしょうけどね、ムギちゃんに案内してもらう方がはるかに確実ですからね。言い訳じゃなくってね。
ムギちゃんは、大勢のひとごみの中をするすると進んで行く。
わたしひとりなら、ぶつかったり、まごついたり、ふらふらしてるうちに違うところに行っちゃいそう。
ふたつみっつと路線を乗り換え、わたし達は電車に揺られ続けた。
車内から聞こえる会話のイントネーション、駅に着くたびに流れる発車メロディ、車窓に流れる景色。どれも馴染みがなくて、旅行に来たんだと実感する。
ぺらぺらとおしゃべりしながら、ムギちゃんに手を引かれて電車を降りる。
SF映画の地下要塞みたいに長いホームを歩き、どれだけ登るんだと不思議なくらい長いエスカレーターを上り、さらにまた電車に乗って…、目的の駅に着くと、もう空は真っ暗だった。
七年も住んでいればね、とムギちゃんはこともなげに笑った。
「そーいや、りっちゃんどうしたの?」
「あれ? LINEきてなかった?」
「ん…どうだったかな」
「仕事で遅れるって。先に始めてくれていいって」
「そっか」
七年、か。
りっちゃんがこっちに来てからは三年。時の流れって早いね。
肩を過ぎるくらいまで伸ばした髪に、軽くパーマをあてたりっちゃんは、ごめんごめん、と手刀を切りながら席に座り、手をあげて店員さんを呼び止めると、笑顔で生中をひとつ、注文した。
「唯、久しぶりなのにごめんな、遅れて」
「いいよ~ん。その代わり、ここの払い、よろしくね♪」
「オイ。会って早々それか」
「りっちゃん、休日出勤お疲れさま。相変わらず仕事、忙しそうね」
「んーまぁ、ぼちぼち、かなぁ」
そう言って、ニッと歯を見せて笑った。
とりあえず元気そうで安心。わたしも、ニッと歯を見せて笑う。
それを見たムギちゃんも真似をして、ニッと笑った。
「年末に会ったじゃん」
りっちゃんの生中がやってきた。ジョッキを掲げ、三人でもう一度、乾杯をする。
「そっかそうだったな。あのときは全員揃ってたっけ?」
「年末は梓ちゃんがいなかったから…みんなで集まってのはその前の年の年末ね」
そう言って一気にジョッキを傾けて残りを飲み干すと、ムギちゃんは耳に沿わせてピンとまっすぐ手を伸ばし、店員さんを呼んだ。あ、ついでわたしも注文いいかな? だし巻き、あります? え、ないの? だし巻きだよ、だし巻き。ありふれたメニューなのに…まぁいいか。
「しょうがないよ、りっちゃん。結婚したり、子供できたりしたらさ。カテイノジジョーってやつだよ」
「家庭の事情、ねぇ」
りっちゃんは枝豆の殻を放り投げながらため息をついた。
「そうねぇ、でもまたみんなで旅行、行きたいね」
「そうだねぇ。ベタだけど南の島とか行きたいな。スキューバやってみたい! りっちゃんは?」
「わたしは熱海とかでいいや」
「………りっちゃん、しょっぱいね、しみったれてるね、夢がないね、老けたね」
「うっせー。いいとこだぞ? 熱海も。ムギは? どっか行きたいとこある?」
「わたしもいいと思うよ、熱海」
「まー、ムギちゃんがそう言うなら」
「…対応が違いすぎ」
「えー、だってりっちゃんだし」
「ふふ、みんないっしょなら、きっとどこでもたのしいよ」
すこし寂しそうに言いながらも、ムギちゃんはやってきた店員さんに熱燗を頼んでいた。
さすがに就職先まで同じ、というわけにもいかず、高校大学とそれまでずっと一緒だったわたし達にようやく別れの季節がやってきた。
澪ちゃんは大阪、ムギちゃんは東京。わたしとりっちゃんは地元…だったけど転勤次第ではどうなるかわかんない。まだ大学生だったあずにゃんだって、就活の結果どうなるのかわかんない。
だからわたし達はひとつ約束をした。
“毎年一度は五人全員で集まって、旅行しよう”
それをたのしみにがんばろう、って。
レンタカー借りて温泉に行ったり、海に行ったり、スキーに行ったり。
社会人になったのをいいことに、ここぞとばかりに溜め込んだ小銭を大放出して。
離れていても、わたし達は会えばすぐに、あの頃に戻れる。
本当に不思議なんだけど、まるでタイムスリップしたみたいに、部室でお茶飲んでダラけてた気持ちにそのまま戻っちゃう。
毎日遅くまで働いて、たくさん失敗して、こっぴどく怒られて、へとへとになって家に帰ってまた朝早く起きて出勤して。その繰り返しで溜まり溜まった疲れも、みんなで集まって笑って話せば、全部嘘のように消えてなくなった。
働き始めて、離れ離れになって、学生時代とは違っていても、わたしは何も変わらない。
肌はみずみずしさを失って、ついに体重が増え始め、いやでも年齢を感じるようになってきても、気持ちや関係性は何にも変わらない。
ささいなことでいちいち連絡を取り合ったりは、しなくなったけれど、肝心な部分は何も。だよね?
軟骨のからあげを頬張りつつ、わたしが尋ねる。
「その前に梓ちゃんの結婚式よ」
お銚子を傾けつつムギちゃんが答えると、
「そうだったそうだった」
と、目の前に置かれたノドグロに目を輝かせながら、りっちゃんはおおげさに頷いてみせた。
「唯のじゃない、っての。しっかし最近、ウチの職場でも結婚ラッシュでさぁ…」
「りっちゃんとこも? わたしも先月三回も結婚式に出たからさ、財布カラッカラ…」
「わたし達、先輩なのに先越されちゃったねぇ…」
「ムギちゃんはその気になれば大丈夫だよ、かわいいから」
「…えへ、ありがと。唯ちゃんだってすっごくかわいいわ!」
「ありがとー! そんなこと言ってくれるのムギちゃんだけだよぉ!」
「そうなの?? 唯ちゃん、すっっごくかわいいのに!! すっごくすっごく!!」
「んもぅ…ムギちゃんってばぁ褒めすぎ! ムギちゃんのかわいさだってすんごいよ!」
「ううん、唯ちゃんのほうがかわいい!」
「そんなことないって! ムギちゃんのほうがかわいい!」
「唯ちゃんのほうがかわいい!」
「ムギちゃんのほうがかわいい!」
「唯ちゃん!」
「ムギちゃん!」
「…………お前ら、自分で言ってて悲しくならないか?」
ほらー人生、長いんだから。それにけいおん部的にも独身勢が人数優勢! いえーい!」
わたしがムダに大きな声をあげてグラスを掲げると、ムギちゃんもそれに合わせてグラスを掲げた。
りっちゃんは顔をため息をついて呆れたように笑い、申し訳程度にグラスを掲げ、乾杯をした。
勤め先の銀行で、新入社員だった頃の教育係だった先輩と。
結婚式で流すため、わざわざ桜高の生徒会室を訪れて伝説のライブビデオを借り、編集した映像を披露宴で流したのはいい思い出。
そのあとの二次会で花嫁の鉄拳が、りっちゃんの頭上に炸裂にしたのは言うまでもない。
夏、高原、星がきれいだった。それが最後。
その旅行のあとすぐ、りっちゃんが転勤になり、年の瀬には澪ちゃんに赤ちゃんができた。
明くる年の三月、年度末を機に、あずにゃんは仕事を辞めて専門学校に入り直した。
ずっと同じ職場にい続けたわたしも、キャリアを重なれば役職もついて、だんだん忙しくもなるわけで。
ばたばたと騒がしい毎日に追われて五人で全員での旅行は簡単にできなくなった。
それでも年末は大抵みんな桜が丘に帰ってきていたし、落ち着けばまた、どっか行きたいね、ってそう話してた。
本当は今回の東京行き、澪ちゃんあずにゃんにも声をかけていたんだけどね。
家庭の事情や仕事の都合ばっかりは、どうしようもない。どうしようもないけど……まぁ、いいか。
「おい、聞いてるか?」
「んあ? 聞いてるよぉ」
「唯…酔ってる?」
「こんくらいで酔うわけないじゃん。まだ生中三杯とカシスオレンジに白ワインに日本酒…」
「はいはい。もういーから。熱い茶飲め。熱い茶」
いつのまにやら目の前に置かれている湯呑を手に取り、じっと見入る。
茶色の液体に映ったわたしの顔が、ゆらゆらと揺れていた。
「どうしたの唯ちゃん」
「わたし達、黒髪ストレートロングにしたら、結婚できちゃったりして」
「なに言ってんだ、唯」
「ハクバノ王子サマは、黒髪ストレートロングのオヒメサマしか、迎えにこないのです。なんちゃって」
「ア ホ」
りっちゃんは口を大きくあけ、呆れたようにそう言った。
「そうでもないだろ、ほら。憂ちゃん」
「憂は特別だよー、憂だよ? 憂」
「それもそうね」
ムギちゃんは然もありなん、と頷いて焼酎ロックをぐびぐびやっている。
空になったグラスの氷を鳴らしながら、ムギちゃんは生真面目に言う。
「それじゃ結婚できないわたしたちは、中身がくだらないってこと?」
通りがかった店員さんを呼び止め、ムギちゃんの分と合わせてウイスキーを二つ注文する。
ロックにするか、水割りにするかで5分ほど悩み、ムギちゃんに合わせてロックにする。
ご注文入りましたー!! …やたらと大きな声で返事をされて、ちょっとうっとうしい。
「ごめんごめん、くだらない冗談だよ」
「そうそう。くだらない冗談。くだらないくだらない」
その場をおさめるようにりっちゃんは軽口を叩き、中身が残りわずかとなったグラスを持ち上げた。
「くだらないくだらない♪」
一休さんの調子でわたしも呟くと、「くだらないくだらない♪」とムギちゃんもそれに続き、わたし達三人はグラスを掲げてかちん、と乾杯をやり直した。
「なぁ~にを言ってんのさっ、りっちゃんのくせにぃ。そんなこと言えた立場じゃないでしょうがっ」
含み笑い。
りっちゃんは黙ったままニヤニヤと笑う。うげー、りっちゃんキモいっす。
「オイ、ひくな」
「ひくよ。だってキモいし」
「キモいとか言うんじゃねーっ」
「キモいっすりっちゃん隊員。そんなんじゃ一生結婚なんてムリだと思いまっす」
またしても含み笑い。
りっちゃん酔ってる? それにしてもヒドくない? ちょっと会わないうちに頭おかしくなった?
「だからひくな、ってば」
「ひくよぉ……だってキモいもん。正直、完全に酔い冷めちゃったよ………」
「りっちゃん。焦らさないではっきり言ったら? 唯ちゃん、りっちゃんはね…」
たまりかねたのか、ムギちゃんが口を挟む。
こういうのはね。ちゃーんと事実を突きつけてあげないといけないの。
そうしてあげないとね、事実を認識できないでしょ?
どーゆー行為が“キモい”のか、しっかりわからせてあげるのがりっちゃんのためなんだよ……うん」
「えーっと…な、」
コホン。
いかにもわたしを見ろとばかりに、りっちゃんが咳をした。
なにさ? ほら、聞いてあげるからさっさと言いなよ。どーせくだらないことなんでしょ。
「唯、わたし、な……」
ほらほら。もったいぶったりしないの。
「えーっと……」
さっさと言いなよ。もう。はっきりしないなぁ。
わたしはグラスを手に取り、口につけた。
「わたしも、結婚……しちゃうかもしんない」
ウイスキーが喉をすり抜けた瞬間、焼けるような感覚が全身を貫いた。
ほーら、やっぱり。たいしたことない話じゃん。
あんなにもったいぶっちゃってさ。バッカみたい。
……バッカみたい。
そのあとトイレでしこたま吐く。
どれくらいこもっていたんだろう。便器から顔をあげてよろよろと立ち上がり、スマホを取り出す。
りっちゃんからのLINEと着歴。また気がつかなかった。もう店を出るけど大丈夫か、って。
スマホの電池が残り少ないし、返事をする余力もない。
だいたい、心配なら様子を見にきてくれりゃいいのに。…と思ったら扉をノックされて声が聞こえた。
もしかして、ずっとそこにいたのかな。声をかけてもノックしてもわたしが気づかないから電話したのかな。
唯隊員、無事生還しましたっ! ……バッカみたい。
りっちゃんは眉を八の字にして、呆れたように笑った。
東京の夜は心なしか、涼しく感じる。
四方を山に囲まれたわたし達の町と違い、真夏とはいえ夜になると少しひやりとする。
都会の空は星が見えない、という先入観があったけれど、そうでもない。
鮮やかな星空、とはいかないものの、全然見えないわけでもない。ってやつ。普通。
「唯、ホテルどこだっけ?」
「なに言ってんの。りっちゃんち泊まるって言ったじゃん!」
「ありゃ? そうだっけか?」
唯ちゃん、飲む? ムギちゃんがアクエリアスを差し出した。夜道に自販機が明るく光っている。
わたし、どっちかっていうとポカリのほうが…まぁいいか。好意を無下にはできません。
りっちゃんはわたし達から少し離れて誰かに電話し始めた。
眩しい自販機の逆光が、りっちゃんの全身を黒く塗りつぶす。
平気だよ。ムギちゃんこそ、平気なの?
わたしも平気。
ほんのりと桃色に染まった頬で、ムギちゃんは答えた。
唯ちゃん、肩貸すよ?
んー、もう大丈夫。
じゃあせめて、手をつながない?
えー、いい歳して?
いいじゃない。それにほら、知らないところで夜にはぐれたら、大変でしょ? ね?
ムギちゃんは返事を待たず、わたしの右手をつよく握った。
その手が予想外に冷たかったのは、きっとさっきまでアクエリアスを握っていたから……そのはず。
仲いいなー、おまえら。
そうだよ、わたし達、なかよしだよ!
そうよ、でもりっちゃんは仲間に入れてあげないんだから!
そうそう、りっちゃんとは手ぇ繋いであげないもんねー! ねーっ、ムギちゃん!
うんうん、りっちゃんとは繋いであげないんだから! ねーっ、唯ちゃん!
おまえら、バッカだなぁ。
そう言って、りっちゃんはとても楽しそうに、お腹を抱えて笑った。
改札を抜けた後も、ムギちゃんは二回三回と振り返っては手を振り、一度姿が見えなくなってからもひょっこりと顔を出して手を振った。
そうこうしてる間に終電がホームへ滑り込む音が響き、ムギちゃんは最後に“また明日ねー!”と慌てた様子の大声で別れを告げ、駆け出した。
ふたりきり、残されたわたしたち。
「歩けるか?」
わたしはりっちゃんの方を向かずに無言で頷いた。
どんなに酔っていたって、りっちゃん隊員なんかにゃ頼りませんよ。
さっき言ったでしょうが。りっちゃんとは手ぇ繋がない、って。
飲みたかったピルクルは置いてなくて、しかたなしに飲むヨーグルトで我慢。…まぁいいか。
店を出てすぐの郵便ポストがあるところを折れて細い路地に入る。
路地を抜けると住宅街。しばらく行くと川にぶつかった。
膝丈くらいの高さのガードレールの、不恰好にへしゃげている部分にいくつか花が手向けられていた。
そのまま川に沿って歩き、二つ目の小さな橋を渡る。
橋のたもとには桜の木が立派に枝を伸ばしていて、その真下はゴミ捨て場になっていた。
すぐそばの電柱に監視カメラのようなものがつけられているのを見つけて思わず目を背ける。
駅から徒歩五分、という道程も、知らない街を歩くと随分長く感じるから不思議だ。
ただ想像していたのとは随分とちがう。
「案外、普通だね、東京も」
「なにが?」
道路を颯爽と走る高級車。
道ゆくは世界の最先端をゆくビジネスマン、
振り向けば誰もが知る芸能人……
さすがそこまでいかなくても、もうちょっとその…ねぇ?
東京東京してると思ってたっつーか…桜が丘と大差ないじゃないの? ここ。
「あのな。東京、つってもいろいろあるの。どこもかしこも高いビルが建ってて、高級車が走りまくってて、芸能人がうじゃうじゃ歩いてるわけねーだろ」
…幼稚な頭の中を覗かれたようで、ムッとなる。
「さ、さすがにわたしもそこまでは思ってないよっ!」
「それにここはほとんど埼玉だからな」
「えっ、ここ埼玉なの?」
「いや、地図上は東京都だ」
「へぇ。じゃあ胸張って東京都民、って言えるわけだ」
「まぁ……一応」
無い胸張っても意味ないよ。
わたしは心の中で毒づいた。
玄関口で出迎えてくれたのは赤べこの張り子人形。
リビングに入ると、部屋の隅にいくつか積み上げられた空き缶が目に入る。
ソファの上にはファッション誌や音楽誌が数冊。最近出たばかりの新刊のマンガ本も。
すこしくすんだ黄色のカーテン、壁に貼られたミュージシャンのポスター、本棚の上に寝っ転がっているスポンジボブみたいなよくわかんないぬいぐるみ。そのいくつかになんとなく見覚えがある。
住む場所は違っても、りっちゃんの実家や大学時代の寮の部屋に雰囲気が似ている。住んでる人間が同じなのだから当然か。
初めて来るのに気兼ねのいらないかんじで助かる。おしゃれなデザイナーズマンションとか、几帳面に整理整頓が行き届いている部屋よりよっぽど居心地がいい。
学生時代と違う点をあげるとしたら、ほんのりタバコに匂いがすることくらい。
居酒屋でそんな様子は見せなかったけれど、りっちゃんも吸うようになったのかな。
テーブルの隅には所在なさげにライターと灰皿が乗っかっていた。
おっ、そうだ。電池残量少ないんだった。さっさと充電させてもらお。
「ん、どしたー」
「やばい…充電器忘れたっぽい」
バッグの中身を漁っても漁っても出てこない。
電池が5%を切っている。しまったなぁ、コンビニでモバイルバッテリー買ってこりゃよかった。
「唯、iPhoneだっけ? わたしのiPodの充電器貸すよ」
「わるいね」
充電器を借りてコンセントにつきさす。
ぴぴぴ、と電子音が聞こえて何かと思ったらお風呂が湧いたそうな。好意に甘えて先にお風呂をいただく。
いつもと違うシャンプーを使うと、髪がキシキシ言って調子が悪いけれど、ゼイタクは言えない。まぁいいか。
髪を乾かしてリビングに戻ると、りっちゃんはソファの上に猫のようにまるまっていびきをかいていた。ゆさゆさと揺すって呼びかけても起きる様子がない。
今日も仕事だったみたいだし、随分と疲れていたんだ。
わざわざ時間をとって呼びつけてしまったことも、約束していたとはいえ部屋に押しかけてしまったことも、申し訳ない気持ちになり、わたしはりっちゃんの髪を撫でた。
静かな室内にすぅすぅと寝息だけが聞こえる。
夏用の毛布かブランケットくらいあるだろうと、灯をつけて室内を見渡し、一二歩踏み出したところでわたしは足を止めた。机の上、閉じられたノートパソコンの横に飾られた写真立て。
わたしはきゅっと口を結び、視線をそっちに向けないようにしながらベッドの上にくしゃくしゃっと捨て置かれたブランケットを手に取り、早々に灯を消して部屋を出た。
気持ちよさそうに眠るりっちゃんにブランケットをかけてあげると、ライターと灰皿を手に取り、リビングの灯を消してベランダに出た。
川から吹き上がる夜風が気持ちいい。
ふぅ、と息を吐くと白い煙が風に乗って流れた。
見上げた夜空にまばらな星が散らばっている。ひさしぶりに満天の星空を眺めてみたい。そう思った。
三年前の夏。
五人で行った最後の旅行。旅先は神鍋高原。
二泊三日の最終日、しこたまお酒を飲んで乱痴気騒ぎがひと段落した頃、部屋の片隅に置かれた古い振り子時計の針は、午前二時を指していた。
お酒に強くない澪ちゃんとあずにゃんは早々にリタイアしてとっくに布団の中。
最後の最後まで付き合ってくれてたムギちゃんはお酒に強くても睡魔に弱くって、からっぽの一升瓶を抱いたまま机に突っ伏してしまい、りっちゃんとわたしで担いでベッドに連れて行った。
『いんや。まだまだいけるぜ』
『さっすがりっちゃんだね。じゃあもうちょっと飲む?』
『うーん、それもいいけど…ちょっと散歩でもしねぇ?』
とっくに閉まっていた旅館の玄関の自動ドアをこじ開け、わたし達は外へ出た。
高原の冷たい夜の空気が、酔った肌にきもちいい。
見上げた夜空には、信じられないくらいの星が存在していた。
高三の夏に夏フェスで見た夜空もすごかったけど、ここもぜんっぜん負けてない。
これがもし本当の星空なんだとしたら、わたし達が毎日見てる空はなんなんだろう。
わたし達、見てるつもりで何にも見てない、ってこと?
すっげーっ!、と声をあげたりっちゃんが駆け出した。わたしも慌てて追いかける。
『行こうぜっ』
前を行くりっちゃんが振り向いてわたしに手を伸ばす。その手を掴み、ふたり、走り出した。
わたし達は走った。夢中で走った。さっきまでしこたまアルコールを飲みまくってたことも忘れて走った。
こんなに時間に車が来るわけないし、道は広くてぶつかるものもない。
わたし達を邪魔するものは何もなかった。
360℃見渡す限りの星空。どれが何座?なーんて全く知識はないけれど、そんなことお構いなしに圧倒されるその迫力。
普段は人工の光に隠されて見えない星達も、本当はこんなにたくさん存在してるんだ。
いまのうちに存分に記憶に焼き付けておこう。
あ~、きっと天文に詳しかったらもっと感動したんだろうなぁ~、もっと勉強しときゃよかった。
『ねぇ、りっちゃん。“夏の大三角”ってどこ?』
『ん~~~とだな……。わからんっ! 星座なんてまったくわからんっ! とにかく綺麗! 以上!』
『やっぱりでしたか…りっちゃん隊員。聞いたわたしがバカだったよ…』
『なにィ! じゃあ唯隊員っ、お前はひとつでも知ってる星座あるのかよっ!』
『知ってたら聞いてないよ、おバカだね。りっちゃんだってどーせ知ってる星座なんてひとっつもないんでしょ?』
『あるわい!』
『うっそだぁ~、じゃあ言ってみそ』
『お、おりおんざ……』
『じゃあ、差してみて』
『………』
『ほら、やっぱうそじゃん』
『ち、ちがくて……オリオン座は冬の星座だから……』
『…………ごめん』
『やめろ! 謝られると余計みじめになる!』
そうやってふたり、星空に見とれながらもバカ話。
りっちゃんがぼそっと、わたしに尋ねた。
『んーん。ない』
わたしは星空を眺めたまま左右に首を振った。
『わたしもない。でもさ、こんだけ星あったら今見れそうじゃね?』
『あー、そうだね。じゃあねがいごとしなきゃ!』
左右に視線を泳がせながら、一層集中して星空に見入る。
『流れる切るうちに三回唱えるんだぞ。見つけてからじゃ遅いから、あらかじめ考えておけよ』
『んーとんーと……ねがいごとねがいごと……』
んんんーっ、そう言われてもいざとなるとなかなか出てこない。
そうこうしてるうちに流れ星を見逃したら一大事、と星空に集中すれば、ねがいごとを考えられず、ねがいごとに思考を向ければ、星空への集中がおろそかになる。
あー、もー! どうすればいいのさっ!
『ええっ! どこどこ!?』
『あそこらへん。もう流れちゃった』
『そんなぁ~……わたしねがいごとしてないよぉ』
『へへーん! わたしはしたぞっ、三回ちゃんと唱えたっ』
『うそじゃん。黙ってたじゃん!』
『バーカ。心の中で唱えればいいの』
『じゃあなにおねがいしたの?』
『ナイショ』
『いいじゃん教えてくれても。りっちゃんのケーチ』
『あのなぁ、言うだろ? ねがいごとは口に出しちゃ…って』
『知らないよそんなの。あれでしょ? どーせ、彼氏できますように。とかでしょ』
『ち、ちがわい!』
『はーいはい。ステキなカレシできるといいね。ま、できてもまたすぐ別れちゃうだろーけど』
『うっせー! お前だって人のこと言えねーだろがっ!』
でも一番はじめに失恋したのもわたしだった。
男の子ってわかんない。
付き合ってくれ、って向こうから言ってきたから、まぁいっか別にキライじゃないし、仕方なしOKすると飛び上がるくらい喜ぶくせに、
数ヶ月もすれば「ごめん、好きな人ができた。キミはひとりでも大丈夫だと思うから」って言ってくる。
なぁ~にが「ひとりでも大丈夫」だ。ちょっぴり恋愛ごっこしたくらいでわたしのことわかったふりするんじゃないよ。まぁ彼氏なんていなくても平気なのはその通りだけどさ。
わたしにはじめて恋人と言える存在ができた一週間後、追いかけて来るように恋人を作ったのはりっちゃんだ。
元気で明るくて楽しいりっちゃんは意外にモテた。意外、にね。りっちゃんのクセにモテるとかナマイキだ。
それでりっちゃんの恋の行き先はというと…それがわたしと同じなのだ。モテて告白されて、一応は付き合うも長続きしない。
わたしと違うのは、りっちゃんの場合フラれるんじゃなくて自分からフっていることが多い、ということだった。
フラれたフラれたって言ってるからそうなのかと思いきや、実は自分でフってた、なんて。
理由を聞いても曖昧にごまかすばっかりで、いつだって別れた理由を教えてくれない。
そのくせわたしに新しく彼氏ができると、りっちゃんも対抗するようにすぐ彼氏を作る。
わたしが別れれば、りっちゃんも別れる。
はぁ~~?? そんなわけあるかっ!
じゃあわたしの真似しないでよ。
真似なんかしてねーっつーの!
なぁんだ。たんにフラれただけかぁ。
フラれたのは唯もだろーが。
わたしはいーの。別に彼氏なんかいなくったって。
わたしだって、別に彼氏なんかいらねーし。
ほんとぉ?
ほんと!
あ、そ。
イミわかんない。りっちゃんさぁ、一体何がしたいわけ?
だから、恋バナはそれなりに盛り上がるけれど今ひとつパッとせず、どっかにいい男いないかねぇーとか、発泡酒を飲みながら叫びつつ、実際のところ本気ではなくてお酒のつまみにしてるだけ。
だって別に男なんていなくて毎日楽しいし。まぁいいか、と思って暮らしていた。
その頃は恋愛と将来を結びつくなんて、想像もできなかった。
結婚なんて遥か未来の話だと思っていたし、いつか自分にもそういう人生の決断を迫られる日が来るとしてもそれはずっと先の話だし、そのときはそのときでどうにかなるだろうとぼんやり思っていた。
そういうメンタリティは30歳に手が届く今になってもあんまり変わっていない。
いつか、そのうち、なんとかなるでしょ。まぁいいか。気持ちは未だ、女子大生。
そう言ってわたしはりっちゃんに覆いかぶさった。
わたし達はずっと星空を眺めたまま話していたから、このときはじめて目と目が合った。次の瞬間、りっちゃんが目を瞑る。
なにがそんな恥ずかしいのか、大抵のこっぱずかしい恋バナもつまびらかに語り尽くしてきた間柄で何を恥ずかしがる必要があると言うのか。
目をつむったままりっちゃんはプイと顔を背けた。
言えないってことは…えっちなおねがい? まさか。奥手な澪ちゃんには話せない、下世話な話だってわたしにはしてきたじゃん。
わたしは左手はアスファルトに押し付けたまま、右手でりっちゃんの頬を掴んで向き直らせると、閉じたままの瞳に息を吹きかけ顔を寄せた。わたしの前髪がりっちゃんの額にかかる。
りっちゃんが瞼を開いた。たったそれだけのことなのに、どうしてかわたしは気圧されて思わず顔を上げた。
一瞬の隙を見逃さず、りっちゃんがわたしの両肩を掴み、ごろん、とふたりの身体が転がる。今度はわたしが下になった。
『知りたい?』
りっちゃんの吐息が頬にかかる。さらさらの前髪が揺れる。
わたしはゆっくり頷いた。ほんのりとアルコールの匂いが漂う。りっちゃん、まだ酔ってる?
『でも口に出したら叶わない……んでしょ?』
『口に出さなくても教えられるよ』
そう言って、りっちゃんはわたしにキスをした。
りっちゃんが東京に転勤になったのはそのすぐあとだった。
あれから三年、わたしにも彼氏はいない。
理由なんてない。相変わらずまわりにロクな男がいなかっただけ。
彼氏なんかいなくても、毎日充実してたし、困ることなんてなんにもないだけ。
まぁいいか、作んなくても…って。
わたしが彼氏を作らないんだから、りっちゃんも彼氏を作らなかった。
少なくともそういう話は聞かなかった。それまで通り、何も変わらず。
色恋沙汰に縁遠くなっちゃたもんだからさ、恋バナ、全然しなくなって。
とはいえわたしとりっちゃんの間で気を使うなんてことは一切なかったから、別に話題に困んなかったわけで。変わらずくだらない話で笑いあって…。
ただあの日のことはお互い一切、触れようとしなかった。
近くにいようが遠くに行こうが、会えばいつだってわたし達は相変わらずだったし、それはこれからさきもずっと変わんないと思ってて。
わたしはわたし。りっちゃんはりっちゃん。
何も変わらないと思ってた。
びっくりしたよ。
りっちゃんがわたしより先に彼氏を作るのだって、はじめてのはずなのにさ、いきなりだよ?
結婚、なんて。
ベランダから戻ると、ソファで眠るりっちゃんがブランケットを跳ね飛ばしていた。
仕方ないなぁ、もう。掛け直してあげますよ、と。
大きな窓いっぱいに月明かりが室内に射し込む。
すやすやと眠り続けるりっちゃんが、少女のように微笑んだ。
どんな夢、見ているんだろ。
わたしはあの日と同じようにりっちゃんの頬を掴むと、瞳に息を吹きかけ、顔を寄せた。
前髪がりっちゃんの額にかかる。
……バカみたい。
顔をあげ、りっちゃんの髪を手に取る。
パーマ、似合ってないよ。ヘン。前のほうが、好きだった。
わたしはりっちゃんから距離をとって座り直し、瞳を閉じた。
りっちゃんのスマホが鳴り出したのは、もたもたしていたわたしがようやく靴紐を結び終えたタイミングだった。
ゆ~い~はぁ~やくしろよぅ~、なんて欠伸混じりの間抜け声を出していたりっちゃんは、ディスプレイを見て顔色を変えると「はい、田井中です」とハリのある声で名乗り、電話に出た。
「後輩ちゃんがミスったらしくて納品先に付いてかなきゃいけなくなったんだって」
「納品先? どこなの?」
「大阪。転勤前にりっちゃんが担当してたとこ」
「そう…大変ね。夜には合流、できるかしら」
高さ150mの展望台から東京の街並みを眺めつつ、ムギちゃんは呟くように言った。
そもそも、りっちゃんムギちゃんがいるから遊びに来たわけで、二人と一緒なら別にどこに行ったってよかったし、極端に言えば一日りっちゃんちに三人集まってダベってゲームやってるだけでも一向に構いやしなかった。
裏を返せば、りっちゃんがいない時点でどこに行っても満たされない。
行き先に選んだのは…東京タワー。ムギちゃんのお気に入り。
りっちゃんがこっちに引っ越してきたとき、はじめて二人で行ったのもね、東京タワーだったの。
ムギちゃんは言った。
スカイツリーも興味あったんだけどな。まぁいいか。人も多そうだし。
むしろ、猫も杓子もスカイツリーなご時世だからこそ、オンコチシンっていうか…これ、意味あってる?
「そうねぇ…」
「りっちゃんち、ってどっちのほう?」
「えーっとね…あっちね」
「ムギちゃんちは?」
「向こうよ」
「ありゃ? 逆方向?」
「そうね。わたしの住んでるところは、神奈川寄りだから」
「ふぅん。りっちゃんちまで、電車でどのくらい?」
「一時間ちょっとくらいかな」
「結構とおいね」
「そうね。意外と広いのよ。東京も」
「じゃあ、偶然会ったりとか、ないの?」
「会えたら、素敵なんだけどね」
ムギちゃんは残念そうに笑った。
万に一つはそうそうにない。あれば奇跡。それは運命?
そういえば、りっちゃんの彼氏とやらはどこに住んでるのかな。ムギちゃん、知ってるのかな。
気になったけど、聞けなかった。…まぁいいか。
タワーを出た後はムギちゃんにくっついてあちこち巡り、晩ごはんはムギちゃんが予約を入れてくれていたレストランへ。
予約の30分前に、りっちゃんからムギちゃん宛にLINE。
納品した商品を全品検品させられることになり、最終の新幹線に間に合うかどうかもわからない、とのこと。
そんなに時間がかかるならもっと早く連絡してよ、てゆーか、わたしには謝罪はないわけ?と思ってたらわたしにも連絡きてた。またしても返信できず。…ごめんよ、と心の中で頭を下げる。
ムギちゃんのLINEを覗き見すると、ブサイクな顔した猫のスタンプを送っていた。
すぐさまりっちゃんからはブサイクな犬のスタンプが返ってくる。仕事しろっちゅーの。
ムギちゃんはブサイクな犬をいたく気に入った様子で、かわいい、を四度連呼。
わたしも大概だと自覚しているけれど、ムギちゃんの趣味も相当変わっている。
はじめて食する耳馴染みのない名前のメニューの数々は、上等すぎたのか、おいしいのかどうなのかよくわかんなかった。
りっちゃん、晩ごはん、ちゃんと食べられたのかな。
たこ焼き? おこのみ焼き? それも悪くないね。チープな味が恋しくなる。
「ここ、りっちゃんと来たこと、ある?」
「二、三回来たかしら?」
「へー、よくふたりで会ったりする?」
「…うん」
お互いの家にお泊まりしたりもしてるよ。
こないだはね、ウチでたこ焼きパーティーしたの!
りっちゃん、たこ焼き作るのうまくって、すごいのよ? くるっくるって!
わたしはね、はじめはうまくひっくり返せなくてぐちゃぐちゃにしちゃってたの。
でもねでもね! りっちゃんに教えてもらったから、最後のほうは上手に作れるようになったのよ!
…と、赤ワイン片手に持ったムギちゃんは、はしゃぐように言った。
ふぅん。仲良いんだね。
よかったじゃん、りっちゃん。
急な予定変更も、ムギちゃんは嫌な顔ひとつせず…むしろ大喜び。わたしもとても嬉しい。
「ほんとはね、はじめからウチにも遊びにきてほしいって思ってたの!」
眉毛がぴくぴくと跳ねるように動く。
前に東京に遊びに来たときにもムギちゃんちに泊まらせてもらったなぁー。
そのころまだりっちゃんはこっちに来てなかった。
ムギちゃんは東京に来てからずっと同じところに住んでいる。
駅からはマンションまで、歩いて二十分ほどかかる、少し不便だ。
でも近くに商店街があるからなんでも揃うし、緑が多いからお散歩も楽しいし、それに慣れちゃったから引っ越す気になれなくて、ムギちゃんは言った。
ムギちゃんが力強くペダルを踏み、ぐんぐんスピードを上げる。自転車は夜の街を駆けて行く。
途中、ファミマに寄って冷凍ピザを買う。
冷凍たこ焼きとどっちにしようか迷って、ムギちゃんの意見を聞いて決めた。
豪勢なディナーのあとに、チープなものが食べたく心理って不思議。
またしてもピルクルは売り切れ。…まぁいいか。飲み物は諦める。
コンビニを出て隣のツタヤに入り、DVDを一本借りる。笑えそうなやつをセレクト。
ムギちゃんは案外お笑いに詳しい。りっちゃんと二人でルミネに行ったこともあるって。
そこから五分ほど歩いてマンションへ。
膝はガクガク、呼吸はぜーぜー、運動不足の身体にこたえる……ムギちゃんは息一つ乱さず、鼻歌を歌っている。ジムに通ってるのかな? わたしもちょっと考えよう。
ムギちゃんの部屋は703号室。カードをかざすと、うぃーん、と音を立てて解錠された。
へぇ、こういうとこは新しいもんなんだ。セキュリティは大事だもんね。感心する。
扉を開くとふわっと煙くささが鼻をかすめる。ああ…蚊取り線香の匂い。
室内はこだわりの畳敷き。もとはフローリングだったのをわざわざ畳を持ち込んだと言う徹底ぶり。
寝室にベッドはなく、畳の上に直に布団を置いて寝るタイプ。
リビング…というか居間も和風。
畳、こたつ、みかん、緑茶のそろった居間のある部屋に住むのが夢だったの~♪、と聞かされたのは初めてお邪魔したとき、あれは冬だった。
真夏の居間の真ん中を、裸になったコタツ机が陣取り、その中心にはざる盛りされたせんべいが乗っかって、カーテンレールの端には金魚の形をした風鈴がチリンと鳴り、窓際にはブタの蚊遣器がゆらゆらと蚊取り線香の煙をくゆらせるのだった。
お腹を抱えて笑うムギちゃんの瞳が赤い。泣くほど笑う人、ひさびさに見たなー。
そもそもわたし、最近泣いてないや。最後に泣いたの、いつだっけ?
感情が死んでる? いやいや。
DVDを観終える頃、一升瓶は空に。スマホで時間を確認するともういい時間。
…しまった。モバイルバッテリー買うの忘れてた…残念ながら、ムギちゃんのものとは型が合わず、充電不可能。残り15%。困ったな。まぁいいか。明日は帰るだけだし、なんとかなるかー。
隣り合って敷かれた布団に入り、二人並んで眠る。ふっかふかの羽毛布団。
昨日はソファで寝ちゃったから睡眠不足気味だったし、今日は一日中動き回ってたらふく食べて飲んで…疲れているはずなのに、なぜだかちっとも眠くならず。目がらんらん。
りっちゃん、もう寝ちゃったかな。
「うん、なんか目が冴えちゃって」
「そう…大丈夫?」
「大丈夫だよ、疲れてるけど大したことないし」
「そうじゃなくて、りっちゃんのこと気にならない?」
気になってないわけがない。
「……ムギちゃんはいつ聞いたの?」
「わたしもちょっと前よ」
「事前に相談とか……」
「ちょっとだけ」
されてたのか。
「わたしが言ったの。りっちゃんから唯ちゃんに、直接ちゃんと伝えなきゃダメ、って。
実は、今回唯ちゃんをこっちに呼んだのは、そのためなの」
余計なこと、してくれちゃったのね。
浴衣姿で身を寄せ合って笑顔でピースサインを作る二人。花火大会かな。割と最近の写真っぽい。
「ムギちゃんはどうなの」
「どう…って、なにが?」
「彼氏とか、いないの」
「いないよ、そんなの。唯ちゃんは?」
「今はいないよ」
「つくらないの?」
「うーん、どうだろ。ひとりはひとりで、気楽だしね。周りはじゃまくさいこと言ってくる人もいるけど」
わたしに彼氏がいないと知って、目の色変えるのは勝手ですが、わたしにも選ぶ権利があります。
あとせめて自分の息がくさいことに気づいてください。芸能人じゃなくたって、歯は命。
世話焼きな中年女性のみなさん。
“わたしは本気であなたを心配しています”という態度で近づいて来るのはやめてください。
世間の常識や多数派の確信、自分にとっての善意が誰にとっても共通するものじゃないって知ってください。
善意の押し売りご勘弁。遠慮して断ってるんじゃなくて本心だから! ああ、もううるさい。あっちいって。
「別にいーじゃんねー、彼氏なんていなくったって。わたしの人生なんだから」
「そうね。結局、自分の人生の責任は、自分でとる他ないものね」
自分の人生の責任、かぁ。
「職場の同期らしいよ。でも詳しいことはあんまり」
「イケメン?」
「さぁ……会ったことないし、写真も見たことないから」
ムギちゃんは寝返りをうってわたしに背中を向けた。
背中を向けたムギちゃんが呟く。
さみしい。正直、すっごくさみしい。昔はあんなにそばにいたのに。いつでもいっしょだったのに。
大人になれば、そんなものよりもっと大事なものができるわけ? 友達、ってそんなもの? ちがうよ、そうじゃないって思いたい。
子供じみたこと考えてごめん。
そりゃいつまでも学生時代や独身時代の関係性がそのまま続くわけないなんて知ってる。
生活の変化、それに伴う気持ちの変化。だんだんと人は変わっていく。
今の自分とその日常が一番大事なんて、当たり前。みんなそうだ、わたしだってそう。
変わっていくこと、過去になっていくことは、裏切りじゃない。悪いことじゃない。
目の前に看板。右行く?左行く? AorB?
いつまでもみんないっしょに進めない。さて、あなたはどちらを進みますか?
わたしはどっちに進めばいいんだろ。そもそも選択肢自体あったのか。
Y字路なんてあったっけ? 進学、就職。あるにはあった。
何を買う? 何を食べる? どこに行く? 誰と行く?
日常の中にある無数の小さな選択を繰り返してわたしは今、ここにいる。
選んだ記憶もなく、無意識に何かを選択し続けてきたことがたくさんあったんだろうな。
…わかんない。まぁいいか。
背中を向けたムギちゃんに、わたしは話しかけ続けた。
「ま、残りものには福があるっていうし!」
さみしさを紛らわすようにおどけた声を出す。
余計惨め。惨め? そんなことない、だってそれなりに毎日たのしく…本当? 本当にそう?
意地を張ると余計に…、もういいや、惨めで。はい、惨め。
いやだね、世の中って。
ほんと、めんどうなことばっかり。
わたしだって“ロクな女”じゃないかもしれませんが。
「そうね。出会いなんて突然なんだもん」
「おっ、もしやムギちゃんステキな出会いが?」
「あったよ」
「………そっか」
はじめて聞く話なのに、わたしはあまり驚かなかった。
「片想い…なんだ」
ゴロン、と身体の向きを戻したムギちゃんは、身をよじるようにしてわたしに近づき、ニッと笑う。
「その人と出会ったのはもうずっと前。
自分の気持ちに気がついたのはもうちょっとあとだったけど。わたし、思うの」
「なにを?」
「きっとその人のこと、一生好きだな、って」
「結婚、しないの? その人と」
ムギちゃんは黙って首を横に振る。
「えー…」
「あ、“don’t”じゃなくて“can’t”ね」
ムギちゃんは流暢な発音でそう言った。
「じゃあちがう人と結婚する、ってこと?」
「親を心配させたくないしね」
選択肢は二択じゃない、ってことか。
右か左か、だけじゃない。上も下も前も後ろも。一歩進んで三歩下がる。探せば見つかる獣道。いっそ自分で切り開け。
道はたくさんある。人生の岐路なんだから、じっくり考えて…考えれば道は開ける。
いっときのアサハカな思いつきで選択を誤ればえらいこっちゃ。
じっくりしっかり、十年後、二十年後の将来設計を思い描いて、ジュージツした人生を送るためのベストな選択を……十年後?
十年前。わたし達はまだ学生だった。
単位獲得、サークル活動、アルバイト、就活……、うんぬんかんぬん格闘してたけれど、未来のことなんてどーにかなるでしょ、ってな具合に思ってた。
十年後のことは十年後の自分に任せるよ…それより今はこのキングボンビーをどうすればりっちゃんになすりつけるかに集中しよう…とにかく最下位脱出するよ!
…面接も試験もレポートもすっ飛ばして徹夜で桃鉄してたなぁ………我ながらアホな大学生だった。
おーい、どーするよ。今の自分。
この先どーする?
いよいよ来年30歳だよ。ぐわー、三十路。つまり十年後は40歳。………40歳!?
…背筋が凍りつく。
わたし、このままひとりでいたらどうなるの?
今ならまだ、間に合う。適当にそこそこな男と結婚する?
ムギちゃんみたく、恋愛と結婚をわけて考えるのもアリかもしんない。
それともバリバリ仕事に打ち込むキャリアウーマン?
…いや、わたしにそれができるのか?
もっとやるべきことがあるような気がする。
もっとやりたいことがあった気がする。
何を選んでも後悔しそうな気がする。
ああカミサマおねがい! 正しい選択を教えて!
わたしはずっと待っていたんだと思う。
ぼんやりだらだら歩いているわたしの手を、誰かが引っ張って言ってくれるのを。
こっちに進みなさい、って誰かが教えてくれるのを。
誰かがわたしの世界を変えてくれるのを。
そんな人、どこにもいやしないのにね。
「そうね。好きな人を好きでい続けられたら、それで十分かしら」
「えー、それって不毛じゃない?」
「そうねぇ。でもいいのよ」
「……で、諦めて親の言うなりになって、好きでもない人と結婚するわけ? それでいいの?」
無言で頷くムギちゃん。
「二十年後は? 三十年後は?
好きでもない人と結婚して、子供作って、一生を過ごすわけ?
ムギちゃん、本当はどうしたいの?
好きな人に告白した?
ちゃんと気持ちは伝えた?
その相手はムギちゃんのこと、どう思ってるの?
本当の気持ちを押し殺してこれからずっと、そのままでいいの? ……ねぇ」
わたしは自分の内側にある不安をなすりつけるように、吐き出した。
「うそだ」
「うそじゃないわ。平気よ、平気」
「思い切ってさ。その好きな人に、ムギちゃんのほうから言い寄ってみたら? ムギちゃんならイケるよ~」
イケる、ってどこにだよ、なにがだよ。
「ムリよ。片想い、って言ったでしょ。
その人には、ずっと好きな人がいるの」
「奪っちゃえば?」
「ムリよ」
「どうして?」
「その人たち、両思いだから。…今のところ、なかなかうまくいってないみたいだけど…。
でも近くで見ていたらよくわかるの。お互い、相手を想ってるって」
「まだくっついてないならチャンスあるじゃん。諦めたらそこでおしまいだよ。望みを捨てなきゃいつか…」
「わたしはね、唯ちゃん。相手の人のことも好きなの。二人のことが大好きなの。想い合ってる人同士、ちゃんと結ばれてほしいと思ってるの。応援したいな、って」
「今は良くても、ゼッタイ後悔するよ」
「しないわ」
「するよ」
「しない」
「どうしてそんなことが言えるの? 今のムギちゃんの判断や行動が正しかったかどうかなんて、時間がたたなきゃわかんないよ」
「そうだね。先のことはわからないね。でもいいの。わたし、変わらないから」
「……イミわかんない」
「好きだから。その二人のこと」
「偽善者」
「ねぇ、唯ちゃん」
「……ん?」
「唯ちゃんに、わたしの何がわかるの?」
「……………」
「変わらないから」
ムギちゃんは断言した。
変わらない。
変わることを拒否して、“今この瞬間”の自分の感情を維持し続けしようとするムギちゃんは子供なのか。
それとも強い意志を持った大人なのか。
でもさ、結局今の決断を正しいかどうか、決めるのが未来の自分だってことは間違いないよ。
Y字路はいくつもあった。
目の前に現れた看板を見て、無意識に楽そうな方ばかり選んできた。
自分自身の、“今この瞬間”の感情すら考えてみようとはせずに。
判断を保留し続けたわたしの態度こそが、子供だったのかもしれない。
これでいいのか、わたしの人生。
じゃあ何を選ぶ?
わたしは何がしたい?
何を望んでた?
生ぬるい現状維持以外の何を?
思考を放棄し続けて来たせいで、やりたいことがわからない。わたしの望みは一体なんなの?
………
完全に沈黙した状態が長々と続く。
ムギちゃんはもう寝てしまったのだろうか。
わたしも寝てしまえば、朝が来れば、何事もなかったようにわたし達は笑顔に戻れる。
ゲームのリセットボタンを押すように。そうねがいたい。…それなのに眠れない。
くだらないことを言った。後悔しても遅い。
どうしてこんなバカげたこと…自分でもわからない。
もしかしてわたし、結構不安だった?
別にそんなんじゃない。わたしはただ…今までみたいにおもしろおかしく毎日を暮らしたいだけ。ずっとそうしていたいだけ。
わたしのおねがいなんて、その程度のささやかなものだよ。
それなのに、周りはそれを許してくれない。どんどんと流れに押し流されるように変わっていく。
わたし達はいつから大人になるのだろう。大人になっちゃったんだろう。
高校を出たら?
二十歳になったら?
就職したら?
結婚したら?
子供ができたら?
時計の針が0時を告げるように、
カレンダーをびりっと破るように、
除夜の鐘が鳴るように、
もっとわかりやすく教えてくれたらよかったのに。
はい! あなたは今日から大人です!!
って。
窓から吹く風が気持ちいいから、差し支えはなさそうだ。ちりんちりんと風鈴が揺れた。
「…ごめんなさい」
「どうしてムギちゃんが謝るの」
「言い過ぎたと思って…だって、唯ちゃん、わたしのことを思って言ってくれたのに」
ちがうよ。わたしは自分のことしか考えてないよ。
自分の不安を当てこすりたかっただけなの。だから悪いのはわたし。
「りっちゃんが好きなの」
鈴のように澄んだ声で、ムギちゃんは言った。
「りっちゃんがほかの人のことを好きだってわかっていても、好きなの」
ムギちゃんは、どうしてそんなふうに自分の気持ちがわかるんだろう。
まっすぐ自分の気持ちを言葉にできるんだろう。
「くるしいよ。でもきもちに嘘つくほうがもっとくるしいから」
「ずっとそのままでも? 永遠に振り向いてもらえなくても?」
「…くるしいよ。くるしくてくるしくてたまらないよ。
わたしがどんなに好きでも、りっちゃんはわたしを振り向いてくれない。
昔も今も、来年も、きっと十年経っても二十年経っても。
…それなのにわたしだけりっちゃんのこと思い続けたって…なんの意味もないんじゃないか、って、不安でいっぱい。
それに、りっちゃんが本当に好きな人と結ばれない限り、ひょっとしてわたしにもチャンスがあるんじゃないか、なんて考えちゃう。
りっちゃんのこと、大好きなのに、大好きな人がしあわせになってほしくないって思ってる。
わたし、最低よ。クズよ。
こんなことばっかり考えて、気が狂いそうよ。もう、いや」
りっちゃんからLINEだ。こんな時間に起きてるの? …間が悪いよ。こんなタイミングじゃ返事できないじゃん。…いつもいつも、りっちゃんにちゃんと返信できない。
「唯ちゃん、ごめん。いますぐ出てって。りっちゃんのところへ行って」
「……えっ?」
「…………あたまがおかしくなりそうなの。
このままだとなにもかもイヤになって、ぜんぶぜんぶ大キライになりそうなの…
でも、そんなのぜったいイヤ! 唯ちゃんのことも、りっちゃんのことも、自分自身のこともキライになんてなりたくない!」
叫んだムギちゃんが、布団を跳ね飛ばして勢いよく立ち上がった。呼吸が荒い。肩を震わせながら横たわるのわたしの前に仁王立ちして、布団をひっぺがした。
「…まだ間に合うから」
「ちゃんとわかるように言ってよ」
「りっちゃん、待ってるよ」
「イミわかんない」
「わかるわ。唯ちゃんはね、本当はわかってるのよ」
「…………ムギちゃん」
「りっちゃん、ずっと待ってるんだよ。唯ちゃんの返事」
「……返事」
「唯ちゃんだって、りっちゃんに確かめたいこと、あるんじゃない?」
わたしはゆっくり立ち上がると、仁王立ちしたままのムギちゃんをぎゅっと抱きしめた。
無言。ムギちゃんの肩は震え続けている。
「今日は案内してくれてありがとう。久しぶりに二人で遊べて、すっごく楽しかったよ」
「…唯ちゃん」
「なぁに、ムギちゃん」
「わたし、唯ちゃんのこと、だいすきよ」
耳元でムギちゃんがちいさく呟く。
わたしはその震える肩を強く抱きしめて、頭を撫でた。
わたしも、だいすきだよ。耳元でムギちゃんに伝える。
「もう行って。りっちゃん、待ってるから」
そう言ってわたしから離れると、顔を見せないように倒れ込み、頭から布団をかぶり、まんまるに身体を縮こまらせた。
スマホを取り出す。電池残量はもう一桁だ。LINEを開いて文字を打つ出す。
わたしが返事すべきこと、りっちゃんに聞きたいことは……
“どうして”
…と四文字打ったところで手が止まり、文字を消す。
どうして
どうして
どうして
どうして
四文字が頭のなかをぐるぐると巡る。
どうして、この四文字の続きが打てないのか。
りっちゃん相手に、遠慮も気兼ねもなく、どんなことも包み隠さず付き合ってきたつもりなのに。
決意だって固めたのに。それなのに。
四文字に続く言葉が打てないのは、どうしてだろう。
でもこんな時間にこんなところで電話したら、ここに住んでる人たちに迷惑だ。
せめて下まで降りて外で電話しようか、と思ったら、あ……エレベーター壊れてるんだった。7階から歩いて降りるのか……ぐぇぇ…
第一、こんなに夜遅く、りっちゃんはまだ起きてるだろうか。もう寝てるかもしれない。
深夜に叩き起こすのはさすがに非常識。疲れて寝てるところを起こされて、いきなり意味不明な話をされて…不機嫌になったりっちゃんを想像する。
むむむ…伝わらるものも伝わらなさそう。
そうこうしてる間に残量がまた減った。
ああ…これじゃあ話してる途中で切れちゃうよ。
まぁいいか、しかたないよね、今夜はやめとこ。
また今度会ったときでいーじゃん。そのときに話せば。
次会うとき……あずにゃんの結婚式。結婚、あずにゃんの次は…りっちゃん。
そっか、りっちゃん、結婚しちゃうのか。
まぁいいか…………
いいわけ、ない!
わたしはダッシュで階段を駆け下りた。
7階6階5階4階3階……息が切れる、膝がガクガク、太ももはプルプル。
踏み外したら大ケガだ。それでもかまうもんかと一段飛ばし。
エントランスまで降りてきて、その勢いのまま正面玄関を飛び出す。
マンションの外に出るとすぐ、スマホを取り出す。
指が震える。ゆっくり…ゆっくり…慌てないで…よし。
プップップッとプッシュ音。電話がかかった。
コール音が響く。1回 2回 3回 4回 5回 ……。
出ない。
6回 7回 8回 9回 10回 ……。
出てよ。ねぇおねがいだから、出て。
11回 12回 13回 …。
今、りっちゃんの声が聞きたい。
14回 15回…。
今、りっちゃんに伝えたい。
16回…。
今じゃなきゃ、ダメなの!
17回目。
わたしは目をつむり、祈る気持ちでスマホを握りしめた。
お願い!!!
「……もしもし」
18回目のコールを終えて、りっちゃんの眠そうな声が耳に届いた。
「…出ると思わなかった」
「電話かけといてそれ? 唯こそこんな時間になにしてんの、つーか、なんか息荒くね?」
「…………眠れなくて」
「…そっか。わたしも」
「…何の用?」
「アホ。それはこっちのセリフ」
りっちゃんは呆れたような声を出して、笑った。
わたしも笑った。
情けない。膝がガクガクで、立っていられない。
アスファルトの上にペタンと座り込む。
心臓がバクバクと音を鳴らしてる。喉が渇く。声が震える。
わたし、こんなにヘタレだったっけ? 呆れるくらい臆病だ。
大きく息を吸って…吐く。
「聞きたいことがあるの」
「…なんだよ」
「どうして……」
「どうして?」
うだうだ考え続けたあげくにようやく電話をかけて、りっちゃんは出てくれたというのに、
電池残量は残りわずかだというのに、なにも言葉がでてこない。
薄紫色の空にかかる雲。ほとんど星なんて見えない。
あの日ふたり見た星空とは大違いだ。
しばらく黙ったまま、明けつつある空を見つめていた。
もうすぐ日が昇る。新しい一日がやってくる。
太陽は昇って、沈んで。月が昇って、沈んで。また太陽が昇って。
一日一日が重なったその先に、何があるだろう。わかってるのはりっちゃんが結婚してしまうこと。
そういえば“おめでとう”って言っていなかった。
今、それ、言っとく?
今、それ、言うべき?
言うべきだよねぇ。
友達なんだから。
澪ちゃんやあずにゃんのときはまっすぐに出てきた言葉がなぜだか今は出てこない。
そうだ。りっちゃんは、わたしを待っていてくれてた。いつだって待ってくれてた。
わたしが何かを伝えようとするのを。返事をするのを。
言わなきゃ。言わなきゃダメだ。今しかない。今、ちゃんと言葉にして伝えなきゃいけない。
理由なんて知らない。内容なんてわかんない。
うまいこと言おうなんて考えなくていい、かっこつけなくていい。今、思ったことをそのまま口に出すだけ。
誰も進むべきを道を教えてくれない。
手を引っ張っていってくれる人はいない。
夢にみたハクバノ王子サマなんて、現実にはいない。
いつか今の自分を裁くのが、未来の自分だったとしても、ソイツは今、ここにはいない。
いるのは、自分だ。選ぶのは、自分だ。今、この瞬間の、わたしだけだ。
わたしが選ぶ! わたしが決める!
け、けっ、けっこん……おめ、おめ、お、お、お………おめで…、、、
言えるかバカ!
「………りっちゃんのせいでわたし、婚期逃しそうなんだけど」
「は?」
出てきたのは思いもしない言葉だった。
とりあえず付き合うとかいうレベルでも男に興味なくなっちゃったんだけど。
ねぇ、どうしてかわかる? りっちゃんのせいだよ。りっちゃんがあんなことするからだよ。
そのくせりっちゃんが結婚するとか、なに? なんなの? ふざけてんの? バカにしてるでしょ」
次から次に言葉が溢れ出てくる。こうなったら後に引けない。もう、なるようになれ!
「ちょっと待て。意味わかんね。酔ってんのか?」
「酔ってない!」
「…彼氏作んないのも結婚しないのも、唯の勝手だろ。わたしを巻き込むなよ」
「バカ言わないでよ! 勝手なのはりっちゃんじゃん。そっちがわたしを巻き込んだくせに」
「……ちゃんとわかるように言え」
「どうしてキスなんかしたの」
受話器の向こうからりっちゃんの呼吸だけが聞こえて来る。
呼吸がだいぶ落ち着いてきた。
「…ごめん」
「あやまんなバカ! わっかんない! ほんっっっっとわっかんない!
いままでずーっと考えてたけど、わかんない!
わたしの頭ん中ぐっちゃぐちゃにしたまま遠くに逃げて、思わせぶりな態度取り続けて、ずっとほうっておいたくせに結婚?? イミわかんない! ふざけんなだよ!!」
「…気持ちに決着、つけたかったんだ。
わたしが結婚すれば、唯のことも、ムギのことも、全部うまくまとまる気がしたんだ」
「この偽善者!」
「……わるい」
「……もういい。わたし、帰る」
「……唯、ムギんちにいるんだよな? わたし、今ホテル出た。始発の新幹線に乗って帰るから。急いでそっち行く。とにかく会って話そう」
「もういいってば! 話すことなんて何もないよっ、結婚でもなんでも勝手にすればっ!」
「ゼッタイ行くから。待ってろ!」
すぅ、と雲が流れた。
その瞬間、わたしは見た。
明け方の空、雲と雲の、わずかな隙間を縫うようにして星が走るのを。
また言えなかった。
今なら、叶えてほしい願い、あったのに。
ひどいよ、いきなりなんだもん。ムリだよ。ズルいよ。
「…なにを」
「わたし、外にいるから見えたんだけど、流れ星がさ……」
「見てない」
「わたしはちゃんと三回、願いごとしたぜー」
「こんなときに自慢? 無意味だよ。迷信じゃん。あんなの」
「そうかもな。でも勇気を出すときの景気付けくらいにはなるよ。あのときだって」
「……切るよ」
「わかった。じゃあ最後に聞いて。わたし、結婚しない。今決めた。もともと返事、まだだったから」
「…知らないよそんなの。わたしが聞いてるのと別のことじゃんか」
「そうだったな。言うよ。あのさ、わたしがあのときあんなことしたのは…」
「…」
「唯のことが、好きだからだよ」
沈黙。
オレンジ色の空、ビルとビルの間から太陽が顔を出した。
みるみるうちに空が白んでいく。
一瞬ごとに空の色を変えながら、夜は朝へ変わっていく。鮮やかな光が、世界を包んでいく。
新しい一日が、はじまる。
世界が変わる。
「…聞こえた」
「そりゃなによりだ」
「ねぇ、りっちゃん。わたし、いつもりっちゃんに返事できてなかったね」
「いいよ、もう」
「いいわけないよ。ちゃんと今、返事するから聞いててね」
「おう」
「わたしも、りっちゃんのことが好き」
沈黙。
ねぇ、りっちゃん。
さっきからわたし達、黙ってる時間長くない?
LINEにしときゃよかったのに、なんでこんなときに限って電話なんだろ、しかもわたしの方から。
あ~あ、バッカみたいバッカみたい。
ほんっとバカみたい。
わかんなかったなら、こうやってさっさと聞けばよかったんだ。
自分から聞けば、よかったんだ。そんなこともわからなかった自分は、なんて愚かだったんだろう。
ごめんね、りっちゃん。バカでごめん。
でもね、りっちゃんだっておなじだよ。ちゃんとわかるように伝えてくれなきゃ、わかんないよ。
もっとちゃんと、わかりやすく、教えてよ。バカ。
受話器の向こうでりっちゃんが言った。
「ムリ。だって電池切れるし。東京駅広いし、迷うし。ゼッタイ会えないよ」
「大丈夫だ。見つける。どこにいたって、唯のこと必ず見つける。だから大丈夫」
「やだ。もう待つの疲れた」
「それはお互いさま。今までのことを思えば二時間三時間くらい、知れてるだろ」
「……他人ごとみたいに言わないでよ」
「……ごめん。でも会いたい。とにかく唯に会いたい。いますぐ会いたい。会いたいんだ」
「……バカ」
わたし達って、ほんとバカだね。笑っちゃうくらい。
瞳に溢れた涙が流れ出さないように、わたしは顔を上げた。
「わたしが行くよ、わたしがそっちに行くから。りっちゃんは大阪駅で待ってて」
「え……でも」
「そっちの方が土地勘あるし、合流しやすいでしょ。だから待ってて、もうちょっとだけ」
「……わかった。待ってる。ゼッタイ来てくれよ」
「行くよ。ゼッタイに行く。わたしもね、みつけるよ。どこにいたって、りっちゃんのこと必ずみつける、それから……」
電池が切れた。
でも、そんなことどうでもいい。
だってこれから会いに行くんだもん。会って直接、りっちゃんに伝えるだもん。
これまで言えなかったことも、これから言おうとしたことも、全部全部、伝えるんだ。
十年後のわたしが、激怒する選択なのかもしれない。
そんなことしったこっちゃない。
もしからしたら、とんでもなくバカなことをしようとしてるのかもしれない。
許しておくれ、未来のわたし。
わたしにとってのわたしは、今、この瞬間のわたしだけだから。
太陽の光に消えて行く星を見ながら、りっちゃんと一緒に、また星を見たいな。そう思った。
おしまい。
乙
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1480238745/
Entry ⇒ 2017.02.27 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
梓「おとまり!」
うわっはやっ!
えへ、待ちきれなくてさぁ。
扉の隙間から顔を出した唯先輩は、眉尻を下げながらそう言った。
梓「おおげさですね。別の人だったらどうするつもりだったんです?」
唯「わかるよぉ、あずにゃんのことなら」
梓「はいはい」
わたしが呆れたように言うと、唯先輩は不満そうに唇を尖らせて、わかるよぉあずにゃんのことなら、と同じ言葉を繰り返す。
ま、とにかくはいってはいって~。
表情をくるりと変えた唯先輩は、うれしそうに手招きをしながらわたしの買い物袋をうけとり、跳ねるようにして階段を登っていった。
おじゃまします、とちいさく呟き、靴を脱いであとへ続く。
階段の途中で唯先輩が振り返り、わたしを見て言った。
梓「?」
振り向いた唯先輩の頬が赤い。
唯「…いらっしゃい」
梓「…おじゃま、します」
よく見れば耳までまっかっか。すぐまた背中を向けて階段を登っていってしまう。ふわふわと揺れるボブカット。
わたしも耳たぶに触れてみる。…あつい。きっとわたしの顔もまっかっかだ。心臓もばくばくいってる。
大きく息を吸う。い、いまからこんな調子でどうするんだわたし。いや、でも緊張してもしかたないよね…だって今日は…
唯先輩の家には、ご両親も、憂もいません。先輩たちも泊まりにはきません。
そう、ふたりっきりの…おとまりです……。
友達の家、かつ部活の先輩の家、ということもあって、今までだってなんどもこの家にやってきたことはある。
でも大抵は部活の先輩たちといっしょだったり、憂がいたりするから、ここで唯先輩とふたりきりになるのは、これがはじめての経験だ。
しかもこれから明日の朝までずっと一緒。正真正銘これがはじめて…はじめての経験…
は、はじめての経験、って……なに言ってんだわたし!
梓「はっ! …いえ! そーゆーことではっ」ブンブン
唯「それならよかったー、暑かったら勝手に温度調整していいからね。とりあえずそのへんに座っててよ、今からわたしが腕によりをかけて晩ごはんつくっちゃうから!」フンス!
梓「そんな、わたしも手伝いますっ!」
唯「いいのいいの! あずにゃんはお客様なんだから!」
梓「いや…でも…」
唯「ほらぁ~、遠慮しないで~」
梓「遠慮、っていうかその…」
唯「なーに? どうかした?」
梓「ふ、ふたりで一緒に料理したいな、…なんて//」
モーレツな勢いで抱きしめられて、しぬかと思った。
唯「あずにゃんおいしいね~♪」モグモグ
梓「そうですね、とりあえず失敗しなくてよかったですね」
つくったのはカレーライス。
普段料理をしない(できないんじゃなくて、経験が少ないだけ)わたしたちでもできるもの、かつ失敗なくおいしいもの、となればメニューは限られてくる。
お味のほうは…はじめてつくったにしては、われながら悪くない出来だと思う(そもそもカレーで失敗することがあるかは知らない)。
スーパーで買った市販のルウの裏側、そこの説明書き通りに作れることのできた自分を、まずは褒めてあげたい。
わたしは二杯、唯先輩は三杯もおかわりをした。
作りすぎた残りは明日の朝にでも食べることにして、器に移し替えてラップをかけ、冷蔵庫にしまう。
食事中、唯先輩はずっと笑顔だった。これを見られただけで、二時間かけて作った甲斐があったよね。
しかも、この日のために買ってきたお揃いのエプロンをつけて、ふたり並んでキッチンに立てちゃったし/// もうすっかりおなかいっぱい。
ごちそうさまでした。
お米粒ひとつ残さずきれいに平らげ、ふたりして両手を合わせた。
両手を合わせた格好のまま、唯先輩が動かない。
少し伏せるようにして目を瞑るその姿はまるで、祈りをささげているみたい。
梓「ひょっとしておなか、痛いんですか?」
ゆっくりと左右に首を振る。依然目を閉じ、黙ったまま。
息してる?
フスーフスーと鼻息が聞こえるから問題ない。
やっぱりおなか痛いんじゃ…
豚肉、ちゃんと火、通ってたよね?
実は説明書き以上の時間、具材が溶けるほど煮込んだんだから、たぶん大丈夫。…だと思う。
人参もジャガイモもたまねぎもマッシュルームも全部今日スーパーで買ったばかりだし…
あっ! もしかして冷蔵庫の横に転がってたカブを唯先輩が思いつきで入れたせい? あのカブ傷んでたのかな…そう言われるとちょっと黒ずんでた気もする…でもわたしも食べたはずなのになんともないし…それとも単に食べ過ぎ? やっぱりさすがに三杯は……
唯「あのさっ、あずにゃん!」
梓「…はっ、はいっ」
突然立ち上がった先輩は、フスーフスーと鼻息をあらっぽく鳴らしながら大きく目を見開き、わたしを見つめた。
梓「…………」
唯「…………」フスーフスー
梓「…………あのぅ、どうかしましたか?」
唯「…………」フスーフスー
鼻息が荒い。なんかぶたさんみたい。
表情は真剣そのもので、黙ったままじっとわたしを見つめている。
唯「…………」フスーフスー
梓「あのぅ、あんまりそうやって見つめられると恥ずかしいんですけど…」
唯「…………」フスーフスー
梓「やっぱりおなか痛いんでしょ」
ブンブンと勢いよく首を振った。
梓「別に意地張らなくてもいいですよ、ほら、早くトイレ行ってきてください」
唯「そっ、そうじゃなくてっ!」
あ、やっとしゃべった。
唯「ご、ごめん…なんだか喉がすっごくカラカラで声が出なくなっちゃって…」
梓「お水飲んだらいいじゃないですか。目の前にあるでしょう」
唯「うん…わかってたんだけどあずにゃん以外目に入んなくなっちゃって…」
梓「なにバカなこと言ってるんですか。はい、お水」
唯「あずにゃんのお水がいいなぁ…間接キッスになるし//」
梓「自分のコップにまだお水入ってるでしょう。バカ言ってないでほら、自分の飲んでください」
唯「あずにゃんちべたい……」
梓「…で、どうかしたんですか?」
唯「…う、うん」
お水を一気に飲み干した唯先輩は、落ち着きなく視線を左右にキョロキョロと動かしてばかりで、こちらを見ようとしない。
これじゃさっきと真逆じゃない。一体なんなの?
しびれを切らしたわたしは食器を手にとり、立ち上がった。
梓「洗い物さっさと済ませちゃいましょうよ。それからあとはお風呂にも入りたいですし…」
唯「そう!」
梓「!」
唯先輩の瞳がらんらんと光っている。また鼻息が荒い。ぶたさんに戻ってる。
唯「お風呂だよ!」
梓「はい?」
唯「いっしょにお風呂入ろうよ! あずにゃん!」ギラギラ
梓「おことわりします」
唯「えぇー……そんなぁ…」
梓「それとこれとは別、っていうか…やめてください今食器持ってるんで危ないです揺らさないでください」
唯「クスン…ようやく勇気出して口にしたのに……」
梓「こんなこと言おうとしてたんですか…なにごとかと思いましたよ…」
唯「だってぇ…断られたらショックじゃん……」
梓「どっちみち断ったんですけどね」
梓「なんですか突然…」
唯「だってわたしたち付き合ってるでしょ?」
梓「まぁ…はい…いちおう」
唯「わたしはあずにゃんが好き。あずにゃんもわたしが好き。でしょ?」
梓「それは……はい、そうですけど…」
唯「それでもって今日ははじめてのおとまりだよね? ふたりっきりで朝まで一緒なんだよね?」
梓「……恥ずかしいからあんまり言わないでください」
唯「じゃあ一緒にお風呂に入ろうよっ」
梓「おことわりします」
唯「だからなんでそうなるのぉ…」
梓「べ、べつにいいでしょう…、朝まで一緒にいるんだからお風呂くらい別々でも…」
唯「そんなにイヤなんだね………」
梓「あの…イヤ、というかなんといいますか…イヤじゃないといえばイヤじゃないんですが」
唯「じゃあ入ろうよ!」
梓「だからダメですって」
唯「うぇーん!」
梓「理由…って言われましても…(ああっ! でた! 上目遣い……!)」
唯「ねぇ! どうしてなのっ」
梓「ええっとぉ…(ううううう…かわいすぎます唯先輩!!)」
唯「……どしたのあずにゃん?」
唯「?」
梓「あのその…とくにこれといった理由があるわけじゃないんですけど…とにかく恥ずかしくて…」
唯「えー、ちっとも恥ずかしくないよぅ。合宿のときは全然普通だったのに」
梓「あれは…あのときはみなさん一緒でしたし、ほら、そういうアレじゃないじゃないですか」
唯「そういうアレ? あずにゃん、アレってなに?」
梓「アレは…アレですよ」
唯「アレかぁ……で、なに?」
梓「なにって…ナニですよ。アレといればナニに決まってるでしょう」
唯「ふむふむ。アレってナニのことだったんだね」
梓「そうですよ。お風呂でアレをナニするから恥ずかしいです……ってナニ言わせるんですかっ!」
唯「あずにゃんが勝手にしゃべってただけじゃん…」
梓「えっ、ちょっと! わたしまだ一緒に入る、って言ってませんよ!」
唯「イヤではないんでしょ?」
梓「それは……」
唯「どっちにしてもわたしは自分の着替えとってこなきゃだからさ。せっかくだしあずにゃんにパジャマ選んでもらおうと思って」
梓「えぇー別にいいですよ。どうせまたあの変な文字の入ったクタクタのトレーナーでしょう? どれでも一緒ですよ」
唯「む。失礼な。そーだ、パジャマだけじゃなくて下着も選んでもらうからよろしくね」
梓「うぇ?! ゆゆゆゆいせんぱいっ! ナニ言ってるんですかっ!?!」
唯「ナニの話はもういいって」
唯「そんなに気にすることかなぁ? だってお風呂一緒に入るんだからどーせ着替えてるとこだって見えるじゃん」
梓「そう言われると…いやいや、だから一緒に入る、って言ってませんってば」
唯「まぁまぁ~、とにかくお部屋いこっ、ね、あずにゃん♪」ギュ
梓「うっ、はい…(だから上目遣いは反則ですってば!)」ドキドキ
唯「気分的にはこれかそれかあれか…」ゴソゴソ
唯先輩は、取り出したパンツをベッドの上へ等間隔に並べていく。
赤、白、黄色。綺麗だな。フリフリついてる、こっちはくまさん、ななな…こんな際どいのまでっ。意外と大胆…
わたしは極めて冷静を装い、その様子を眺めていた。
ティッシュを鼻に突っ込みながら。
梓「いへ、まらみらいれす」
唯「首の後ろ、チョップしてあげようか?」
梓「いへ、けっこうれす」
これはただの布…ただの布…単なる布の切れ端…いろとりどりのセクシーな布切れ……
……………。
これ…全部一度は唯先輩が穿いたことあるパンツなんだよね…
唯「わっ、あずにゃん鼻血っもれてるもれてる! ティッシュ新しいのに変えなきゃ!」
唯「好きなもの、って言ってもあずにゃんが穿く用じゃなくてわたしが穿く用だからね!」
唯「で、でも…あずにゃんが穿きたい、って言うなら…貸してあげてもいいけどっ///」
唯「そしたらわたしがあずにゃんのパンツ…借りちゃおっかなぁ……」
唯「あわわわ~っ! あずにゃんまた鼻血でてるよぉ~~!!」
梓「……すみません。たぶんもう大丈夫だと思います」
こんな風になっちゃうから、とてもじゃないけど一緒にお風呂なんて入れないです。
そっかぁ…お風呂が血の池じごくになっちゃうもんね。唯先輩はすこしさみしそうに冗談を言った。
唯「でもよかったー。お風呂断られちゃったし、あずにゃん、実はわたしのことあんまり好きじゃないのかと思っちゃった」
梓「そんなことないです! …そんな…そんなこと」
好きじゃない、なんて、そんなこと思われたくなくて、わたしは唯先輩の袖をきゅっと握った。
先輩はその手をやさしく掴んでわたしを引き寄せる。いつもの匂い、唯先輩の匂い。
わたしはちいさく首を振る。
唯「わたしね、ときどき不安になったりするんだ。あずにゃんはわたしのこと、ほんとに好きなのかなーって」
梓「そんな…わたしだって」
唯「ごめんごめん。わかってるよ。でもね、どうしても不安になることはあるからさ。だからね。さっきはちょっとうれしかったんだー//」
梓「…え?」
梓「あ、いやあのそのあっと、うーんとそそそれは………」
唯「いいのいいの! すっごくうれしいよ? だってそれだけわたしのこと好き、ってことでしょ!」
唯「わ、わたしも…あずにゃんとそういうことしたい、って考えたり…す、するから……///」
梓「えっ///」
唯「と、ときどきだよ! ときどき! いっつもそんなこと考えてるわけじゃないからね!」
梓「わ、わかってますよ!」
唯「だから…今日は…そゆことできたらいいなぁーなんて思って…でもどうやったらそういう雰囲気になるのかちっともわかんなくて…それで…」
梓「お風呂…」
唯「うん…」コクリ
唯「ううん、いいよ。ぜんっぜんいいよ! だって(鼻血の)おかげであずにゃんの気持ちがわかったしそれに…」
唯「ゆっくり進んでいったらいいんだよね! まだ先は長いんだし!」
梓「せんぱい…」
見つめ合う。
唯先輩の瞳の中にわたしが写っているのが見えた。
きっとわたしの瞳の中にも唯先輩が写っている。
瞳が、だんだんと近づいていく。
瞼を閉じる。
呼吸。
鼻息は…荒くない。
でも胸がバクバクいってる。
わたしの二の腕を掴んだ唯先輩の手から伝わる体温。
震え。
あずにゃん。
わたしの名前を呼ぶ声。
吐息が頬にかかる。
香辛料の匂い。
これはさっき食べたカレー。
あ。
カレーの味。
甘口。
でもさっきよりずっと甘い。
はじめて知る味。
憂「ただいまー、あれ? おねえちゃん帰ってるのー?」
唯梓「「!!!?!???!?!??!?」」
トントントントン…
憂「おねえちゃーん?」
梓「ちょちょちょっ、あがってくるっ! あがってきますよっ! なんで憂がっ、今日は誰もいないって!!」
唯「わかんないよわたしにだってっ! たしかに純ちゃんちに泊まるって言ってたもん!」
梓「わわわわわわ…どーしようどーしましょう…」アタフタ
唯「と、とりあえずここに隠れてっ」
梓「わかりましたっ!」
こうしてわたしはクローゼットの暗闇に飛び込んだ。バタン。
コンコン
憂「おねえちゃん、いるー?」
唯「あ、うっうい?? かかかえってたんだー…おかえりっ!」
憂「うん。さっきからけっこうおっきな声で呼んでたんだけど」
唯「あれ? そうだった? ごめーん、気がつかなかったや」タハハ
憂「ふぅん……」
ガタン、クローゼットの内側から物音が響いた。
冷たい汗が背中を流れる。
思わず視線を向けてしまいそうになり、瞳を閉じる。
憂「どうしたのお姉ちゃん? 急に目を瞑ったりなんかして」
唯「なんでもないってば! 憂こそどうしたの? 今日は純ちゃんちにお泊まりだったはずじゃ…」
憂「うーんそれがね」
純ちゃんのお兄ちゃんが急に帰ってきちゃったんだって。
兄弟水入らずに水を差したくなくて、憂は帰ってきたんだって!
すばらしいね! 兄妹って! あはは!
憂「えーっとまだだけど…」
唯「ならさっ、よかったらカレーの残りがあるから食べない??」
憂「うそっ? お姉ちゃんが自分でつくったの?」
唯「う、うん…まぁね、わたしもやればできる、っていうか。アハハ。ほら、はやくリビングいこっ、ほら、ね?」
憂「う、うん…どうしたの? そんなにあわてて」
唯「あわててなんていないよぉー。うん。ぜぇーんぜんあわてていません!」グイグイ
憂「ちょっと待っておねえちゃん、ごはんはいいんだけどちょっと気になることがあって」
唯「え」ドキ
憂「なんでベッドの上にパンツを並べてるの?」
唯「」
憂「へー…」
唯「悩んでばかりいても埒があかないからさ、いっそのこと候補のパンツ全部出して並べてみよう! って思いまして……」
憂「…それで、決まったの?」
唯「それがまだ……」
憂「さっさと選んで片付けてね。出しっぱなしにしてちゃダメだよ。はい、早く決めて」
唯「ええっとぉ……(わわわ…いざとなると焦って決められないよぉ!)」アセアセ
憂「そんなに悩むこと? じゃあ久しぶりにわたしのパンツ穿く?」
クローゼット(!?)ガタ
憂「しー? しーってなに?」
唯「え……いや、それは…」
憂「どうしたの? 照れることないでしょ? ふたりだけなんだし。それに昔はよく交換したじゃない」
唯「ま、まぁ…昔…昔の話だね! 子供のころっ、ちっさいころ! はるかとおいむかし!!」
憂「昔って言ってもわたしが高校入るまでだけど」
クローゼット(…………)ワナワナ
憂「おねえちゃん? さっきからなに気にしてるの? クローゼットのほうばっかり見て」
クローゼット(!?)ビクッ
唯「なんでもないよ! クローゼットにはなんにもないよ!」
憂「なんにもないことはないでしょ」
唯「ないってばぁ!」
憂「あー、なにか隠しごと? いいよ、お父さんたちには黙っておくから」
唯「ないない! 本当に隠しごとなんてない!」
憂「……わたしにも言えないことなの?」
唯「……そ、それは」
憂「………」
唯「………」ゴクリ
憂「……おねえちゃん?」
唯「うい。わたしが憂に隠しごとなんて、できると思う?」
その目はさみしそうに揺れている。胸の内に不安と不信が渦巻く中、きっとわたしのことを必死に信じようとしてくれてるんだと思う。
わたしはゆっくりと立ち上がり、憂のそばに寄ると軽く頭を撫でた。
やさしく身体を抱き、クローゼットからは見えない位置に引き寄せ、くちづける。
んっ、と憂の唇からわずかに吐息がもれる。
おねえちゃ…なにか言おうとした憂の唇を再び塞ぐ。
わたしたちは時間がたつのも忘れてお互いの唇をむさぼりあった。
クローゼット(………………………)
憂「……うん」
パタン
唯「…………」
クローゼット(…………)
唯「…………」
クローゼット(…………)
唯「…………」
クローゼット(…………)ギィィ
唯「言いたいことはわかってますごめんなさい……」
梓「…とりあえず言い訳くらいは聞いてあげます」
唯「そんなことないよぉ! あっ、あれは…その…ああでもしないとバレちゃうと思って…とっさに!」
梓「それにしては慣れてるように見えましたけど? それにパンツも交換してるとか?」
唯「ないない! ないよ! …憂が高校生になってからは…してないもん!」
梓「つまり中学まではしてたんですね」
唯「そっそれは…」
梓「してるんでしょ」
唯「いやぁ…うーんと」
梓「はっきり言ってください! してるんでしょ!」
唯「あ、あんまり大きい声出すと憂が…」
梓「答えて! してる! してない! どっち!?」
唯「してます! ごめんなさい! してます!」
梓「サイッテーです………」
唯「…ベテランなんかじゃないもん」
梓「……」キッ
唯「ひっ」
梓「ベテランでしょーが! ……わたしなんて、はじめて……だったのに」ジワ
唯「わ、わたしだって…」
梓「…なんですか」ギロッ
唯「あずにゃん先輩こわいっス……」ブルブル
それに………憂はちがうもん。憂とは子供の頃からチューしたりしてじゃれてるだけだし。恋人のチューとはちがうよ。ぜんぜん。
あずにゃんは別だもん。特別。あずにゃんとのチューは特別なの。全然ちがうの!」
うまくできるかな、先輩だからリードしなきゃ、やさしくしなきゃ、って。一生の思い出になるでしょ? はじめて…なんだもん。
だからさ、あずにゃんの唇にふれた瞬間、うれしすぎて呼吸とまるかとおもった。
まだ…いまでも残ってるよ、あずにゃんの唇の感覚。あまくて、やわらかくて、ずっとそのままでいたくて…
とにかくあずにゃんはわたしにとって特別なの! 全然ちがうの!」
唯「わかって…くれた?」
梓「…わかりました」
唯「…ふぅ」
梓「証明してください」
唯「えっ」
梓「わたしと憂はちがうって。わたしは特別だって。証明してください」
唯「いいよ」
今度はもう、早かった。
お互いの唇が触れ合った瞬間、相手を貪るように、吸い尽くすように、はげしく。絡めあっ…
トントントントン…
憂「おねえちゃーん! まだー?」
唯梓「「!!??!???!?!?!」」
唯「とりあえずあずにゃん! クローゼットのなかにっ」
梓「は、はいっ!」
パタン
こうしてわたしは再び闇の中へと吸い込まれた。
憂「おねえちゃん? 入るよ?」ガチャ
唯「はーい…ど、どうしたの? どうかした?」
憂「それはこっちのセリフだよ…ちっとも降りてこないから」
唯「へ? あ、うん…パンツをしまう順番で迷っちゃってさ…」タハハ
憂「もぅ…へんなおねえちゃん!」
唯「アハハ…もうすぐ片付くから心配しないでよ」
憂「うん。あ、そうだ、ちょっと気になることがあったんだけど」
唯「えっ、な、なに!?」
憂「シンクの洗い物、すごいことになってたんだけど」
憂「あれ一人分じゃないよね」
唯「」
クローゼット()ガタッ
憂「カレーもずいぶんたくさん作ったみたいだし…」
憂「誰か来てた? ひょっとけいおん部のみなさん?」
唯「うっ、うん! そうそう~憂がいなくてさみしいからみんな呼んじゃってさ~そんでカレーパーティーしたんだよね~!」
憂「へぇー、じゃあけいおん部のみなさん全員集まったんだー」
唯「そうそう、そうだよ! りっちゃんに教わりながらカレーつくったんだー!」
唯「ムギちゃんがかぼちゃプリン、澪ちゃんは栗羊羹もってきてくれてぇー」
憂「あれ? 紬さんがかぼちゃプリン持って来てくれたのって、こないだのハロウィンのときじゃなかった?」
唯「えっ、うそっ? まちがえたっ」
憂「ん? ”まちがえた”ってなぁに?」
唯「そ、それは…」タラタラ
だいたい律さん、紬さん、澪さん、梓ちゃんが来て、洗い物を手伝いもせず帰るなんて考えにくいし…」
唯「みみみみんな忙しいみたいで…」アタフタ
憂「忙しい。へぇぇ~~そうなんだ。でも誰か来てたのは本当なんだね。その誰かは忙しくて洗い物をする暇がなくて…」
唯「だから帰っちゃったんだってば!」
憂「うーん…」
唯「…うい」
憂「どうしたのおねえちゃ………ん」
眉をよせ、顎に手をあてた険しい表情の憂が顔をあげた。
一瞬。
けれどわたしがその隙を見逃すわけもない。唇を盗む。
唯「んん…」
どれくらい、唇を重ねあっていただろう。
深く深く。奥へ奥へ。ねじ込んでいた舌を引き抜いた。
ぬらっとした糸を引き、こぼれ落ちる唾液。
互いに混じり合ったそれは、もうどちらかひとりのものではありえない。
唯「ほら、いい子だからもう戻ろ?」
憂「……うん」ポー
唯「わたしはパンツ片付けたらすぐそっちいくから。洗い物もわたしがやるから。いい子で待ってて、ね?」
憂「……うん」ポー
瞳をうるうるとさせ、頬を赤らめた憂の頭を撫でる。
憂はうれしそうにこくんと頷き、ふらふらした足どりで部屋を出ていった。
唯「…ふぅ」
梓「ちょっとぉ唯先輩っ!なんなんですかあれはっ!?」バタン
唯「まあまああずにゃん落ち着いて」
梓「これが落ち着いていられますかっ!」
唯「興奮するのはわかるけどさ、もう済んだことはいいじゃん。それよりこの場をどう打開するか考えようよ」
梓「よくないです! 誤魔化さないでください!」
唯「ああもぅ…しかたないなぁ…」チュ
梓「!??」
チュッチュッペロペロクチュクチュチュパチュパジュルジュル
唯「ふぅ」
梓「……」グッタリ
唯「よし。じゃああずにゃん。これから事態をどう打開するか考えよう!」
梓「……わかりました」ポー
唯「あずにゃん、正気に戻るの早いね」
梓「そもそもなんですけど、わたし、隠れる理由なくないですか? 別に泥棒ってわけでもないんですから」
梓「ご両親ならともかく憂は唯先輩の妹ですし、それにわたしは憂と友達ですし…話せばちゃんとわかる、っていうか、むしろ隠す方がマズイですよ。なんか悪いことやってるみたいに思われます」
唯「そっか…、そう言われてみるとそうだね…わたしたち何も悪いことしてないもんね。つい反射的に隠しちゃったけど…」
梓「そうですよ。今から二人でリビングに降りて説明しましょう!」
唯「うーん、でもなんであずにゃんが泊まりに来てるのか、どうやって説明しようかなぁ…」
梓「それは…まぁ付き合ってるんですからそういうこともある、ってわかってもらえますよ」
唯「あー、そこからかぁ。そこからだよねぇ…」
梓「?」
唯「いやね。憂はね。わたしとあずにゃんが付き合ってる、ってこと知らないだよねぇ…」
梓「は?」
唯「黙ってたわけじゃないんだけどね、ほら、聞かれてもいないのに言うのも…ねぇ?」
梓「…都合が悪いから隠そうとしたわけですね」
唯「いやいや…そうじゃなくてぇ…」
梓「唯先輩、憂としょっちょうチューする関係ってこと、わたしに隠してましたよね?」
唯「それも隠してたんじゃなくて聞かれなかったから言わなかっただけ、っていうか…」
梓「つまりアレですか。わたしにも憂にも、ふたりに隠しておいて、上手に騙し通して二股かけてやろう、っていう…」
唯「ちっちがうよっ! そんなこと考えてないっ!」
唯「待って! あずにゃんよ~く考えてみて!」ムチュチュー
梓「またチューしてごまかそうったって、そうはいきませんよ!」グイー
唯「(…バレた)そうじゃなくて! じゃああずにゃんこそどうして自分から憂にわたしのこと話さなかったの!?」
梓「それは…」
大事な友達だからちゃんと言わなきゃ、って思ってはいたんですけど…
でも唯先輩のほうからもう言ってるのかな、とも思ってわたしからは特になにも…」
唯「なるほどね。わたしもね、あずにゃんと憂を二股にかけようなんてそんなこと、
全然、まったく、一ミリも、一瞬も、100%、神様にちかって、想像すらしてなかったけどね。
でもこの状況で憂にわたしたちのことを説明しても、正確に理解してもらえるかわからないよ」
だからさ。わたしたちのこと、きちんと伝えたいって思ってる。
ちゃんとね、それにふさわしいタイミングを見て、三人で話をしたいって。
でも今日はそういうタイミングじゃないでしょ?」
梓「そう…ですね」
梓「そうですねぇ。いちばんいいのは憂がお風呂に入ってる間にこっそり帰っちゃうことじゃないですか」
唯「おっ、そだね。さっすがあずにゃん! てんさい!」
梓「それくらい誰でも考えつくでしょう。第一、荷物はリビングに置いたままなんですからそれを回収しないと帰れませんし。それに靴だって玄関に………あ、」
唯「…どしたのあずにゃん」
梓「あ、あ、あの…唯先輩………」
唯「?」クルッ
憂「…」ニコニコ
梓「」
唯「…あ」
憂「…梓ちゃん、いらっしゃい」ニコニコ
梓「…おじゃま……してます」ペコリ
いつ本当のこと言ってくれるのかな? って待ってたんだけど。おねえちゃんはごまかそうとするし、梓ちゃんは出て来てくれないし」
唯梓「「すみませんでした…」」
憂「どうして謝るの?
なにか悪いことしてたの?
そもそも隠れる、ってことはなんなの??
普通に遊びにきただけなら隠れる必要ないよね?
もしかしてなにかわたしに言えないことでもあるの?
ふたりはどういう関係?
ねぇ。
ちゃんと教えてくれないかな?」
梓「えっと…それは…」
唯「ないよ! 隠しごとなんてなにもないよ! 悪いこともしてない!」
憂「おねえちゃん、それほんと? わたしの目を見て言える?」ジツ
唯「いっ、いっ、いっっいえ、いえ、いえま………せんごめんなさい」
梓(唯先輩よわっっっ!)
唯「しかじかで……それであずにゃんが泊まりにきてて……」
憂「ふぅん、そっか、そういうことだったんだ」
唯梓「「はい……」」
憂「かなしいなー梓ちゃん。わたし、梓ちゃんとは親友だと思ってたのに。なんにも言ってくれなくて」
梓「ごめん……」
憂「かなしいなーおねえちゃん。血を分けたたった二人の姉妹なのに隠しごとされるなんて」
唯「ごめん……」
憂「ま、いいよ。誰にだって言いにくいことくらいあるだろうしね。ところで梓ちゃん、もう夜ご飯食べたんだよね?」
梓「あ、う、うん…」
憂「それならもう か え る だ け だ ね ! はいこれ荷物! じゃあまた明日学校でね!!!」
梓「えっ、えっ」
唯「ちょ……うい………」
憂「はい! さっさと帰って……ね!!!!」
憂「な~~んちゃって! 冗談だよっ☆彡」テヘ
梓(うそだ………目がマジだった)
唯「」グッタリ
梓「え、あ…うん」
唯「それじゃわたしも……」
憂「どうしたのおねえちゃん? お風呂は梓ちゃんに譲ってあげて。いちばんはじめは、お客さんに入ってもらわないとでしょ」
唯「あ、いや…その…ね? わたしもあずにゃんといっしょに…ね? お風呂入りたい…なぁ? なんて、ね?」
憂「あはは。なに言ってるのおねえちゃん。冗談つまんない。そんなのダメだよ」
唯「ど、どうしてっ?! いいじゃんお風呂くらい! 憂のけちんぼ!」
憂「わたしがダメと言ったらダメなの。………わかった?」
唯「…………はい」
梓(よわいなぁ……)
唯「…………はい」
梓「あれ? わたしと…って、憂もいっしょに入るの?」
憂「あはは、梓ちゃんなに言ってるの? 当たり前じゃない」
憂「だってもし一人づつお風呂に入ってたらさ、わたしが入ってる間、おねえちゃんと梓ちゃんがふたりっきりになっちゃうでしょ?」
憂「そんなのダメだよ。ぜったいダメ」
唯梓「「………はい」」
…
……
………
…………
……………
いつの間にか、気がつくとわたしはすでに布団の中だった。
ふっかふかの羽毛布団の中。
入浴中。憂は普段と変わらない様子でわたしに笑いかけてくれていた。
けど、言葉が頭に入ってこない。会話の内容はぼんやりとしか記憶にない。
覚えているのは…もうもうと浴室に立ち込める湯気。
その合間に時折見える、刺すような憂の視線。
声とは反対に凍りつくような視線。
思い出すだけで身体が震える。
梓ちゃん、寒い? もうちょっと熱くしようか?
ううん、そんなことない! 大丈夫っ! ちょうどいいよ!
またまたぁ~遠慮しないでいいんだよ!
ぴぴぴぴぴっ。
43、44、45………上がり続けるデジタル数字の表記。
ごぼごぼごぼー、と威勢良く沸き立つ湯船。
鏡を見なくても自分の顔が赤くなってることがわかる。
呼吸があらい。こめかみから滴る汗が止まらない。
うわぁあずさちゃん。汗いっぱいだね!
いい汗をいっぱいかいて、新陳代謝をよくするのが美容の秘訣なんだよー。
たのしそうな憂の声が遠い。
そう、汗をかくのは美容の秘訣…わたしがきれいになったら、唯先輩よろこんでくれるかな?
…デトックス…美容…唯先輩のために…きれいになる…汗をかく…あつい……これはデトックス……もうろうとする……………唯先輩………うい………………
憂「目、覚めた?」
梓「………あ、うん」
やわらかい風がやんだ。
湯あたりしてたおれてたのか。
首を倒すと亀のぬいぐるみが見えた。
ということはここは憂の部屋だ。
うちわをあおぐ手を止めた憂が、枕元に置いてあったコップを手に取り、わたしへ差し出した。
上体を起こして受け取ると、一気に飲み干す。
おかわり、あるよ。プラスチック製の透明ボトルを揺らしながら、空のコップに麦茶を注いでくれた。
ベッドサイドのランプが、暗闇をほのかに照らす。憂はやさしく微笑んでいた。いつもの憂だった。
憂「おねえちゃん? 自分の部屋で寝てるんじゃないかな」
ベッドの横、フローリングの上に布団が敷かれている。
梓「ごめんね、ベッド取っちゃって」
軽く頭をさげると、
憂「いいよ、梓ちゃん、お客様なんだから」
笑って憂は答えた。
静かな夜の中に針の音が響く。時計の針はもうすぐ頂点で重なろうとしていた。
憂「もう遅いから、寝ようよ」
梓「………うん」
ぱちん。憂がランプを消した。
憂「…………………」
梓「…………………」
憂「…………………」
梓「…………………」
憂「…………………」
梓「…………………」
憂「…………………」
ブイーンブイーン
梓「…」ガバッ
憂「…………………」
憂「おねえちゃんから?」
梓「……うん」
憂「誕生日おめでと」
梓「………ありがと」
梓「……なに」ポチポチ
憂「あっ、いいよ。返事打ち終わってからで」
梓「ん。もう送った。大丈夫」
憂「そっか」
梓「…どしたの」
憂「嫌いになった? わたしのこと」
梓「えっ」
憂「だからさ、わたしのこと、嫌いになった、でしょ?」
梓「………うい?」
梓「いや…べつに…そんなことないけど…」
憂「うそ」
梓「うそじゃないよ。それならわたしだって…嫌われたかと思った」
憂「どうして?」
憂「まぁね。それはそうだね」
梓「うっ…わかっててもはっきり言われるとツライね…」アハハ
憂「ん。嫌いじゃないよ。わたしが梓ちゃんのこと嫌いになるわけないじゃん」
梓「え、…そうなの?」
憂「決まってるよ。そんなの」
憂「ねぇ梓ちゃん。姉妹、ってふしぎだと思わない?」
ずっとこのままでいたい、って思ってるのに、いつか別々になっちゃうのが“普通”なんてね」
一段下のところで身体を横たえた憂の表情はわからない。
暗闇にひとつひとつ言葉が浮かんでは、消えていく。
憂「すっごく好きで、これからも一緒にいたい、って思っても、いつかは離れ離れになるのが“普通”なんだよ。みんなそう思ってる。
おねえちゃんだって」
いつかおねえちゃんにわたし以外に好きな人ができるなんて。
むしろおめでたいことなんだよ。わかってるんだ。
それが梓ちゃんで、わたし、すごくうれしい。ううん。うそじゃない、うそじゃないよ。本当だよ? ほんとうのほんとう。
わたしが梓ちゃんのこと恨むなんておかしい。まちがってる」
ごめんね。
最後にそう言って、憂はすっかり黙ってしまった。
寝ちゃったのかな。
わたしは、というとすっかり目が冴えてしまって(さっきまで寝てたせいもあるかもしれない)、ちっとも寝付けやしなかった。
寝なきゃ。
目を閉じる。
すると、瞼の裏に唯先輩が現れた。よくできた幻だ。
幻は次第に輪郭があいまいになり、だんだんと姿を変え、憂になってゆく。
しばらくして完全に憂になると、ふたたび変化をはじめ、そのうち唯先輩に戻る。
唯先輩、憂、唯先輩、憂、唯先輩、憂、唯先輩、憂、唯先輩、憂、唯先輩、憂、唯先輩、憂、唯先輩、憂、唯先輩、憂……………
瞬間接着剤でもつけられたように、瞼が固まって開かない。
唯先輩はまた憂になり、憂は唯先輩になり、そしてまた……永遠に続くかのような変身を繰り返すうちに、ふたりは混じり出す。
どっちがどっちかわからなくなった幻は、しまいにそのどちらでもないまっくろくろの塊になり、わたしにのしかかった。ずしり。
ぎゃあ!
わたしは声をあげて飛び起きた。
窓の外からはりんりんと、虫の音が聴こえる。
額を流れる汗を拭う。前髪が張り付いて気色悪い。
瞼を閉じた憂は、静かに寝息を立てていた。
ブイーンブイーン
ケータイが鳴った。
憂「……出なよ」
梓「……起きてたの?」
憂「眠れなくて」
梓「わたしも」
憂「…おねえちゃん、なんて?」
梓「…唯先輩も、眠れないんだって」
憂「…梓ちゃん、提案なんだけど」
梓「…なに」
憂「わたし、このまま眠れそうにないの。だからいっそのこと、お散歩いかない? 夜のお散歩」
梓「……じゃあわたしからも提案」
憂「なに?」
梓「唯先輩抜きでいかない?」
憂「いいね♪ おねえちゃんにナイショでいっちゃおっか?」
いこういこう♪
わたしたちは笑いを噛み殺しつつ起き上がって素早く着替えると、音を立てないよう静かにドアを開き(なんてったって起きてる唯先輩に感づかれちゃいけない。ふたりっきりでナイショのお散歩なのだから)、抜き足差し足、家を出た。
17歳になって、はじめての夜。
半分に満たない月が空に浮かんでいる。
秋の夜の冷気が肌を刺す。
隣に並んで歩く憂がわたしの手を握る。わたしも握り返す。
このあいだまであんなに暑かったのにね、と憂が笑う。
そうだよ、先週なんてジャケット着てるのも暑いくらいだったのに、わたしも笑う。
今週からはマフラーしてる子増えたもんね、と憂。
純なんて寒がりだから、10月中からコート着てたよ、とわたし。
憂「そっか」
梓「…どうしたの?」
憂「おねえちゃんと梓ちゃん。今は同い年、なんだね」
梓「二週間そこそこだけだよ」
憂「それでもいいじゃない。ちょっとの間だけでも」
追いつけるなら。
そう言った憂の口から白い息が溢れて、暗闇に消えていく。
あそこでなにかおかしとあったかいものでも買って、帰ろうか。
憂「梓ちゃん。ひとつお願いがあるの」
梓「どうしたの。まさかに財布忘れた?」
憂「ううん。持ってきた」
そりゃ憂がそんなヘマをするわけない。唯先輩ならともかく。
唯先輩、どうしてるかな。寝てるかな、起きてるかな。メール、まだ送ってくれてるのかな。ケータイ置いてきちゃったからわかんないや。
点滅する真夜中の黄信号。
車も来ていないというのに横断歩道の手前で立ち止まり左右を確認してしまうのはこびりついた習慣のせい。
憂「いますぐ家に戻って。おねえちゃんのところへ行ってあげて。きっとまだ起きてるから」
梓「…急になに言い出すの」
憂「いいからはやく」
憂「わたしは…朝が来るまで外にいる。散歩してる」
梓「バカなこと言わないでよ、カゼひくよ」
憂「バカじゃないよ。おねえちゃんをひとりにして、わたしとこんなとこにいる梓ちゃんのほうがバカだよ」
梓「ちがうよ。バカは憂だよ」
憂「梓ちゃんのバカ!」
梓「憂のバカ!」
憂「じゃあ、コンビニまで一緒にいくよ。そのあとはひとりで帰って」
梓「ヤダ」
憂「……どうして。気を利かせてあげる、って言ってるのに!」
梓「そんな風に気を利かせてくれてもぜんっっぜんうれしくない。
そんなじゃ憂に勝った気がしない」
憂「なに……勝つとか負けるとか」
だから……勝つとか負けるとか…そういう風に言うのは違うかもだけど…ちゃんと認めてもらいたい」
憂「…………」
梓「うぅ…いっしょうかぁ…思ってた以上にきびしいね……ハハ。でもそれくらいのほうが、憂っぽいかも」
憂「わたしっぽいって?」
梓「おねえちゃんのこと、だいすきなんでしょ?」
いいんじゃない。それで。
梓「?」
憂「思ってたよりバカだね」クス
梓「なっ…」
そう言っていたずらっぽく笑うと憂は駆け出した。
白み始めて紫がかった夜の端へ、ポニーテールを揺らしながら。
わたしも慌てて追いかけていく。新聞配達のバイクがわたしたちを追い越していった。
と、静かに玄関の扉を閉めながら憂が言った。
憂「いっしょにシャワー、浴びよっか?」
ううん。いいや、わたしは笑って首を振る。
昨日の夜みたいな思いをするのはもうこりごりだ。
憂「じゃあわたしもやめる」
梓「いいよ。浴びて来なよ」
憂「ううん、いいの。かえって湯冷めしちゃいそうだし」
梓「そっか。そだね」
梓「…わたしも」
憂「今寝て、いつもの時間に起きれるかな……」
梓「わたしムリ。絶対起きられないと思う」
憂「うぅ……でもずっと起きてるのも…ムリそう…」
梓「ファ~…わたしも……」
ソファに腰掛けた途端、ぐぐっと身体が沈み込み、意識が朦朧としていく。
憂「………………学校、サボっちゃおっか」
梓「……いい…かもね」
憂の頭ががくんがくんと前後にかしいでいる。
梓「お互い……、母親のフリして…学校に電話…してさ。“娘は熱がでまして…”ってね」
憂「いいね。でも学校はじまる時間まで起きてる自信、ないかも……」
梓「そだね……それも…そうだ………ね……………」
だめだ………意識がとぎれそう。
……。
ねえ、あずさちゃん。
…なに。
おねがいがあるの。
また? へんなこと言わないでよ。
言わないよ。だから聞いて。
ほんとにへんなことじゃないんだよね。
梓ちゃん、しつこい子はおねえちゃんに嫌われるよ?
…それはやだ。
じゃあ聞いて。
うん。
…そんなの、わたしが許可するようなことじゃないよ。
…ううん。梓ちゃんに認めてほしいの。
…わかった。
…それともう一つ。
…まだあるの?
…おねがい。
…いいよ。
おねえちゃんには、言わないで。わたしが言ったこと。
憂が言ったこと?
うん、わたしが言ったこと、ぜんぶ。
…。
約束して。
できない。
どうして?
だって…
だって?
もう全部忘れちゃったんだもん。
…。
…。
…ありがと。梓ちゃん。
…
……
………
…………
……………
ぐらぐらと身体を揺すられて目を覚ました。
ちょこん、とわたしの隣に腰掛けた唯先輩が、“まちかど情報室”に熱心な視線を向けている。
唯先輩はもうすでに制服に着替えており、前のめりの姿勢で液晶画面にかじりついていた。どれだけ夢中なんですか。
痛んでしまった包丁を研ぐなら…うんぬん。アナウンサーの説明に集中した様子の唯先輩がうんうんと頷く。内容、わかってるんだろうか。
唯先輩、こういう生活雑貨に興味あったんだ。…うそでしょ。憂じゃあるまいし。憂?
左右に視線をうごかす。
憂はどこにもいなかった。
わたしもつられてテレビに視線を向けてみる。…どうにも興味を持てない。わたしの生活に必要性を感じないのだ。別にいいじゃん。痛んだら新しいの買えばいいのに。
いやでも…簡単にほいほい買い換えるのってどうなんだろう。昔からつかってるものを大切に…番組内容から離れてそう思っているうちにうつらうつらとしはじめて、ガッと肩を掴まれた。
唯「あずにゃんおはよ」
唯「ううん。正確に言うと寝てない」
梓「……眠くないんですか」
唯「うーん。なんかもう、眠気のピーク過ぎたみたい。むしろ逆にテンション高いよ! だからなに見てもちょうおもしろい!」
梓「………ああそれで」
リビングにはトーストの焼ける香ばしい匂いが漂っている。
唯先輩はわたしを両脇から抱えるように持ち上げて立ち上がらせると、ズルズル引きずるようにしてテーブルまで連れていく。
テーブルには少し黄身の崩れた目玉焼きに、片側が黒くこげたウインナー、半分にカットされた食パン、忘れちゃいけない昨日のカレー。
これ、唯先輩がひとりでつくってくれたんですか?
えへへ、まあね。
憂の分は?
わたしがリビングに来た時にはもういなかったんだ。
…そうですか。
唯先輩は両手を合わせ、“いただきます”とおおきな声を出した。
わたしも両手を合わせ、“いただきます”とちいさく呟いた。
やっぱり憂はどこにもいなかった。
唯「………」モグモグ
梓「………」モグモグ
唯「………」モグモグ
パチン、と音がして、ティファールが沸騰を告げた。
あずにゃん、なに飲む? ホットミルクティーでいい?
はい、大丈夫です。おねがいします。
梓「あの…唯先輩」
唯「…ん、なぁに」
昨日の夜、わたしが憂と散歩したのは現実だったんだろうか。
憂と、夜に話したこと。一緒にお風呂に入ったこと。そもそも、昨日憂は家に帰ってきてた?
どこまでが夢で、どこまでが現実かわからない。
唯「あったりまえじゃん」
唯先輩は勝ち誇ったようにピースを作り、歯をむき出しにして笑った。歯と歯の間に、ウインナーの切れ端が挟まっているの見えた。
梓「大事にしてあげてくださいね」
唯「もっちろん。大事にしてるよぉ」
唯先輩がマグカップにお湯を注ぐ。
ティーバッグを揺らすたび紅色が広がり、みるみるうちにカップを満たしていく。
唯「そだよー」
梓「ウチ…来ませんか?」
唯「えっ、それはつまり昨日の続きを……」
梓「それもいいんですけどでも今回は……憂と三人で、お祝い、したいです」
唯先輩は紅茶に口をつけ、ちょっとだけ啜ってからニッコリと笑い、頷いた。
唯「ゆっくり、進んでいったらいいんだよね、わたしたち」
梓「はい」
唯「えっ、どうして?」
梓「これ、飲みます」
テーブルの端に置かれたミルクティーを手に取る。
すっかり冷たくなった缶のプルタブを開けて口につけた。
甘すぎるくらい甘い、ミルクティーだった。
おわり
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1478784143/
Entry ⇒ 2016.12.22 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
平沢唯(25)「10年前からやり直そう」
唯「125年ローンだけど、払う気は全くありません!」フンス
唯「早速過去へ出発だ!」
唯(25)「うわぁ~本当に過去に戻っちゃった…」
唯「とりあえず家で腹ごしらえしよーっと!」ガチャ
憂(14)「え」
唯「あ」
憂「お…姉ちゃん?」
憂「なんだか大人っぽくなった…?」
唯「あはは~!そう!実は高校生になるからイメチェンしようと思って!」
憂「ふぅん…」ジロジロ
唯(おもいっきり不審に思われてる…)
憂「あんまし変なことしちゃダメだよ?」
唯「が、合点承知だよ~!」
唯「ご飯出来たら呼んでね!」タタッ
唯「わぁぁ!懐かしいなぁ!」
唯「20歳の時に失くしたアクセサリーもある!」
唯「…」
唯(25)「さて…これからどうするか考えよう」
唯(それは高校時代…ふざけてばかりで真面目にやってこなかったこと)
唯(そりゃあ軽音部のみんなとの時間は楽しかったし、大切な思い出だけど)
唯(でも…私のそのおちゃらけた生き方が…)
唯(あずにゃんの命を奪う原因になってしまった)
唯(18)「お茶おいし~!」
梓(17)「もう!唯先輩は少しは真面目に練習してください!」
唯(18)「まぁまぁ…時間はたっぷりあるんだし~」
梓(17)「呑気なこと言わないでください!時間は限られてるんです!」
唯(18)「明日から頑張るよ~」
梓(17)「…」イライラ
梓(17)「唯先輩なんてもう知りません!」ダッ
~
唯「思い出したくないのに…でも、それを防ぐために過去に戻ったんだ!」
唯「頑張るぞ!」カチッシュボッ
唯「ふ~」モクモク
憂「お姉ちゃん」
唯「わ!?憂!?」
憂「お姉ちゃん、未成年だよね?」
唯(25)(とっくにアラサーに片足突っ込んでるけど)
唯「タバコも没収されちゃったし…コンビニで買っておこ…」
律(15)「でさ!私、高校でドラムやりたいんだ!」
澪(15)「何度も言うけど、私は文芸部に入るからな」
唯(あ…)
唯(若いなぁ…)
唯(25)「そういえば10年前の…15歳の私もいるはずだよね?」
唯(25)「今日は日曜日なのに、なんで家にいないんだろう」
紬(28)「ようやく気がついたのね」
唯(25)「ムギちゃん!?」
唯(25)「えっ…いや…」
紬(28)「琴吹家からは、例え過去だろうと逃げることは出来ないのよ」
紬(28)「しっかり代金を回収させてもらうわ」
唯(25)「ずびばぜぇんでじだぁ!!」土下座
唯(25)「お金は必ず払いますので!どうかあずにゃんを助ける為にこの高校時代をやり直させてください!!」
唯(25)「ありがとうございます…」
紬(28)「大体不用意過ぎるわ。私が事前にあなたが過去に戻ることを予想して15歳の唯ちゃんを拉致…保護しておいたからよかったけど」
紬(28)「過去の自分と出会ったら、あなたの存在が消えてしまっていたのかもしれないのよ」
唯(25)「そ、そんなに危険なの…?」
唯「発信器を埋め込まれちゃったし…6兆円踏み倒すのは無理そうだなぁ」
唯「それに15歳の私をあずにゃんを助けるまで時空の狭間に監禁してるとか言ってたし…」
唯「もぉぉ!いきなり前途多難だよぉ!!」
梓(14)「!」ビクッ
梓(なんか前歩いてるお姉さんさっきから独り言言ってるし恐いなぁ…)
憂「座って」
唯「えっ…もうお説教は終わったんじゃ…」
憂「これなに」ダンッ
唯「あっ…」
憂「お姉ちゃん高校一年なんだよね?私知らなかったなぁ…高校生ってお酒も飲めるんだ」
唯(しまった…私の携帯用ウヰスキーが…)
憂「説明してよ」
憂「…」
唯「ほら、『憂好きー』になるでしょ?憂のことをもっと好きになりたくて…それで…」
憂「…」
唯(流石にこれは通らないか…!)
憂「お姉ちゃん」
唯「は、はひ!!」
憂「私もお姉ちゃんが大好きだよっ!」ニヘラァ~
唯(チョロっ!!)
唯「えっ…どういう…」
憂「私を好きにしていいから」ボソッ
唯「…」
唯(憂ってこんな子だったっけ…)
唯「勉強も部活も全力で取り組むぞ!」フンス
唯「とりあえず…」
唯「制服になんとか身体を押し込まないと…」グググ
唯「酒とタバコの不摂生が…こんなところで…!」
紬(28)「ゆ~いちゃん!」
唯(上には上がいたー!!)
唯(どう見ても…夫の為に無理して制服を着る人妻!!)
紬(28)「言いたいことはわかるけど、言ったらあなたの頭に埋め込んだ爆弾を爆発させるわ~」
唯「今なんかサラッと凄いこと言ってるよね?!」
澪(15)「…」
唯(25)「…」ニコニコ
紬(28)「…」ニコニコ
律(15)「な、なぁ…澪…」ボソッ
律(15)「この2人、どう見てもおば…」ボソボソ
澪(15)「バカ律!」ボカッ
律(15)「ぐえあ?!」ドグシャーン
澪(15)「人を見かけで判断するのは良くないぞ!」
紬(28)「お~」
唯(25)「よし!私頑張るよ!!」ジャララン
澪(15)「平沢さん凄いね!その使い込んだギター…それにその腕前!まるでプロだよ!」
唯(25)「一応プロのミュージシャンやってたんで」
澪(15)「え?」
紬(28)「唯ちゃんなりのジョークよ~」
紬(28)「気をつけて!」ボソッ
唯(25)「危ない危ない…」
律(15)「悪ぃ…澪、さっきので右手…持ってかれちまったみたいでさ」テヘヘ
唯(25)「あ?」ギロッ
律(15)「ひっ?!」
唯(25)「ふざけてる暇ねーんだよ。こっちはあと3年しか時間がねぇの」グググ
律(15)「すすすみましぇん…」ジョバー
紬(28)「あらあら」
紬(28)「順調ね…この1年で私達は既にプロ並の演奏が出来るようになったわ」
唯「まだだよ…まだ足りない」
唯「あずにゃんを守るには…この程度じゃ…全然…」
紬「唯ちゃん…」
紬「いよいよ明日は梓ちゃんの入部してくる日よ」
紬「大丈夫…うまくいくわ」
唯「だといいけど…」
紬「とりあえず部室に隠してるお酒は全部捨てておいたから」
唯「なんで余計なとこでサポートしてくるかなぁ」
澪(16)「軽音部に新たな仲間が増えて嬉しいよ」
律(16)「中野さん、悪いことは言わないからこの部活はやめといた方が…」ボソッ
唯(25)「おい田井中」
律(16)「はひっ!」ビクゥ
唯(25)「後輩を脅かしちゃダメだよぉ♪」
律(16)「ごめんなさいごめんなさい」
梓(15)(なんかこの軽音部ヤバそう…)
唯(25)「あずにゃんが才能あるからだよ!教え甲斐があるもん!」
澪(16)「あの2人…すっかり姉妹みたいだな」
律(16)「私にもあれくらい優しくして欲しいんだけど」
紬(28)(唯ちゃん…これが時を遡ってまであなたがやりたかったこと…?)
紬(28)(あなたは世界の残酷さを…まだ何もわかってはいないわ…)
唯「うん!あずにゃんと居残りで練習しててさ~すっかり遅くなっちゃうんだ!」
憂「そっか…熱心なんだね」
唯「それにあずにゃん、今度うちに泊まり込みで練習させて欲しいんだって!いいよね?」
憂「もちろん…」
憂「梓ちゃんなら大歓迎だよ」
唯「お!あずにゃん、あがってあがって」
梓「ふつつか者ですが…よろしくです!」
唯「もぉ~あずにゃんたらお嫁さんじゃないんだから」
梓「け、けっこん?!」プシュー
唯「おーい…大丈夫~?」ユサユサ
梓「ふぅ…まさか夜まで集中して練習できるなんて思いませんでした」
唯「汗かいちゃったね…お風呂入ろっか」
梓「そうですね!じゃあ唯先輩、お先にどうぞ!」
唯「何言ってるの?一緒に入ろうよ」
梓「え…でも…」
憂「…」ジーッ
梓「や、やっぱり遠慮しときます!ささ、早く入ってきてください!」
唯「ほ~い」
唯「幸せだな…こうしてあずにゃんと一緒に高校生活を送れて…」
唯「ずっと…この時間が続けばいいのに…」
ガシャーン!
唯「…?」
唯「何の音だろ…」
唯「憂~?どしたの~?」
唯(おかしい…いつもなら呼んだら2秒で返事をするのに…)
唯「憂…?」ガチャ
梓「あ…あ…唯…先輩…」
唯「あずにゃん…」
梓「私…そんなつもりじゃ…なのに…」
唯「なんで…」
憂「」
梓「憂を…殺しちゃいました…」ポロポロ
梓「悔しかったんです!憂が…憂が唯先輩を独占してるのが!!」
梓「唯先輩は…ただの後輩の私なんかより!妹の方が大事なんだって!」
梓「そしたら私…わけがわからなくなっちゃって!頭が真っ白で!」
梓「気づいたら…憂を…刺しちゃって…」
唯「ありえない…こんなこと…私知らない…」
梓「もう唯先輩の側にはいられません…」
梓「ごめんなさい!!」ダッ
唯「あずにゃん!待って!」
紬「これが現実よ、唯ちゃん」
唯「知ってたの…?」
紬「大方の予想はついていたわ。梓ちゃんは死の運命から逃れた。けれど、それは宇宙の予定調和を乱すこと」
紬「その対価を誰かが支払わなくちゃならない…それが憂ちゃんだったのよ」
唯「それじゃあ…私のしてきたことは…」
紬「言いたくはないけど、無駄だったということね」
紬「あなたが認めようと認めまいと、これはもう決まっていることなのよ」
紬「あきらめなさい」
唯「嫌だよっ!!」
紬「まるで子どもね…あなたは高校生の頃から少しも成長していないわ」
唯「運命だって諦めて…出来ることがあるのに何もしなかったら…私は!私でなくなっちゃうもん!」
紬「どうするの?憂ちゃんを助けても…他の誰かが犠牲になるだけよ」
唯「考えがあるんだ」
紬「…」
紬「好きにしなさい」
唯「私がお風呂に入る前まで時間を巻き戻す!」
梓「ふぅ…まさか夜まで集中して練習できるなんて思いませんでした」
唯「汗かいちゃったね…お風呂入ろっか」
梓「そうですね!じゃあ唯先輩、お先にどうぞ!」
唯「何言ってるの?一緒に入ろうよ」
梓「え…でも…」
憂「…」ジーッ
梓「や、やっぱり遠慮しときます!ささ、早く入ってきてください!」
唯「ほ~い」
憂「梓ちゃんおつかれさま!ジュースだよ」
梓「ありがと…ねぇ憂、このリンゴは?」
憂「青森の親戚が送ってくれたの。お姉ちゃんウサギさんが好きだから目の前で剥いてあげるんだ♪」
梓「そっか…憂は唯先輩のことなんでも知ってるね…」
憂「もちろん!私にとってお姉ちゃんは全てだから!」
梓「…っ!」ギリッ
唯(来るか…!)
憂「梓ちゃ…ん?」
梓「唯先輩は…私のものだっ!!」ガッ
憂「…っ!」
ガシャーン!
唯「あずにゃん!やめて!」ダッ
梓「?!」ピタッ
憂「お姉ちゃん…」
唯「あずにゃん…そんなに私のことを想ってくれてたんだね」
唯「今まで気づいてあげられなくて…ごめん」
梓「う…唯…先輩…」ポロポロ
梓「ごめんなさい…」
唯「いい子…」ナデナデ
唯「さて…」
唯「あずにゃん、憂、2人とも大好きだよ。だから、私のこと…忘れないでね」
憂「何を…」
グサッ
唯「いったぁぁ~ぃ…」ボタボタ
梓「唯先輩?!」
憂「救急車を!」
唯「だい…す…き…だよ…」
唯「」
梓「唯せんばぁぁい!!!」
憂「おねぇぢゃぁん!!!」
紬「…」
紬(28)「残念だけど現世よ。やっと起きたのね」
唯「私…死んだはず…」
紬「確かに死んだわ。素人のくせに自分の急所を一突きするなんて…」
唯「え…でも…」
紬「まどろっこしいわね」
紬「あなたは私に6兆円を支払う義務があるの。死なれては困るから、現代に連れ帰ってサイボーグとして蘇生手術をさせてもらったわ」
唯「琴吹家って一体…」
紬「それでも一回の死は一回の死…それで宇宙の予定調和は帳尻合わせをされたみたいよ」
紬「あなたには呆れたわ」
紬「18歳のあなたをいなくなった25歳のあなたの代わりに連れて行って元通りよ。あの出来事も夢だと思っているわ」
紬「後はあなたを本来の自分のいた世界に戻して一件落着ね」
唯「これで…あずにゃんも誰も…死なずに済んだんだ…よかった」
紬「それじゃあまた、3年後…28歳になったら会いましょう。さようなら」
唯「ムギちゃん…ありがとう…」
唯「え…6兆円だったはず…」
紬「あなたの蘇生にいくらかかったと思ってるの?旧友のよしみで300年後までに支払ってくれたらいいわ」
唯「そんなぁ!そんな長生きできないよ!」
紬「サイボーグなんだから寿命なんてないでしょ?」
唯「あ、そっかぁ~」
唯「\(^o^)/」
お
わ
り
紬「琴吹家は地獄の底まで取り立てるわよ」
掲載元:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1473170994/
Entry ⇒ 2016.12.05 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
唯「みんな大好き!」
ふょふょふろ
@st!
唯「あず(^ ー!」牛う
梓「唯先輩やめgwぃ」
紬「2ら2ら…」
率「ほんどらへww)
澪「@@@@!」
憂(la/mmして…。)
憂(jんで。おねきはン画都ラleる)
憂(aj4てaj4てaj4てaj4てaj4てaj4てaj4てaj4てテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテテ)
-------------
唯「dgwニフ-?」
憂「…。/&いよ…。」
唯「無生スー」
憂「ごhn食手kまね7」
唯「dgw//」
------------
さわこ「……g@ajw.'.がgtます…………」
3わ30
さわこ「……化^~@w亡twtta…」
唯「……e-?」
律「……たゆpgaただ」
紬☆2^36
唯「」
さわこ「なggtw8!?」
律「由良ならら!」
罪木「…//6!!」
h5号!
澪「@@@@」@jga
律「………」
紬「588tya0?」
唯「…gggpggよ「
唯(``4て@イ)
---------
唯「異へへへ」
憂「異へへへ」
異へへへー変!
唯「異へへへ?」
憂「異へへへ」
gtg9
警察「異へへへ」
憂「異へへへ??」
唯「…異変変変」
警察「異変変変」at
警察「意詩詩詩詩詩詩詩詩詩詩詩詩詩詩詩詩、詩詩詩。詩詩詩詩」
憂「異変@@@@!!」
唯「…ひひ」
警察「…pgt.16.40半nng#ほ!」
憂「@て!@て!」
警察「たつらたらたら」
唯「……うひひ」
扉dgnn!
唯「…ぷくく」
唯「ひゃはっはははははっはっはっはっはっはハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」ぽろぽろ
唯「……ってな感じで同人誌を出そうと思います!」ふんす
梓「……」
憂「……」
律「……」
澪「」
紬「……」
唯「……え?どったのみんな?」
紬「…ええ。はい。そうです。」
唯「え、え?ムギちゃん何してるの?」
紬「今からお迎えがくるわよ?」
憂「お姉ちゃん…こんなになるまで
放っておいてごめんね…」
律「仕方ないよ憂ちゃん…もともとこういう…」
唯「ちょっと何言ってるの?」
ウーウー!
紬「きたわよ」
ちょっとそこ道空けて!
ガガガガ
きゃっ
どうしたのかしら
ガチャッ
律「おっ!この子です」
唯「え、ええ?」
「早く担架に!早くしろ新人」
「はぃいい」
唯「ちょっ、待」
梓「唯先輩、また戻ってきてくださいね」
唯「わけがわからないよ」
ガラララ
紬「行っちゃったわね…」
律「…あぁ」
澪「」
「脈拍は正常!」
唯「いやいや、どこも怪我してないから」
「お、おいっトラックがこっちに向かってきてないか?」
「な!?逆走だと!?」
唯「え?え?え?え?え?」
「危なっいいいいいー!」
キキーー!!!
ドンッ!!!!
憂「もうっ…お姉ちゃんったら」
憂「またこんなの書いて…」
唯「ういーあいすー(^q^)」かきかき
憂「めっ!」ピシッ
唯「うぇうぇ(^q^)」かきかき
憂「この梓澪律紬って誰なの?」
唯「なかよし!(^q^)」
憂「そ、そうなんだー」
憂(毎日、障害をもった姉の世話…)
憂(私知ってるんだからね…両親は出張じゃなくて旅行に行ってること)
憂(世話を押しつけてること)
憂「…お姉ちゃん」
----------
憂「んーー」
梓「!」
憂「んん?」
梓「憂ったらいつまで寝てるの?」
憂「あれ?さっきのは夢??」
梓「憂が授業中寝るなんて珍しいね…。」
憂「え?」
ガチャッ
唯「憂ー!」だきっ
憂「お姉ちゃん!?」
唯「憂にねプレゼントがあるの?」
律「行くぞ、1.2.3.4.1.2」
ジャカジャカジャンジャン
唯「君を見てるといつもハート…」
唯「ど、どうだった?」
憂「すごいよ!」うるうる
梓「よかったー」
唯「自己紹介遅れたね。私の名前は平沢唯だよ」
憂「知ってるよ」
梓「私は中野梓です」
律「私は田井中律よーろしくっ」
澪「澪。秋山澪だ」
紬「私は琴吹紬っていいます。趣味は百…」
唯「でね、憂?」
憂「うん?」
唯「ここに残りたい?」
憂(そういえばこれも夢なんだね)
憂(私は一人っ子。本当はお姉ちゃんなんて存在しないんだ。)
憂(事故にあってから、ものすごい長い夢を見てる気がする)
憂(この空間を作ったのは私と他のみなさん)
''''g.
憂(書き手が少なくなってきて、この空間が歪んできて@ます)
憂(今は私が@無理矢理m維持させてます)
憂(これをwm見ているみなさん…もっともっと書いてjtください。t拷問されたりゲロ吐いたりするのは嫌wですけどね)
憂「私に、twtいや、私たちmに長い夢を書@@@@wpwp.p949485.7./.8..、ま、た、た、らwwpwpwp異変変」うるうる変た、.p'p”@h'g'g”@J'04(5(50520.4105~*01、たわつわかわな、たわおわち!わち、た、たー、たわたわつあ、たわたわーtjpapn.g.p!!tg”pw憂「らまらまぎゃ
にゃんあずmpmgwちゃんwpみおらま、(^q^)
まらtg..g.'g89々〒8888888888888〒8らまらま、た、た、ま、た、た、た、た、た警察、ま、.g”g'g'j'g'g
乙
最初はビックリしたけどw
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1472453606/
Entry ⇒ 2016.10.16 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
唯「かちゅーしゃ!」
梓「どうしましたか唯先輩?」
唯「これ見てっ!」カチャッ
梓「律先輩のカチューシャですね」
唯「机の上に置きっぱなしになってたんだよ」
梓「律先輩、カチューシャ外してどこ行っちゃったんでしょうか?」キョロキョロ
梓「確かにそうですね」
唯「えへへ。これ私が着けてたどうなるかな?」
梓「勝手にいじっていいんですか?」
唯「まぁまぁ。私とりっちゃんの仲だし~」カチャ
ガシーーン!
梓「まったくもう」
唯「……」
梓「唯先輩?」
唯『うぃーっす、梓』
梓「!!?」
唯『どうした梓?驚いたような顔して?』
梓「いや、驚きますよっ!なんで律先輩みたいなしゃべり方すてるんですかっ」
唯『そりゃあ私のカチューシャ着けたら私みたいなしゃべり方になるだろ』
梓「えっ…あの、もしかして、律先輩なんですか?」
唯『おうっ!りっちゃんだぜー!』
梓「そんなバカな…」
梓「ああ、いえ、そういう意味では…」
唯『まぁ梓が驚くのも無理は無いか。私のカチューシャにこんな能力があるなんて今まで言ったことなかったからな』
梓「律先輩のカチューシャにそんな秘密が…」
唯『おもしろいだろー!』ふんす!
梓「まぁ…おもしろいはおもしろいですよ。あの、それってカチューシャ外したら元の唯先輩に戻るんですかね?」
唯『戻るぞ』
梓「あ、意外と簡単に戻れるんですね」
梓「はぁ。わかりました…」カチッ
ガチョッ!
唯「ふぅっ!ようやく戻れたよ~」
梓「お~」
唯「りっちゃんのカチューシャすごい能力があったんだねあずにゃん」
梓「そうですねぇ」ジー
唯「……」
梓「……」
唯「あずにゃんも着けてみたら?」
梓「あ、やっぱり私もやる感じですか?」
梓「……」
唯「…あずにゃん?」
梓『よお、どうした唯?』
唯「あずにゃんがりっちゃんになってるっ!」
梓『なんだよー。唯もさっきやっただろ~?』
唯「そうなんだけど、やっぱり違和感あるねぇ」
梓『見た目は梓のまんまだからなぁ』
梓『うーん、あんまり変わんねぇな』
唯「そういうものなの?」
梓『身長同じくらいだからなー』
ガチャ
澪「あれ?律のやつ部室に来てないのか?」
唯「あ、澪ちゃん!」
梓『私ならここにいるぜー!』
澪「??」
唯「あずにゃんじゃないよお澪ちゃん。ここにいるのはりっちゃん!」
梓『よぉ澪。りっちゃんだよーん♪』
澪「ああ、そうか…ついに二人も律のカチューシャの秘密に気付いてしまったんだな」
唯「澪ちゃんは知ってたんだ?」
澪「一応幼なじみだからな」
梓『腐れ縁ってヤツだな』
澪「そう言えば無いな」
梓『おお、じゃあ澪も私になってみるか?』
澪「梓から外して自分の頭に着ければいいのか?」
梓『そうそう。外して着けるだけ』
澪「それじゃあ…」スッ
唯「やっぱりあずにゃんの頭に着けるなら、カチューシャじゃなくてネコミミじゃないとね!」ふんすっ
梓『なーに言ってんだよっ』
ガチョッ!
梓「何を言っているんですか唯先輩はっ!」
澪「すごい、梓に戻ったな」
唯「まぁまぁあずにゃん♪」ぎゅーっ
澪「やれやれ。それじゃあ、私もちょっとだけ…」
ガシーーン!
澪「……」
梓「澪先輩?」
唯「それともりっちゃん?」
澪『うおっ!澪の体になってるっ!』
唯「お~!」
梓「お~!」
澪『おもしろいなーこれっ!』
澪『いつも見なれてるからなー。あ、でもいつもより身長は高いかな』
梓「なるほど。視点が普段とは違うと」
澪『そんなもんかな。それほど新鮮味はねぇなあ』
紬「澪ちゃんの体のことは知りつくしている、ってことね!」キラキラ
澪『違う意味に聞こえるわっ!』
澪『って、ムギ!?』
唯「おおっ!いつの間にムギちゃんっ!」
紬「今来ました~」にこにこ
紬「おはよう梓ちゃん。みんなおもしろそうなことしているわねっ!」ふんすっ
唯「ムギちゃんもりっちゃんのカチューシャ着けてみなよ~」
紬「はいはいっ!私もやってみたいですっ!」しゅばっ
澪『いいぜー。それじゃムギもこのカチューシャ着けてみろよ』
紬「頭に着けるだけでりっちゃんになるのね?」
澪『そういうこと』
ガチョッ!
澪「…ふぅ、なんか照れるなこれ」
梓「お疲れ様です、澪先輩」
唯「よっ!待ってましたー!」
紬「りっちゃんに~、変身っ♪」
ガシーーン!
紬「……」
澪「ムギ?」
紬『ムギじゃねー!りっちゃん参上っ!』
梓「ムギ先輩になった律先輩ですね」
紬『ムギ~お茶淹れて~♪』
澪「ムギは今お前だろっ」
唯「あははっ!わけわかんないねぇ」
紬『そいつは困ったなっ』
唯「大変だよーりっちゃん!」
紬『ヤバイな!放課後ティータイムの危機だっ!』
梓「ケーキも食べられません」
澪「ムギが居ないとこんなにも大変だなんて」
唯「これは一刻も早く戻ってもらわねば…」
唯「それじゃりっちゃん来るまではムギちゃんにカチューシャ着けててもらおっか?」
梓「と言うか、律先輩来たらこれどうなるんですかね?」
ガチャ
律「なー、誰か私のカチューシャ知らね?」
澪「お、言ったそばから来たな」
紬『カチューシャならこっちの私が着けてるぜー!』
律「おう!?」
梓「本体なんですか」
唯「りっちゃんが本体外してるなんて珍しいよねって言ってたんだよー」
律「ううっ、部室来たら誰もいなかったからなんか外して、そのままトイレ行っちまったんだよ…」
澪「それで鏡を見て気付いて戻って来たと」
紬『私が本体だぜー!』ふんすっ
律「あぁ~、私の本体さんが~~っ」へなへな
紬『仕方ねーなー。やっぱりこのカチューシャは私に着いてないとダメかっ』
ガチョッ!
紬「はい、りっちゃん!りっちゃんのカチューシャよ~」
律「あぁ~、ありがてぇ、ありがてぇですだ~」へこへこ
ガシーーン!
律「……りっちゃん、ふっかーつ!!」シャキーン!
唯「おー。やっぱりりっちゃんはこうじゃないとね!」
梓「しっくりきますね」
澪「いつも通りだな」
律「ムギっ!お茶淹れて~♪」
紬「ふふっ、はーい」
梓「ケーキもくださいっ」
唯「やっぱりいつも通りの軽音部が一番だね~」
紬「ぷっ、ふふふっ」くすくす
澪「あはははっ」クスッ
梓「そうですねっ。全員が律先輩になったら困ります!」
律「なんだとー、中野ー!」
唯「あはははっ!おもしろかったけどね、みんなでりっちゃんになるの!」
おしまい!
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1475929394/
Entry ⇒ 2016.10.13 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
梓「あずにゃん禁止令!」唯「?!」
梓「だいたい“あずにゃん”ってなんなんですかー!
いい歳こいて“にゃん”なんて恥ずかしくて堪えられません!」
唯「えええっ?! 今さら言うことなの!?」
梓「それを、よりにもよって公衆の面前であずにゃんあずにゃんと・・・」
唯「あっ、いまあずにゃんがあずにゃんて」
梓「揚げ足をとらないの!!」
唯「はっはい・・・」
梓「もう金輪際その呼び方は禁止です」
唯「じゃ、じゃあ・・・“あずキャット”とか」
梓「似たようなやつも全部だめです!!
せめて高校生なりのふさわしい呼び方をしてくださいっ」
唯「・・・うぅ」
◆ ◆ ◆
唯「ふわっふわったーあーいむっ♪」ジャカジャン
ガチャ
■「失礼します」
唯「あっ、■■■■■!」
■「その呼び名はやめてくださいって言ってるじゃないですか!」
唯「ごめんなさい、えーっと……■■■ちゃん?」
■「・・・妥協します」
律「おーい、遅いぞ■ー」
■「すみません、ちょっと日直で遅れてしまって」
澪「律、お昼に言っただろ? 今日は■が遅れてくるって」
紬「ふふ、ぐっすり寝てたものね。はい、■ちゃんどうぞ」コトッ
■「ありがとうございます。・・・あつっ」
唯「■■■■■■は猫舌だねえ」
■「だからそれもダメって!」
紬「まぁまぁ。かわいいじゃない、■■■■■■」
■「じゃあムギ先輩は呼ばれたいですか? ■■■■■■って」
紬「もちろん!」きらきら
■「えー・・・」
律「あれ、でもそしたらムギはムギ■■■■じゃねー?」
唯「おー、たしかにムギ■■■■だ」
律「ムギ■■■■ってなんか上品そう。血統書とかあるんだよ
澪『じゃ、じゃあ私はみお■■■■・・・』」
澪「言ってないから!」ポカッ
律「あだっ」
唯「あっそういえばね、■■■■で思い出したんだけど」
■「?」
唯「けさ学校くるとき、すっごいかわいい■■ちゃん見たんだよ!」
律「えっ?」
唯「いや、だから交差点の電柱のとこで、よちよち歩きの■■さんが・・・」
澪「ごめん。聞き取れなかった、なんか黒いもやがかかったみたいで」
唯「えー? だからー真っ黒い毛でヒゲがぴんと生えた■■ちゃんが・・・あれっ?」
紬「真っ黒・・・髭・・・・おじさん?」
律「よちよち歩きって言ってるでしょうが!」
澪「おじさんがよちよち歩き・・・うわぁ」
■「それでその■がどうしたんですか?」
唯「あっうんえっとね、なんだか日焼けした■■■■■みたいだなあって」
■「私は道ばたの■と同列ですか・・・」
唯「■■■■■も■■もかわいいもんねぇ」
律「って、ちょっ待て待てまてっ!
私ら会話についてこれてないから!!」
唯「ええー? ほら、■■■■■が・・・じゃなかった、■■■ちゃんが、」
■「唯せんぱぁい?」ギロッ
唯「私ちゃんと言ったもん!■■■ちゃんって!」
澪「・・・・・??」
律「ん、澪どうかした?」
澪「いや、その・・・唯、一つ聞いていいか?」
唯「えっうん」
■「大丈夫ですか? 先輩、受験勉強でお疲れなんじゃ・・・」
唯「そうだね、澪ちゃんも今年受験だもんねぇ」
律「おめーもだろっ」
紬「ふふっ。それで、澪ちゃん?」
澪「いや・・・なんか怖くなってきたからいい」
ゆい■■「「・・・?」」
澪(だから唯はなにと話してるんだ!?)
じゃーん♪
律「ふぅ・・・やっぱたまにはスティック握らないと、腕がにぶるもんね!」
澪「何回目だ、そのいいわけ」
「そうですよ。・・・まぁ、唯先輩たちに提案した私も私ですけど」
唯「でもでも、 ちゃんだってギター弾きたかったんだし!」
律「えっ? ギター、唯以外に誰か弾いてたっけ?」
「ちょっ、それひどくないですかー?!」ぷんすか
澪「あ、なんだっけ。レディオヘッドのジョニーみたいだ」
律「あー。メンバーに入れてほしくて後ろで和音弾いてたって」
「なんですかその扱い・・・・まぁ、悪い気はしないですけど」
紬「それにね、 ちゃんとここで演奏するのも、」
澪「そうだな。ちゃんと演奏しないとな、やるからには」
紬「えっ? 私、そういう意味じゃ、」
澪「えっ、それってどういう」
「 ? 、 ?」きょとん
澪「・・・なんだろう。触れちゃいけない気がする」ブルブル
唯「もー。澪ちゃんマジメすぎー。もっとこう、りらぁっくすして、ね?」
澪「あ、・・・うん。ごめん、唯」
「 。 、 ・・・?」
律「・・・・・うん?」
そんなこんなでそつぎょうしき!
唯「これをあげよう」スッ
律「だれにだよ」
唯「えっ・・・いや、なんか雰囲気的に、こう・・・?」
唯「あっそうだ! えとね、これもあげようっ!」スッ
澪「・・・はあ?」
唯「花びらが5枚! 私たちみたい・・・あれ?」
紬「5枚・・・?」
唯「・・・・あれえー?」きょとん
律「おいおい、私たち軽音部はなぁー、」
唯「ねね、点呼しようよ!? りっちゃん部長!」
律「そ、そうだな! 部活っぽいしな!? よしいくぞ、『け!』」スッ
澪「『い!』」スッ
紬「『お!』」スッ
唯「『ん!』」スッ
スッ
律「やっぱり4人だよな」
澪「おいおい、気味が悪いよ・・・」
澪「・・・そ、そうだ! 気を取り直して、聴いて欲しい曲があるんだ!」
唯「だれに?」
澪「あ、・・・・いや、なんとなく」
律「・・・なんで?」
紬「それは、そのっ! ・・・・あれ?」
唯「ま、まあ曲あるんだし演奏しようよ」
律「そうだなっ、今日が最後だしなっ!」
唯「それじゃあ歌います、
『なんだか よくわからないものに ふれた気がする!』」
律(曲名しまらねぇええええ!!)ワンツー
じゃーん♪
澪「・・・」
律「・・・」
紬「・・・」
唯「・・・」
全員(なにこれ・・・)
唯「む? 今なんか失礼なこといわれた気がするっ!」
律「奇遇だな、私もだ」
澪「ミエナイキコエナイ」ブルブル
紬「って、本当にみえないね・・・」
唯「うーん・・・なにか大事なことを、忘れてるような・・・・」
完
※ 本作品には一部、不適切な表現がございましたため
関係者の皆様のご要望にお応えして
音声処理を行いましたことをご了承ください。
桜 高 軽 音 部
グスン
おわり。
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1419745336/
Entry ⇒ 2016.10.12 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
紬「セーラー服を脱がさないで♪」
菫「もう30歳なんだよ!!!!」
菫「おねえちゃんおかえりなさ……………なにその格好…………」
菫「早く脱いで!!! ………え、いや……ちょっと! ここで脱がないでよ! 玄関だよ!」
菫「うん……ちゃんと自分の部屋で着替えてきて。ブレザー? ちがうよ! 制服じゃなくて普通の服!」
菫「普通の基準……? そんなの自分で考えればわかるでしょ…」
菫(歳をおうごとにおねえちゃんがおかしくなっていく……)
菫「その格好で帰ってきた、ってことは…………」
菫「ええっ! セーラー服着てコンビニ行っちゃったの!? やめてよほんとにもう…」
菫(また旦那様と奥様に怒られる……)
菫「30歳だし、世間的に見て大企業、って言われる規模の会社で一応は取締役してるわけでしょ」
菫「立派な大人、社会人だよね。そんな人がセーラー服着て、外に出かけてるの見つかったらどうなると思う?」
菫「いや………かわいいとかそうじゃなくて…」
菫「…モテる? モテるわけないでしょ!! 男の人たちみんなドン引きだよ!!」
菫(ハァ……これだから結婚できないんだよなぁ……)
菫「セーラー服は学生が着る服でしょ? 大人が着る服じゃ……? 大人なのに着てる人もいる? だれ?」
菫「…………」
菫「セーラー服おじさんを例に出さないで!!!」
菫「え? まだまだいける? なんでそんなこと……」
菫「うそ? 学生に間違えられた?? ええっ、誰に???」
菫「……………」
菫「おまわりさんにみつかってんじゃん!!!!!!」
菫「補導じゃないよ! ただのあたまおかしい人だと思われただけだよ!!!」
菫「えっ、笑ってた? …ドン引きされてただけだってば!!!」
菫「付き合ってる人にリクエストされた?」
菫「それならふたりきりのときにやってよ! 勝手に出かけたりしないで!!」
菫「ちなみに聞くけど、その人、なにやってる人なの……?」
菫「…………」
菫「教師!? サイアクじゃない!!」
菫(結局、おねえちゃんはセーラー服を着るのをやめなかった)
菫(はじめのうちは近所をうろうろする程度だったけど、)
菫(それじゃ飽き足らなくなって、セーラー服で出勤するようになった)
菫(いまではもう、みんな慣れちゃったけど、)
菫(こんな人が未来の社長だ、ってバレたら、そのうち株価に影響が出るんじゃ…)
菫(でもいくら注意しても聞いてくれないし…)
菫(膝丈はどんどん短くなるし…)
菫(ルーズソックスまで履きだす始末)
菫(あ~あ、またわたしが怒られる)ゲンナリ
菫(……まぁたしかにかわいいんだけど)
ガチャ
菫「あっ、おかえりなさ…………ええっ!?」
菫「普通の服着てる………」
菫「お、お、お、おねえちゃん……やっとわかってくれたんだ……」ウルウル
菫「えっ、恋人に注意された?」
菫「なんだ…まともな人じゃん……」
菫「あんまり似合って可愛すぎるから他の人に見せたくない、って?」
菫「そんなこと聞いてないよ!」
菫「ええっ、ほんとはフラれちゃったの!??」
菫「そ、そっか……なんかごめん」
菫「うん……でもさ、別れた今だから言うけど、その人ヘンタイだよ? 教師のくせに30歳超えた恋人にセーラー服着せて外出させるとか……だから別れて正解だよ、絶対」
菫「おねえちゃんにはもっとふさわしい人がいるよ……(そして早く結婚してわたしを楽にしてほしい)」
菫「なになに? ええぇーっ! その人わたしの知ってる人なの! いったい誰!?」
菫「…………」
菫「さわ子先生のバカァ!!!!」
おしまい。
乙
良いよ~
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1474810532/
Entry ⇒ 2016.10.01 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
唯「澪ちゃんが宇宙との交信を始めました」
ウッキウキに声を弾ませた澪ちゃんが、つまみをひねりながら言いました。
ジー、というラジカセの雑音が響く部室内は、窓から降り注ぐ光でオレンジ色に染まっています。
「わたし…ちょっとお手洗いに…」
あずにゃん、5分前におトイレから戻ってきたとこじゃん。
「あ、お、お茶のおかわり淹れてくるねっ」
ムギちゃん、まだなみなみと入ってるよ? ミルクティー。
ただ一人、りっちゃんだけが、なに食わぬ顔で悠然とマドレーヌを頬張っていました。もぐもぐ。
えらいです。さすがは部長です。
やっぱりね。こういうときはりっちゃんの出番ですよね。
頼むよ、りっちゃん隊員!
さらに三つ四つと次から次へマドレーヌをパクつくばかり。なにも行動を起こそうとしません。
そのあいだ、澪ちゃんは宇宙がどうの、地球がどうの、緑がどうの、イルカがどうの、……etc
目をキラッキラに輝かせながらしゃべり続けていました。
あんまりちゃんと聞いてなかったので詳しくはわかんなかったんだけど。
さっさとなんとかしてよっ! りっちゃん隊員!!
すると、わたしの心の声が聞こえたのか、
りっちゃんはわたしに向けて、片目を閉じたり開いたり、合図を送ってきました。
「ああ、スルーしとけ、ってこと?」
「バカ! 口に出していうな!」
「オイ! ちゃんと聞かなきゃダメだろ! 集中しろっ!」
…なんで怒られなきゃいけないんでしょうか。意味不明です。
澪ちゃんの目つきは血走っていました。マジです。マジもんです。
りっちゃんは唐突に立ち上がり、シュパッと飛ぶように駆けて行きました。
期待ハズレの腰抜け隊員め。
ところで。
あずにゃんはお腹の調子が悪いのでしょうか。
ムギちゃんは一体どんなお茶を淹れているのでしょうか。
二人ともちっとも戻ってきません。
意味のわからない演説を聞かされるのも苦痛ですが、静かになったぶん余計にラジカセの雑音が耳ざわりです。
しばらく観察していると、二つの瞳からしずくが流れ始めました。
澪ちゃんはすっかり自分の世界に入り込んでしまっている様子です。
わたしは澪ちゃんのお皿に残ったマドレーヌを手に取りました。
澪ちゃんは全く気づく素振りを見せません。
マドレーヌを口に含み、ゆっくりゆっくりとその甘みを噛み締めながら、
なんでこんなことになってしまったのか、ぼんやり考えてみましたが、わたしにわかるはずもありません。
部室には雑音が流れ続けています。
わたしは両耳を塞ぎ、目を閉じました。
こうすれば今、わたしに感じられるのは口の中に広がるマドレーヌの甘さだけ。
ん~、マドレーヌおいし♪
現実逃避バンザイ。
「ハァ…」
「どうしたの? お姉ちゃん」
「どうしたもこうしたもなくてねぇ…」
「もしかして澪さんのこと?」
我が妹はどうしてこうも察しがいいのでしょう。
お風呂上がりの憂がバスタオルで頭を拭きながら、わたしに向けて微笑みました。
澪ちゃんの宇宙の声講座は軽音部やクラス内に収まらず、学年を超えて広がりを見せています。
ある日、宇宙の声が聞こえた、と言いだしてからというもの、
澪ちゃんはいつでもどこでもあの古めかしいラジカセを持ち歩くようになりました。
しかもドヤ顔で。
黒人さんでもないのにヘッドホンを首にかけ、ラジカセを担いでうろうろしているのです。
いいえ、黒人さんでもこんなことしないでしょう。
今の時代、世界のどこを探せば澪ちゃんみたいな人は見つかるのでしょうか。
世紀末からタイムスリップしてきたラッパーでしょうか。
どうやら放課後ティータイムには、いつのまにかベーシストの代わりにラッパーが加入していたようです。
お昼休みはお弁当を食べ終えるとすぐに屋上へ行き(宇宙の声が入りやすいらしいです)、
放課後は教室や部室で布教活動。
それが澪ちゃんの日課です。
澪ちゃんの奇妙奇天烈摩訶不思議な行動はすぐさま学年中、学校中に広がりました。
そりゃそうです。ファンクラブもある人気者、桜高のアイドル秋山澪ちゃん。
いつでもどこでもファンは彼女の行動に注目しているのです。
今では週に三度、ファンクラブ会員を集めての“宇宙の声を聞く会”が催されています。
『ファンクラブの子達が希望してるし…他ならぬ澪もみんなに聞かせたいって言ってるから…』
ファンクラブ会長である和ちゃんは、真っ赤なメガネを左手の人差し指でクイッと押し上げながら言いました。
困ってるときの和ちゃんはこうしていつも左手の人差し指でクイッとメガネを押し上げる癖があります。
クイッと。右手ではなくて左手です。
幼馴染みのわたしにはわかるんです。
嘘です。
実に立派な会長です。さすがわたしの自慢の幼馴染み。
前ファンクラブ会長の曽我部先輩も草葉の陰で喜んでいることでしょう。
そりゃそうです。
口を開けば練習練習、三四がなくて五に練習。
練習、という言葉以外の日本語を忘れてしまったんじゃないかというくらい練習練習言ってた澪ちゃんがいないのです。
同じく練習練習言ってる練習にゃんも大きな味方を失って、前ほど練習練習言わなくなりました。
それ以前にメンバーが揃っていなければ練習できないんですけど。
五人みんな揃っていなければ楽しさもおいしさも半減です。はっきり言うとつまんないのです。
ライブや学祭、今後の軽音部の活動にも支障が出ちゃいますし(すでに出てるけど)、なにより澪ちゃんの将来が心配です。
最近では深夜遅くまで宇宙の声を聞いているらしく、なんと授業中に居眠りしていることすらあるのです。
あの澪ちゃんがです。
真面目とおっぱいと勉強熱心が服着て歩いてる澪ちゃんがです。
りっちゃんやわたしが居眠りしていると情け容赦なくばしばし頭を叩く古典の堀込先生も、
澪ちゃんの頭を叩くわけにもいかず、眉をしかめながらゴホンゴホンとあざとい咳払いを数十回繰り返していました。
(それでも澪ちゃんは起きませんでした。夢の中でも宇宙と交信していたのでしょうか)
「え…憂、それホント?」
妹が洗脳されておかしな宗教にハマりでもしたら、留守がちな両親に代わり平沢家を預かる姉として申し訳が立ちません。
「うん。純ちゃんが行きたいって言うから梓ちゃんも誘って三人で」
ホッ。純ちゃんとあずにゃんがいっしょならまだ安心です。
「純ちゃんもあずにゃんも災難だねぇ…」
「でも…ほかのみんなは結構満足そうだったよ」
憂はほのぼのと微笑みました。
もともとほとんど開かれることのなかったファンクラブの会合が、定期的に開かれるようになったのですから。
澪ちゃんファンの人たちとしては、理由はなんであれ、とにかく澪ちゃんと少しでも接点が持てることがうれしいのです。
澪ちゃん自身も、ファンクラブが存在するおかげでこうして数多くのひとに宇宙の声を聞かせられるわけですから、ハッピーでしょう。
つまりウィンウィン、ってやつです。
でもみんな、聞こえてるのかな。宇宙の声。
みんながちゃんと聞こえていて、澪ちゃんと同じように宇宙の声に感動しているんなら、なにも問題はありません。
けれど。もし。
バスタオルをとるとふわっとシャンプーの香りが漂います。
わたしと同じ香りをまといながら、憂はちょっとだけ口角を上げました。
額に張り付いた半乾きの髪はわたしよりちょっぴり色素が薄くて、
お風呂上がりで赤く上気したほっぺはぷくぷくとやわらかそう。
そんなことをぼんやり考えていると、憂が両手を伸ばし、わたしのほっぺに触れました。
「うい…ちょっと、」
「世界でいちばんやわらかいんじゃないかなー」
わたしは知っています。わたしより、憂のほうが百万倍やわらかいんです。
こんなにやわらかいものは、憂のほっぺ以上にふにふにやわらかいものは、この世に存在しない、ってくらい。
思わず憂のほっぺに触れようと左手が伸びていたことに気がつき慌てて引っ込めると、もう一度憂に尋ねました。
「お姉ちゃんは? 他のみなさんは聞こえたの?」
憂は答えず、反対にわたしに問い返してきました。
わたしは憂にほっぺを触れられたまま、黙って首を横に振りました。
「それを澪さんにちゃんと伝えた?」
わたしはもう一度、首を横に振りました。
「戻ってきてほしいなら、ちゃんと言ったほうがいいんじゃないかな。澪さんに」
「…澪ちゃん、すっごく一生懸命だから」
軽音部のみんなはたぶん全員聞こえてないと思います。
では軽音部以外の誰かで、澪ちゃん以外に宇宙の声が聞こえている人はいるんでしょうか。
まわりのみんな、誰にも聞こえてなくて、自分しか聞こえてなくて、誰も澪ちゃんのことを信じてないとしたら。
誰にもわかってもらえないとしたら。
どうしたらいいんでしょう。
じっとわたしの瞳を見つめる憂から目を逸らし、両手で憂の手を掴んでわたしのほっぺから離すと、右手の人差し指で憂の唇を押さえて言いました。
「ダメだよ。そういうのもうしない、って約束したでしょ」
そうしてポンと憂の肩を叩いて距離をとると、まだ半乾きで湿ったままの憂の髪を撫でて、
「髪、乾かしておいで」
そう言って立ち上がり、リビングを出て部屋に戻りました。
「おっす」
ある日の放課後、澪ちゃんが部室にひょっこり顔を出しました。
ああ、今日は集会のない日だったっけ。
もはや澪ちゃんの放課後のメイン活動は軽音部ではなく、宇宙集会になっていました。
「ムギ、わたし今日はレモンティー飲みたいな」
「その言い方はないんじゃないか」
食いついたのはりっちゃんでした。
「あのな。ほとんど顔出さないくせにその言い方はなんだ、って言ってんの」
「律だってお茶、飲んでるだろ」
「そういうことじゃねーよ。ムギがどんな気持ちでお茶とお菓子準備してたか考えたことあるのか、って意味だよ」
集会の日であろうとなかろうと、ムギちゃんはいつだって澪ちゃんの分のお茶とお菓子を用意していました。
いつか起こるんじゃないかと思っていたことが、ついに今日やってきました。
この機会にちゃんと話し合いをするべきです。
けれどそうわかっていても、なにを言うべきかどうやって伝えるべきか、いざとなるとちっともわからなくなってしまい、
わたしはりっちゃんと澪ちゃんを代わる代わる眺めるばかりでした。
「と、とりあえずお茶にしましょうよ…ほら! 今日は澪先輩の大好きなガトーショコラですよ!」
ここのところずっと、ガトーショコラの登場率は以前に増して高くなっていました。わたしでも気がつくくらいですから相当です。
きっと澪ちゃんを喜ばせたいというムギちゃんの想いに違いありません。
「………」
本当ならとっても美味しいはずのガトーショコラ。それがやたらと苦く感じたのは、きっと気のせいじゃないと思います。
ちょっと前まであんなにわいわいと賑やかだったお茶会は、終始無言でカチャカチャと陶器の音が響くだけの気まずい時間に変わってしまいました。
こんなときこそさわちゃん先生が乱入してきてくれると助かるのですが、
そんなときに限ってさわちゃん先生はやってこないのです。
まったく。役に立たないなぁ。
知ってたけど。
仕方ありません。
唐突に立ち上がり、思い切って言ってみました。
澪ちゃんの大好きな“れんしゅう”という言葉を使うことで気を引こうとしたわけです。
まさに切り札。例えればジョーカー、これぞ伝家の宝刀です。
みんながさぁ練習するぞと立ち上がる中、最後まで座ったままの澪ちゃんが力強い声で言いました。
「大きい声出すなよ、びっくりするだろ」
「…大事なことなんだ」
今度は打って変わって弱々しい声。澪ちゃんはまだ座ったまま、少し顔を伏せていました。
「みんな、あのさ…」
澪ちゃんはさらに小さく頼りない声でしゃべりだしましたが、すぐに黙ってしまいました。
澪ちゃんがこうやって時々暴走してしまいがちなのを一番わかっているのがりっちゃんです。
澪ちゃんの側に一番長くいるのがりっちゃんです。
澪ちゃんのことを一番わかっているのりっちゃんです。
そのはずです。
イライラしていても、澪ちゃんがしゃべりだすまで待っていてあげるのが、きっとりっちゃんのやさしさなんだと、
わたしはそう思います。
ここでごまかしちゃいけない。
わたしは思いました。
きっとみんなもそう思ったんだと思います。
でもみんな、なにも言えませんでした。
ここで本当のことを言えば、澪ちゃんが傷つくってわかっていたから。
けれど曖昧にごまかしてこの場をしのいでも、なんの解決にもならないってこともわかっています。
誰もなにも答えないまま沈黙が続き、しびれを切らした澪ちゃんは椅子から立ち上がるとソファーのところに置いてある愛用のラジカセを手に取り、スイッチを入れました。
相変わらず、ジー、という音だけが響くだけでした。
そうやって縋るような表情でわたし達に訊ねる澪ちゃんには、
初めの頃のちょっと調子に乗りすぎた色は全くありませんでした。
りっちゃんが小さな声で呟きました。
さっきまでの怒気を孕んだ口調とは全く違っていました。
澪ちゃんはりっちゃんに答えることなく、ラジカセのつまみをいじっています。
ジー、という雑音がさらに大きくなりました。
さっきよりも大きく、はっきりした声でりっちゃんが言います。
それでも澪ちゃんはわたし達のほうを見ることなく、一心不乱にラジカセを見つめてつまみをいじっています。
ムギちゃんが呼びかけました。
澪ちゃんは振り向きません。
あずにゃんが声をかけました。
澪ちゃんはラジカセを見つめてブツブツ呟いています。
わたしが呼んでも、澪ちゃんには聞こえていないようでした。
りっちゃんが大声で叫びました。
今まで聞いたこともないような大声が部屋中に反響して、思わずビクッと身体が跳ねました。
それは澪ちゃんも同じだったみたいで、ようやくラジカセから視線を外し、おずおずとこちらを向きました。
潤んだ瞳で澪ちゃんをじっと見つめていました。
「…みお。ごめんな。悪いけどわたしは何にも聞こえない。たぶんみんなも一緒だ。
だからもうやめようぜ。みんな心配してるんだ。もういいだろ? 戻ってこいよ。澪がいないとさみしいんだよ。
澪にとって、宇宙とか地球とかイルカとか…大事だってのはわかる。わかる…、けどさ。
わたし達のことは…大事じゃ、ねーのかよ…。わたしは、みおが…、だいじなんだよ…。
まえ…みたいに、お茶、飲んだり…ふざけてあそんだり…えんそう、したりしたいんだよ。
………なぁ…たのむよ、もどってきてくれよ…」
次第に泣き声が混じって、声を詰まらせながらりっちゃんは言いました。
澪ちゃんの口から出たのは、さっきのりっちゃんと同じ言葉。
ようやくわかってくれたのか、とホッと胸をなでおろした瞬間、
「大丈夫、きっと聞こえるはずだから。今度こそ…ほら」
「澪のバカ! いい加減にしろっ!」
「律先輩っ!」
「りっちゃん待って!」
叫びながら飛び出したりっちゃん、
りっちゃんを追いかけてムギちゃんとあずにゃんも飛び出して、
部室にはわたしと澪ちゃん。ふたりだけが取り残されました。
その顔は笑っているわけでも泣いているわけでもなく、きっと最初からわかっていたのかもしれません、
なにも言わず目を伏せるとラジカセのスイッチを切りました。
澪ちゃんのいる“宇宙”ってこういうところなのかな?
…と思いましたが、全然違うかもしれません。わかりません。
澪ちゃんの宇宙は、澪ちゃんの中にしかない。
澪ちゃんにしかわからない。
澪ちゃんのことを一番わかっているはずのりっちゃんにだってわからない。
たぶん澪ちゃんのお父さんお母さんにも。
きっと誰も、澪ちゃんの宇宙のことはわからないのです。
慌てて後を追うと、澪ちゃんはポッケから鍵を取り出し、屋上の扉を開けようとしています。
集会で時折屋上を使っていましたから、その関係でうまいこと融通したのかもしれません。
ファンクラブ会長が生徒会長だと、そのあたりとっても便利なんでしょう。
澪ちゃんは平然として長い黒髪をたなびかせながら扉の向こうへ踏み出してゆきます。
わたしも澪ちゃんに続きました。…さぶいです。
高く空の向こうに、鳥が飛んでいるのが見えました。
こんな見事な晴天の日は、宇宙との交信もしやすいのではないでしょうか。
「天気がよくて、高い場所のほうが声は聞き取りやすいんだ」
やっぱりそうみたいです。
澪ちゃんがラジカセのスイッチを入れました。
快晴の下にジー、といういつもの雑音が響きます。
澪ちゃんは腰を下ろし膝を抱えて体育座りの格好になると、目をつむって顔を伏せました。
わたしも澪ちゃんの隣に腰を下ろして、同じように体育座りで膝を抱えて目をつむり、顔を伏せました。
しばらくそのまま澪ちゃんの側に寄り添っていました。
風に乗って雑音が空に流れてゆきました。
どれくらい時間がたったのか、「おーい」と扉の向こうであずにゃんの声が聞こえてわたしは顔を上げました。
ちょっぴり寝ちゃってたみたいです。
澪ちゃんは顔を上げていて、群青色に染まっていく空を眺めていました。
ラジカセの雑音はいつのまにか止んでいました。
“ちょっと今、出てこれる?”
20時14分にきたメールを見て、わたしは靴紐を結びました。
ところがなぜか今日に限ってうまく結べず、なんどやってもほどけてしまいます。
「どこに行くの」
もたもたしているとお風呂上がりの憂がやってきて、
頬を真っ赤に染めながらわたしに訊ねました。
「うんとね、澪ちゃんとこ」
「こんな夜遅くに?」
「夜は空気が澄んでるから、特に声が聞こえやすいんだって」
そっか。と憂はにっこり笑って言いました。
「なぁに、お姉ちゃん」
「もう一度聞くね。憂は聞こえた? 宇宙の声」
わたしの問いに対して憂は曖昧な笑顔を浮かべるままで、なにも答えてはくれませんでした。
「…聞こえたのか聞こえてないのか、どっちなの?」
「自分が聞こえた音が、宇宙の声なのかどうかわからないの」
「ってことは憂はなにか聞こえたってこと??」
「お姉ちゃんはなにも聞こえなかったの?」
わたしの耳に聞こえたのは、ジー、という雑音だけです。
「わたしも同じ」
「じゃあ聞こえてないってことじゃないの?」
「そうなのかな。でももしかしたらあれが宇宙の声なのかな、って」
「そんなわけないでしょ。だってただの雑音だよ? 壊れたラジカセから聞こえる単なる雑音だよ!」
「わからないよ」
「…わからないってなにが」
わたしには憂の考えていることがわかりません。
「…よくわかんない」
「わたしにもよくわかんない」
「なにそれ。ヘンなの」
「だよね。ヘンだよね」
憂は目尻を下げてにっこりと笑いました。
つられたわたしも思わず笑顔になりました。
宇宙の声が本当に存在しないなんて言えるのか、わからないの。
だって澪さんは聞こえる、って言ってるんでしょ?
…本当はね。わかってるよ。
まわりのみんなに理解してもらえなかったり、共有してもらえなかったりすることは、
“ない”ってことにされちゃうんだろーなー…ってこと。
だけどね、わたしはあんまりそういうことしたくない、っていうか…うーん、と…。
あ、わたしね。澪さんのこと好きだから、信じたいな、ってそう思うの」
憂はにこにこ笑いながら言いました。
「…わたしも澪ちゃんのこと、好きだよ」
「うん。知ってる」
憂の瞳は、まっすぐわたしを見つめていました。
「でもわたし、信じてなかった」
「ううん、そんなことないと思う」
視線をそらして下を向くと、結んだ靴紐がまた縦結びになっていました。
ほどいて結び直しましたが、また縦結びになってしまい、ほどきます。
なにやってんだろ、わたし。
「…大丈夫、自分でできるから」
「…結ばせて」
憂は三和土に降りて腰をかがめると、簡単にほどけないよう固く強く靴紐を結んでくれました。
「ほら、できた」
「うい…お願いがあるんだけど」
「なに?」
「キス、してくれない?」
憂は目を閉じてすっと顔を寄せ、キスしてくれました。
わたしは黙って立ち上がり、憂に背中を向けるとドアノブをつかみ、扉を押し開けました。
びゅうっと冷たい風が頬を刺し、髪が揺れます。
目を見開いたまま一歩を踏み出し、扉を閉めることも忘れてそのまま、わたしは真冬を駆け出しました。
「来てくれないかと思った」
唇の熱は、そのまま残り続けていました。
息を切らして走ってきたわたしを見て、澪ちゃんはかすかに笑いました。
いつもと同じいもむしみたいなコートに、ぼんぼんのついた白いマフラー。
星のマークの入った桃色のかわいい耳当てをつけています。
月の光に照らされて、ひとり公園のベンチに座る澪ちゃんはとても綺麗で、
最近のエキセントリックな言動のせいですっかり忘れていましたが、
改めてこの子が美人だということを思い出させてくれました。
「いいんだ。ありがと、来てくれて」
わたしが隣に腰掛けたのを見て、澪ちゃんはラジカセのスイッチを押しました。
おなじみの、ジー、という音が夜の公園に響きます。
「高いところのほうがいいじゃないの」と訊ねると澪ちゃんは、
「山の上とか登ってみたいけど夜は危ないから」と答えました。
澪ちゃんにちゃんと理性が残っているようで安心です。
そう言ってラジカセにイヤホンを挿して片方をわたしに手渡してくれました。
このほうがまわりにうるさくないし、夜の公園で意味不明な音を垂れ流すよりも変な目で見られにくいからいいかもしれません。
わたしが右耳にイヤホンをはめるのをみて、澪ちゃんは耳当てを外し、左耳にイヤホンをつけました。
それからつまみに触れて、少しづつ少しづつ動かしました。…慎重に音を探っているみたいです。
左手でイヤホンをつけた耳を押さえ、眉を寄せて真剣な面持ちです。かなり集中している様子でした。
しばらくすると、つまみを調整していた手が止まり、どうだ! という笑顔をわたしに向けました。
けれどわたしの右耳には、変わることのない、ジー、という音が響いているだけでした。
「ジー、っていう音はね」
ここまできてもう、わたしは曖昧にごまかすつもりはありませんでした。
「そっか」
会心の調整も徒労に終わり、澪ちゃんはがっくりとうなだれました。
「えーっと…前にも話したと思うけど…」
そう言って話す内容は、地球環境がどうのとか森林破壊がどうのとか平和がどうのとかイルカがどうのとか…前に聞いた内容と変わりません。
耳タコです。
「うーん、そうだなぁ…人間の声として聞こえるっていうよりも…振動っていうか音楽っていうか…身体の内側に響く感じで伝わってくる、というか……」
言葉にするのは難しいんだ、澪ちゃんは言いました。
あれだけなんども集会をしていて、澪ちゃんはなんにも説明してこなかったのでしょうか。
いや、説明なんかしなくても声さえ聞けば、みんなわかってくれるに違いないと思っていたのかもしれません。
「……」
「…澪ちゃん?」
「…そう言われるとそう聞こえなくもない」
「なにそれ。じゃあ澪ちゃんもわたし達といっしょで、なんにも聞こえてない、ってことじゃん」
「……」
夜の公園はとても静かです。
澪ちゃんは黙ったまま、なにも答えてくれませんでした。
点滅を繰り返す古い電灯が、ベンチに座るわたし達を照らしていました。
寒い夜でした。
冷たい風が吹くたびに震えそうになって、ふたりで身体を寄せ合って宇宙の声を聞こうとしていました。
それに引っ張られるようにしてわたしの右耳からもイヤホンが外れます。
イヤホンから漏れるジー、という音。
わたしはラジカセからイヤホンを引っこ抜きました。
さっきまでふたりだけのものだった音は夜にバラまかれ、星空へと広がってきました。
「もしかして、唯には聞こえてるんじゃないかと思って」
「聞こえないよ。澪ちゃんだって、本当はなんにも聞こえてないんでしょ」
澪ちゃんはまた、黙り込んでしまいました。
「…………」
静かに呟いた澪ちゃんの言葉。
公園通り沿いを走る車の音に、かき消されてしまった言葉。
もしかしたらわたしの聞き間違いかもしれません。
澪ちゃんはなにも言わなかったのかもしれません。
「…だよな、そうだよな」
今度ははっきり、澪ちゃんの声が聞こえました。
「聞こえる、って言ってもわたしだけだもんな。
わたし以外の人全員聞こえないんだもんな。
わたしだって聞こえた声がどういうものか、うまく説明できないもんな。
そんなんじゃ、聞こえない、ってことと一緒だよな。
“宇宙の声”、…なんて、わたしの勘違いだった、ってことか…ハハ…」
快晴の夜空には無数の星。
でもこうして今、目に見えている星だけが、夜空にまたたく星の全てではないそうです。
目に見えていないだけで、本当はずっともっと、この宇宙には数え切れないくらいたくさんの星が存在しているらしいです。
けれどそのうちわたしの知っている星なんて指の数で足りるほど。
わたしの知らない星、見ることのできない星のほうが、ずっとずっと多いのです。
「今夜は付き合わせてごめんな。
宇宙の声はこれでおしまい。
明日からは毎日ちゃんと部室に行くし、練習もする。
宇宙の話ももうしない」
澪ちゃんはかるく笑ってみせるとベンチから立ち上がり、大きく伸びをしました。
「ほんとうにそれでいいの?」
「うん。なんか吹っ切れた。やっと冷静になれたよ。
ほんとごめん。わたしの思い込みのせいでみんなにめちゃくちゃ迷惑かけちゃって。
明日、みんなにちゃんと謝る」
「じゃあもう、宇宙の声は聞かないの?」
「ああ、もう聞かない」
「なんで? どうして? 聞こえるんじゃなかったの?」
「意味…ないから」
澪ちゃんは耳当てをつけなおして、ラジカセのスイッチを切りました。
音が止み、夜の公園を静寂が包みました。
「…やめないでよ」
「…え?」
「…簡単にやめるくらいならこんなことしないでよ。
本当に聞こえるんならやめるなんて言わないでよ。
誰にも理解されないからってやめないでよ。
…聞こえるんでしょ、
大事なんでしょ、
信じてるんでしょ、
…大切にしてよ、ねぇ…
お願い、だから…」
「ゆい…」
自分で自分がなにを言っているのか、わからなくなっていました。
強く握った両手は冷たくて凍えそうで、唇を噛みしめて我慢しようとしたけれど、
涙がこぼれるのを止められませんでした。
「わたし…聞こえないけど…全然聞こえないけど…信じてもなかったけど…
澪ちゃんが言ってることも…地球とか森とかイルカとかわけわかんないけど…
でも、澪ちゃんが宇宙の声聞くの、やめちゃうなんてヤダ」
誰にもわからないからって、
人とちがうからって、
まわりに理解されないからって、
なかったことにされちゃうなんてやだ。
否定されちゃうなんてやだ。
ほんとうのことなのに。
じぶんのほんとうの気持ちなのに。
いやだよ…そんなの…ぜったいやだ。
澪ちゃんはもう一度ベンチに腰掛けて、わたしをぎゅっと抱きしめてくれました。
わたしは全身を震わせながら、必死で澪ちゃんにしがみついていました。
何かの拍子にスイッチが入ったのか、ラジカセからは宇宙の声が流れ出していました。
『ジジジッ……の風、日中は南の風、晴れ、夜は曇り。北部の山沿いでは雪……
日中は日差しのでるところはあるものの、最高気温は昨日とおなじかやや下がるでしょう。
府内警報注意報は出ていません。降水確率は……』
「どう? 今夜はイケそう?」
「…どうかな。曇りみたいだし、音の入りは悪いかも」
扉を開けて一歩を踏み出した瞬間に後悔するこの寒さ。
ところが澪ちゃんは寒さに強いのか、コートも着ずにこうして風に吹かれて平然としています。スゴいね、冬生まれ。
「…身も蓋もないこと言うなよ」
「それより今夜は寒いの?」
「昨日より寒いってさ」
「げ。サイアク」
今夜はやめよっかな。
「おしるこおごるから」
「わたし…一生澪ちゃんについていくよっ」
「…ゲンキンなやつ。…ていうかそんな安く釣られて大丈夫か?」
いいのいいの、結局澪ちゃんについていくのに変わりはないんだから。おしるこオゴってもらえてラッキーです。
あの日以来、澪ちゃんは宇宙の声の布教をやめ、以前どおりの澪ちゃんに戻りました。
部室でちゃんとみんなに謝ってりっちゃんとも仲直り。
ラジカセは持ってきているものの、人目を厭わず聞きまくるようなことはなくなり、やっとこ平和が訪れました。
『みお…わかってくれてうれしいよ』グスッ
『りつ…泣くなよ、大げさだな。わたしがわるかったよ。わたしも十分反省したからさ、だから泣かないでくれよ』
『よかった~やっぱり五人揃ってないとお茶もお菓子もおいしくないものね♪』
『そうです! 五人揃ってこその軽音部です! さぁ今日からガンガン練習しましょう!』
『ああ! これまでできなかった分、一気に取り返すぞ!!』
これまでサボっていた分演奏はガッタガタで、澪ちゃんは自分のことを棚にあげて激怒していました。
勘弁してほしいです…。
「唯って変わってるよな」
「なに? 急に。宇宙の声が聞こえるとか言ってる人には言われたくないんだけど」
「仕方ないだろ、聞こえるものは聞こえるんだから」
澪ちゃんは膨れたように言います。
「わたしは聞こえるからさ。でも唯は聞こえないのに付き合ってくれるからすごいな、って」
「そうだねぇ~」
「も、もしかして少しは聞こえるようになった?」
「ううん。まったく」
「……」
わかりやすく肩を落とす澪ちゃんが可愛らしくて、思わず笑ってしまいそうになります。
でも聞こえるか聞こえないかは、もうわたしにとってそれほど大事なことではないのです。
冷え切った身体でリビングの扉を開けると、コタツに突っ伏すようにして憂が寝ていました。
わたしをずっと待っていてくれたのでしょうか。
起こしてしまうのは気が引けましたが、このままにしては風邪を引いてしまうかもと思い、身体を揺りました。
『ただいま。ごめんね。遅くなって』
『ううん、よかった。帰ってきてくれて』
憂は笑ってわたしの手を握りました。
『ダメ、冷たいから』
『いいよ、あっためてあげる』
『ううん、ダメ。ダメだよ』
わたしのことをどう思っているのでしょうか。
自分から突き放したくせに、あんなことを言ったわたしを。
いろんな考えが頭の中をめぐり、こんがらがってわけがわからなくなり、目を閉じたわたしの唇にやわらかいものが触れました。
目を開くとそこにあったのは、いつもの憂の笑顔でした。
『おねえちゃん』
憂は両腕をわたしの背中に回し、つよく身体を抱きしめました。
もう二度と、ほどけないほどつよく。
けれどわたしは抵抗するつもりなんて、まったくありませんでした。
なぜならそれは、他ならぬわたしが、いちばん望んでいたことだったからです。
「さぶっ」
「ほら、風邪ひくぞ」
そう言って澪ちゃんがこっちに缶を投げました。
「あっ、おしるこだ」
「唯がくるかな、って思ったから買っといた」
「気がきくね~澪ちゃん」
「えへへ、まあな」
「…うーん、でもコーンポタージュのほうがよかったかもー」
「…ゼータクゆーな」
「宇宙の声が聞き取れるんだから、心の声くらい読んでほしいね」
「無茶いうなって…」
わたしは澪ちゃんの隣に腰掛けて身体をぴったりくっつきました。こうするととってもあったかいのです。
つまみを調整する手が止まり、「ん」と澪ちゃんが声に出してわたしの顔を見ました。
この表情から察するに、宇宙の声絶好調!ってとこでしょうか。
わたしにはまーったくなぁーんにも聞こえませんけど。
きっとこれからずっと、どんなに頑張ってもわたしに宇宙の声は聞こえないかもしれませんけど。
でもそんなことどーだっていいんです。
宇宙の声は聞こえないけど、聞こえるって言ってる澪ちゃんのことを信じてるから。
澪ちゃんに、宇宙の声を信じ続けてほしいから。
こうして隣に座っているんです。
「なーに、澪ちゃん」
「ありがと」
「どしたの? 急に。もしかして、わたしがいると声が聞こえやすくなるとか?」
「いや。そんなことはない」
「なーんだ。それよりさ、澪ちゃん。もうすぐお昼休み終わるよ」
「ん、わかった。あとちょっとだけ」
真っ青な冬空に、宇宙の声が響いていました。
おしまい
けいおんSS久々に読んだ
乙でした
謎の感動が
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1452774207/
Entry ⇒ 2016.09.17 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
唯「もしかしてだけど」
唯「明日って和ちゃんの誕生日?」
和「そうね、それを直接本人に聞くとはいい度胸してるわ」
12月25日 12:00
唯「確実だと思ってね!」
和「間違えようはないけど、もうちょっと方法あったでしょうに……」
唯「う~ん、そうかなあ……じゃあお詫びとして一番に和ちゃんの誕生日を祝うよ!」
和「いいわよそういうの。0時きっかりにメール送るとか、そういうことでしょ?」
唯「甘いよ……、ショートケーキのいちごぐらい甘いよ、和ちゃん!!」
和「はあ」
唯「それはそうとあの時のいちごを返して和ちゃん!!」
和「それいつの話よ! ……高校にいた頃の話じゃない」
唯「だっていちごはケーキのハートだよ、ソウルだよ、魂だよ!?」
和「後ろ二つはどっちも魂よ。っていうかあの日から全然成長してないわね」
唯「あの日のいちごの怨念は、まだ和ちゃんに憑りついたまま……」
和「……そんな恐ろしいものを食べたかったの?」
唯「ケーキの亡霊になら憑りつかれてもいいかも」
和「たとえ唯が憑りつかれたとしても、あまり変わりそうにないわね」
唯「それどういう意味ー?」
和「そのままの意味。ほら、ケーキでしょ。今から買って帰りましょう」
唯「わーい」
12月25日 14:00
唯「お邪魔しますっ」
和「上着はこっちにかけて。洗面所はあっち」
唯「……」
和「唯?」
唯「いやあ、これが和ちゃんの新居なんだなあって……」
和「まだまだ家具も少ないから殺風景だけれど」
唯「それも含めて和ちゃんっぽいよ~」
和「……ありがとう、というべきなのかしら」
唯「うふふー、和ちゃんの家に初訪問~」
和「なにが嬉しいんだか。ま、あんたの前に澪とか来てくれたけどね」
唯「えぇ!?」
和「あら、聞いてなかったの。そんな驚くこと?」
唯「ひどいよ和ちゃん……わたしという人がいながら、先に澪ちゃんを誘うなんて……」
和「人の誕生日忘れてた口でよく言うわ」
12月25日 16:00
和「唯も仕事大変そうね」
唯「うん。新任だからクラス担任じゃないけど、色々ね~」
和「懐かしいわね、学校。さわ子先生も元気かしら」
唯「結婚できたかなあ」
和「唯はどっちだと思う?」
唯「あ、じゃあさっき買ってきたケーキ半分を賭けてみよっか」
和「唯がいいならそれでもいいけど」
唯「んーと、じゃあね……」
和「……」
唯「あー……」
和「……」
唯「……和ちゃん。わたし、とんでもないことに気づいちゃったよ」
和「言ってみなさい」
唯「これ、賭けになってない」
12月25日 18:00
唯「確かに誕生日は忘れてたわたしだけど、今日がクリスマスだってことは忘れてないよ!」
和「そうね、さすがの唯でもそこまではね」
唯「だけど肝心のクリスマスプレゼントを家に忘れてきたよ!」
和「さすがね」
唯「だから帰ったら郵送で送るね~」
和「なにをプレゼントするつもりでいたの?」
唯「うん、絶対に邪魔にならないものをって思って」
和「えぇ」
唯「焼き海苔100枚をプレゼント!」
和「……」
唯「これで来るお正月シーズンも大丈夫! お餅の強い味方!」
和「唯……」
唯「和ちゃん……?」
和「……わかってるじゃない」
唯「……うん、和ちゃんならそう言ってくれるって信じてたよ」
和「じゃあわたしはマラカス送ってあげる」
唯「な、なんて地味な嫌がらせ……! というか本当は怒ってるでしょ!?」
和「それも毎年よ」
唯「一年に一個マラカスが増えるお家なんて嫌だよ!!」
和「誕生日プレゼントにも送りつけてあげるわ」
唯「二個に増えた」
和「暑中見舞い、寒中見舞い、事あるごとに送ってあげる。覚悟なさい」
唯「の、和ちゃんが社会に出て凶暴に……」
和「ちなみにあっちの部屋の隅を見てもらえるかしら」
唯「……あ、あれは……マラカス……!?」
和「前に澪がこの家に来たって言ったわね。あのときのものよ」
唯「澪ちゃんが」
和「その際のセリフは、これを振ってると落ち着くんだ、だったかしら」
唯「疲れてるんだね……」
和「きっとそうね。たまには唯から会いに行ってあげて」
唯「うん」
和「きっとマラカスをくれるはずよ」
唯「和ちゃんはどうしてもわたしにマラカスを受け取らせたいの?」
12月25日 20:00
唯「晩ご飯も食べ終わったし、そろそろケーキタイムだね~」
和「ケーキといえば唯、本当によかったの? ショートケーキのほうが食べたかったんじゃないの?」
唯「うん、でも和ちゃんの誕生日もあるし、和ちゃんの好きなケーキを食べてほしかったから」
和「唯……」
唯「それにわたし、チーズケーキも好きだよ!」
和「このケーキ、いちごが乗ってないのよ」
唯「えっ」
和「……よく見てなかったのね」
唯「えっ?」
和「……」
唯「……えっ?」
和「………………」
唯「……ねえ和ちゃん、この近くのコンビニってどこかな?」
和「出たらすぐ右に曲がって、直進すれば見えてくるわ」
唯「ちょっと行ってくる」
和「いってらっしゃい……」
12月25日 20:15
唯「いちご大福買ってきた!」
和「あんたはそれでいいの!?」
12月25日 22:00
唯「そういえばこの家ってゲームないんだね?」
和「昔は唯かわたしの家でよく対戦ゲームをやってたけど、
今じゃそんな機会もないもの」
唯「そうだねぇ。わたしもすっかりやらなくなっちゃったよ」
和「仕事が忙しくて?」
唯「うんうん」
和「お互い大変な身になっちゃったわね。
そういえばゲームはゲームでも、テーブルゲームならあるわよ」
唯「……まーじゃんだ……」
和「この前遊びにきた大学の後輩が置いてったわ。
また来るからそのときこれで遊びましょう、って」
唯「わたしに負けず劣らずのマイペースな子だね、その人」
和「その子大学に入ってすぐになにしてたと思う? 麻雀の役を覚えていたのよ」
唯「大学生と麻雀を安易に結びつけるのはどうかと思うよっ」
和「巻き込まれてわたしもいくつか覚えたわ」
唯「そんな、あの品行方正な和ちゃんが……」
和「なにゲーム一つで人の道外れたみたいな。それに役を二つ三つ覚えただけよ。
それ以外の流れは全然」
唯「それなのに後輩は一式を置いてったんだ?」
和「いわく、次の機会には一から十まで教えてくれるそうよ」
唯「なんでその子はそんな熱が入ってるの!?」
和「知らないわよ。麻雀に命でも救われたんじゃない?」
唯「和ちゃんの学校怖い……」
和「そうよね、唯には平和で穏やかな生活が似合ってるわ。
これからも些細なことで怒ったりせず、平穏に生きていきなさい」
唯「うん、そうだね。些細なことで怒ったりせず……」
和「……」
唯「……そういえば和ちゃん、ケーキのいちご」
和「些細なことよ」
唯「なんでわたしはいちご大福を買って満足してたんだろう」
和「些細なことだったのよ」
12月25日 23:58
和「あら、電話」
唯「誰から?」
和「例の麻雀に命を救われた女の子」
唯「殺伐としてるねえ」
和「わたしの学校はそんな世紀末じゃないわ」
唯「その子の周りだけが世紀末なの?」
和「多分ね。……はい、和です。久しぶり。えぇ、メリークリスマス」
唯「……」
和「え、明後日? 来るの?
わたしは、仕事終わったあとでいいならいいけど」
唯「……」
和「まだ家に置いてあるわよ。捨ててもいいなら、すぐにでも捨てるけど?」
唯「和ちゃ……」
和「覚える暇ないわよ、それに覚えてもやる暇もない」
唯「……」
和「……あ、ちょっといいかしら。えぇ、少しだけ外すわ」
唯「……和ちゃん?」
和「唯、もう少しでクリスマスが終わるわ」
唯「そうだね」
和「ずっと一緒にいたくせに、そういえば一度も言ってなかったと思って。
今日はありがとう、メリークリスマス」
唯「あ、うん、メリークリスマス!」
和「それと……」
唯「それと……?」
12月26日 0:00
和「今日はわたしの誕生日らしいわよ」
唯「あ……、あっ、えっと、誕生日おめでとう、和ちゃん!!」
和「えぇ、ありがとう。その言葉が今年で一番嬉しいわ」
唯「……う、うん」
和「……あ、もしもし。え、今日? そうよ誕生日よ。
ありがと、でも残念だったわね。一番に祝ったのはあなたじゃないわ」
唯「……?」
和「ふふ、ごめんなさい。今日は家に幼馴染が来てるの。
……ありがとう、それじゃおやすみ」
12月26日 0:05
唯「もしかしてだけど、和ちゃん」
和「一番に祝ってくれるって言ったものね?」
唯「全部お見通しだったんだ……」
和「サプライズのつもりだったの? だとしたらヒントを出し過ぎてるわね」
唯「こんなときにダメだしー!?」
和「でもホントに嬉しかったわ。一度は忘れてたとはいってもね」
唯「さ、些細なことで怒らないでね?」
和「そうね。だから唯も、プレゼントをちょっと間違えるような、
些細なミスにも怒らないでちょうだいね?」
唯「マラカスを送り付けるつもりだ」
和「なんのことかしら」
唯「じゃあわたしも海苔送り付けるからっ」
和「あら、海苔なら普段から使えるし、わたしは大歓迎よ」
唯「あるぇ~?」
和「実用度に差がありすぎたようね」
唯「わかっていながら和ちゃんはマラカスを送ってくるわけか~……」
和「……そうそう、誕生日といえばケーキね。
今晩食べたのはクリスマスケーキだし、明日の朝に改めてケーキを買いに行きましょう」
唯「おー」
和「唯もついて来てくれるわね?」
唯「え、いいけど、なんでわたしも?」
和「些細なことよ」
唯「……あ、もしかしてだけど!」
和「もちろん。買うのはいちごのショートケーキよ」
唯「さっすが和ちゃん! わかってる~!」
和「ついでにマラカスも買っておきましょう」
唯「それはもういいよっ!」
おしまい
そしてちょっと早いですが誕生日おめでとうございます
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1451046942/
Entry ⇒ 2016.09.10 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
律「ゆかた!」
澪『そうだ。明日って町内会の夏祭りだよな』
律「あー、そういやそんな季節か」
律(毎年、近所の空き地では町内会の有志や子供会のPTAが主催する小規模な夏祭りがある)
律(ほぼ小学生が中心となる祭りなので、私たちはもう参加するような歳ではないのだが)
律(なんとなく子供の頃からの習慣で、毎年二人でこの夏祭りには行っていた)
澪『暇だし』
律(特に用事が無ければ二人で参加するのが、毎年のなんとなくのお約束みたいなものだ)
律『じゃあ行くか』
澪『うん。それじゃ、いつもの場所で、いつもの時間に』
律『りょーかい』
律(待ち合わせ場所も時間も、毎年お決まりだ)
律(軽音部のみんなとはこの前、花火見に行ったからなぁ)
律「あ」
律「お母さーん、浴衣って洗濯した後どこ仕舞ったっけー?」
律(この前とおんなじ浴衣でいいだろ。新しいの買うまでもないし)
律「明日、あんまり暑くないといいけど」
律「行ってきまーす」ガチャ バタン
律(りっちゃんにしては珍しく5分前行動だぜ)
律「うん。日中晴れてたにしちゃあ、思ったより涼しいな」
律「澪はまだ来てないかな?」
律(どちらかの家に迎えに行くのではなく、祭り会場のそばで待ち合わせして行く)
律(なぜか毎年そうしてる)
律(澪は遅刻するタイプじゃないが・・・なんか手間取ってんのかな?)
律「髪長いしなー。こないだの花火みたいに結ってんのかも」
律(私はやっぱ短い方が楽だわ)
澪「律、お待たせ」
律「お、来たかー・・・って」
律(Tシャツとジーパンで来やがった!!)
澪「?」
澪「あ、律今日は浴衣なんだな。似合ってる似合ってる」
律(似合ってる似合ってるじゃねーよ!先週の花火と同じ浴衣だっつの!)
律(ああもうっ!下はクロックス履いて来てやがるしっ!!)
律「ふ・・・」
澪「ふ?」
律「普通逆だろっ!!」
律(謎のキレ方をした私であった)
澪「ええっ!?なんだよそれ」
律「ふつー澪の方が浴衣だろ!?黒ロングだし!」
澪「私が近所で浴衣で出歩くわけないだろっ!恥ずかしいし!」
律「ぐぬぬ・・・だからってコンビニ行くみたいなカッコで来るかよ普通っ!」
澪「コンビニ行くみたいなって。いや、毎年こんなもんだろ?」
律「えっ?」
律「・・・」
律(昨年の、いや、過去の夏祭りをあらかた思い返す私)
澪「近所の夏祭りにだし、だいたい普段着で来てただろ」
律「あ、あれ?そう言えば・・・」
律(あー、やべ、私・・・)
律「この前軽音部で行った花火祭りで、みんなで浴衣着て行ってたから・・・」
澪「祭り=浴衣着て行かないと!みたいな?」
律「う、うわっ!」かぁぁ
澪「まぁまぁまぁまぁ」ぐいっ
律「うっわ、よく見たら周りの子供にも浴衣着てるヤツいねー!私だけだ!!」バタバタ
澪「似合ってるぞー律~」ぐいーーっ
律「なんだこれ、なんだこれ!なんで私今日浴衣着て来ちゃったんだ!?」バタバタバタバタ
澪「今日の律は先週と違って前髪下ろしてるんだなっ!うん、かわいい!」にやにや
律「うっせー!今日の私を褒めるなっ!かわいいとか言うなぁーーーーッ!!」
澪「~~♪」にこにこ
律(澪に手を掴まれ、連行される私)
律「・・・なぁ、ホントにこの格好で祭り出歩くのか?」
澪「うんっ!浴衣の律を連れ回したいっ」にこにこ
律「連れ回したいって・・・」
澪「~~♪」にっこ~
律(ああ、ダメだわ。テンション振り切りった澪には何言っても無駄だわ)
澪「律っ!かき氷食べよう!かき氷っ!」ふんすっふんすっ
律「へいへい」
律「あ~、このジャリジャリの氷と安っぽいシロップ」シャグシャグ
澪「ああ゛、そしてこのキーンとくる頭の痛み・・・」キーーン!
律「夏って感じだよな」キーーン!
澪「うん。夏祭りはやっぱりこれだなっ」
律「はぁ。なぁ澪。なんかめっちゃ周りの人に見られてる気がするんだよね」
澪「浴衣姿の女の子が居たら、思わず見ちゃうもんだろ?」
律「・・・やっぱり帰っちゃダメ?」
澪「もちろんダメだ」ぎゅっ
律「見せびらかされたくないから言ってんだよっ!!」
澪「いいだろもう少しくらい。かわいいんだし」
律「・・・うっせー!」ぷいっ
澪「ほら律っ!次はヨーヨーすくいしよう!」ぐいっ
律「ああっ、もう!」
律(やれやれ、今日の澪は絶好調だな・・・)
澪「律、次はあっちだ!」ぎゅっ
律「へいへい」てくてく
律(私は澪に手を引かれ、祭りの露店を廻る)
律(・・・小さい頃は、私の方が澪の手を引っ張って祭りを見てまわってたんだよなぁ)
律「かわいい、か」ぼそっ
澪「ん、今なにか言ったか?」
律「いいや、別に」
澪「そうか?」
律「ただ、こういう祭りもたまには良いかなって思っただけ」
澪「そうかっ!」
律(ごきげんの澪に手を引かれ、ご近所さん全員に私の浴衣姿は晒された)
律(こっちは下駄なんだ。もっとゆっくり歩けっ!)
おしまい!
これが新手の羞恥プレイか
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1471741928/
Entry ⇒ 2016.09.05 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
梓「嵐の夜に」
ずいぶん、重そうだな。
バス停のベンチに腰掛けたわたしの、手前に抱えられた黒いリュックを見て律先輩は言った。
厚い雲に覆われてほの暗い真昼の空とは無関係な、いつもと変わりない気の抜けた調子だった。
わたしは黙ったまま、リュックをぎゅっと抱きしめていた。
からんからんと乾いた音を立てて空き缶が道路を横断していく。
街路樹はざわざわとひっきりなしに揺れて音をあげ、それに合わせるようにわたしの髪も左右に踊る。
わたしが来る前からベンチに座っていたおじさんは、さっきからずっと貧乏ゆすりを続けている。
しばらくして、時間通りにやってこないバスにしびれを切らしたらしく、せわしなさそうにベンチから立ち上がり、電話をかけながら庇の外に出て行った。
ふたりきり。
律先輩は、半人分くらいのスペースをあけてわたしの隣に腰を降ろした。
台風、来てるんですけど。バカなんじゃないの、この人。
口には出さず、薄く細めた視線だけを向けた。
接近中の台風13号は、今夜近畿地方に上陸する。
まだ雨は降りだしていないとはいえ、風は相当に荒っぽい。街路樹の周囲には折れた枝葉がちらばって、風に飛ばされて道路にまで散っている。こんな天気だからせっかくの休日の午後だというのに、街を行く人影はまばらだ。道路に行き交う車も少なく、閑散としている。
律先輩はさっきから、右手に持ったビニール傘を、こんこん、とリズムよく地面に叩きつけていた。風の音よりよっぽどやかましい。わたしはこれ見よがしにため息をついた。バス来ないなー、遅れまくりじゃねーか、道混んでねーのになんでだよ…と律先輩は言った。どうやらわたしのため息の意味を勘違いしたらしい。
「弟も誘ったんだけどさ、アイツ怖がって来ないんだよ。ビビりだよな。
澪はさ、夏期講習だって。台風の日にも勉強だぜ? 学校だって台風なら休みなのにだぞ? まったくご苦労なこって」
ご苦労なのは律先輩の頭ですよ。
それも口に出さず、わたしは視線を先輩から背けた。
勢いよく立ち上がった律先輩が、風にあおられてすこしよろめく。思わず鼻で笑ってしまい、気づかれて睨まれた。
頬を赤くした律先輩に頭をくしゃっとされた。
「ほら、行くぞ」
「行く、ってどこへですか」
「映画」
「行きませんよ」
「いいじゃん。どうせ、ヒマなんだろ」
「ヒマじゃないです」
「じゃあどこ行くんだ」
「別に」
「行こうぜ」
有無を言わせず左手を掴まれ、そのままバスに引っ張り込まれた。
ブー、とブザーの音が響き、扉は閉まった。
車内真ん中からやや後ろくらいのふたりがけの席。そこに座った律先輩の後ろの席に腰を下ろす。
律先輩は身体ごとよじって後ろを振り返り、どうして隣に座んないんだよ? と不満そうに言った。
「梓、もしかしてわたしのことキライ?」
「…荷物があるからですよ」
おろしたリュックを隣の席に置きながらわたしは答えた。
「貸切状態なんだぜ? 取られる心配なんかないだろ。こっちに座ればいいのに」
「さっきの質問に答えていませんでしたね」
「?」
「キライじゃないけどうざいです」
律先輩は黙って首を引っ込めた。
そのあとも乗客はわたしたち以外誰もいなかったけれど、バスは停留所を無視せずきちんとすべての場所で停車した。
止まるたび、扉が開くと風の鳴る音が激しさを増しているのがわかった。
バスを降りると、雨粒が頬に触れた。
少し小走りでアーケードの下へ駆け込む。
停留所から映画館まで、この街一番の繁華街を通る。
いつもなら行き交うひとの群れに押されて満足に進めないことさえあるというのに、嘘のように人通りがすくない。
変わらないのは繁華街の呑気なテーマソングだけだ。時代遅れの歌謡曲がむなしく響いている。
すでにシャッターの降りている店舗もある。
最近できたばかりのラーメン屋の店内は無人で、古くからある洋装店はまっくらで中が見えない。ガラス越しに眺めた眼鏡屋はキラキラとまばゆいけれど、おじいさんがふたり、退屈そうにあくびをしているだけだった。
「ゴーストタウンみてーだな」
おじいさんを見てそれを言うのは失礼だと思います。
台風がやってくるというのに映画を観にやってくる変わり者はわたしたちだけではなかった。
そこまでして映画観たいかな。こんな日くらい、家でDVD観てればいいのに。
はい、これ。と、わたしに何の相談もなしに作品を選んでチケットを買ってきた律先輩がその片方を手渡してくる。
元から観たい映画なんてなかったし、なんだっていいといえ、勝手さに腹が立たないといえば嘘になる。けれどおごってくれるみたいだし、さすがに文句は言えないな…と思ったわたしはチケットを見てその考えを改めた。
A列。一番前。
「……席、埋まってたんですか」
「ん? この回ふたりだけっぽいぞ」
迫力満点だろー!と嬉しそうな笑顔。
わたしは気力が萎えてなにもいう気になれなかった。
思い切って手紙を出したその翌日、約束した時間の五分前。グラウンドの端にある、大きな樹の下に足を運ぶと、もうすでに、その人は樹にもたれかかるようにして待ってくれていた。わたしの姿に気がついて小さく手を振る。わたしも振りかえす。沈みかけた太陽が長い影をつくっている。その影に隠れて表情がよく見えない。
「すみません、遅れてしまって」
「遅れてないよ。わたしが早く着いちゃっただけ」
影から踏み出した唯先輩の横顔を夕日が照らす。頬が赤く染まっている。わたしの頬もこんな風に赤くなっているのかな。それだったら都合がいい。いや、こんな状況になって恥ずかしがってることがバレようがバレまいが関係ない。さすがに唯先輩だってわたしが今からなにをしようとしているか、わかってるに決まってる。
黙りこくったままのわたしを目の前にして、唯先輩はなにも言わずただじっと、やさしい表情で見つめてくれていた。いつもお茶してるときのダラけた雰囲気とも、ギターを無我夢中で弾いているときとも違う。見たことのない表情で。
さわさわとグラウンドの土の上に揺れていた木の葉の影も、少しづつ闇に溶けていく。
唯先輩がわたしの手を取り、歩き出した。
暗闇にぼんやり光る黄金色に色づいた田んぼの横目に、いくつもの赤トンボが浮かぶ道を並んで歩いた。もう一度手を繋ぎたいな、と今度は自分から手を伸ばしたけれど、すこし前を歩く唯先輩の右手には届かなかった。
それまでずっと無言だった唯先輩が、振り返ってわたしの名前を呼んだ。
わたし、ずっと考えてて。あずにゃんから手紙もらってからずっと考えたんだ。
でもうまく考えがまとまらなくて。なんて言っていいかわかんなくて。
どうしてもわかんなくて答えが出なくて、こんなところまできちゃった。唯先輩はかるく笑顔をみせた。
そこはゆるやかな坂道になっていた。
心臓がばくんばくんと音を立てているのは坂道を登ってきたせいだけじゃもちろんない。月明かりに照らされた唯先輩の顔を真正面から見れなくて、うつむいた。りーんりーんと鈴虫のきれいな音色が聴こえる。
天気予報ではもうすぐ台風がやってくるといっていたのに、今夜は嵐の予感なんて微塵も感じさせない、静かな夜だった。
「いえ…呼び出したのはわたしですから…」
「そっか。そうだったね。それに明日は休みだし。ちょっとくらい遅くなってもいっか」
だからわたしがちゃんと言葉にしてきもちを伝えなきゃ…!
そう思って顔をあげた瞬間、わたしの目に映ったのは唯先輩の涙だった。
「……ごめんね」
かすれたような声でその言葉を聞いた途端、わたしの身体の中の何かがぐらぐらと揺れて崩れていくのを感じた。
そのまま坂を転げ落ちていくような感覚を覚えて気がつけばわたしは全力で走り出していた。
めっっちゃ、おもしろかったなぁー!!
…と鼻息を鳴らしながら律先輩が両手をあげた。
今ここにいるのがわたしじゃなくて唯先輩だったら、きっとふたりでテンションあがりまくってはしゃぎながら映画の話で盛り上がるんだろうな。
でもここにいるのは唯先輩じゃないし、それにわたしを誘ったのは他ならぬ律先輩なので、映画で高揚して盛り上がった気持ちに同調しなくたって、わるいのはわたしじゃなくて律先輩だ。
まぁ映画は面白かったけど…。
もし今のわたしに光線を吐き出す能力があれば、きっとその力で世界を滅ぼしてしまうだろう。
フられたくらいでそんなふうに考える自分がひどく子どもじみてるなんてわかっているけれど、今はもう、目に映るもの全部が憎たらしかった。
月曜日がやってくるのがいやだ。どんな顔して唯先輩に会えばいいのかわからない。台風で学校が壊れてしまえば登校しなくて済むけれど、今夜中には近畿地方を抜けるらしい。ねぇゴジラ、どうかその光線で学校を壊してくれない? …そんなの無理に決まってる。だからわたしは逃げ出すことに決めた。背中にリュックを背負って、今日、この街を出る。そして誰もわたしのことを知らないところへいく。それから…。
わたしの目の前で律先輩が右手をぶんぶんと振っている。
はっと気がついて笑ってごまかそうとしたけれど顔が固まって表情がつくれない。なんでもないです。そう無愛想につぶやいてわたしは早足で歩き出した。律先輩もあわてて後ろからついてくる。
リュックの中から折りたたみ傘を取り出してじっと見る。アーケードの下にいる間はいいけれど、バス停まではしばらく歩かないといけない。はげしい雨風に吹かれれば、こんなちっぽけな折りたたみ傘くらい、簡単にふっとばされてしまいそうだ。けれどいまさら憂鬱な気持ちに浸ったところで何がどうなるわけでもない。傘が折れて多少濡れるくらい仕方ない…多少なら。
律先輩はあくびを噛み殺しながらそう言った。
「なぁ梓。これから予定ある?」
「ちょっと駅まで」
ターミナル駅まで行って、そこで高速バスに乗るつもりだった。
行き先は特に決めてない。どこだっていい。東京でも、名古屋でも。北陸でも四国でも、ここじゃないところなら、どこへだって。
「思ったより早く降りだしたからさ。ちょっと雨宿りしていかね? 映画に付き合ってくれたくらいだし、急ぐわけじゃないんだろ?」
「まぁ…急ぐってわけじゃ…でも雨宿り…ってどこで」
その辺のカラオケボックスとかでいーじゃん。そう言って律先輩はわたしの左手首を掴むとぐいぐいひっぱっていく。あっ、ちょっとひっぱらないでください自分で歩けますから! そお? ならいいけど。律先輩はニンマリ笑って手を離した。
雨がマシになるまで。
は? そんなこと言ったらいつになるかわかりませんよ。
だってこんなに雨降ってたらぜったい濡れるじゃん。
律先輩はマイクをぎゅっと握りなおし、モニターを向き直った。イントロが流れ始める。
台風の日に出かけたらこうなるなんて、はじめからわかってたことじゃないですか。アホですか。知ってたけど。
こんな台風の日に働いているアルバイトの人たちは、一体どうやって帰るつもりなんだろう。けれどわたしたちだってひとのことは言えない。
歌い終わった律先輩はコーラの入ったコップを手に取り、一気に飲み干した。
「梓も好きな曲入れろよ」
「あ、はい」
「折半だから歌わないと損だぞ」
「は?」
「お、次の曲始まる」
ムカついたので連続で10曲入れてやった。
部屋の外からも止むことのない雨と風の音が聞こえてくる。勢いは弱まるどころかますます強まるようだった。
「なくなってたから補充しといた」
いがらっぽいガラガラ声で律先輩が言った。
満杯の烏龍茶が入ったコップがふたつ、テーブルに並んでいる。
トイレから戻ったばかりだというのに、わたしは烏龍茶を手に取り口につけた。つめたさがのどをうるおしていく。
歌い疲れたらしい律先輩はあおむけにソファーに寝っ転がり、ケータイをぽちぽちといじっている。
「まだけっこう降ってますよ」
「そっかぁ」
「いつまでここにいるんですか」
「雨がやむまで」
「やまないですよ。たぶん朝くらいまで」
「じゃあ、朝までいる」
「バカ言わないでください。明日学校でしょ」
「早朝に家帰って着替えて出ればいいだろ。いま、親にメールしたし。わたしはそうする」
「じゃあわたしは帰ります」
「ほんとに帰んの? どこに?」
「……」
びゅうびゅう風が吹いて、ざぁざぁ雨が降って、いろんなもんがぜーんぶ吹き飛ばされて流されてぶっ壊されてくみたいでさ、なんかさぁ、すっきりするっていうか、わくわくするっていうか。
「不謹慎ですね」
「まぁーな。でもさ。台風が行っちゃった後のさ、すこーんと晴れた空とさ、木の枝とかごみとか散らばった道路とかさ、ああいうの見るのもなーんか好き」
「わかんないです」
「そっか」
律先輩はそのまま、目を閉じた。
わたしは律先輩の足元にちょこんと腰掛けて、テーブルの上の烏龍茶を手に取った。
「………!」
「こーんな台風の日にさ、そんなでっかいリュック背負ってバス停に一人で座ってりゃ、なにかあったのかも~って思うに決まってるだろ」
わたしは何も答えなかった。
今日一日の自分の行動が子供じみていたことに、いつも子供っぽいとバカにしてた律先輩のほうがわたしなんかよりずっと大人だったことにむかっ腹が立って、リモコンを手に取りやたらめったらに曲を入れた。
やかましいイントロが流れ出し、眠りかけた律先輩が眉を八の字に曲げて顔を起こす。
「ここ、カラオケボックスですから。歌うところですから」
「へーへーわかってるよ。でも朝早くでるからな。適当なところで切り上げて寝とけよ。梓も明日は学校だろ」
モニターに歌詞が表示されて、歌い出そうとしたのに声がでない。マイクを持つ手がぶるぶると震えて、いつしかわたしは自分が泣いていることに気がついた。
ガンガンと室内に響く音楽の中、わたしは声をあげて泣いた。
気がついているのかいないのか、それとももう寝てしまったのか、律先輩は目を閉じたまま、じっと動かなかった。
寝るときは外してるっつーの。わたしが目を覚ますと、恥ずかしそうに顔を背けてカチューシャをつけた。
ビルの外に出ると、雲の合間から日差しが差し込んでいた。眩しく思わず目を背ける。
晴れたなぁ。晴れましたね。いま何時ですか? いま? えーっと…ちょうど6時。バス動いてますかね? たぶんな。家帰ってシャワー浴びてそれからすぐ学校か…。律先輩は憂鬱そうに呟いてちいさくあくびをした。
「いーよ、別に」
「行きます。だってそうじゃないと律先輩、二度寝して遅刻するでしょ」
「しねーよ!」
「してくださいよ、二度寝。起こしてあげますから」
たまには一緒に、学校行きましょうよ。
律先輩は呆れたように頷くと、じゃあ遠慮なく二度寝するよ。そう言って笑った。わたしもつられて笑顔になる。
「律先輩、わたしも、好きかもしんないです」
「え? なに?」
大通り沿いをバスが走っていくのが見えた。
「あっ、バス来ましたよ! 急ぎましょう!」
「おいっ、ちょっと! さっきなんて言ったんだよ??」
雨上がりの道に、きらきらと雨粒が光っていた。
おわり
すっごい久しぶりにけいおんSS見た気がするけど、とっても良かった
こういうの書けるようになりたい
乙
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1471701081/
Entry ⇒ 2016.08.22 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
唯「えーあーる!」
梓「ああ、アレですか。確かに大流行しているみたいですね」
唯「でも私の周りでは誰もやってる人いないんだよ。どうしてだろうね?」
梓「日本ではまだサービス開始されてないんですよ」
唯「なんとっ」
梓「サービス開始されれば日本でもブームになるとは思いますが」
唯「すごいよねー。現実の風景の中にポケモンがリアルにいるみたいになるんだよ」
梓「早くプレイしてみたいですね」
梓「ざっくり言うとそんな感じですね」
唯「うーむ、すごい技術ですな」ふむ
梓「何を言ってるんですか唯先輩」
唯「へっ?」
梓「唯先輩、とっくにAR化されてるじゃありませんか!」
唯「!!」
唯「私、4年前にAR化されてるんだったよ!!」ガタッ
梓「そうですよっ」
唯「今思い出したよーあずにゃん!!」
梓「とっくの昔に唯先輩はARになってるんですよ!」
唯「ローソンの期間限定イベントでARになったんだよっ!私っ!前にっ!!」ふんすっふんすっ!
梓「そうですそうです。ローソンの店舗Wi-Fiに接続すると唯先輩が店内に現れるんですよ」
梓「2週間くらいの限定イベントでしたよね?」
唯「うん。確かそんな感じだった!」
梓「すごい短期間だった記憶があります」
唯「よく憶えてたねーあずにゃん」
梓「唯先輩が忘れすぎなんですよ。自分のことなのに」
唯「えへへー」
梓「あれ、もう一回アプリ化しませんかね?限定イベントで終らせるにはもったいなかった気がします」
唯「・・・ってことはあずにゃん。あずにゃん期間中にローソンに行って私のARアプリダウンロードしてくれたんだ?」
梓「まぁ、一応ですけど」
梓「はいはい。いちいち抱きつかないでくださいよ」
唯「私その当時ガラケーだから自分のARアプリ起動出来なかったんだよね」
梓「そうだったんですか?」
唯「うん。ARの私ってどんな感じだったのかな?」
梓「うーん、いつも通りの唯先輩って感じでしたよ?」
唯「そうなの?」
梓「はい。普通にしゃべったりとか、チョコチョコ動いたりとか・・・私も細かい部分までは憶えていませんが」
梓「もし再配信してくれるその時はローソンのWi-Fi限定を解除して欲しいですね。可能であれば」
唯「どうして?」
梓「単純に照れるんですよっ!ローソンの店内で!携帯の中の唯先輩眺めたりタップしてボイス聴いたりだとかがっ!」
唯「あー、なるほどなるほど」
梓「なるべく他のお客さんの迷惑にならないように隅っこの方でアプリ起動したたり、
イヤホン付けて店内ウロウロしたりしてたんですけど、長時間店にいるのがいたたまれなくなってくるんですよ!」
唯「確かにお店の中ではキツいのかもねぇ」
梓「最終的には店の外のギリギリWi-Fiの電波が届くスポット見つけて、私そこでアプリ起動してましたからね」
梓「そうですよ。携帯の画面に映る唯先輩をつついたりくすぐったりして反応を見たり、ボイス全パターン聴いたりするだけで時間かかりますし。
それをやっている自分を店員さんや他の人に見られたくないって言いますか・・・」
唯「えへー」にこにこ
梓「・・・なんですか唯先輩」
唯「あずにゃんそんなに私のARアプリで遊んでくれたんだなぁって思って」
梓「ダウンロードした以上は最大限遊んでみただけです。期間限定でしたし」
梓「ああもうっ!いいじゃないですかっ!ARの唯先輩で遊んだって!」
唯「私もあずにゃんがAR化したらスマホごと買ってたのになぁ」なでなで
梓「なんですかそれは・・・」
唯「代わりに本物のあずにゃんをくすぐってみたりしていい?」ツンツン
梓「・・・ダメに決まってるでしょう」ぷいっ
唯「もー、あずにゃんのいけず~」すりすり
梓「まったくもう、唯先輩はっ!」
おしまい!
あの唯ちゃんARは期間限定にしておくには惜しかった
ここらで終了します
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1469014115/
Entry ⇒ 2016.07.23 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
唯「光を喰らう魔物」
◆◆
――その日目覚めた私が真っ先に目にしたのは、真っ白い天井だった。
「ん……?」
自分が寝ているんだという事はすぐにわかったので、上半身を起こす。
直後から目に入ってくる白を基調とした部屋の色は病室を思わせる。
周囲を見渡してみると、実際私の寝ていたベッドは柵があったりしていつかどこかで見た病室のものと酷似していたし、そのベッドの隣の小さな棚には花瓶が置いてあった。
どうやらここは確かに病室で、私は見舞われる側の存在。それは間違いないらしい。
次に、さっきから目に入っていた別のものに意識を向ける。
別のもの、という言い方は少し酷いかもしれない。私が身体を起こした時から、ずっと心配そうな驚いたような顔で私を見ている、二人の人。
「ゆ、い……?」
メガネをかけた短髪の男性が、私に向かって呆然と口を開く。
その隣で、長めの茶髪の女性が感極まったかのように涙を溢れさせて口元を押さえる。
そして、もう一人。
「んっ……」
私の足元あたりに、うつ伏せて眠っている女の子。
長い黒髪を頭の左右でまとめた、可愛らしい髪形をした女の子。
「あ、梓ちゃん! 梓ちゃん! 起きて!」
「んぅ……へ……?」
茶髪の女性に揺さぶられ、その子が目を覚ます。
「………………」
その子はしばらく眠そうな瞳で私を見つめ続けたけど、数秒か数十秒か経った後に瞳に涙を滲ませ、抱きついてきた。
「良かった…良かった…! 目が覚めたんですね、唯先輩…!!」
「………」
私はその子を愛しく思いつつも、それに返す言葉を持たなかった。
その理由は、とても簡単で単純なこと。
わからなかったから。
「……? ゆい、せんぱい…?」
どうして、私はここにいるのか。
どうして、この子はここにいるのか。
そして――
「……あなたは、誰ですか?」
「……え、っ…?」
キミが誰なのか、私が誰なのか。あの人達は誰なのか。
……全部、わからなかった。
――短髪の男性がお医者さんを呼んできて、長髪の女性がどこかに電話をかけて、私の周囲にはあっという間に人が増えた。
医者「……少し様子を見てみよう。調子が悪くなったらすぐに言いなさい。それまでは皆と話しているといい」
唯「はい……」
梓「………」
私の名前が『唯』であることは、さっきのやりとりで察していた。
あと、私の傍らに寄り添って離れないこの小さな女の子の名前が『梓ちゃん』であることも。
……もっとも、それはわかったところで私にとっては誰も彼も皆『見知らぬ人』であって、怖い相手ではある。
ずっとくっついてるこの子はなんとなく妹のように見えて可愛いけれど、それでも素性がわからない以上、「どうしてくっつくの?」とかは聞けなかった。
周囲の人達にも何を言えばいいのかわからない。私には、この人達が何者なのか予想すらつかない。自分とどの程度の関係なのかさえも。
だから私は、この人達を警戒せざるをえなかった。悪い人には見えない、けど、何もわからない。だからしょうがないと思う。
そんな私に対して、周囲の皆は戸惑いのような寂しがるような表情を見せながらそれぞれ名前だけ自己紹介をしてくれた。
そしてその後、
律「記憶がない、って? 大変だな、唯」
カチューシャをつけた女の子が私に顔を寄せながら軽く言う。
田井中 律さん。この軽いノリだけじゃなくて真っ先に私に話しかけてきたあたりを見ても、ムードメーカー的な存在なのだろうか。
澪「軽く言うなよ……唯本人の不安もわかってやれ、律」
その隣に遅れて並ぶ、端正な顔立ちの黒髪長髪の女の子。
秋山 澪さん。大人びて見えて、ムードメーカーの人につきもののブレーキ役なのかな、と思った。
紬「……唯ちゃん、困った事があったらなんでも言ってね?」
ふわっとした雰囲気を放ちながらも、どこか芯のある優しさを向けてきてくれる金髪気味の上品な長髪の女の子。
琴吹 紬さん。私を案じてくれているのがまっすぐ伝わってきて、どことなく「育ちがいいのかな」なんて思ってしまった。
……皆が皆、口々に私を唯と呼ぶ。身に覚えの無いその名前を、何度も、何度も。
唯「……ありがとうございます。よく思い出せませんけど……心配かけたんですよね? 私」
少なくとも、皆がそれぞれに私を心配してくれていたのは確かだと思ったからお礼を言う。
何も思い出せないけど、この人達は多分、いや、ほぼ間違いなく悪い人達じゃない。
私との関係は、まだわからないけど……
律「……敬語なんてやめろよな。同級生だろ、私達」
澪「記憶がないって言ってるだろ……」
紬「じゃあ、次は唯ちゃん――あなたの事と、そこの梓ちゃんの事、でいい?」
尋ねたのは、その話をしていいか、という意味だろう。
私自身の事も当然気になるし、この梓ちゃんの事も気になるから私はすぐに頷いた。
特に梓ちゃんは、ずっと私の隣にいるのにあれから一言も言葉を発さない。ずっと隣にいてくれる程度には、私に対して何か思うところがあるはずなのに。
私が目覚めた時も、そばにいてくれたのに。
私が目覚めた事を喜んで、抱きしめてくれたのに。
だから私は先にこの子の説明のほうを求めた。澪さんが軽く頷き、言う。
澪「その子は中野 梓。私達の1つ下の後輩で、唯のことを慕っていたよ」
梓「………」
梓ちゃんは俯き、私に顔を見せないようにしながらも私の服の袖を摘んだ。
そういえば私のこの服は病院着…って言っていいのかな、とかどうでもいいことを考えながらも、その行動を可愛いと思った。
年下らしいし、どこか放っておけない子なんだろうか、とさえ思った。けど、
律「……慕ってる、なんて言われたら素直じゃない言葉の一つや二つや三つ、飛ばす奴だったんだけどなぁ」
どうやら実際は真逆の子だったらしい。
それほどまでにこの子が変わってしまったのは……私のせい、なんだろうか。
紬「……そして、あなたは平沢 唯。私たちの、大事な大事な仲間」
唯「仲間……」
そう言われると、記憶はなくても嬉しくなる。真っ先にそう言ってもらえたから余計に。
そして言ってもらえたからというわけではないけど、私のために親身になってくれるこの人達を、私は信じたいと思い始めていた。
早計かな? でも、この人達は疑いたくない。なぜかそんな気持ちばかりが溢れてくる。
澪「私たちは、五人でバンドをしてたんだ。つまり正確に言えばこの五人は軽音楽部の仲間、だ」
唯「軽音楽部…?」
律「そ。軽い音楽って書いてさ、ちょっと略して軽音部。軽ーくお茶飲んでお菓子食べてバンドする。そんな部活の一員だったんだ、お前は。あ、ちなみに部長は私な!」
澪「……いろいろ言いたいけど、今言ってもしょうがないか」
澪さんが不服そうに嘆息する。それを見て紬さんが苦笑する。
なんとなく、こんな空気が日常だったのかな、って思う。この人達の、そして、私の。
でも、記憶の無い私は確かめておかないといけない。一つ一つ、気になった事を。納得できない事を。
決して疑うわけじゃなくて、ハッキリさせておきたいだけ。ついでに何かいろいろ思い出すかもしれないし。
唯「……それ、本当ですか?」
紬「うん」
律「嘘を言うわけないだろ。みんな唯のこと、大事な仲間だって思ってる」
澪「そうだ。そこだけは絶対に――」
唯「あ、いえ、そこじゃなくて」
澪「……ん?」
唯「そんないい加減な部活が、本当にあるんですか?」
――あるらしい。あったらしい。私もしっかり堪能していたらしい。
というか、私はそのお茶とお菓子に釣られて入部したようなものらしい。
とりあえず、私のさっきの言葉にたいそうショックを受けたらしい三人から私とその周囲のことについては1から100までを熱く教えてもらった。
先程から紹介のない、目覚めて最初に私が目にした三人のうちの二人、一回りほど年上の男性と女性。彼らが両親であることも聞いた。病人につきっきりの大人、ということでなんとなく察してはいたけど。
しかし、それ以外の話となると本当に知らない事――いや、忘れた事ばかりだった。
澪「私達は桜が丘女子高等学校の三年生だ」
例えば、私が高校三年生である事。
今はどうも春のようだから受験を控えた学年といっても慌てる必要はなさそうだ。
けど、こうして会話もできて普通に頭も回っているはずなのに自分の年齢に思い至らなかったことは多少ショックだった。
律「ちなみに、クラスにはこんな奴らがいる」
この場にいない周囲の人、クラスメイトとか先生とかの写真も見せてもらいながら説明を受けたけど、誰一人として思い出せなかった。
付き合いの長い短いに関わらず、誰一人として、だ。
これもなかなかにショックだったけれど、どちらかといえば思い出せない事そのものより、縋れる人がいない事にショックを受けていたように思う。
誰か一人でも覚えていれば、その人に助けを求めていたと思うから。それができないという事は、私は一人ぼっちという事だから。
……だから、まずは今周囲にいてくれるこの人達の事を思い出すべきなんだろう。
紬「部活での私達の事も聞く?」
聞く限りでは私は部活ではギターをやっていたらしい。
相変わらず隣にいる梓ちゃんと一緒の楽器を、ベースの澪さんとドラムの律さんとキーボードの紬さんの旋律に乗せて。
ついでに、私はギターに『ギー太』と名づけて可愛がっていたらしい。実感は沸かないけど、名前をつけるのは愛着が沸いていいことなんじゃないかな、とは思う。
さらに――というかこれは完全に余談だけど、そんな説明を受けたり会話したりのうちで何度も律さんに言葉遣いを注意された。
正確には言葉遣いと呼び方、だ。「唯らしくない」とのこと。
言葉遣いは、確かに同級生に敬語はどうかと思うので改めようと思う。でも呼び方はどことなくしっくりこないから「努力する」と答えた。
寂しそうな顔をされたけど、仕方ないと思う。
ここにいる皆が悪い人だとは思わない。けど、私は誰よりも私がわからない。そんな呼び方をする人だったのかなんてわからない。
誰にでもそういう呼び方をする人だったと聞くけど、きっとそれは積み重なった時間が作り上げた『平沢 唯』の人格。
私には――積み重ねたはずの時間を思い出せない私には、『平沢 唯』のような振る舞いは、出来る気がしなかった。
――そして。
語られ通しで時が流れ、カーテンから透ける茜色に染まりつつある白い病室で、もっとも重要な事に私の方から触れる。
唯「――私は……どうしてこんな事になってるの?」
皆が、一斉に口を噤んだ。
さっきまで五月蝿いほどに語り通しだった皆が、一斉に。
澪「………」
律「………」
紬「………ちょっと、待っててね」
しばらくの沈黙の後、紬さんがそっと席を立ち、私の両親の隣に立つ白衣のお医者さんの所へと歩を進めた。
私も他の皆も、それを視線で追うことしか出来なかった。理由は私と皆では違うはずだけど。
二人だけで小声で何かを話し合った後、お医者さんがこちらへと歩み寄ってくる。
少し後ろを歩く紬さんの曇った表情と、そもそも小声で話し合わないといけないような事だという事実が、私の心を重くする。
きっと、かなり言いにくいような事情があるんだろうな。
医者「……平沢さん、君が記憶を失っている理由についてだが」
唯「……はい」
医者「まず先に言っておく。君は信じないだろう。だがこちらとしても言葉を選んだところでどうにもならないのは察して欲しい」
淡々とした大人の男性の物言いが、嫌な予感を倍増させる。
思わず生唾を飲み、しかし次の言葉を黙って待った。
どれほど衝撃的な言葉が発せられるのか、予想すら出来なかったけど――
医者「君は……『魔物』に襲われたんだ」
唯「……は?」
は?
医者「比喩ではなく、『魔物』だ。人は理解の及ばないモノをそう呼ぶ」
唯「え、いや、えっと、そこに疑問を持っての「は?」ではなくですね………つ、紬さん?」
紬「………」
唯「律、さん?」
律「………」
唯「…澪さん」
澪「………」
誰か一人でも「冗談だよ」と言ってくれないかと期待したけど、そんなことはなかった。
皆の沈痛な表情が、固く結ばれた口が、言葉以上に教えてくれている。
唯「……本当、なんですか」
医者「信じられない気持ちはわかる」
唯「………」
もう一度、周囲を見渡す。
でも、誰一人として私の求める顔はしていなかった。
唯「……信じられません。けど、信じないと話は進みそうにないですね」
医者「…そうだな」
「信じられないのも仕方ない」そんな言い方をしてくれるということは、記憶を失って私の価値観までおかしくなってしまった、というわけではないらしい。
少なくとも私の反応は正常で、常識的で、それを承知の上で皆はここにいる。
それなら、信じてみて話の続きを聞くしかない。たとえ『魔物』なんて突拍子の無いものでも。
……『魔物』。一体どんなものなんだろう。
なんとなく四足歩行で首が多い大きな獣を想像して、襲われてよく無事だったなぁ、とか思ったけど、続く言葉でそれは否定された。
医者「その『魔物』は記憶を食べる。いや、医者として正確に言わせて貰うなら、そいつは相手の記憶を消去するんだ」
……また、ずいぶんと胡散臭い。
もっとも、魔物って時点で相当なんだけど。でもそんな胡散臭い事を大真面目にお医者さんが言う、それ自体が信憑性の裏返しのような気もする。
だって、言い換えればそれは、
医者「……君の脳には、いや、身体全てに何の異常も見られないんだ。どうして記憶がないのか、説明が一切つかない」
唯「……頭を打った、とかは?」
医者「それでもタンコブの1つくらい見当たるはずなんだ。あるいは頭をぶつけた形跡が。君が眠っている間、頭は徹底的に隅から隅まで調べた」
琴吹家の協力でね、と付け加える。
紬さん本人はあまり言いたくなさそうだったけど、家がお金持ちであることはさっき聞いた。
いろんな手段と山のようなお金を私のために使ってくれたのだろう。
紬さんの友達思いな面に感動しつつも、申し訳ないな、と思った。いろいろ手間かけさせてしまったことも、紬さんを思い出せないことも。
医者「だから、目撃者の言う通りなんだろう」
唯「目撃者?」
紬「……私達みんなよ。みんなで一緒に学校から帰ってる時の出来事だったの。特に、一番唯ちゃんの近くに居たのは……」
梓「………」
紬さんが、辛そうに視線を向ける。
いまだ私の服の袖を摘んで離さない、私の隣にいる子に。
梓「……ごめんなさい、唯先輩」
唯「梓ちゃん…?」
梓「私は、あなたを護れませんでした……近くにいたのに、すぐ隣にいたのに…!」
唯「………」
大丈夫だよ、こうして命には別状はなかったんだし。
と言おうとしたけど、思い直す。そんな言葉、梓ちゃんの事をカケラも覚えていない私が言っていい言葉じゃない。
梓ちゃんが、私が何かを失ってしまった事を悔いているなら、それが命だろうと記憶だろうと関係はない。
失ってしまった私にどう慰められたところで、梓ちゃんには逆効果だろう。
だったら、私はそれに触れちゃいけない。
唯「……梓ちゃんは、大丈夫だった?」
梓「えっ…?」
唯「怪我とかしてない? 記憶もなくなってない?」
梓「え……だ、大丈夫ですけど……」
唯「よかった。後輩に何かあったら、先輩としてカッコつかないからね」
梓「……っ、で、でも、先輩自身が…!」
唯「梓ちゃんがそうして私の事を大事に思ってくれてるなら、その時の私も梓ちゃんの事を大事に思ってたはずだよ」
今は、生憎覚えてないけど。
でも、きっとそうだったはずだから。
唯「だったら、こういうのはやっぱり年上の人がなるべきっていうか、受けるべきっていうか。そういうものなんだよ、たぶん」
梓「そんな…そんなの……! ダメですよ、そんなのっ…!」
唯「うーん……」
何もわからない私でも、この理屈は間違ってないと思うんだけど。それでも梓ちゃんは納得しないらしい。
後輩にここまで好かれてる…というか心配されるなんて、『平沢 唯』はどんな人だったんだろう。
梓ちゃんを含めた皆がとても仲間思いなのはよくわかるけど、肝心の自分の事がわからない。
……やっぱり、いろいろ不便だなぁ。
唯「……じゃあ、梓ちゃん」
梓「……何ですか…?」
唯「私、頑張るから。頑張ってちゃんと記憶を取り戻すから。それまでは梓ちゃん達に迷惑かけちゃうと思うけど……」
梓「め、迷惑だなんて、そんなっ――」
唯「だから、ひとまずはそれで安心してくれないかな? 自分を責めるのを、やめてくれないかな?」
梓「っ……」
唯「……ね?」
梓「………はい」
渋々といった感じだけど、梓ちゃんは頷いてくれた。
たとえ納得してなくても頷いてくれたから、私は頑張らなきゃいけない。
皆のためにも、私のためにも。
梓ちゃん達皆を心配させたくないし、何より自分の言葉に嘘はつけないよね。
律「……ありがとな、唯」
唯「えっ?」
急に名前を呼ばれ、何の事だろう、と思いながら律さんの方に目を向ける。
律さんは、私のそんな視線を受け止める前も受け止めてからも変わらず、どこかスッキリした笑顔をしていた。
律「梓を助けてくれて、私達を助けてくれて、さ」
唯「助ける…?」
律「……梓が一番だったけど、私達もそれぞれ、どこかで自分の事を責めてたんだと思う。いや、正直今でも責めてるんだろうな」
唯「………」
助けた覚えはない、けど、律さんの言ってる事はわかる。
律さん達も、近くにいながら私を護れなかった事、それを責めてるんだろう。梓ちゃんのように。
そこまで想われているのはやっぱり嬉しいけど、当時の状況のわからない私には当たり障りのない事しか言えない。
唯「しょ、しょうがないよ、『魔物』だなんて。私だったら怖くて動けないだろうし……」
『魔物』がどんな姿形、大きさなのかはわからないけど、要は『見たこともない怖いもの』なんだと思う。
普通ならそんなものを目の前にしたら動けなくなると思う。普通なら。
唯「普通なら……」
――言っていて、違和感を自分で抱いた。
記憶のない私の『普通』とは、何なんだろう。
記憶のない私には、この『普通』という感覚が、本当の意味で普通である確証なんてない。
それにそもそも、記憶がないのに普通を普通と認識できるのもおかしい。
日常生活に支障をきたさない記憶喪失もある、とどこかで聞いたような気もするけど、それがどこかも思い出せないのに。
急に、不安になる。
記憶がないというのは、こんなにも怖いものなんだ。
自分を支える足場がないというのは、こんなにも不安定なものなんだ。
私がどんな過去の上に成り立っているのか、それがわからないっていうのは。
私の『普通』は、この世界においての『異質』である。そんな可能性だってあるんだ。
……そんな不安に溺れてしまった私を、律さんが気遣ってくれた。
律「……何か、思い出したか?」
唯「……ううん。そういうわけじゃないけど……」
律「……記憶がないのが、怖い?」
唯「!?」
心でも読まれたのかと思うくらい、的確に見抜かれた。
この人……適当そうに見えたけど、実は鋭い?
律「ま、怖くても怖くなくてもどっちでもいいんだけどさ」
……やっぱり適当なだけかもしれない。
律「普通なら怖いだろうと思うから言ってみたけど、私達の知る唯なら怖がりそうにはないなーとも思うんだ」
唯「そんなキャラだったんだね、私……」
律「まあまあ。どっちにしろ、私達としては唯に記憶を取り戻してもらいたい。そこは変わらないから」
唯「………」
律「だから、梓を慰めるためとはいえ、唯が自分からそれを言ってくれた時はすごく救われた気分になった」
唯「あ……」
律「私達は、唯の記憶を取り戻す手伝いができる。それがすごく嬉しいんだ」
「最初からそのつもりではあったけど」と付け加え、照れくさそうに頬をかく律さん。
その隣に座る澪さんと、そのまた隣にいる紬さんも、律さんに続いて言葉を発してくれた。
澪「……あと、記憶がなくても唯は梓を大事な後輩と見てる。それも嬉しかったな」
唯「澪さん……」
紬「ちょっとだけ、軽音部が戻ってきた気分になっちゃった」
唯「紬さん……」
「だから、記憶を取り戻す手伝いをさせて欲しい」と、皆はそう言った。
隣の小さな可愛い後輩も、小さく、でも確かに頷いてくれた。
記憶を失ってしまった立場の私としても、それはとても嬉しかった。
記憶を取り戻したい、そんな気持ちを応援されたということだから。
皆の事を覚えてなくて申し訳ない、そんな気持ちが逆に頑張ろうという気持ちに置き換えられていくようだった。
もちろんさっき感じた、記憶がない事に対する恐怖、それはまだ胸の中にある。でもそれもだいぶ薄れた気がした。
皆のおかげで。仲間達のおかげで。
唯「……ありがとう、みんな。私、頑張るよ」
……うん、やっぱりこの人達は、仲間なんだ。私の。とっても大切な。
◆
唯「――そういえば」
なんとなく、一通り目指すところが決まった私達は会話の余韻に浸っていたんだけど、ふと思い出した事があったので聞いてみることにする。
心地いい沈黙を破るのは少し気が引けたけど、さっきの会話の途中で疑問に思った事だったから早いうちに聞いておきたかった。
唯「みんなの見た、魔物の外見ってどんなのなの?」
……けど、その判断をすぐに私は後悔した。
まず真っ先に、隣の後輩が震えたから。
そして、皆の顔が一斉に曇ったから。
『普通なら魔物なんて怖いだろうし』という考えから、そういえばどんな外見だったんだろう、外見からして怖かったのかな、と思っただけなんだけど。
怖い外見なら思い出したくもないに決まってるし、それに……
梓「……思い出したく、ないです」
梓ちゃんが、震えながらそう言う。他ならぬ梓ちゃんが。その時私の一番近くにいた梓ちゃんが。
それはつまり、魔物の『外見』のこと――だけじゃない、と私は解釈した。
梓ちゃんが誰よりも悔いている『光景』のことも、思い出したくないんだ。
魔物の外見を思い出そうとして、連鎖的に思い出してしまうであろう、その場に私もいたはずの光景。
他ならぬ私の口からそれを思い出させかねない事を尋ねてしまうなんて、無神経にもほどがあった。
周囲を見渡すと澪さんも震えていた。あのしっかりした澪さんまでもが震えていたんだ、やっぱりこれは、聞くべきじゃなかった。
唯「ご、ごめんねみんな。変なこと聞いちゃったね」
律「ん……いや、まー、変なことじゃ……ないんだけど……」
紬「そこに興味を持つのは当然のこと……なんだけど……」
唯「で、でも、いいよ今は。聞かないよ」
律「……そうしてくれると助かる」
紬「唯ちゃんは魔物の事なんて気にしなくていいから。ね?」
記憶を取り戻す事だけに専念してていいよ、と紬さんは優しく言う。
紬「そっちは私達に任せて。ここにいれば安全だから」
律「記憶が戻るまでゆっくり休んでりゃいいさ」
でも、その優しい言い方の中に少しだけ引っかかるものがあったのも、事実。
唯「……任せて、って、何かアテでもあるの?」
澪「……ま、色々と。唯は何も心配しなくていい」
律「お、やっと復活した」
澪「……うるさい。とにかく、大丈夫だから、唯」
相手は怖い『魔物』なのに、ずいぶんと頼もしい言い分だなぁ、と思った。ずいぶんというか、不自然なほどに。
「ここは安全」と言い切るところも。何かしらの根拠があるんだろうか。
あと話の流れ的に、記憶が戻るまで私はここから出られないのかな? 学校の出席とかも大丈夫とは思えないんだけど、そこも気にしなくていいという意味ならこれもまた妙な方向に頼もしい。
でも紬さんはお金持ちらしいし、何かいろいろ出来てもおかしくないのかな。他の皆はわからないけど……
梓「……私が、そばにいますから。何も気にせず、記憶のほうに専念してください」
唯「ん…それは嬉しいけど、でもみんなは大丈夫なの?」
澪「私達の心配より自分の心配を、だ。記憶、ちゃんと戻ってくれないと困るんだぞ?」
紬「私達なら大丈夫。ちゃんと毎日お見舞いにも来るから、ね?」
唯「……うん、わかった」
「毎日顔を出す」ということは、転じて「無茶はしない」と言っているに等しい。
それくらいはわかるから、私は素直に頷く事にした。
『魔物』に対しても、それ以外――例えば私がさっき気にした学校の出席とか――に対しても、私が心配するような事にはならないように立ち回る、と。
頭の良い澪さんと紬さんが言うんだ、それくらいの含みはあるはず。
記憶がないから深くは聞けないけど、信じようと思う。信じて自分の事に専念しようと思う。
記憶が戻れば、聞きたい細かい疑問も思い出せるはず。例えばさっき気になった『魔物』の外見とか。
だからやっぱり、私は自分の事を優先すべきなんだ。
……と、ここまでが私なりに皆の事を見て考えて出した結論だけど、でも少し不安もある。
頭の良い(と聞いた)澪さんと紬さんは、多分大丈夫。
律さんは幼馴染(と聞いた)の澪さんが目を配っておくだろう。
問題は……
梓「……?」
問題は、この子。
学年が違うからここにいる誰かが常に目を光らせておくことも出来ない、それでいて厄介な事に誰よりも自分を責めている、梓ちゃん。
誰よりも自分を責めているから、誰よりも私の力になりたがるであろう、梓ちゃん。
「そばにいる」と言ってくれた、梓ちゃん。
それ自体はとても嬉しくて、とても安心できるものなんだけど……
唯「……梓ちゃん、学校とかちゃんと行くよね?」
梓「行きますよ。大丈夫です、心配しなくても」
唯「……本当に?」
梓「………」
唯「…………」
梓「……さ、最低限」
……ふ、不安だ……
――それから少しだけお父さんお母さんとも他愛のない話をしたけど、思い出せた事は無かった。
でもなんとなく落ち着くのは、やっぱり家族だからかな、とは思えた。
両親とも寂しそうではあったけど、それでも皆と同じように笑ってくれた。それだけで私の決意を後押ししてくれているような気がしたんだ。
……そうして一通りの会話が落ち着いた頃、再びお医者さんが口を開いた。
医者「……そろそろ休憩するといい、平沢さん。記憶を取り戻すためとはいえ、あまり急いでも良いことはないよ」
唯「あ……はい」
「休憩」とは言うけど、要は「そろそろ解散しろ」という事だろう。
お医者さんという立場上、一人の患者につきっきりというわけにもいかないだろうし、そもそも時間も普通に押してきている。
皆もそれをわかっているのだろう、荷物をまとめて帰り支度を始め始めた。
梓「………」
……この子以外は。
律「……ほら梓、帰るぞ。また明日だ、な?」
梓「……私は、残ります」
律「まーそんなこと言うだろうって気はしてたよ」
梓「そうですか、すごいですね」
律「……そーじゃないだろーがぁぁぁぁー」ギリギリ
梓「ぐえぇ」
おお、チョークスリーパー。
格闘技の記憶もちゃんとあるんだなぁ、私――じゃなくて! そんな乱暴なことしちゃ可哀想!
……と、少しだけ思ったけど。行動にも言葉にも、多分顔にも出てなかったと思う。
梓ちゃんが言うほど苦しそうじゃなかったのとか、むしろ多少嬉しそうだったのとか、律さんも本気じゃなさそうだったのとか、他の皆もなんとなく微笑ましそうな顔をしていた気がしたとか。
そんないろんな理由があって、ほんの一瞬で私も真に受けるのをやめた。むしろ安心した。
……もしかしたら、前にも何度かこんな光景を見たのかもしれない。そんな感じの安堵感があった。
唯「…でも、やっぱり家には帰らないと梓ちゃんのお母さん達も心配するんじゃない?」
梓「それは大丈夫です」
唯「……なんで?」
梓「家に帰らなかった事も、一度や二度じゃないですから。ちゃんと連絡さえすればわかってくれます」
うわー、梓ちゃん不良だったんだ。
……なんて意味じゃないのはわかってる。梓ちゃんと一緒にいた時間も多いだろう私の両親に顔を向けると、困ったように笑いながら頷いた。
唯「……ありがとう、梓ちゃん。ずっと心配してくれて」
梓「いいんです。私が自分で望んだ事ですから」
その心配は、とても嬉しい。嬉しいし、ありがたいこと。甘えたくなるほどに。
でも、そのまま甘えて梓ちゃんの意見を通していいかと言われるとわからない。
目が覚めたのにも関わらず以前と同じように心配をかけ続けるなんて、梓ちゃんのご両親にも申し訳ない。
私自身としても、私の両親としても、きっと。
それに、梓ちゃん自身はああ言ったけど子供を心配しない親はいないと思う。記憶はなくても、それは言い切れる。
それでも、隣にいてくれるなら嬉しい私もいる。
記憶が無いからだと思うけど、こうやって自分に甘え、慕い、心配してくれる人がいると、なんというか……前を向ける。
この子のために頑張ろうって思えるし、頑張っていいんだって思える。
何も覚えてないのに、私はここにいていいんだっていう根拠が1つ出来るんだ。
唯「でも、ね」
でも。
やっぱり過剰に甘えてはいけないんだと思う。
この子がそういう気持ちを持ってくれている、それだけで充分なはずなんだ、本当は。
ずっと心配をかけてきたのに、突き放すような事を言うのは心苦しいけど、それでも、この子の時間をこれ以上私が奪っていい理由はどこにもないんだ。
たとえ梓ちゃんが自ら捧げたがっていたとしても、少なくとも私はまだ、それを受け入れちゃいけないはずなんだ。
今まで計り知れないほどに心配をかけ、時間を奪ってきた私だからこそ……
唯「やっぱり最初くらいは、自分で頑張ってみるよ。梓ちゃんも、今日くらいはゆっくり休んで欲しいな」
梓「……そう、ですか……」
私自身の力でどうにもならない時には、素直に甘え、頼ろう。
どうしようもない時にまでこの子の気持ちを無碍にする理由は、さすがにどこにも全くない。
……そういう意味を込めての「最初くらい」「今日くらい」だったんだけど……
梓「じゃあ、明日は泊まっていきますね」
唯「えっ」
梓「唯先輩は知らないかもしれませんが、明後日は週末、休日です。学校もないので帰る理由もありません」
唯「いや、えっと、だからお母さん達が心配するって」
梓「それを今日一日でなんとか説得してこい、という意味ですよね?」
唯「絶対違うよ!?」
紬「唯ちゃんがツッコんだ……」
紬さんが目を丸くしていたけど、私の方こそ梓ちゃんの意外な強引さに目を丸くしたいくらいだよ。
律「いいじゃんか唯。明日の事は明日考えようぜ」
唯「律さん……さっきは梓ちゃんを止めてくれたのに……」
律「こいつ、前から変に頑固なところはあったからなー。特に唯に対しては」
紬「でも、さっきまでみたいな俯きながらの頑固さじゃなくて、ちゃんと前を見ての頑固さならそこまで否定はしたくない。ってことでしょ? りっちゃん」
律「ん、まあ、そんな感じ……」
唯「………」
律さんが少し、照れたように視線を逸らす。
なるほど。今にこだわらず、明日という前を向いた発言を梓ちゃんが出来たのは律さんのおかげ、って事なんだね、紬さん。
もっと言えば、私の言葉を梓ちゃんが素直に受け入れてくれたのも、直前に律さんが作った空気のおかげ、ということ。
さすがは部長さんだね、律さん。
澪「……あぁそうだ、その梓の話にも繋がるけど、週末は私達以外にもお見舞いに来てくれる人がいると思うから」
唯「…さっきの写真の人達?」
クラスメートとか幼馴染とか、いろんな人が写ってた写真。
誰一人として思い出せなかったけど、実際に会ってみれば少しは違うかもしれない。
記憶を取り戻したい、そう強く願い始めた私にとって、澪さんの言葉は非常に嬉しいものだった。
でも。
医者「あー、すまないが、しばらくは経過を見ないといけないからあまり多くの情報を与えるのは止めてもらえると助かる」
澪「えっ……そんなっ!」
唯「………」
医者「前例のない事なんだ、わかって欲しい。『ただの記憶喪失』とは違うんだ」
澪「…でも…」
梓「……念には念を入れて、ゆっくりやろう、ということですか」
医者「……記憶喪失で日常生活に支障をきたす人もいるんだ。そうならなかった不幸中の幸いを、手放すような事はあってはならない」
紬「…慎重にならざるを得ない、というのは、わかります。ね、澪ちゃん?」
澪「……うん」
律「記憶を取り戻したいのは唯だって一緒なんだ、しっかりしろ」
澪「……そうだな。ごめん、唯」
唯「い、いいよ、私は大丈夫だから」
自分の言った事が否定された悔しさ、みたいなのもあったんだろう。
私や梓ちゃん以上に食ってかかって、否定されて落ち込んだ、そんな澪さんの姿は見ているほうが心苦しくなるようなものだった。
でも、そこにもうひとつ理由があったことを、私はすぐに知る。
澪「……和、会わせてやりたかったんだけどな」
唯「のどか?」
律「あぁ、唯の幼馴染だ。今までは毎日お見舞いに来てたんだけど、よりによって今日だけは都合が悪かったらしくて」
紬「澪ちゃんとは去年同じクラスだったのよ。そのぶん私達が離れちゃったけど」
唯「へー……会いたいな、私も」
幼馴染と聞いては、自然とそう思ってしまうのも仕方ないと思う。
澪さんだって幼馴染を差し置いて自分達だけ会える、という事実に負い目を感じているからこそ、さっき食い下がろうとしたんだろうし。
紬「……先生……」
医者「……大丈夫、そう長い間じゃない。何も異常が無ければ来週頭くらいには会わせてあげられる」
澪「ほ、本当ですか!?」
医者「もちろん。ただしその代わり、それまでは連れてこないこと。平沢さんに見せるために持ってくるであろうものも検閲させてもらう。構わないね?」
『情報』というのは、単に人だけじゃなくって物まで及ぶらしい。
考えれば当然ではあるんだけど、あまりいい気分のするものじゃない。
それに、理屈がわかっても澪さんの感じている負い目が消えるわけでもない。みんな大丈夫かな…?
澪「……和には、私から話しておくよ」
紬「……じゃあ、この条件を呑む、ということ?」
澪「和も会いたがってるとは思うけど、これが唯の身のためだというなら……いいよな? 律」
律「というか、医者の先生の言う事なんだし従うしかない気もするけどな。私は別に異論はないよ」
唯「……ごめんね、みんな」
澪「唯が謝る事じゃないさ。何度も言うけど、記憶を取り戻す事だけに集中してくれ」
……澪さんがかっこよく見える。
多分、実際にいろんな人から慕われる人だったんじゃないかな。そんな気がする。
唯「澪さん頼もしいねー。後輩とかからも人気あったんじゃない?」
澪「なっ……///」
なんとなく確信を持って言ったその言葉に、澪さんは意外にも顔を赤くしていた。
……かわいい。
でもその一方で、その「後輩」である梓ちゃんは、何故かなんともつかない表情をしていた。
唯「……どうしたの? 梓ちゃん」
梓「ん、いえ……」
律「まー、唯は覚えてないんだろうけど同じ軽音部の梓からすれば頷きづらいよ。澪はギャップ萌えタイプだから」
澪「そんな言い方するなよっ!!」
唯「ギャップ萌え?」
紬「パッと見は大人の女性って感じだけど、中身はとっても乙女なの」
澪「ムギ!?」
あー、さっきの赤面みたいな可愛い面を持ってるってことかな。
……もしかして、さっき魔物の外見を尋ねた時に震えていたのも、人一倍怖がりだったってこと?
あまりそういう面が見えてしまうと後輩からは素直に尊敬できない…のかな?
梓「……確かに最初の印象とは随分変わりましたけど、それでも澪先輩は尊敬できる先輩ですよ」
澪「梓……」
梓「澪先輩だけじゃなくて、みなさん、それぞれ最初と印象こそ違えど尊敬できる点を持ってる人達です。……もちろん、唯先輩も」
唯「そ、そうなの? 覚えてないけど……」
梓「そうなんです」
律「……ははっ」
紬「ちゃんと思い出してあげないとね、唯ちゃん」
……うん。責任重大だよね、ホント。
◆
――そうして解散となり、お父さんとお母さんを残して皆は部屋から出ていった。
病室には家族三人だけになったけど、ついさっきお医者さんに釘を刺されたからだろう、家族らしく昔話を……という展開にはならなかった。
でも、私が眠るまでずっとそばにいてくれた。不安なら明日も明後日も、いつまでもいてくれると言ってくれた。
そして、私から伝え聞いていたらしい私の友達の素晴らしさも、私に伝え返してくれた。
この人達のしてくれること全てが、私の中の不安を溶かしてくれる。
一番不安なはずの、初めての何もない夜を何事もなく過ごせたのは、確かに『家族』のおかげだった。
◆◆
――翌日。土曜日らしい日の、朝。
梓「おはようございます、唯先輩」
唯「早いよ!」
梓「? ですからおはようございますと言ったじゃないですか」
唯「そういう意味じゃないよ! っていうかまだ朝の7時だよ!? こんな時間から面会できるの!?」
梓「出来てるじゃないですか、こうやって」
唯「………まあ、うん」
……うん、そうだね、そう言われるとその通りだね。
もっとも確かに、昨夜はお父さんお母さんもここに泊まっていってくれたわけだから、そういうところは緩いのかもしれない。
あくまで私の悪いところは頭の中、記憶だけであって。だから伝染とか感染に気を遣って人の流出入を制限することはしないのかな、と思っておくことにした。
素人考えだけど、そう考えると辻褄は合う。
それでもお医者さんは昨日言った通りなら梓ちゃん達の手荷物とかを検閲しなくちゃいけないはずだから、朝も早くから少し気の毒だけど……
一方でお父さんとお母さんはニコニコしながら梓ちゃんにお礼を言ってる。なんとなくだけど、私の両親はのんびりした人なんじゃないかな。
……でも、うん、梓ちゃんが心配してくれるのは、確かに嬉しいんだよね、私自身も。
唯「……おはよう、梓ちゃん」
梓「……はいっ、おはようございます」
言って、二人で顔を見合わせて少し笑った。
唯「……ところで梓ちゃん、その袋は?」
梓「朝ご飯です。コンビニで買ってきました」
袋から取り出したのは確かにコンビニで売ってそうなサンドイッチ。美味しそう。
結構沢山あるけど……誰の分だろう?
梓「唯先輩のじゃないですよ。入院患者にはちゃんと健康を考えられた食事が病院から出るんですから」
唯「わ、わかってるよー。確かにお腹は空いてるけど……」
梓「我慢です。……はい、どうぞお好きなのを取ってください」
父「ああ、ありがとう」
母「明日は私達が持ってくるわね」
……ああ、なるほど。お父さんお母さんの分か。
っていうか、そのやり取りはどういうこと…?
母「三人で唯につきっきりだから、梓ちゃんと私達で一日交代で食事を準備することに決めたの」
梓「そういうことですから私はお昼頃にもまた席を外しますが……でもこの病院、コンビニが中にありますからそう時間はかかりませんよ」
父「本来なら大人が準備するべきなんだろうけどね。梓ちゃんが頼りっぱなしは嫌だ、って」
唯「そっか……」
きっと梓ちゃんはしっかりしているというか、責任感が強い子なんだろう。
私の事に関しても誰よりも思い詰めているように見えたし。
もちろん、他の皆がそんなに責任を感じていない、という意味じゃなくて。
心配してくれていたのは話せばすぐにわかった。でも梓ちゃんは話す前からわかった。それほど目に見えていた、ということ。
事情を知った今にして思えば、だけどね。
私の時は自分を責めすぎているようにも写ったけど、私の両親とは上手い関係を築いているらしい。その責任感で。
……いい子だよね、梓ちゃんは。
唯「……ん? 梓ちゃん、それは?」
梓「……たい焼きです。デザートというか、食後のおやつに、と」
唯「へー。好きなの?」
梓「……はい」
少し、表情を曇らせて。
梓「……やっぱり、思い出しませんか?」
唯「………一緒に食べたりしたのかな、私も」
梓「……はい、一緒にいました」
唯「……ごめん」
梓「いえ、いいんです。期待してなかった……と言えば嘘になりますけど、唯先輩のペースでやってくれればいいんですから」
唯「……うん」
梓ちゃんが正直に吐き出したその言葉の中には、私を責める言葉は一切無い。私が申し訳なさに心を痛める言葉こそあれど、梓ちゃんはそんな意図を一切持っていない。
だから私は頑張らないといけない。痛みに落ち込むのではなく、責められない事に楽観するのでもなく、ただ、自分自身と皆の為に頑張るだけ。
頑張って、何があっても頑張って、記憶を取り戻す。それだけなんだ。
とはいえ、一口に「頑張る」と言っても何をどうすればいいのかはわからないんだけどね。
気持ちだけで記憶が戻るなら、世の中の記憶喪失の人はそんなに苦労なんてしてないはずだし。
唯「……何か、記憶を取り戻すのに効果的な方法とかないのかな」
梓「……お医者さんの先生のほうが詳しいはずですから、そちらに従う他ないと思います。荒療治は出来ません」
唯「……ちょっと意外だなぁ」
梓「はい?」
唯「ううん。大したことじゃないんだけど、昨日の澪さんみたいな必死さは、梓ちゃんはあんまり見せないよね、って思って」
もちろん嫌味みたいな意味じゃないよ、と付け加えておく。
梓ちゃんも澪さんも心配してくれているのはとても伝わってくるし、昨日の澪さんはそれに加えて和さん?という人の件もあったわけだし。
それでも、いつもずっと隣にいて目覚めるのを待ってくれたという梓ちゃんが、こうして朝早くから押しかけてくるほどの梓ちゃんが、頑張ろうとする私を律するような事を言うのが意外だった。
梓「……唯先輩の身にまた何かが起こってからでは遅いんです。もう二度と、あんなことがあってはいけないんです」
唯「あ……」
梓「私の目が届く範囲で、何よりも安全第一でやっていってもらわないと困るんです……」
ああ、そっか。
それほど心配していて、悔いている梓ちゃんだから。責任を感じていて責任感が強い梓ちゃんだから、誰よりも慎重なんだ。
記憶の無い私が昨日と今日だけで見えた範囲で出した答えだけど、多分間違ってないと思う。
梓ちゃんの声が、表情が、何よりも物語っている気がした。
……馬鹿なこと言っちゃったなぁ。記憶を失ってない私だったら、こんな質問はしたりしなかったのかな……
……他の皆とも、もっと話さないといけないよね。
昨日だけでも、澪さんが友達想いな一面を見せたり、意外にもそんな澪さんを嗜めるような律さんの一面を見たり、そんな感情が渦巻く中で話を円滑に進めようと努力をしていた紬さんの面倒見のいい一面が見れたりしたんだ。
もっともっと、皆の事を知らないといけない。私を想ってくれる仲間の事を。
それはきっと、記憶を取り戻す事にも繋がるはずだから。
梓「唯先輩、決して無理はしないでください。唯先輩の身は、唯先輩だけのものじゃないんです」
唯「……そうだね。みんな、すごく心配してくれてるもんね。これ以上心配なんてさせられないよ」
梓「……ありがとうございます」
そんな会話をしていると、ふと視線を感じたので目をやってみる。
というか、そんな大仰な言い方しなくてもこの部屋にはあとはお父さんとお母さんしかいないんだけど。
でも、少し寂しそうにこちらを見て笑っていたのが気になった。
唯「……どうしたの?」
父「……いや。話に聞いていた通り、仲良いんだなぁ、と思ってさ」
母「私達はお仕事であまりかまってあげられなかったけど、それでも唯はいつだって楽しそうだった。あなた達のおかげね、梓ちゃん。ありがとう……」
梓「いえ……私一人が理由じゃないですから、そんな、頭を上げてください」
父「それでも、君もその一人であるのは確かだから」
母「ありがとうね」
梓「っ……あ、ご、ご飯食べましょう、朝ご飯! ほら、丁度唯先輩の分も運ばれてきましたし! みんなで食べましょう! ね?」
唯「……ふふっ」
父「…ははっ」
母「あははっ」
梓ちゃん、すっごい照れてる。可愛い。
お父さんたちの表情のようにどこか寂しい一面を覗かせかねない会話だったけど。照れ隠しの梓ちゃんの反応で、そんなものは吹き飛んでしまった。
唯「……よかった」
原因となった身が言うのは凄く自分勝手、身勝手な言い分だけど、それでもよかったと思う。
やっぱり、笑っていて欲しいよ、皆。
◆
――四人で朝食を食べて少しした頃、他の皆もやってきた。
ちなみに、一応皆は梓ちゃんの意思を尊重しているらしく、この行動を前々から知ってはいるものの「ご両親が良いと言えば」と特に責めはしなかった、とこっそり聞いた。
記憶の無い私でもなんとなく予想は出来るから、特に疑問も抱かなかった。
澪「さて、唯」
唯「う、うん」
澪「改めて言うよ。私達に、記憶を取り戻す手伝いをさせてくれ」
唯「…ありがと、みんな。よろしくお願いします」
許可を求める澪さんと、ただお礼を言って頭を下げる私。
これでいいんだと思う。言葉はどちらも本心だけど、それを今告げること自体はただの通過儀礼でしかないはずだから。
紬「ところで、先生」
医者「……うん、今日の荷物は写真ばかりだったね。検閲させてもらったけど問題ないだろう。私は離れるが、何かあったらすぐに呼んでくれ」
澪「はい」
父「ありがとうございます」
写真の入ってるらしい手荷物を紬さんに渡し、お医者さんは病室を後にした。
紬さんは渡された手荷物を大事そうに抱えたままこちらに歩み寄ってきたかと思うと、それを何故か澪さんに手渡した。
受け取った澪さんがいそいそと準備しているのを尻目に、律さんが私にこっそりと近寄ってきて耳打ちする。
律「……お前に見せる写真を選んだの、澪なんだよ」
唯「……そう、なんだ」
律「「私に選ばせてくれ」って、真っ直ぐな眼差しでさ。……あいつなりに、出来る事を全力でやりたかったんだろうな」
幼馴染としての理解と優しさを見せる律さん。
その温かい眼差しが見つめる相手と眼差しの主を私の視線が往復した時、主は「あっ」と何かに気づいた声を小さく上げた。
律「といっても、唯がそれをプレッシャーに感じる必要はないからな?」
唯「…ありがと。大丈夫…って言えるほど友達の気持ちを軽く受け止めるつもりもないけど、無理はしないから」
律「そうか。まー梓がついてるし大丈夫かな? 澪についても熱意が変な方向に向かいそうだったら私が止めるし」
唯「律さんって暴走する側かと思ってたけどそうでもないんだね」
梓「いえ、その認識で大体あってますよ唯先輩」
律「なぁ梓よ、私はお前を信頼してるぜーみたいな事を言ったのになんでお前はそういう感じの事しか言ってくれないんだ」
唯「そもそも耳打ちで会話してたはずなのになんで梓ちゃんが割って入ってくるの」
梓「耳打ちされている唯先輩の反対側の耳から会話を盗み聞きしてたからです」
唯「こんなにピッタリとくっついちゃってまぁ」
律「隠れるつもりの一切無い盗み聞きだな」
梓「えへっ☆」
澪「……なぁ漫才トリオ、本題に入っていいか?」
いつの間にか眼前に立っていた澪さんに律さんが脳天直撃の一撃をもらった後、澪さんはまず、昨日と同じようなクラスメイトの写真を見せてくれた。
律「なんで私だけ……」
だけど、昨日と何も変わらず私の記憶は応えてくれない。
唯「……ごめん」
澪「……慌てなくてもいいって。あ、ちなみにこの子が和だ」
澪さんのスラリと長くて綺麗な左手の人指し指が、赤い眼鏡をかけた女の子を指し示す。
澪さんは左利きなのかな? とか少しだけ思ったけど、それよりもまずはその女の子をよく見ることにする。
紬「和ちゃんは一年の時も唯ちゃんと同じクラスだったんだけど……」
……和さん、か。
私の幼馴染で、一年の時も同じクラスで、今も同じクラス。
そう言われると、何度も言われると、昨日に比べて落ち着いている今なら、なんとなく、
唯「……昨日はわからなかったけど、今はなんとなく、懐かしい感じはする……かな?」
澪「本当か!?」ガバッ
澪さんが興奮気味に私の肩を掴む。そこに込められた力の強さは、私の言葉に澪さんが見た希望の量と比例するのだろう。
つまり、私がそれを痛く感じるなら、さっきの発言は軽率だったということ。
なんとなくじゃダメなんだ、全然ハッキリとはしてないんだから変に期待させる事を言っちゃいけなかったんだ。
唯「あ、で、でもなんとなくだし……同じクラスで何したかとか、そういうのも全然思い出せてないし……その」
澪「…あ……ごめん、急かすつもりはなかったんだけど」
唯「……ううん、私こそごめん。ちゃんと思い出すまで言うべきじゃなかったんだ」
紬「……あまり、私達がいろいろ言うのも良くないのかな。そういうイメージが先に固まっちゃうのかも」
唯「…あ、でも、詳しくは全然思い出せないけど、それでも確かにこの子だけは何か違うような気はするんだ。見ててホッとするっていうか……」
軽率な発言だったけど、そこだけは本当だと思いたい。
そう思いたがっているのは、意外にも私だけじゃなかったようで。
律「幼馴染だからなぁ。たとえ憶えてなくても感じるものがある、とかか?」
澪「そういうものがあると思いたいな」
律「まったくだ」
そう言って微笑みあう幼馴染同士。
紬さんはそれを少し遠巻きに微笑みながら見ていて、私の両親はまた少し違う笑みで私を見ていて、梓ちゃんは……
梓「昨日もお医者さんの先生が言ってましたけど、来週には会えるはずです、和先輩とも」
唯「……うん」
梓「会うことでなにか思い出せるといいですね、唯先輩」
唯「うん、ありがとう」
梓ちゃんはただ、私を心から心配してくれていた。
律「――ここまで、和の件以外特に進展はなし、か」
唯「ごめんね……」
律「いいって。な? そうだろ澪?」
澪「ああ。本命は『こっち』だからな」
そう言って、澪さんがさらに写真を取り出す。
どうやら写真は二つのグループに分けられていたらしい。
先の括りの写真を見てて、確かに疑問に思ってはいたんだ。
それらはどれも集合写真のような、なんというか襟を正して撮るような写真がほとんどだったから。
そうでないものも体育祭とかのような校内イベントの写真。……一言で言ってしまえば、卒業アルバムに載るような写真ばかり。
おそらく今から見せてくれるのは、それよりもっと私的な、個人的な写真。
そしてきっと、校内イベントのはずなのに何故か無かった学園祭の写真もあるんじゃないかな、と思う。
澪「……さ、唯、どうぞ」
唯「…ありがと」
意図的にそうしたのかはわからないけど、先程まで見ていた写真達と同じくらいの量を手渡される。
上から順にめくっていく。さっきの写真もだけど、おそらく澪さんの手によって丁寧に時系列順に並び替えられていてわかりやすい。
登校風景、部活中、どこかのビーチのような場所などなど様々な場所に私と皆が写っている。今この場にいる皆と、枚数は少ないけどさっきも聞いた和さんもいた。
唯「そういえばこの人は?」
先程までの写真でもたまに見かけた、眼鏡をかけた長髪の大人の女性を指差し、尋ねる。
先程の写真でも見かけていたからクラス関係者なのかと思いきや、個人的なはずのこちらの写真にも数枚写り込んでいる。
律「あー、さわちゃんか。説明してなかったっけ?」
唯「さわちゃん?」
紬「山中さわ子先生。軽音部の顧問で、今年の私達の担任でもあるの」
澪「ちなみに担当教科は音楽」
唯「へー、どうりでどっちにも写ってるんだね」
父「何度か話した感じでは、とてもいい先生のようだったよ」
基本的に傍観の構えだったはずの両親が、さわ子先生の話に珍しく口を挟んだ。
同じ大人同士、何か思うところがあるのかな……と思っていたけど、少し考えて思い直す。
「何度か話した」に含まれるシチュエーションは、当然、私の件に関する時も含まれるはずだから。
担任として、顧問として、私の身を預かっていた立場であるさわ子先生は、私の両親に対する事情説明の義務があるはず。
事情説明というか、簡単に言えば頭を下げる責任が。下校途中の出来事だったから学校側の責任は少なくなると思いたいけど、詳しい事はわかるはずもなく。
そもそも両親から見れば「娘が学校から帰ってこない」に尽きるんだ。学校側にぶつけたい言葉は多々あるだろう。
そんな中に頭を下げに行き、両親を納得させるどころか「いい先生」とまで思わせる。
そんな事が出来るさわ子先生というのは、とても凄い人なんじゃないだろうか。原因が『魔物』という理不尽なものであるというのを差し置いても。
律「騙されちゃいけませんよー。あの人、猫被りですから」
……え、そうなの?
凄い先生なのかなぁと思いかけてたのに……
父「知ってるよ。唯から少し聞いたことがあるからね」
律「ありゃ、そうなんですか」
父「うん。ただ、あまり猫の被り方が上手い方ではないね」
澪「まあ、成り行きとはいえ私達にあっさり素を見せてしまうくらいだしなぁ……」
律「おじさん達くらいになると、そういうのは簡単に見抜けてしまう、とかですか?」
父「それもあるかもしれないけど、今回の件に関してはそうじゃないね」
紬「と言いますと?」
父「……猫の被り方も忘れるくらい、唯の事を心配していたということさ」
母「もちろん、それだけで終われば「いい人」止まりなのだけど」
紬「……なるほど」
納得した様子の紬さんと澪さんに対し、律さんは頭の上にハテナマークを浮かべていた。たぶん澪さんがフォローするだろうとは思うけど。
一方、ずっと静かな梓ちゃんは今の話が耳に入っているのか怪しいほどに真剣に、さっきまで私が見ていた写真をじっと見ていた。個人的でないほうの写真を。
梓ちゃんが写ってない、私達の学年がメインの写真を。
喋ってない間ずっと見ていたのだろうか。全部の写真を順番に見ていっていたとして、今は何周目なんだろうか。そもそもそんなに食い入って見るような何かがあっただろうか。
私の方からはわからない事だらけ。でも、梓ちゃんのほうは私の視線を『わかった』ようで、
梓「……何か、思い出しましたか?」
そう私に優しく問いかける声を合図に、皆の視線が集中するのを感じた。
でも……残念だけど、全ての写真を見ても、両親まで含む皆の話を聞いても、その視線の無言の訴えに応えてあげることはできそうにない。
唯「……ごめん」
◆
律「…そう気を落とすなよ、澪。想定の範囲内なんだろ? 昨日私に自信満々にいろいろ語ってくれたじゃないか」
澪「……大丈夫、わかってるよ。まだまだ手はある。でも」
律「でも?」
澪「少し、方向性を変えたほうがいいかもしれないな。急いでも良い事は何もないのはよくわかった」
律「急いでたつもりだったのか?」
澪「いいや。急いでたなら律が止めてくれるはずだし」
律「……ん……じゃあ、どういうことだ?」
澪「……急がない、じゃなく、むしろ意図的にゆっくりやろうと思う」
澪さんのその発言は、ちょっと意外だった。
失礼かもしれないけど、和さんの件もあるし、一番急ぎたがるのは澪さんだと思ってたから。
もちろん周りの人――主に律さん――が気を配るから、危ないほどに急ぐ事はないと思ってたけど、それでも心の中に焦りがあるんじゃないかって気はしてた。原因の私がこんな事を思っているのは失礼かもしれないけど……
でも、そんな失礼な私が想像していたより、澪さんはずっと冷静で、周囲が見える人だった。
……重ね重ね、失礼だと思う。
澪「今のところ一番可能性があるのは、和だ」
律「幼馴染だしな。今日の反応を見る限りでもそれは確かだ」
澪「だから、和と唯が会える日まで私達は何も大きな動きはしないようにする。全てを順調に運んで、万が一にも和との面会が延びない様にするんだ」
梓「……そりゃ、私達だって焦って全てを台無しにするような事はするつもりはないですけど」
律「いや、「焦るな」じゃなくて「全てを計算した上でゆっくりやろう」と言ってるんだ、澪は」
澪「……和との顔合わせをスタートラインくらいに考えたほうが良さそうだ、と思って。和に全部任せるみたいで気が引けるけど、今日の反応を見た限りではそれがいいんじゃないかな……と思ったんだけど、どうかな?」
紬「……私は、澪ちゃんに賛成。ずっと昔から一緒にいた人だもん、本来私達より先に会うべきだとさえ思う……会えるなら……」
梓「………」
ずっと昔から、一緒にいた人。つまり、幼馴染。
高校からの友達である自分がそんな人を差し置いてこの場にいる事に、後ろめたい思いがあるんだろうか……?
そう邪推したくなるほど紬さんの表情は沈んでいて、隣の梓ちゃんの空気も沈んでいた。
発案者の澪さんもその言葉の重みを改めて噛み締めているように見えた。幼馴染というせいか、私の両親までも……
唯「………――」
空気を変えるのも兼ねて、和さんがどんな人だったかをお母さんに尋ねようとした、その時。
律「じゃあ私も乗ろうかな。澪の腹黒い作戦に」
澪「……いや、腹黒いは言い過ぎだろ」
律「じゃあ、名付けて『和に全部投げっぱなし作戦』?」
澪「印象悪いな! 確かにそうなんだけども!」
紬「ま、まあまあまあまあ」
澪「っ、さ、最低限の事はするよ! 自分に出来る範囲で、和の負担が大きくなりすぎないように!」
律「期待してますわよ、澪ちゃん♪」
梓「あっ、この人何もしない気だ」
澪「こいつ……!」
……澪さんが今にも左手を振り上げようとした、丁度その瞬間だった。
父「……ふふっ」
母「仲いいのね、本当に」
澪「ぁ……///」
大人に見られて気恥ずかしくなったのか、気まずくなったのか、それとも笑われて怒る気も萎えたのか。
とりあえず、澪さんの左手に込められた力は自然と霧散してしまったようだ。
……もちろん、さっきまでの重い空気も一緒に。見てることしか出来なかったけど、正直、ホッとした。
父「とりあえず、君達は『ゆっくりやろう作戦』で行くって事でいいかい?」
澪「は、はい…///」
律「……///」
梓「……///」
子供のノリに大人が割って入ってくると全員がなんとなく気恥ずかしくなるの、あると思います。
紬「♪」
……なんで紬さんは嬉しそうなんだろう。
◆
その後、そろそろお昼ご飯の時間だから、ということで梓ちゃんが席を立ってコンビニに行った。
他の皆は持参したお弁当箱を取り出して待ち、梓ちゃんが帰ってきて、私の食事も運ばれてきたところで皆で昼食となった。
……よく考えたら皆は学校があるからこうしてお昼を一緒に食べれるのは土日だけになるのかな。しっかり楽しんでおかないと。
……も、もちろん記憶を取り戻す事もちゃんとしないといけないけどね。
唯「……こうやって、みんなで一緒にお昼を食べた事もあるんだよね、私」
紬「……うん、あるよ」
梓「私は学年が違うから他のみなさんより少ないはずですけど」
律「それでも、唯の家とかでみんなで食べた事も結構あったぞ」
澪「そうだな、みんなで、な」
律「………」
紬「………」
梓「………」
唯「……ごめん」
正直なところ、これだけのヒントを貰えばそんな光景は普通に想像できるし、実際そんな事もあったのだろう、とくらいは思える。
そこに私がいる光景を写真のように容易に思い描けるし、そういう関係が自然だって心から思える。
記憶のない今の私だって、この人達といつだって一緒にいたいと、そう思えるんだから。記憶のある私がそうしない理由なんてない。
それでも「ごめん」なんだ。思い出したわけじゃないから、取り戻したわけじゃないから、「ごめん」としか言えないんだ。
こんな光景は確かにあったような気がする、けど頭の中のどこかにモヤがかかったような違和感が拭えないんだ。
その違和感が正しいのか、ただの勘違いなのか。正しいなら違和感の正体は何なのか。勘違いなら何故勘違いしたのか。
そこまでハッキリするくらいじゃないと、思い出したとは言えないはずだから。
だから、申し訳ないけど……
澪「大丈夫だよ、唯」
紬「慌てない、慌てない。ね?」
律「『ゆっくりやろう作戦』らしいからな。唯も焦らないでくれ」
唯「私が……?」
梓「……私達に負い目を感じるあまりに結論を急ぐような、そんな事をしないでください、ってことです」
唯「……今、私、そんな風に見えた?」
そう聞くと、皆が同時に柔らかく微笑んだ。
つまり、自分から振った話題だったせいか、想像しやすそうな光景だったせいかはわからないけど、私は思い出せない事を皆に申し訳なく思ってしまったということ。
ううん、申し訳なくはずっと思ってるけど、今回はそれが焦りに転じそうだったということ。顔に出るほどいろいろ考えすぎてしまったということ。
それはよくないことだ。梓ちゃんが言ったように、言うように、慎重に、確実にやらないと。
『ゆっくりやろう作戦』には、私も参加しているんだ。
唯「……そっか。ありがと、みんな」
律「よし。じゃあそういうわけだから、普通に食べるか!」
梓「そうですね」
律「というわけで唯、そのデザートらしき蜜柑と私のエビフライを交換してくれ!」
紬「エビフライ差し出しちゃうの!?」
唯「み、魅力的な申し出だけど唯一無二のデザートを差し出すのは……!」
澪「っていうか病院食のバランスを崩すような真似をするな!」ゴチン
律「ごべふ」
紬「ま、まあまあ澪ちゃん。やっぱりみんなでワイワイやるお昼ご飯の定番っていったらおかず交換だし」
梓「でもこの人、おかずじゃなくてデザート狙いでしたよ」
律「いや……だって、正直、他はなんか地味だし……」
……今から食べる人の前でそれはないよ。否定できないけど。
◆
ごちそうさまでした、と皆で手を合わせて声を揃える。
そのすぐ後、綺麗な看護師さんが部屋を訪れて私の食器を持っていった。
唯「……監視カメラでもあるのかな?」
紬「あるんじゃないかな?」
澪「ここは個室だからな。唯の場合はこうしてご両親がいるとはいえ、そうじゃない人の場合を考えると」
唯「…なるほど。それもそうだね」
梓「……それにしても、綺麗な人でしたね」
唯「だねぇ。白衣の天使って、まさにああいう人の事を言うんだろうね」
紬「綺麗な人といえば、唯ちゃん、そのうちさわ子先生が来るかもって言ってたよ」
唯「さわ子先生……写真に写ってた顧問の先生、だっけ」
紬「そうそう。今日か明日か、とにかくそのうちに、だって」
律「……綺麗な人、でさわちゃんを思い出すのか、ムギは」
紬「まあ…綺麗な人には違いないでしょ?」
澪「うん…まあ……」
律「一応……」
……なにこの微妙な空気。
それにしても、顧問の先生、かあ。写真を見た感じでは、確かに美人に分類される整った顔立ちをしてたと思う。
でも同時に、律さんやお父さんから実情(?)も耳にしている。
唯「えっと、猫被りの先生なんだっけ?」
律「そ。さすがに唯のお父さん達もいるこの場でボロを出すとは考えにくいから、裏の顔を想像して楽しんどくといいよ」
唯「陰険な楽しみ方だね」
澪「というか、和達との面会はまだダメなのに先生はいいのかな」
紬「お医者様の先生が止めてくれるかもしれないし、大人だからってことで通すかもしれないし」
澪「どっちかはムギにもわからない、か」
律「というかムギ、そんなのいつ聞いたんだ?」
紬「朝に電話でね。私なら病院自体に話も通しておきやすいだろうし」
律「なるほどね」
――それから、流れでそのさわ子先生という人についての逸話をいくつか聞かせてもらっていると、病室の扉がノックされた。
どうぞ、と応えるとすぐに扉は滑らかに開く。
さわ子「失礼します」
そこにいたのは、写真の中の印象のままの美人の眼鏡教師だった。
……まあ、律さん達からこの人のエピソードは聞かせてもらった後なので、これが表の顔だというのはわかる。
さわ子「……唯ちゃん」
唯「はい?……わっ!?」
さわ子先生は、真っ直ぐ私に歩み寄ってきたかと思うと、そのまま私を抱きしめた。
自然と、それでいて優しく、包み込むように。
さわ子「……よかった、目が覚めて」
唯「あっ、あの、はい、迷惑、かけました……」
さわ子「迷惑なんかじゃないわ。心配はしたけれど……決して迷惑なんかじゃない」ギュッ
唯「………」
……繰り返しになるけど、この先生の猫被りエピソードは、いくつか聞かせてもらってる。
そして、それを話す皆の顔は……笑顔だった。苦笑も混じってはいたけど、思い返しながらイヤそうな顔はしていなかった。
それにお父さんも言っていた。猫被りを見抜いた上で言っていた。
「いい先生だ」って。
唯「……ありがとうございます、先生」
さわ子「……ふふっ、かしこまる唯ちゃんは、新鮮ね」
澪「……ムギ、先生は、唯のこと――」
紬「うん、記憶の事については話してあるわ」
澪「そっか」
さわ子「そうよ。生憎今日は何も持ってきてないけど、話し相手くらいにはなれるわ」
唯「……思い出せるかはわかりませんけど、よろしくお願いします、先生」
さわ子「こちらこそ、力になれるかはわからないけど、よろしくね、唯ちゃん」
こうして私はまた一人、頼れる人と出会った。
◆
さわ子「――じゃあね唯ちゃん、また来るわ」
唯「……はい、先生」
残念ながらさわ子先生と話しても思い出せる事は無かった。
ただ、さわ子先生が大人だからなのか、それに関する申し訳なさ等を私が抱かないように話を持っていってくれていた感じがあった。
この人もいい人だから、そんな感情を私が抱いたところで皆と同じように「気にするな」と言ってくれるんだろうけど。
さわ子「みんなもそろそろ帰りなさい。遅くなるとよくないわよ」
紬「……遅い、ってほどの時間でもないと思いますけど」
澪「別に、帰ってもいい時間でもあるけど。でも面会時間はまだありますよ?」
さわ子「……せっかく遠回しに言ってるのに。「さっさと行くわよ」って言わないとダメなのかしら?」
律「へ? 何のこと――」
紬「あっ!!」
紬さんが立ち上がり、何かを三人に耳打ちする。
それを聞いて律さんは勢いよく立ち上がり、澪さんは梓ちゃんに目をやった。梓ちゃんは俯いている。
律「そ、それじゃーな、唯! また明日な!」
唯「えっ、あの…えっ?」
澪「ま、待てよ律! あ、梓はどうする…?」
梓「……残ります」
澪「そうか。行こう、ムギ。……唯、ごめん、また明日」
紬「じゃあね、唯ちゃん、梓ちゃん」
唯「う、うん、またね」
非常に騒がしく出て行った律さんとは対照的に、澪さんはやや急ぎ目に、紬さんはどことなく優雅さを感じさせる足取りで出ていった。
最初に席を立ったさわ子先生も静かに手を振って出て行き、病室は一気に静かになる。
唯「ど、どうしたんだろーね…?」
梓「……あの人達が何も言わないって事は、唯先輩は気にしなくて大丈夫ってことです」
唯「そ、そっか……」
ちょっと他人事みたいな言い方だけど、紬さんの耳打ちを一緒に聞いてた梓ちゃんが事情を知らないわけはない。
だから逆に言えば、ちょっと他人事みたいな言い方をするという事は、私に教えてはくれないということ。
そして多分、梓ちゃん自身も関わりたくないということ…なのかな?
梓「……気になりますか?」
唯「あれ、教えてくれるの?」
梓「…多分、ほぼ毎日この時間に解散になると思うので。気にするなという方が無理な気もするんです」
唯「ふぅん……」
梓「でも、勝手に教えていい事だとも思いません。お医者さんの先生の許可が出れば、教えます」
唯「………」
ちょっと考えて、私は答えた。
唯「……教えてほしいな」
梓「わかりました、聞いてきますね。ちょっと待っててください」
唯「うん」
……実を言うと、少しだけ予想がついている。
確証はないけれど、皆が私に隠す事といえば。隠すというか、私を遠ざけている事といえば。
……それはきっと、『魔物』に関係する事じゃないかな、って思う。
記憶の無い私だから他の可能性が見えてないだけかもしれない。けど、そうやって一度予想してしまうと答えが気になってしょうがなかった。
梓ちゃんにわざわざ許可を取りに行かせる申し訳なさよりも、そういう、好奇心のような感情のほうを優先してしまった。
ごめんね、梓ちゃん。
梓「すいません、お待たせしました」
唯「あれ、早かったね」
梓「そうですか? まあ、先生かムギ先輩から話が通ってたのかそれこそ監視カメラで様子でも見てたのか、許可自体はすぐに出ましたけど」
唯「…ということは、他に何かあったの?」
梓「ええ、まあそちらは後で。とりあえず唯先輩の知りたがってた事のほうですけど」
唯「うんうん」
梓「……先輩達は、『魔物』を探しに行っています」
……当たった。
でも、「やったー当たったー!」なんて言っていいことじゃないよね。こうしてる間にも皆が危険を犯しているんだから。
梓「……唯先輩が襲われたのが、丁度今くらいの時間なので」
唯「………」
梓ちゃんが行きたがらなかったのは、そのせいなのかな。
誰よりも悔いているから、思い出したくないから、なのかな。
もっとも、澪さん達先輩からすれば後輩を危険から遠ざけるのは当然なんだろうけど。
唯「……みんな、大丈夫かな」
梓「大丈夫ですよ。危ない事はしないって約束ですし。先生も間接的に協力してくれてますし」
なるほど、さっきのさわ子先生は「貴女達次第」って、どこか当事者っぽくない言い方をしてたけど、そういうことか。
……でも、あんなにいい先生なら生徒だけを危険な目に遭わせる事にいい顔はしないはず、じゃないのかな…?
唯「…ね、梓ちゃん。みんなはどういう風に探しに行ってるの?」
梓「え? どういう風、とは?」
唯「ほら、『魔物』なんて怖いものを相手にするわけでしょ? 警察に手伝ってもらうとか、そういうことは勿論してるんだよね?」
梓「……いえ、してません。『魔物』だなんて、世間に知れたら大混乱になるじゃないですか」
唯「え……じゃ、じゃあ事情を知ってるみんなだけで探してるの? さわ子先生も直接協力はしてないんでしょ?」
梓「ああ、その、えっと、私達なら大丈夫なんですよ。対処する術があるんです。ですから、そういうのを持たない先生とかはむしろ一緒にいたら危険といいますか」
唯「対処する術って……どんなの?」
梓「それは…教えられません」
唯「………」
梓「……えっと……」
唯「じー……」
梓「う、嘘じゃないですよ? ただ、いくら唯先輩とはいえ教えていい事なのかわからないというだけで…」
唯「じー…………」
梓「せ、先輩達の許可がないと言っていいかわからないんです!」
唯「えへへ、冗談冗談。大丈夫、許可とってこいなんて言わないよ。今日二回目になっちゃうしね」
梓「そ、そうですか……?」
唯「うん。記憶が戻ればわかる事かもしれないし……今大事なのはその『対処する術』自体より、みんなに危険がないかどうかのほうだから」
梓「そこは大丈夫です! 絶対大丈夫ですから、唯先輩は何も心配しないでください!」
唯「……うん、信じるよ、梓ちゃん」
梓「……はい。だから、唯先輩は自分の事だけ考えてればいいんです……」
唯「……うん」
……そうだよね。
結局、私が何を言おうとも、一番大事なものを失ったままの私じゃ、それは余計なお世話にしかならないんだよね。
だから……私が優先すべきは、やっぱり自分のこと。記憶を取り戻すこと。
それさえ叶えば、きっと皆と同じ場所に立てるようになるよね。
梓「…あ、そうだ。話は変わりますが、さっき私が遅くなった理由ですけど」
唯「そうだったね、何かあったの?」
梓「……和先輩の件ですけど、少し早いですが許可が下りました。都合が合えば明日にでも、だそうです」
和さん。昨日、澪さんが私に会わせたがっていた、幼馴染。
そう聞いて、両親の方を見る。二人とも、視線が合っても何も言わずただ頷くだけだった。
梓「今日一日、唯先輩はいろいろなものを見て、先生にも会い、多くの事を知ったはずです」
唯「……うん。そのくせ何も思い出せなかったけどね……」
梓「そうじゃないです。それだけ多くの情報を得ても身体に悪影響が何も見られないから、予定を繰り上げても大丈夫って言ってもらえたんです」
唯「……そっか。実を言うと、覚えておくべき事ばっかりで既に頭がいっぱいいっぱいなんだけどね……」
思い出せないなら、せめて言われた事は覚えておくべき。そう思って詰め込もうとしてるのは事実。
だから演出として、冗談交じりに頭を抱える仕草をつけてみたんだけど、生憎それは冗談とは受け取ってもらえなかった。
冷静に考えれば、私の事をあんなに心配してる梓ちゃんなんだから当然だ。
梓「だ、大丈夫なんですか? やっぱりやめておきますか?」
唯「あ、ううん、頭が痛いとかそういうのはないから大丈夫。それに、幼馴染っていうなら…会いたいよ。会っておきたいよ」
記憶が戻るかはわからない。自信なんてあるわけない。
思い出せない事によって相手を傷つけるかもしれない。私自身も焦ってしまうかもしれない。
でも、幼馴染なんていう大切な存在なんだ。会いたい。会わない理由なんてない。はず。
梓「……わかりました。先輩達には私から伝えておきますね」
唯「ありがとう、梓ちゃん」
梓「いえ。では、私もそろそろ帰りますね」
唯「あれ、早いね? っていうか今日は帰るんだね」
梓「……明日に備えて、もう休んでください。私がいたらゆっくり休めないでしょうし」
唯「……梓ちゃん?」
梓「……深い意味はないですよ。澪先輩も言ったとおり、和先輩と会ってもらってからが本番なんですから。しっかり休んでくださいね、ってことです、本当に」
唯「う、うん……」
流されるように返事しちゃったけど、不安だ。
タイミングからして、私のさっきの行動を梓ちゃんが重く受け止めてしまった可能性があるから。
でも、梓ちゃんの口ぶりには取り付く島も無い。こういう時、黙っておくべきなのか、多少でも強引に行動したほうがいいのか……記憶の無い私には、わからなかった。
梓「それでは、失礼します。唯先輩、また明日です」
唯「ぁ……」
私は、手を伸ばそうとして、口を開こうとして、どちらも中途半端なまま固まっていた。
そんな私を尻目に動いたのは、ずっとなるべく私達の邪魔をしないように、静かに様子を見守っていてくれた人。
父「……梓ちゃん、家まで送るよ」
梓「え……そんな、大丈夫ですよ?」
父「唯ももう起きた事だし、ずっとついてなくても大丈夫だろうから。それに車だからすぐ着くよ」
梓「えっと……」
父「唯も、梓ちゃんを一人で帰らせるのは不安だろ?」
私を振り返ったお父さんの顔は、どこか得意気な笑みに満ちていて、「任せておけ」と言ってるかのよう。
その顔に、私はすぐに何度も首を縦に振っていた。
唯「うん、うん! 女の子の一人歩きは危険だからね! 梓ちゃん可愛いしね! よろしくね、お父さん!」
父「よろしくされるよ。さ、行こうか」
梓「は、はい……それじゃ、よろしくお願いします……」
先輩の親と二人きりというシチュエーションは緊張するかもしれないけど……ごめんね、梓ちゃん。やっぱり気になるよ。
自分で何とかできないのは情けない限りだけど……お願いね、お父さん。
唯「あ、お父さん!」
父「ん?」
唯「『魔物』に気をつけてね」
父「……ああ……そうだね」
◇◇
父「――すまないね、梓ちゃん。あの子も悪気があったわけじゃないんだ」
梓「……どちらにしろ、私を責めるような事を言う人じゃないです。それはわかってるつもりです」
父「……唯は、君にはどう映ってる?」
梓「……失礼かもしれませんけど、唯先輩は思ったままを口に出す人だと思います。それこそ、さっきみたいに」
父「嬉しかったかい?」
梓「……そうですね、そうとも取れますね。そう取っておけばよかったんですね……」
父「ふふっ。……そうだ、梓ちゃん、明日の事について一つ提案があるんだけど――」
◇◇
母「……ほら、唯。せっかくだから横になっておきなさい」
唯「はぁい……」
お母さんに言われ、しぶしぶ――と見えるように――横になる。
実際、寝転がって今日学んだ事を復習するのもいいかと思ってたところだったりする。
ご飯を食べて、もう一回復習してたらきっとすぐに消灯時間になるだろう。その前に寝ちゃうかもしれないけど。
母「疲れたでしょ? 梓ちゃんじゃないけど、ゆっくり休むのも大切なんだから」
唯「………」
疲れた、だなんて意地でも言ってやるもんか。今日の全部は私が私を取り戻すために必要な事だったんだから。
でも、明日の全部も私の為に必要な事になるのは間違いない。だから、休む時にはちゃんと休むべきなんだと思う。
というわけで、お母さんの言う事にもちゃんと従います。目を瞑って身体を休めて、今日の出来事を思い返して――
母「あっ、そうだ唯、トランプでもしない?」
唯「……お母さん、今自分で「休みなさい」って言わなかった?」
母「そ、そうだけど……ほら、お母さんと遊ぶことで何か思い出すかもよ?」
唯「……暇なの?」
母「うん」
唯「無駄に素直だね」
母「素直なのはいいことよ?」
唯「……じゃあ、なにする?」
よっこいせ、と身体を起こす。
仕方がないなぁ、とは思うけど、正直嫌じゃない。
母「じゃあババ抜きしましょうか」
唯「……二人で?」
◆
……二人それぞれ黙々と、ペアの出来たカードを手札から捨てていく。
ババ抜きのルールは覚えてるんだなぁ、とかどうでもいい事を思いつつも……この、時間を無駄にしている感じがすごく……なんともいえない。
母「……唯も」
唯「ん?」
母「唯も、自分からやってみたい事とか言ってみればいいのよ」
唯「……梓ちゃん達に?」
母「そ」
唯「……迷惑じゃないかな?」
皆は、私のお世話をすることは――記憶を取り戻す手伝いをすることは、嫌じゃないと言ってくれた。自分達も望んでいるから、と。
でも、私の一方的なワガママを聞いてもらうっていうのはどうなんだろう……? どう思われるんだろう?
母「きっと、今の唯みたいな気持ちだと思うわよ」
唯「今の、私……」
なるほど。
お母さんのワガママでババ抜きにつき合わされている、今の私。単純に状況だけ見れば同じようなもの。
そんな私の胸中は……正直、嫌じゃない。
ぺちぺち、と、カードを捨てていくこの音がすごく優しいものに思えるくらいには。
唯「……お母さん、あの……」
母「なぁに?」
唯「……ジョーカー、既に捨てられてるんだけど」
――その夜。
やはりいろいろあって疲れていたのか、和ちゃんという人について軽く聞いておこうかと思っていたのに、結局いつの間にか眠ってしまっていた。
――日曜日。朝。
唯「……梓ちゃん、今日は遅いね」
母「ふふっ、心配?」
唯「うん、まあ……昨日も一昨日もいてくれたから……」
父「唯が目覚める前も、毎日朝早くからこの場にいたからね、あの子は」
母「だから、私達も心配といえば心配なんだけど……」
唯「………」
「だけど」でお母さんが言葉を切り、お父さんも言葉を継がず、私もその意図は察している。
というか、理由の予想がついている。今日は和さんという人が来るから、だ。
私に和さんを会わせたがっていた澪さんと、その澪さんの考えの正当さを評価して意を汲もうとする皆なら、この日に賭ける思いは大きいはずだから。
その『皆』に、きっと梓ちゃんも含まれているはずだから。
唯「……ねえ、お父さん、お母さん。みんなが来るまで話をして欲しいんだ」
父「うん、どんな?」
唯「和さんの事。昨夜聞こうとしたけど寝ちゃったから」
父「……うーん、どうかな。昨日と一昨日で、皆からそれなりに聞いてはいるだろう?」
唯「そうだけど、幼馴染なんでしょ? 私達しか知らないような事もたくさんあるはずだよね?」
父「そうだね。だけど、僕達は独断でそれを唯に話すわけにはいかないよ」
唯「……許可がいるってこと? お医者さんの?」
父「それもあるけど、どちらかといえば澪ちゃんかな。彼女のペースに合わせようと思ってるから」
唯「澪さんの作戦に?」
父「そう」
大人であるお父さんとお母さんが、高校生に従うと言う。それは普通に見れば異様な光景。
でも昨日の時点でもそんな雰囲気は出していたから、私は問い返しこそしたもののその判断自体をそこまで疑問に思いはしなかった。
だけど、何故そうするのか、という理由までは考えた事がなかったんだ。
父「……負い目を感じているのかもしれないね。唯が魔物に襲われた時も、僕達は日本に居すらしなかったんだから」
唯「そう、なの?」
父「……記憶が戻れば、思い出すよ。その時は、僕達を責めてくれていい」
母「そうね……」
唯「そんな……私、そんなことしないよ……」
そんなこと、絶対にしない。そばにいてくれるだけで安息を与えてくれる人を責めたりなんて、するはずがない。
そう言い切りたいけど、記憶が無くてお父さん達の事情がわからない私には何も言えない。
お父さん達は責められる事を覚悟してる。そんなに正当性のない事情なんだろうか?
聞けばいい? ううん、教えてくれないよ。和さんの事さえ教えてくれないんだから。
だから、自分で思い出すしかない。
思い出して……思い出したら、お父さんとお母さんを責めるの?
そうなの? 私……
……ちょっと、記憶を取り戻すの、怖くなったかも……
唯「そんなこと、したくないよ……」
父「……ごめんな、唯。混乱させるようなこと言うんじゃなかった」
唯「……ホントだよ……」
父「あああ、顔を上げてくれ……失言だったよ本当に……」
母「ほ、ほら唯、大丈夫よ~」ナデナデ
唯「………」
二人の焦りようがとても伝わってくる。……あたたかい。
出来ることなら今すぐ笑顔を作ってあげたい。以前に何かしていたにしろ、今の私にとっては大切な家族、そばに居てくれる人なんだから、心配はかけたくない。
私が記憶を取り戻したいと思ったのは澪ちゃんや梓ちゃん達だけではなく、この人達のためでもあったはずなんだから。
ちょっと不安になる事を言われたくらいで、この気持ちは揺らがないはずなんだから……
唯「……ん……」
うん、大丈夫。ちゃんと前を向ける。
そう思い、言おうとして、顔を上げようとした、その時。
和「失礼します………って、何、この状況」
赤いメガネをかけた人が、非常に空気の読めないタイミングで入ってきた。
◆
和「迂闊すぎます!」ガミガミ
父「ごめんなさい……」シュン
母「おっしゃるとおりです……」ションボリ
和「おじさんおばさんのそういうのんびりした所は私も好きだし滅多に欠点に転じる事はないんですけど、今回はさすがにデリカシーがありません」
父「面目次第もございません……」
母「……こういうのもデリカシーって言うの?」
和「言います!言わせます!言いなさい!」
母「ひゃいっ!!!」ビクッ
……えっと。
今何が起こってるかというと、状況を聞かれたので私の口から説明したら、即、説教タイムが始まりました。
……今日の予定って何だったっけ……
唯「あ、あの、お父さんもお母さんも反省してるのでそのくらいで――」
和「っていうかそもそもそんな隠すような事でもないでしょう。あのね唯、この夫婦はラブラブ海外旅行に行っていたのよ、当時」
父「ああっ!」
唯「ええっ、そうなの!? 私も行きたかったー!」
和「学校があるから無理よ」
唯「あ、そっか」
その頃の記憶がない上に入院中だからわからなかったけど、そっか、別に長期休暇でもないんだ、今は。
うっかりうっかり。
父「っていうか唯もツッコミ所はそこなの?」
唯「へ? あ……」
和「いつもの事なのよ。ずっとラブラブでしょっちゅう家を空けるのがあなたの両親なの」
父「あああ……」
唯「へー。素敵な夫婦だね」
和「でしょう?」
唯「うん。いつまでも仲良くしててほしいよ」
父「……あれ?」
子供をほったらかしにして旅行するような親だった事を責められると、お父さん達は思ってたんだろう。
でも私の第一声はそれだった。たぶん、この数日間だけでもこの二人が親としての愛情をちゃんと持っているっていう事はわかったからじゃないかな。
たとえそれが負い目からのものだとしても、償いだとしても、私にとっては充分に大きな支えとなるものだったから。
和「わかりましたか? 人を愛する事を知っている貴方達が育てた娘は、愛し合う貴方達の行動を責めはしないんです」
父「いやぁ……ははは」テレテレ
母「和ちゃんったら、そんな恥ずかしいことを大声で言わなくても…」テレテレ
和「褒めてませんよ! 唯はこんなにも真っ直ぐな子なのに、正直に言えばわかってくれるのに、変に隠し事をして不安にさせた貴方達の行動を私は責めてるんですからね!!」
父「は、はいィ!!」
唯「あ、あの、そのくらいで……」
和「だいたい親が子に隠し事って何ですか。子供の隠し事は親は受け入れるものですが、逆なんて到底できやしないんです。子供は親の背中を見て育つんです。親として子供を信じているなら最初から全てをさらけ出して――」
唯「の、和ちゃん! 私は大丈夫だからっ!!」
和「………」
父「………」
母「………」
唯「……あれ? どしたのみんな」
母「……「和ちゃん」って呼んだわね、今」
唯「あっ……」
なんでその呼び方が口を衝いたのかは、考えてみてもわからない。
さっきまでは、写真で見ただけのこの人の事を考えるときは「和さん」だったのに。なのに、何も考えず叫んだら「和ちゃん」になっていた。
唯「え、えっと……どうしよう? どういうこと?」
和「……ま、いいんじゃない? 貴女に「和ちゃん」と呼ばれるのは……嫌じゃないわ」
唯「……そう?」
和「ええ」
唯「………」
彼女――和ちゃんは「嫌じゃない」と言ってくれたけど、私には「嬉しい」という表情にも見えなかった。
喜びを抑えているようにも見えるし、喜んでいいのかわからないようにも見える。
幼馴染のはずのこの子の表情の意味も理由も、記憶のない私にはわからなくて、それがとても……歯痒い。
咄嗟に出たこの呼び方は、少なからず以前の私の記憶と関連しているはずなのに、手放しでは喜べない気がした。
記憶が無いって、嫌だな。
ただただ、そう思う。
◆
澪「へえ、良かったじゃないか!」
私が「和ちゃん」と呼んだ事実を――記憶が戻る兆候と取れるそれを――真っ先に喜んだのは、やはりというか当然というか澪さんだった。
梓「さすが澪先輩です!」
私の事をとにかく心配してくれていた梓ちゃんも勿論喜び、この『ゆっくりやろう作戦』を提案した澪さんを褒め称える。
律さんと紬さんは、その光景までをも含めて喜んでくれていたように見えた。
そんな空気に流され、私も笑顔を作った。
歯痒い気持ちはまだある。でも、これは小さな一歩。
私から見れば小さすぎて手放しでは喜べないけど、皆から見れば意味のある一歩なんだ。
自分の中に、皆を喜ばせるものが残っていた。その事実は充分、笑顔を作る理由になる。
そんな笑顔の勢いで「この調子で一気に記憶が戻らないかなぁ」なんて呟いたら、やっぱり皆から「無理はするな」と怒られたけど。
和「でもそうね、ゆっくりでいいから、これを機に唯の記憶が戻ってくれれば嬉しいわよね」
律「和……うん、そうだな」
さっきとは違い、和ちゃんは心からの笑顔で語っている、ように見える。
そのことに安堵していいのかはまだわからないけど、記憶が戻ればわかるはずだから何も言わない。
和「そういえば、みんなはお昼は食べてきたの?」
澪「うん。今日はしばらく唯と和とご両親の邪魔はしないって予定だったから」
父「邪魔ではないけどね。でもありがとう、みんな」
母「梓ちゃんもね」
梓「あ、いえ、大丈夫です。それよりおばさん達のお昼ご飯は……」
父「うん、昨日言った通り、今日は外に出てくるよ。だからしばらく唯をよろしくね、梓ちゃん」
梓「は、はい、お任せください!」
唯「いつの間にそんな打ち合わせを……。いつごろ帰ってくるの?」
母「夕方には戻るわよ。たまには若い子だけで水入らずの話をしなさいな。和ちゃんもいることだし」
和「お気遣いすいません、おばさん」
父「でも、もし唯の身に何か起きたら呼んでくれると助かるな」
梓「それはもう当然です! 私がちゃんとずっとそばにいますから!」
父「そうだね、今更だったかな。じゃあ行ってくるよ」
それだけ言って、お父さんとお母さんは病室を出た。皆も頭を下げていた。
二人の気遣いは私にも伝わってきたから何も不安はない。ううん、二人の気遣いもだけど、梓ちゃんのまっすぐな気持ちも、だ。
あの日梓ちゃんは「そばにいる」って言ってくれた。実際、私が目覚めるまでもずっとそばにいてくれたらしい。
でも今朝はちゃんと和ちゃんに譲った。私の為を思って自分は身を引いた。そして今また「そばにいる」と言ってくれた。
……この子はなんて優しいんだろう。
唯「梓ちゃん梓ちゃん」
梓「はい?」
手招きすると、ちょこちょこと歩いてきてくれる。
……かわいい。
唯「隣、座らない?」ポンポン
梓「えっ……あ、はい、じゃあ失礼します……よいしょ」
紬「うふふっ、微笑ましい」
梓「む、ムギ先輩、もぅ……」
唯「………」
こうして肩を並べてみると、やっぱり梓ちゃんは小さい。
……こうも小さいと抱きしめたくなる衝動に駆られるけど、記憶がない以上は失礼かもしれないので今のままで我慢しよう。
紬「唯ちゃん、抱き締めてもいいのよ!」
唯「えっ、良かったの!?」
梓「ちょっ、ムギ先輩!!」
まるで心を読んだかのようなタイミングで紬さんが言ってくれた。
でも、梓ちゃんの反応を見た感じだと良いのか悪いのか……よくわからない。
梓「あ、いえ、あのですね唯先輩、ダメとは言いませんが、っていうかこの前は私から抱きついてしまいましたしダメなんて到底言えませんが、っていうかもしかしたらそれで記憶が戻ったりするかもしれないしダメって事はないんですけど、決して嫌ではないんですけど、えっと――」
唯「――い、いいよいいよ、なんかタイミング悪いもんね、うん」
梓「そ、そうですタイミングです! 別に嫌ではないんですけど、タイミングがね!」
紬「そう? 残念……」
……紬さんはしょんぼりしていたけど、私は少し嬉しかった。
ふと沸いてきた抱きしめたいという衝動が、梓ちゃんに一応拒まれなかったということが。
この衝動はきっと『平沢 唯』のものだから。それが私の中にあった事も嬉しいし、紬さんも梓ちゃんもその衝動を否定しなかったのも嬉しかった。
衝動のままに抱きつけなかった私はやっぱりまだ『平沢 唯』ではないのだろうけど、それでもまたひとつ光が見えた。
澪「……そういえば和、なんで急に昼食の話を?」
和「唯に何かあげようと思って持ってきたんだけど、勝手に食べ物あげちゃダメって言われて」
律「私も昨日澪に怒られたよ」
和「唯のためにもなると思ったんだけどね。というわけで律、これあげるわ」
律「こ、これは…!」
澪「……頭脳パン?」
律「これを唯のためにって……今から頭良くなってどうするんだよ!しかもこれ食べるだけで頭が良くなるわけじゃねーよ!そしてこれを私にくれるってつまりそういうことかー!!!」
澪「お、落ち着け律!」
◆
澪「――と、ところで和、私達が来るまで唯とどんな事を話してたんだ?」
和「そうねぇ……昔話ばかりだったわね」
紬「幼馴染だから話題には事欠かなそうね?」
和「ええ。ただ、それでも唯の記憶が戻る、とまでは行かなかったけど」
唯「なんとなく懐かしいような感じはしたんだけど……ごめんね、和ちゃん……」
懐かしい感じがしたということ自体は、私にとっては嬉しい事だった。
ただ問題は、和ちゃんの話のせいぜい半分くらいでしかその懐かしさを感じられなかったということ。
和ちゃんは私との思い出を語ってくれてるのに、その半分くらいには私は何も感じなかったんだ。
それがどうしても申し訳なくて、皆に希望を持たせるような言い方なんて到底出来なかった。
……もちろん、この懐かしさを記憶という形で取り戻したい想いは強まったんだけどね。
和「まあいいのよ別に。一気に記憶が戻っても混乱しそうだしね、唯の事だから」
律「そうだなぁ、唯は頭は良くなかったからなー」
澪「お前が言うな」
なるほど、やっぱり私はお馬鹿キャラだったらしい。ついでに律さんも。
まあ以前もそんな感じの話をしていたし、別に自分がお馬鹿キャラなことに不満はない。ないんだけど、
唯「でも、いろいろ忘れてる今なら逆になんでも詰め込めるかも?」
……なんてことを思いついてしまった。
ただ、この思いつきは胸の内だけに留めておくべきだった。口に出すべきじゃなかった。
口に出した事によって、こんなにも気まずい沈黙が訪れるのなら。
唯「……た、試しに何かやってみようかなぁー? なーんて」
和「……問題集ならあるわよ」
唯「あるの!?」
和「まあ一応、ね。問題を見て何か思い出すかもしれないと思って。はい」
唯「あ、ありがと。うーんと……」
『高校三年生の数学』と書かれた問題集に目を落とす。
話を聞いた限りだと私は高校三年生で、今の季節は春。体感でもせいぜい初夏。
というわけだから、この問題集の後ろのほうの問題は絶対解けない、はず。前から順に解いていこう。解ければ。
和「………」
紬「………」
梓「………」
律「……唯が問題集と真面目に向き合ってるのは不思議な光景だな」
澪「茶化すな。唯は真剣なんだから」
そうです秋山澪さん、私は真剣なのです。
だって……もう少しで解けそうだから!
唯「わかった!これだ! ……どう?」
和「あら、正解だわ。よく解けたわね」
律「マジで!? 私には問題文が何語なのかすらわからなかったぞ!」
澪「いや問題文自体は日本語だろ」
律「いや、しかし、唯が解けるのか、これ……マジか……」
和「……まあ、唯はやれば出来る子だから」
澪「律だってマジメにやれば良い点取れるんだから、気持ちはわかるだろ?」
律「……むぅ……」
唯「……あの、私、解けたの結構嬉しかったんだけど……お馬鹿キャラとしては解けない方が良かったのかな?」
紬「ま、まぁまぁまぁ。気にしないで唯ちゃん。唯ちゃんが真剣に向き合ってくれたのは嬉しいから」
唯「そう? ならいいのかな……ありがと、紬さん」
紬「うん、どういたしまして」
問題は解けた。でも記憶は戻らなかった。そんな私にこうして紬さんが笑顔を向けてくれるのは、「焦らなくていい」という言葉の裏付けなんだろう。
本当にありがたい事だと思う。絶対その気持ちに応えるからね。待ってて。
ひとまず、三年生の問題が解けたって事は私は確かに三年生だって事だよね。自信だけはついたかも。
……問題の解き方をひらめいた時みたいに、記憶もポロッと戻ってくれないかなぁ。
唯「それにしても、律さんにとってはそんなにショックなのかな……ね、梓ちゃん?」
梓「……あ、すいません、聞いてませんでした」
唯「と、隣にいたのに……?」
……梓ちゃんも内心、律さんと同じ反応してたのかな……
◆
唯「ね、ね、他には何かないの?」
和「記憶の切っ掛けになりそうなもの?」
唯「うん!」
問題が解けて自信だけはついたから、こっちから尋ねてみる。
……ちょっと図々しかったかな?と思ったけど、皆は笑顔で応えてくれた。
律「お? やる気だな唯! そんなお前にピッタリのものがある! これだ!」
そう言って律さんが何かを取り出した……のではなく、私の隣の梓ちゃんに何かを指示した。
それを受けて梓ちゃんが立ち上がる。
梓「すいません唯先輩、少し待っててくださいね」
言って、梓ちゃんは部屋を出て行った。
そして僅かな時間の後に戻ってきた時、その手には大きな黒いケースを持っていた。
そのケースの形は……
唯「もしかして……」
梓「はい、唯先輩のギターです。どうぞ」
唯「……かわいい」
チャックを開け、取り出された私のものらしきギターを見ての第一声がそれだった。
別に、ギターにかわいい絵が描いてあるとか装飾が施してあるとかそういうわけではないけど、かわいいって思ったんだ。
ギターにかわいいってどういうことだ、とツッコミ入れられるかと思ったけど、意外にも皆は微笑んでいた。
梓「唯先輩らしいです」
唯「そ、そう? 良かった」
律「へへっ、ここで装備していくかい? お嬢ちゃん」
澪「誰だよ……」
紬「でもそうね、唯ちゃん、持って見せてほしいな」
唯「うん、わかった。えーっと」
梓「こうですよ、先輩」
さすがにギターの持ち方くらいはなんとなくわかるけど、せっかくだから梓ちゃんに手取り足取り教えてもらおう。
……あっ、梓ちゃんの手、ちっちゃくて可愛い。
唯「じゃーん、どう?」
紬「ふふっ、似合ってる似合ってる」
唯「えへへー。ところでこれ、どこから持ってきたの?」
梓「唯先輩の家からですよ?」
唯「あ、そうじゃなくってね」
梓「あっ、はい、ええと、まずおじさんに唯先輩の家から持ってきてもらって、さっきまでナースステーションで預かってもらってたんです」
澪「私と梓も学校帰りの時は預かってもらってるんだ」
唯「なるほど……」
えっと、担当楽器は私と梓ちゃんがギターで、澪さんがベース、紬さんがキーボードで律さんがドラム、だったっけ。
つまり持ち運びやすいギターとベースは毎日持ち歩いているんだろう。きっと記憶のあった頃の私も同じように、ギター……ギー太、を。
それにしても、皆はいつでも話し合う時間はあっただろうけど、お父さんまで一枚噛んでたなんて、いつの間に。あ、もしかして昨日梓ちゃんと帰った時かな?
澪「どうだ唯、せっかくだから何か弾いてみるか?」
唯「いいの? 弾いてみたい!」
澪「じゃあ……ふわふわでいいかな。はい」
唯「ふわふわ?」
何がふわふわしてるんだろ、と思いながら手渡された楽譜を見たら曲名がふわふわしてた。
唯「………」
律「澪のセンスです」
梓「です」
よく見ると歌詞もふわふわしてた。
でも、なんだろう、今までと同じように、どことなく懐かしい感じはちゃんとする。
それに……
澪「……へ、変かな?」
唯「個性的だとは思うけど……私はこういうの好きだったような気がする。なんとなく」
澪「そ、そうか? 良かった……」
律「……演奏してみるか?」
唯「うん。えっと、楽譜ってどう読むの?」
梓「えっとですね――」
一応聞いてはみたけど、一目見てなんとなく予想がついていた。
予想が当たっていることを確認してから、フレットに指を乗せる。
そして、右手のピックで弦を――
―――
――
和「――唯、唯ってば!」
唯「あっ……和ちゃん。ごめん、集中してた……」
和「でしょうね。もう三回目よ、この曲」
唯「……えへへ、楽しくって、つい」
和「……で、どう? 何か思い出した?」
唯「……それは………」
ギターを弾くのは楽しかった。記憶のあった頃の私もすっごく楽しんで演奏してたんだと思う。
でも……思い出せた事は無かった。
唯「なんとなく、この曲に懐かしさを感じはしたけど……」
懐かしさを感じた。演奏していて楽しさも感じた。それに、楽譜の読み方も予想がついたし演奏中も指がよく動いた。
これらの事から、記憶を失う前の私がギターを弾いていた、という確信が持てた。
けど……確信は、記憶じゃない。記憶はまだ私の中にはない。
……見渡してみると、どことなく皆の表情も曇っているような気がした。
唯「……ごめんね、ずっとこればかり言ってるね、私。これしか言えてないんだね……」
紬「だ、大丈夫よ唯ちゃん! 大丈夫だから。ね?」
澪「……そうだよ。何回か弾いてるうちに思い出すかもしれないし」
唯「でも……これだけ夢中になったのに何も思い出せなかったのは……さすがにちょっと……」
そこは皆も同じ気持ちだったんだろうと思う。今まで見た中で一番残念そうな顔をしてるから。
私の事を気遣ってか、見るからに残念そう、というわけではないけれど。それでも悲しそうな感じは伝わってくる。
今回のは私でも結構落ち込む結果なんだから、期待している皆はもっと落ち込んでもおかしくないと思う。もっと表情に出してもいいとさえ思う。いや、私を責めてもいいとさえ。
焦らなくていい、と言ってくれた皆の気持ちを疑うつもりはないけど、それでも今回ばかりは私としても申し訳が立たなくて……
梓「……大丈夫ですよ、唯先輩」
唯「……梓ちゃん?」
梓「みんな、唯先輩が上手くて驚いてるだけですから」
唯「……へ?」
梓「唯先輩は本番以外はあんまり上手くない人でしたから、驚いてるんです。ね、先輩方?」
紬「へっ!? えっ、えっと……」
澪「う、うーん……まあ……」
律「まあ……そうとも言えなくもないような……あるような……」
梓「……ね? 思い出せない事を責めてるわけじゃないですから」
……そう言う梓ちゃんだって、さっきは表情を曇らせていた。私はしっかり見た。
でも今は誰よりも早く立ち直って私を励ましてくれている。
梓ちゃんの言っている事が本当かはわからない。っていうか多分その場限りの出まかせだと思う。あ、私が下手だったのは本当かもしれないけど。
ともかく、梓ちゃんが気を遣ってくれて、皆がそれに乗ってくれたんだ。私だけが落ち込んでいるわけにはいかない。
唯「……ごめん、ありがと、梓ちゃん。まだ何も思い出せてないけど、私、頑張るから」
梓「……いいえ、唯先輩、あなたは一つだけ思い出したはずです」
唯「えっ…?」
梓「演奏するのは楽しい、ってことを。今はそれでいいと思います」
唯「……梓ちゃん…!」
和「偉いわね、梓ちゃんは」
澪「……うん、すごいよ」
律さんと紬さんも、その言葉に頷いていた。
◆
しばらくして今日もさわ子先生が来てくれた。そのまたしばらく後にお父さん達が帰ってきたことで、交代のような感じで皆は魔物探しへと向かった。
さっきは皆の表情を曇らせてしまったし、その後も何の進展もなかったけど、出て行く時の皆の顔はいつも通りに見えた。
梓ちゃんのフォローのおかげか、それとも『魔物』という脅威がそうさせているのか……
……魔物の事も当然気になるけど、今日の一連の出来事を経て、やっぱり記憶の方を優先しないといけないって思い知ったから今は何も聞かないでおこう。
母「梓ちゃんは、今日も残ってくれたのね」
梓「はい。……もしかしてお邪魔でしたか?」
母「もう、私達が梓ちゃんにそんなこと思うわけないでしょ?」
父「そうそう」
梓「す、すいません……ありがとうございます」
母「ふふっ。でも、行きたくなった時は私達に構わずちゃんと行ってね?」
父「もちろん、ちゃんと気をつけて、だけど」
梓「ありがとうございます。でも、きっと私は行かないほうがいいと思います……」
母「そう? なんで?」
梓「……感情的になってしまいそうですから。どんな行動を取るか、自分でも想像できません。先輩方に迷惑をかけます、きっと」
父「後輩だし、それでもいいと思うけどね」
私もそう思う。
後輩にいくら迷惑をかけられても、先輩はきっと後輩を全力で守る。先輩はそれを苦に思わない。先輩はそんな後輩の事が大好きだから。
覚えてないけど、それでも先輩後輩の関係ってきっとそういうものだと思う。
梓「……先輩達だって、いっぱいいっぱいなはずです。私が甘えるわけにはいきません」
唯「私には甘えていいんだよ、梓ちゃん?」
梓「……そういうのは記憶が戻ってからにしてください」
唯「手厳しい! その通りだけど!」
今の私は「他人の心配より自分の心配」と言われて当然の立場だし、仕方ない。
でも、今の私でも何か梓ちゃんにしてあげられる事はないんだろうか。だいぶ心配してくれたと聞いてるし、いつもそばにいてくれるし、そういう事を考えたくなるのは必然だと思う。
もちろん記憶を戻すのが最優先だし、梓ちゃん意外の皆にも何かしてあげたい気持ちはあるけど。
梓「大丈夫です。ここに残るのは私自身の意思でもありますし、唯先輩の事、頼まれてもいますし」
唯「実際助かってるから何も言えない……」
父「僕らも助かってるから何も言えない」
母「そうねぇ」
頼りがいのある先輩になりたいなぁ。
……入院中、ギターの練習をみっちりやろうかなぁ。
唯「そういえば、私のギター……ギー太を持ってきたのはお父さん?」
父「そうだよ。どうだった?」
唯「思い出せたわけじゃないけど……楽しかった!」
父「……成功なのか失敗なのかわからないな。これ、僕のアイデアだったんだが」
母「まあ、あなたが言わなくてもあの子達なら思いついてたと思うけど」
父「うっ」
母「……それもそうね。娘の笑顔を喜ばない親はいないものね」
父「そうだね……」
どことなく遠い目で微笑んでくれる二人。
記憶が戻った時には、もっともっと笑ってくれるよね。
唯「ねえ、もうちょっとギター触ってていいかな?」
父「まだ大丈夫じゃないかな。そんなに大きな音ではないとはいえ、夜はやめておいたほうがいいと思うけど」
唯「うん、ありがと」
それからしばらく、澪さんが置いていってくれた『ふわふわ時間』の楽譜を見ながら、手と指を動かした。
……やっぱり、楽しい。
唯「……ふう。ね、梓ちゃんもギターなんだよね? どう? 楽しい?」
梓「はい、もちろんです」
唯「そっか、よかった。なんだか嬉しいよ」
梓「……唯先輩。みんなで合わせると、もっと楽しいですよ」
唯「楽しそうだねえ。あっ、学校がある日なら梓ちゃん達も楽器持ち歩いてるんだよね?」
梓「私と澪先輩は持ってますが……ムギ先輩と律先輩が仲間はずれになります」
唯「あ、そうだった。それは悪い気がするね……」
梓「でしょう。……早く退院できるといいですね」
唯「そうだねえ。……あれ? 私どうなれば退院できるんだっけ?」
初日もチラッと考えた気がするけど、もう一度情報を整理してみよう。
えっと、確かお医者さんの話だと身体にはどこも異常は無くて、記憶だけが無い。
そんな前例の無い事態だから慎重に慎重を重ねた治療をしながら、経過観察をしていく……みたいな話だったはず。
ということは……
唯「……やっぱり記憶が戻らないと退院できないのかな?」
梓「う、う~ん……でも病院から出て、街並みとかを見る事で何か思い出すかもしれませんし……」
唯「う~ん……」
梓「個人的には、魔物が退治されるまではここにいてほしいですけど」
唯「じゃあ、退治された後は?」
梓「………」
唯「………」
父「………」
母「………」
梓「……今度、聞いときますね」
唯「うん、ごめんね……」
◆
今日も梓ちゃんが遅めの時間まで残ってくれたので、帰りはお父さんが送ると言い、病室にはまた私とお母さんの二人だけとなった。
何を話そうか考えていると、不意にお母さんが口を開いた。
母「……唯、今朝はごめんね?」
唯「今朝…? あ、うん、いいよ、気にしてないよ」
一瞬何の事かわからなかった。
それくらい今日はいろんな事があったとも言えるし、そのおかげで今朝の事も今となっては大した事じゃなくなった、とも言える。
唯「和ちゃんがバッサリ解決してくれたからね。大丈夫だよー」
母「……でも、娘を不安にさせちゃうなんて、母親失格だわ」
唯「そんなこと……」
そんなことない、と言いたかった。私が家族に助けられているのは事実だから。
でも、そう言おうとした時、今日の皆の顔が一瞬頭の中をよぎった。私が不安にさせてしまった皆の顔が。
その申し訳なさは、考えてはいけないとわかっていても頭の中から完全には消えない。
お母さんも同じような感じなのだろう。少なくとも今の私には、お母さんが抱えているその申し訳なさを否定は出来なかった。
唯「……一緒にいてくれれば、それで充分だよ。お母さん」
否定出来ないから、そう言うしかなかった。
一緒にいてくれて、私を救ってくれている人が母親失格なわけがないと、そう言うしかなかった。
母「……ありがと、唯。あなたは優しい子に育ったわね……本当に……」
◆
しんみりとしたお母さんの言葉にどう返事すればいいかわからないでいたら、タイミングよくお医者さんが訪ねてきた。
調子はどうだい?と聞かれたので、身体が覚えていた事がいくつかあったみたい、と伝える。
医者「ふむ。いい傾向だね」
唯「ですよね!」
医者「でも、このまま全てが上手くいくと約束されたわけじゃないから気をつけるように。なんせ初めての症例なんだから。水を差すようで悪いけどね」
唯「は、はい……」
医者「……でも、今日君が取り戻した『感覚』は確かに君のものだ。そこは喜んでいいよ」
「言いたかったのは、もし明日や明後日に何も思い出せなくても落ち込む必要はないよ、と、そういう事だ」とお医者さんは言い、出て行った。
でも私は、その忠告を真に受けようとはしなかった。
だって今日、あれだけ以前の私の片鱗とも言えるモノが見えたんだから。
あくまで見えるだけ止まりで皆を落ち込ませたけど、でもこれは記憶が戻る兆候だって私は思う。
これからどんどん記憶が戻ってくる。だから、お医者さんの忠告は杞憂で終わる。そう思った。
……実際は、そうはならなかったんだけど。
それからの毎日では、何一つ進展がなかった。
「なんとなく懐かしい感じがする」という受け答えももはや恒例になってしまって、言う側の私も心苦しかった。それしか言えない自分が歯痒かった。
嘘を吐く事が許されるなら、もっと前向きな事を何度でも言ってあげたかった。
でも、それは許されない。
皆の表情が曇る事も多くなってきた。当然だと思う。
「焦らなくていい」と言ってくれた皆の気持ちを疑うわけじゃない。信じた上で、それでも当然の反応だと思う。
だって、私の表情も曇っているはずだから。
私が何も思い出せない自分に腹を立てているのと同様に、私に何も思い出させてあげられない、と皆が考えてしまって唇を噛み締めていても何ら不思議じゃない。
記憶のない私が信じたいくらい、皆は優しいから。
次第に、「魔物探しに本腰を入れるから」という名目で、日替わりで一人だけ顔を見せなくなった。
私はその言葉を信じた。たとえ本心が「思い出せずに苦しむ私を見たくない」だったとしても、私に言える事は今や何もなかったから。
「頑張る」だなんて言葉じゃ何の意味も成さないほどに、何の進展もない毎日だった。
……そんな日々の中でも、両親はずっとそばにいてくれた。
梓ちゃんも、平日は毎日朝と夕方に来てくれて、休日は一日中一緒にいてくれた。
だからかな、軽音部の記憶は戻らなくても、梓ちゃんだけは特別に距離が近かったような、そんな感じがするんだ。
◆◆◆
――そんな、何も変わらない毎日がある程度続いた後の、ある日のこと。
久しぶりに軽音部全員と和ちゃんと先生が病室に揃ったので、聞いてみた。
唯「今日は魔物のほうは大丈夫なの?」
律「ふふふ、よくぞ聞いてくれた、唯!」
唯「えっ…?」
私自身も皆もどことなく元気がなかったここ数日が嘘のように、律さんのテンションが高い。
周囲の皆も微笑んでいる。これは……
唯「もしかして……」
律「おう! 『魔物』は退治した!!!」
唯「お、おぉ~! すごいねみんな!」
紬「ようやく、ってところだけどね」
昨日姿を見せなかった紬さんが、ちょっと疲れたような顔で笑いかけてくれる。さわ子先生も昨日はいなかったし、もしかしたら昨日の段階でいろいろあったのかもしれない。
何も手伝えなかったのは残念だけど、記憶を取り戻す事を優先しろと言われているし、梓ちゃんからも魔物が退治されるまでは退院してほしくないと言われているし……どのみち手伝えなかったのかもしれない。
あ、ちなみにあの日梓ちゃんに聞いてきてもらった時にお医者さんも「魔物が退治され次第、退院も前向きに検討する」と言っていたので、やっぱり手伝いには行けそうにもなかった。
唯「……どうだったの? みんな、何事もなかったの? ケガとかしてない?」
澪「大丈夫だよ。心配してくれるのはありがたいけど、こうしてみんなピンピンしてる」
唯「……よかった。あ、でも……ごめん、みんな」
紬「えっ?」
唯「……記憶が戻った感じは、まだしないんだ」
澪「う、うん?」
和「なんで今言うの?」
唯「えっ? だって、魔物を倒したんだし……」
律「……あ、わかった。ゲームみたいに、敵を倒せば取られたものが戻ってくる、って私達が考えてると思ってたんだろ?」
唯「う、うん。律さん達がっていうか、私もちょっと期待してたし……」
だって相手は『魔物』だからね。そういう説明しにくい現象が起こっても不思議じゃないというか。
そもそもが私の記憶を奪うような相手だし、そういういわゆるご都合展開があってもいいと思ったんだけど。
律「……残念ながら、そう都合のいいことにはならなかったな」
澪「……復讐しても……やっぱり失われたものはかえってこないんだ」
紬「それでも! それでも、これでみんな安心できる……。そうでしょ?」
澪「……そう、だな。ごめん」
紬「ううん。澪ちゃんもお疲れ様。怖がりなのに……」
澪「そ、そういう事は言わなくていいから!」
唯「……えへへ」
さわ子「良かったわね、唯ちゃん」
唯「うん。優しい人ばかりで……幸せ者だね、私は」
梓「……それは、唯先輩が優しい人だからですよ。だから周囲に自然とそういう人が集まるんです。……記憶が戻らないとピンとこないかもしれませんが」
唯「……私自身についてはピンとこないけど、梓ちゃんを見てると優しい人の周りには優しい人が集まるっていうのはわかるかな」
梓「私は……そういうのじゃないです」
唯「そうかなぁ?」
梓「……ちょっと、お医者さんの先生に相談してきますね。先輩のこれからのスケジュールについて」
唯「あっ、梓ちゃん……」
梓ちゃんは俯きがちに表情を隠し、そそくさと病室を出ていってしまった。
たぶん……いや、どう考えてもこれは私の失言だよね……
唯「……何がいけなかったんだろ……」
澪「……梓は、何と言えばいいかな、要するに唯への恩返しみたいな考えで動いてるところあるから……」
紬「きっと、本人から褒められても困っちゃうのよね」
唯「……私が何も覚えてないから尚更、ってことかな」
律「嫌ってはいないから安心しろって」
唯「……うん、ありがと、みんな」
皆にしろ梓ちゃんにしろ、いまだに何も思い出さない私に対して失望みたいな感情を向けたことは一度もない。
今となっては私はそれを一番恐れてるから、どうしてもそこには敏感になる。敏感になってるから、今までそんな事は一度もなかったと言い切れる。
それはとてもありがたいこと。いくら感謝しても足りないくらいに。
でも、思い出さない私に失望はしていなくても心を痛めているのはわかってる。
家族以外で一番長く近くにいる梓ちゃんは、多分誰よりも多く心を痛めてる。
立場の違いゆえに、もしかしたら家族よりも多く。
……やっぱり、どうしても焦っちゃうよね。
たとえ誰も私に焦りを強いていないと知っていても、梓ちゃんの心が今どれだけ傷だらけなのかを考えると、どうしても。
◆
唯「というわけで退院したいです、先生」
医者「何が「というわけで」なのかわからないが……」
魔物退治の報告を受けてだろう、梓ちゃんと一緒にお医者さんも来てくれたので、率直な気持ちをぶつけてみた。
……率直すぎたみたいだけど。
医者「……ま、そうだね、魔物が退治された事に加え、病室に篭りきりで改善の兆候が見られないなら、退院も考えたほうがいいか」
唯「やったぁ!」
医者「ご両親も、それでよろしいですか?」
父「はい。本人の望むようにさせてあげてください」
唯「じゃ、じゃあ今すぐにでも!」
母「さすがにいろいろ手続きがあるから今日は無理よ。唯の着替えも持ってきてないし」
唯「そ、そっか……」
和「落ち着きなさい唯。家に帰りたい気持ちはわかるけど」
一言で済ませてしまえば「家に帰りたい」になるけれど、退院してからやりたい事はたくさんある。
単純に外の空気を吸いたいとか、病院食じゃない食べ物を食べたいとか、着替えたいとか、学校に行きたいとか。
梓ちゃんが言ってくれたように自宅や街並みを眺めて思い出す事もあるだろうし、それに一番大きいのは、これまた梓ちゃんが言ってくれた事だけど、
唯「私、早くみんなで合わせて演奏したいよ、軽音部で」
梓「唯先輩……」
医者「じゃあ仮に明日退院するとして……明日は金曜日か。登校は来週頭からで?」
さわ子「そうなりそうですね。私のほうは特に問題はありません」
医者「そうですか。でしたら明日退院の方向で話を進めましょう。よろしいですね?」
父「はい」
唯「えっ、ほ、ホントにいいの…? いいんですか?」
自ら望んだ事とはいえ随分急な話に見える。本当にいいんだろうか。
とはいえ、さすがにお医者さんが嘘や冗談を言うはずもないけど。
医者「何か不都合が?」
唯「い、いえ! その、すんなりいきすぎて怖いというか……」
医者「何度も言うけど前例のない症例だから、危険な賭けではある。けど、その上で君自身が環境を変えて治療する事を望むなら応えるしかない」
唯「ど、どうしてでしょうか?」
医者「今回の場合、入院は悪化を防ぐ為の措置に過ぎない。改善の為の最善手は誰にもわからないんだ。だから、外の危険も無くなった今なら、治療の為と言われれば止めるに足る理由が無い」
要するに、入院してるだけでは良くならなかったから、他の方法を試したいと言い出したら止められない、ということか。
前例の無い記憶喪失であるがゆえに、何が良くて何が悪いかわからないから止められない、と。
医者「でも通院は続けてもらうよ。出来れば平日は毎日。あと少しでも何か起きたらすぐに電話するように。帰ったら病院の番号を携帯電話に入れておいて」
唯「は、はい」
医者「周りのみんなも、この子に何か気がかりな変化が起こったら教えて欲しい」
紬「はい。ありがとうございます」
医者「……では明日の午前中で退院、と。そういう方向で」
お医者さんはそう言って、最後にお父さん達に向けて一礼してから部屋を出ていった。
……まさか本当に帰れるなんて。自分が言い出した事なんだけど、実際にそう決まると期待と不安でいっぱいだ。
家に帰れば、きっとギターの時みたいに自分がそこにいたという実感が持てるだろう、という期待と。
それでもギターの時のように記憶が戻らなかったら、という不安。それらで胸の中がいっぱいだ。
早く帰りたいとは言ったけど、気持ちを整理する時間は取ったほうがよかったかな…?
和「……変に気負わない事よ、唯」
唯「……和ちゃん?」
和「こういう事はなるようにしかならないし、なるようにすればなんとかなるわ」
唯「……え、どういうこと?」
律「記憶が戻るに越したことはないけど、戻らなくても私達はずっと友達だってことさ!」
和「ま、身も蓋もない言い方で結論だけ言えばそうなるわね」
さわ子「不安も期待もあるだろうけど、そこまで気にしなくていいって事よ」
律「さわちゃんが先生らしくまとめやがった……」
さわ子「もっと褒めてもいいのよ?」
……要らなかったかな、気持ちを整理する時間なんて。
今のままでよかったんだ。
唯「……ありがと、みんな」
◆
今日も記憶は戻らなかったけど、明日が退院という事で皆の意識はそちらに向いているようだった。
よって、あまり皆の落ち込む表情を見なくて済んだ。ありがたい。
もう魔物も退治されたということで皆もいつもより遅くまで残ってくれたけど、それでも解散の時は来る。
そんな中、ちょっとだけいつもと違う光景があった。というか、懐かしい光景が。
さわ子「ほら、そろそろ帰るわよ? 唯ちゃんも退院の準備とかあるでしょう?」
唯「……あるの?」
父「無い、ことはないね」
澪「あ、じゃあそろそろお暇します。みんな、帰るぞ」
紬「はーい」
律「そうだなー。さて……」
梓「……私は、残ります」
律「まーそんなこと言うだろうって気はしてたよ」
梓「そうですか、すごいですね」
初日以外は梓ちゃんだけいつも残っていてくれたから、いつもと違う、懐かしい光景だ。
あの時は律さんが梓ちゃんを引きずっていったんだっけ。今回は……?
律「……唯も退院することだし、私達もスケジュールをちょっと考えなくちゃいけない」
梓「スケジュール?」
澪「ほら、土日は休みだからいいけど、学校が始まったら例えばムギは電車通学だから登下校は一緒にいられないし、梓も学年が違うから学校ではあまり一緒にはいられない」
梓「………」
律「そのへん相談しながら帰るぞ、梓」
梓「……そういうことなら……」
唯「あ、あの、そこまでしてもらわなくても……」
記憶が無い事がどの程度日常生活に支障をきたすのかわからないけど、登下校までお世話してもらうのは申し訳ない気がした。
だから遠慮しようとしたんだけど、でも当然というかなんというか、皆は聞く耳を持たなかった。
和「気にしなくていいわ。どうせ全員同じクラスだし」
さわ子「私のおかげでね!」
唯「職権乱用ですか!?」
紬「でも、感謝してますよ」
確かに、皆から見たらこんなことになってしまった今となっては同じクラスにしてもらった事に対して感謝しかない、のかな。
私としても、来週から行く学校で同じクラスに知ってる人が誰もいないよりかは遥かに助かるし。うん、ありがたい話だよね。
甘えていいのかな、ずっと甘えっぱなしだけど。せめて感謝の気持ちは忘れないようにしないとね。
澪「じゃあ、そういうことで。今日は失礼します」
父「今日もありがとう。また来てくれると助かるよ」
律「それはもちろん」
母「退院してるだろうから、家で会うことになるかしら」
梓「……私は朝も来ますから」
唯「ありがと、梓ちゃん。みんな、また明日ね」
紬「またね~」
和「またね、唯」
さわ子「それでは」
◆◆
期待と不安で眠れない――なんてことはなかった夜を越えて、退院当日の朝。
唯「……ん…?」
朝特有のまどろみの中で、手に何かが触れているような感触を覚え、目を開く。
梓「……あ、おはようございます、唯先輩」
唯「梓、ちゃん……?」
違和感を感じた。何かに。
……ああ、そうだ、珍しいんだ。
唯「……今日は早いね?」
入院患者である私は模範的で健康的な早寝早起きの生活を送っている。
そんな私が起きるより前に梓ちゃんが来ていて、しかも私を起こしかねないくらいにしっかり手を握っているというのは、珍しい。
もっと言うなら予想外。そして、らしくない。
そんな梓ちゃんの次の言葉は、もっと予想外なものだった。
梓「……今日、退院でしたよね。付き添います」
唯「……えっ?」
梓「おじさんとおばさんには許可を取りました。唯先輩次第だ、と」
枕元にある時計を見てみる。実際のところ、非常識と言うほどの早朝ではなかった。
うちの両親もいつも私が起きるより早く起きているし、梓ちゃんが会ったというのは嘘ではないのだろう。
でも、もっとも大きな問題はそこではなく、別のところだ。
唯「……学校は?」
梓「休みます、親に連絡してもらって」
唯「元気だよね?」
梓「少なくとも熱はないですね」
唯「サボりじゃん! ダメだよそんなの!」
梓「……でも、学校に行くより、唯先輩の側にいたいです」
唯「………」
どうして、とは聞けない。あの時の事を誰よりも悔いている梓ちゃんに、それは聞けない。
だから、別の聞き方をする。
唯「……なんで、今日に限って?」
梓「……人手があったほうが、いいかと思いまして。他の先輩方は受験生ですから休めませんが、私なら」
唯「……それは助かるけど、本当に? それだけ?」
梓「………」
唯「………」
梓「……私は、いないほうがいいですか?」
唯「そんなことはないよ、絶対にない、けど……」
梓「………」
……何かあったんだろうか。昨日別れてから、今までの間に。
今日の梓ちゃん全てからそんな気がして、聞くべきかどうか、とても悩む。
でも、何かあったのだとしても、その『何か』まではわからない。記憶の無い私は、必然的に蚊帳の外だから想像もつかない。
恐らく私がこうなってからの色々に関係してるんだろうとは思うけど、どう関係するのかが想像できない。わからない。私が発端のはずなのに。
……そんな私が軽々しく事情を聞きだそうなんて、とてもおこがましい事に思える。
唯「……わかった。じゃあ、お願いできるかな?」
梓「……いいんですか?」
唯「いいよ。決意は固そうだし……それに」
何かあったのかは私には聞けない。
聞けないからこそ、突き放すことなんて出来なかった。今の梓ちゃんは近くにいてもらわないと不安だ。
何があったのかを聞けて、解決できるのが一番いいんだろうけど……私にはそれも出来ないだろうから、せめて他に何かしてあげられる事はないか探そう。
そういえばこの前もこんな感じの事を考えてたっけ。
その時は頼りがいのある先輩になりたい、って思ったはず。だったらやっぱり、今の梓ちゃんは放っておけない。
唯「……梓ちゃんがそばにいてくれると、嬉しいし」
そんな梓ちゃんに、何かしてあげたい。そう思う。
昨日の話だと、私に恩返ししたい梓ちゃんは直接そういう事を言われても困ってしまうらしいので、なるべく自然にさりげなく何かしてあげたいな。
◆
私服に着替えた後、両親と梓ちゃんがまとめてくれた荷物を抱え、病院を出る。
体力はそこまで落ちてないようだ。何ヶ月も入院していたわけでもないから当然か。
医者「次は月曜かな。学校帰りにまた来なさい」
唯「はい、お世話になりました」
お医者さんと看護師さん数人が見送ってくれた。
目覚めてからはそれこそ梓ちゃん達がずっといたけど、それまでは看護師さん達にも世話になってたんだろうな、と今更ながら思い至る。
今更ついでにもう一つ。退院して外に出た時、初めてこの病院の名前を見た。
唯「……ああ、ここ脳神経外科だったんだ。って当たり前だけど」
紬さんがいろいろ手回ししてくれたとは聞いたけど、別にこの病院が「琴吹脳外科」という名前なわけではなかった。
まあ、お金持ちの世界にはいろいろあるんだろう、私にはわからないことが。それとも記憶のある頃の私ならそのあたりもわかっていたんだろうか?
……以前の私はお馬鹿キャラだったらしいし、それは無いかな。紬さん自身もそういう事を言いふらすキャラにも思えないし。
父「あー、梓ちゃん、その荷物はこっちに」
梓「あ、はい」
母「助かるわぁ。ほら唯、梓ちゃんばかり働かせてないで、こっちにおいで」
唯「……はーい」
お父さんのものと思われる車のそばで、皆が手を振っている。
行かないと、と思いながらも、もう一度病院の方を振り返ってしまう。
……記憶喪失の私がこんな事を言うのも変な話だけど、何かをここに忘れているような気がして、後ろ髪を引かれる感じがあった。
でも記憶が戻ってない事自体が忘れ物だと言われればそれまでだ。
もしくは、今の私の記憶はこの病院の中での事で構成されているから、去るのを寂しく感じてしまっているのかもしれない。
……どちらにせよ、わざわざ皆に告げる理由も無ければここで足を止めている理由にもならない。もう行こう。
唯「ごめんね梓ちゃん」
梓「いえ、いいんです。そのためにいるんですから」
唯「じゃあ、ありがとうって言えばいいのかな」
梓「……それもいいです。唯先輩には私のワガママを聞いてもらいましたから」
唯「むぅ、かたくなだねぇ」
父「ほらほら二人とも、出発するよ」
お父さんが運転席に、お母さんが助手席に乗り込む。
我が家ではこれが普通だったんだろうか。そんな気もするし、普通に世間一般の家庭がこんな席順なだけのような気もする。
でも、梓ちゃんと一緒に後部座席に乗り込んだ時、思う事が一つあった。
唯「……お父さんの運転、楽しみかも」
父「楽しみって。残念ながら何も面白い事はしないけど?」
唯「不安は感じない、ってことだよ」
父「そうかい、それは光栄だ」
きっと昔もこうやってお父さんの運転でドライブした事があるんだろう。
そう思えるくらい、不安はない。
◆
辿り着いた家は、白を基調とした三階まである一戸建てだった。
唯「……見覚えがある気はするよ」
家だけではなく、帰ってくる途中から薄々そんな感じはあった。
私はこの近くに住んでいた。この家に住んでいた。そんな実感がどんどん溢れてくる。
梓「家の中に入れば、もっと何か思い出すかもしれませんね」
唯「うん、お父さん、早く!」
父「ああはいはい、ちょっと待って、鍵、鍵っと……ほらこれだ、唯」
お父さんから渡された鍵で、扉を開ける。
この行為にさえ懐かしさを感じる。やっぱり私はここに住んでいたんだ……
唯「うん……知ってる気がする……」
懐かしさを感じながら、一人で家の中を歩き回る。
間違いなく自分の家だ。そう思えるくらい、歩き回っていて不便がない。歩き回る事に身体が慣れている。
……でも、そうしてテンションが上がっていたのも最初のうちだけだった。
どれだけ歩き回っても記憶は戻らなかった。これもまた身体が覚えているだけに過ぎない、という結論に至り、ショックだった。
それに、この家に関して、途中から気になっていた事がある。
唯「……ねえ、お父さん、お母さん」
リビングで私の荷物を片付けてくれている三人の前で、問う。
唯「私が魔物に襲われた時、二人はいなかったんだよね?」
父「……そうだよ。ごめん」
唯「ううん。それはいいんだけど……」
それはちょっとした違和感。
いくらでも否定材料はありそうな、大したことのない違和感。
でも、聞かずにはいられない違和感。
唯「……じゃあ、その間、私はこの家に一人暮らしだったの?」
何故だろう、聞かずにはいられなかった。
共働きの家なら両親が二人とも家を空ける事だってあるだろう。その間、子供は一人暮らしになる。それは別に何もおかしくない。
でも何故だろう、この家に私が一人きりというのは……とても変な事に思えた。
唯「何か……何かね、ひっかかるんだけど……」
父「……いや、一人暮らしだったよ。だからこそ僕達は悔いている。娘の下を離れたことを」
母「……うん」
唯「そっか……気のせいかな」
気のせい、なのだろうか。
はっきり言って自信はない。でも、あれだけ私の身を案じてくれる両親の言葉を疑う気にもならなかった。
それに加えて……
唯「ごめんね梓ちゃん、変な話をしちゃったね」
梓「いえ……」
それに加えて、これ以上この話を続けると梓ちゃんが泣き出しそうな、そんな気がした。何故かそう感じた。
両親と同じく、あれだけ私の身を案じてくれる梓ちゃんのことを、私が泣かせていいはずはないよね。
私の抱いた違和感が梓ちゃんを泣かせるほどのものだったとすると、それはそれで気にはなるけど……きっと記憶が戻ればわかるだろうし、今は胸の奥に閉まっておこう。
唯「……何か、私の部屋に持って行く物はある?」
母「……そうね、あんまりないけど……ギターと、後はこのあたりかしら」
唯「じゃあ持ってくよ」
父「……唯の部屋は階段を上がって右側だからね」
唯「うん」
梓「……ついて行きます」
唯「……そう? ありがと」
実はさっき家の中を歩き回った時に、自分の部屋も確認してあるから大丈夫なんだけど。でも梓ちゃんの申し出を断る理由もないよね。
……それにしても、同じく三階にある、『物置』と書かれて鍵のしてある部屋が、何故かさっきも今も少し気になってしょうがない。
◆
自室に入って腰を下ろしてみると、懐かしさと勝手の悪さを同時に感じる。
勝手の悪さはやはり記憶が無いせいから来るのだろう。でもそこまで嫌な気分にはならない。
部屋から漂う懐かしさと、身体が覚えている部分に助けられているみたいだ。
唯「あっ、ギー太のポジションはここかなー?」
腰を下ろして部屋を見回していたら、ギタースタンドらしきものが置いてあるのを見つけた。
せっかくなので立てかけておこう。……ふふっ、かわいい。
唯「……来週はみんなで演奏できるといいねぇ」
梓「……そうですね」
唯「そういえば梓ちゃんは今日楽器持ってきてなかったよね。本当に学校休む気マンマンだったんだねぇ……」
梓「……すいません」
唯「ううん、いろいろ助かったのは本当だからもう責めたりはしないよ。ただ……」
ただ、私はまだ梓ちゃんに何も返せていない。
梓ちゃんの行動の理由は聞かないって決めたから、当面の問題はそこだけだ。
梓「ただ?」
唯「……ただ飯食らい」
梓「……はい?」
いいこと思いついた。
唯「あのさ、私って病院ではご飯作ってもらってたじゃん」
梓「まあ、それは病人ですからね。タダ飯ではないと思いますけど」
唯「でも私はこの家に一人でいることも多かった。ということは少しは料理も出来るんじゃないかな?」
梓「えっ……どうでしょうかそれは。唯先輩が料理できるって話は聞いたことないですし……コンビニご飯だったかもしれませんよ?」
唯「まあ、モノは試しだよ。何か思い出すかもしれないし、やってみるよ」
梓「だ、ダメです、せめてレシピを! ちゃんとしたレシピを調べて、その通りに作ってください! できるだけ簡単な料理で!」
唯「し、信用ないなぁ……」
それだけ料理の話とかはしてこなかったのだろう、以前の私は。
とりあえずは梓ちゃんに従おう。けど、先輩として何かしてあげたいから、梓ちゃんの事を想って絶対美味しく作ってやる!
◆
唯「……結構な数の食材が痛んでた……」
梓「まあしばらく入院してましたからね……」
◆
というわけで皆でスーパーにやってきた。
もちろん目的は食材の買出し。メニューはお父さんが一人暮らしの頃によく作っていたということでチャーハンに決まった。
四人分一気に作れそうだし、レシピを調べた上で出来そうな気もしたし、文句なしだ。
私と梓ちゃん組、お父さんとお母さん組に分かれて商品を手早くカゴに入れ、レジ前で合流する作戦で望む。
梓「唯先輩、カゴ重くないですか?」
唯「大丈夫大丈夫……これくらい持てないとね……」
カート使えばよかったと後悔しなかったと言えば嘘になる。
でも、梓ちゃんの手前、かっこいい先輩っぷりを見せたかった。
唯「……だって先輩だからねッ!」
梓「は、はあ……」
唯「なんならお金も出すよ!帰りも荷物持ちやるよ! だって先輩だからね!」
梓「いや、そのあたりはおじさんおばさんがやってくれそうですけど……どうしたんですか? なんか変ですよ?」
……うん、いったん落ち着こう。押し付けがましくなっては意味がない。
ごく自然に振舞わないと。せめてご飯を食べてもらうその時までは。
◆
唯「――じゃーん。どう?」
一人で作り上げた大盛りのチャーハンを机に運び、胸を張る。
レシピ見ながらだったから流石に身体が覚えてるような感覚はなかったけど、人並み程度には作れたと思う。
お昼に思いついて調べて買い物に行って、という経緯を辿ったから、だいぶ遅めのお昼ご飯になっちゃったけど。
梓「……見た目は……普通ですね」
父「普通だね」
母「普通ね」
唯「食べてみてよ!」
父「うん、じゃあ……」
母「いただきます」
梓「……いただきます」
皆がそれぞれスプーンを口に運び、食べて……目を丸くした。
梓「……おいしい、です」
父「うん、美味しい」
唯「そ、そっかー。よかったぁ……どんどん食べてね!」
母「……うん、もらうわ」
一応味見はしたんだけど、他の人の反応を待つ間っていうのは緊張するものなんだね。
とにかく、ホッとした。私も食べよう。いただきます。
唯「……うん、食べれる食べれる」
と、そのままどんどんチャーハンを胃に収めていってたんだけど、ある時気がついた。
皆のペースが落ちてきていることに。
いや……違う。
唯「み、みんな、どうしたの!?」
皆、俯いて肩を震わせていた。
何か変なものが入ってたか、と一瞬思ったけど、それもまた違った。
……皆、泣いていた。
父「……大丈夫、なんでもない」
唯「な、なんでもないなんてこと――」
父「親としては、娘がこんな美味しい料理を作ることにいろいろ思うところがあるわけさ。放任していた親としてはね……」
そう言われると、どう返事していいかわからなくなる。
責めるつもりなんてないけれど、言葉が何も出てこない。
言葉が喉にひっかかって、食事の手も止まってしまう。
唯「……あ、梓ちゃんは、どうしたの? 大丈夫?」
辛うじて出てきたのは、矛先を変える意味しか持たない、そんな言葉。
でも、梓ちゃんは両親とは立場が違う。泣く理由がわからないのもまた事実だ。
聞いておかないといけない。
梓「……こうやって……唯先輩の家でみんなで食卓を囲んだ事が……何度かあるんです……」
唯「う、うん……」
梓「懐かしく、なってしまって……みんなで笑ってた、あの頃が……!」
唯「………」
両親以上に、どう返事すればいいかわからなかった。
だって、梓ちゃんが懐かしんでいるのは、懐かしむばかりでどこか諦めたような口ぶりなのは、私の記憶が戻らないせいだから。
梓ちゃんにそんな意図はないのだろうけど、それでも私の記憶が戻っていれば今の梓ちゃんの涙はきっと無かったはず。
私の記憶が戻っていれば、梓ちゃんが懐かしがっているその光景を再現できるはずなんだから。
唯「……ごめんね、梓ちゃん」
梓「っ、す、すいません唯先輩、そんなつもりじゃ――っ!?」
ぎゅっ、と、梓ちゃんを正面から抱きしめる。
私は、この子の一番近くで、ちゃんと言葉にして覚悟を伝えないといけない。
唯「ちゃんと、早く記憶を取り戻せるよう頑張るよ。でも、今までも何度かあったと思うけど、もしかしたらこれからも、梓ちゃんには今みたいに寂しい思いをさせちゃうかもしれない」
梓「い、いいんです私は……それくらい……」
唯「ううん、良くないよ。先輩の私が可愛い後輩の梓ちゃんを泣かせていいはずがない。だから……」
梓「………」
唯「だから、梓ちゃんは泣きたくなったらもっと私を責めて。もっと怒って。もっと私に感情をぶつけて、甘えてほしいな」
梓「甘えて……ですか」
唯「うん。そうじゃないと先輩としての自覚や責任が持てない気がするんだ。梓ちゃんに「唯先輩」って呼ばれる資格がないような」
梓「……先輩としての自覚……それがあれば、記憶が戻りそうですか?」
唯「……わからない。けど、今の私に一番欠けているものは、それだと思うんだ」
今までの私は、いつも一番近くにいてくれるかわいい後輩にいつも甘え、いつも受け身だった。
家族にも友達にも甘えているけど、後輩にまで甘えっぱなしなのはさすがに良くないはずだ。
梓ちゃんに甘え、傷つかせ、悲しみを抱え込ませているままでは良くないはずだ。
先輩にならないと。大人にならないと。そうしないと、自分が戻ってこない気がする。
梓「……唯先輩」
唯「なぁに?」
梓「……もうちょっと、このままで……いいですか……」
唯「うん」
梓「っ、……ありがとう……ございます……っ」
……そのまましばらく、梓ちゃんは私の胸の中で声を殺して泣き続けた。
◆
梓ちゃんが泣き止んでから、半分くらい冷えたチャーハンを皆で食べた。
皆それぞれ胸の奥に何かを抱えながら食べていたので食卓は静かなものだったけど、しょうがない。
……そういう意味では私が料理をしたのは失敗だったのかもしれないけど、その結果、梓ちゃんとの関係を少し変える事は出来た。
その変化が良い方向に作用するように、これから私は頑張らないと。
その後、梓ちゃんと一緒に後片付けをしてからしばらくのんびりしてたら、軽音部の皆が遊びに来てくれた。
お昼が遅かったので気付かなかったけど、もう学校の終わる時間だったらしい。
迎え入れると、「退院祝いよ~」と言って紬さんがどこからともなく豪華なお菓子を取り出した。
さっきお昼ご飯を食べたばかりだから苦しい……と思いきや、普通に入る。やっぱり女の子には別腹が標準装備なんだなあ。
家に戻っても記憶が戻らなかった事についてはさすがに皆の顔色を曇らせてしまったけど、今の私は梓ちゃんとの件もあって非常に前向きだ。
詳細は伏せて今の意気込みを伝えると、皆はまた笑顔に戻ってくれて、明るい話をいろいろしてくれた。
主に学校での話だったけど、律さんがボケて澪さんがツッコんで紬さんが目を輝かせて、という会話の流れは、聞いているだけで面白い。
……楽しい時間だった。けどそんな中で時折、皆がどことなく梓ちゃんに気を遣っているように見えた。
それを見て、私の中で梓ちゃんの今日の行動の原因が皆とのトラブルである可能性が浮上する。
でも、仮にそうだとしても皆がそれを望んでいなかった事は目に見えて明らかだし、その気遣いを受けてか知らずか、梓ちゃんは皆との距離をグイグイ詰めていってた。
その結果、日が落ちる頃にはいつも通り仲良く笑い合っていた。見ている事しか出来なかったけど、ホッとした。
◆
澪「すいません、遅くまで」
父「いやいや、いいんだ。ありがとう。明日も来てくれるんだよね?」
紬「はい、お邪魔でなければ」
律「明日は和も来れると思うので。さわちゃんは難しそうだけど……」
梓「だいぶ仕事溜め込んでるって言ってましたもんね」
母「和ちゃんも生徒会長だもんね、忙しいなら無理はしないでって伝えておいて」
唯「私からもそれお願い!」
澪「わかったわかった、任せて。じゃあ、またな、唯」
紬「お邪魔しましたー」
唯「また明日~」
外へ出て行く皆を見送り、手を振る。
律さん、澪さん、紬さんの順で外に出たけど、最後の梓ちゃんは出る前に振り返り、私に小声で囁いた。
梓「……唯先輩」
唯「ん、どしたの?」
梓「……甘えても、いいですか?」
唯「キュン…! もちろん、さ、どーんとおいでっ!!」バッ
梓「……ありがとうございます。また明日です、唯先輩」
唯「あ、今じゃなかったのね……うん、また明日ね、梓ちゃん」
広げた腕と気持ちのやり場に困りながらも、梓ちゃんを見送った。
まあ、うん、梓ちゃんがああ言ってくれた事自体はいい傾向だよね、きっと……
父「……ぷっ」
唯「笑わないでよ!」
◆
夜ご飯はお母さんが作ってくれた。私と同じようにレシピを見ながらだったけど、味は美味しかった。
お風呂に入り、携帯電話を充電しながら皆と少しメールをして布団に入る。
布団の中で一つ、当面の目標を立てた。厳密には目標と言っていいのかわからないけど、とにかく一つ決めた。
皆の事を、以前呼んでいたように呼ぼう、と。皆の事を覚えてないのにあだ名呼びするのはしっくりこないから、と今まで避けてきたけれど、もうなりふり構ってはいられない。
澪さんは澪ちゃん、紬さんはムギちゃん、律さんはりっちゃん。そして……梓ちゃんは、あずにゃん。……梓ちゃんのだけは本人に確認が必要そうな気もするけど。
うん、そうだね。皆に一言断ってから、呼び方を改めようかな、明日は。
そんな事を考えながら眠りについた。
◆◆
――今日は土曜日。そんな今日もまた、梓ちゃんを早朝から目にした。リビングでお父さんお母さんと向き合っている。
何を話しているのかはわからないけど、梓ちゃんのいる朝、という光景はもう見慣れた。
そしてこれからもこういう日が続くのだろう。そう思い、私は特に何の疑問も抱かず、普通に挨拶した。
唯「みんなおはよう……今日も早いね……」
父「ああ、唯……おはよう。えっと……」
……でも、今日は今までとはまるで訳が違ったんだ。
梓「……あなたが、ゆい、ですか?」
唯「………えっ?」
◆
唯「お母さんはあの病院と梓ちゃんの家に電話して! お父さんは車の準備! もう、みんなして何やってるの!!」
母「だ、だって……」
父「いかんせんついさっきの出来事で……」
唯「早く!!!」
父「はいっ!!」
梓「あ、あの、私……」
唯「ん、大丈夫だからね、梓ちゃん。ちゃんと一緒にいるから、何も怖くないからね」
梓「は、はい、ありがとうございます……」
梓ちゃんの手を握ってあげると、昨日までとは違う弱々しさで握り返してくる。
それを見ていると、非常に胸が締め付けられた。
どうしてこんなことに……
――お父さん達の話では、早朝に家を訪ねてきた時点で梓ちゃんはこんな状態だったらしい。
こんな状態、すなわち……記憶を失ったような状態、だ。
ような、と言ったのは私の記憶喪失とは少し違うような気がしたからだ。なんでも梓ちゃんは『平沢 唯』という人物の事だけは覚えていて、それだけを頼りにここまで辿り着いたらしいから。
言葉とか日常生活の範囲の知識を失っていないのは私と同じのようだけど、詳しく診てみないことにはわからないはず。早く病院に連れて行かないと。
診てくれるならどこの病院でもいいけど、どうせなら私が昨日までいたあの病院がいいよね。
……だって、私と同じように『魔物』に襲われた可能性があるんだから。
母「今から診てくれるって!」
父「よし、急ごう!」
◆
医者「――結論から言いますと、原因不明、です」
梓母「そんな…!」
お医者さんの前に、梓ちゃんのご両親、私の両親が座り、私達は少し離れて話を聞いていた。
お母さんから連絡を受けてすぐ梓ちゃんのご両親は飛んで来て、同じように私の電話で澪さん律さん紬さんと和ちゃんはすぐに来てくれた。皆、息を切らせて。
……検査の終わった梓ちゃんはすぐに私の後ろに隠れてしまい、誰とも話そうとしなかったけど。
律「梓! 記憶がないなんて……嘘だろっ!? なあ!」
梓「ひっ!!」
澪「お、落ち着け律!」
唯「梓ちゃんも、大丈夫だから、ね?」
梓「っ………」
相手が誰でもこんな感じで、本当に私の後ろから出てこない。
梓父「なんで……こんなことに……」
医者「……何か強い心因的ショックを受けた可能性もあります。何か思い当たる節は?」
梓父「いや……昨夜は何事もなく普通にしていました。朝も……」
紬「き、昨日帰る時も普通でした! ね、澪ちゃん?」
澪「あ、ああ」
梓母「そうですね、この方達が家まで送ってくれました……」
唯「……ということは……」
昨日は何もなかった。ということは、今朝何かあったという事だ。
梓ちゃんが家を出て、私の家に来るまでの、その道中に。
私の家に来る途中に……『魔物』に……?
唯「私のせい、なの……?」
私が心配で朝早く家を出た梓ちゃんは、魔物に襲われた……?
私が梓ちゃんに心配をかけたから……?
梓「……ゆい、さん……?」
梓父「……平沢唯さん、だね、君が」
唯「は、はい、すいません……!」
梓母「……謝る必要はないわ。あの子が自分で決めた事よ」
唯「で、でも原因は私でっ!」
梓父「……じゃあ、しばらくその子の面倒を見てあげてくれないか。私達の事は忘れても君の事だけは忘れられないようだから」
唯「そ、そんなの当たり前です!私からお願いします!!」
梓父「今はそれで済ませようよ、お互い。誰かを責めてる暇なんてないはずだ」
唯「……すいません。ありがとうございます」
……あの時の梓ちゃんも、今の私みたいな気持ちだったのかな。
◆
医者「――検査の結果ですが外傷は全くありません。平沢さんの状況と酷似しています、失われた記憶の範囲も含めて」
唯「ということは、原因も私と同じなんじゃ……?」
私の中では、ずっと前から既にそう決まっていたけれど。
自分が同じ目に遭ったからという理由だけでそう決め付けていたけど。お医者さんの判断はどうなんだろう?
澪「で、でも唯、魔物は――」
律「――魔物は倒したッ! 間違いないんだ!!」
律さんが叫んだ。
そんなの認めないと言わんばかりに、大声で。
紬「り、りっちゃん…?」
律「私達が!この手で!みんなも知ってるだろ!?」
澪「う、うん、そうだな……」
唯「で、でも一匹だけじゃなかったんだとしたら……」
律「あんなのがそんなに沢山いてたまるかよ!あんなのが、今度は私達から梓を奪いに来たって言うのかよ!!」
私の後ろに隠れて様子を伺っている梓ちゃんを、律さんが見る。
視線が合ったと思しき瞬間、梓ちゃんは私を盾にするように隠れてしまう。
それを受けて、律さんは……膝をつき、声を震わせ始めた。
律「……嘘だよな……何かの冗談だよな、梓? そう言ってくれよぉ……」
澪「律……」
……何も言えなかった。
記憶がないだけじゃなく魔物退治にも立ち会ってさえいない私が、奪われた人に何を言えようか。
ただ後輩を大事に思っていただけの律さんに、何を言えようか。
私の時もそうやって大事に思ってくれた律さんに、何を……
医者「……平沢さんの時と違って、ここに目撃者はいない。今は原因については断定できません」
梓母「そうですか……」
梓父「………」
痛ましい沈黙が少し流れた後、背後の扉が開いた。
そこにいたのは、さわ子先生。
さわ子「……すいません、遅れました」
梓母「いえ、お忙しいところをわざわざありがとうございます」
父「……先生、大人だけで話をしませんか」
医者「そうですね。すまないけど、子供達はちょっと席を外してくれないか」
紬「わかりました……」
和「いくわよ、唯」
唯「あのっ、梓ちゃんは……?」
梓「………」
相変わらず私の後ろに隠れたまま、服をぎゅっと掴んだまま離れようとしないけど……
でも、梓ちゃんの今後に関わる話をするんだとしたらこっちにいた方が……
梓父「……いや。平沢さん、お願いできるかな」
唯「……はい、わかりました」
◆
診察室を後にし、待合室まで歩き、椅子に腰を下ろす。
診察室で何が話されているのかは当然わからない。盗み聞きしようなんて言い出す人もいなかった。
皆、私から見てもわかるくらい、精神的に打ちのめされている。
律「……さっきはごめん」
澪「気にするな、律」
紬「そうよ、気にしないで」
律「……唯も、ごめん」
唯「私も気にしてないよ。でも……」
和「でも、やっぱり原因は気になるわよね」
唯「……うん」
澪「……症状は唯と似ているけど、私は今のところ、魔物のせいだとは思っていない」
紬「私もそう思う」
律「それはそれで、他に原因があるって事だから辛いけどな……」
澪「……もう、お前はどっちなんだよ、律」
律「……魔物のせいじゃなかったら、私達のせいだよな」
澪「それは……」
紬「………」
唯「……どういうこと? なんでみんなのせいなの? むしろ私のせいじゃ……」
和「……梓ちゃんを一人にしすぎた、って事かしら?」
澪「……そう、だな」
和ちゃんが綺麗に一言でまとめてしまったけど、少し考えてみる。
今朝、梓ちゃんが私の家に一人で来るまでの間に何かあったのは間違いない。とすれば皆は、その時に梓ちゃんの隣にいられなかった事を悔いているのか。
確かに梓ちゃんは皆と離れて一人で私のお見舞いに来る事が多かったから、皆はそれに慣れてしまっていた面もあるのかもしれない。「一人にしすぎた」とはそういう意味だろう。
でもそれは私だって同じだ。いつまでも入院患者の気分で、梓ちゃんが来てくれる事に慣れていた。のうのうと惰眠を貪っていた。その間、梓ちゃんは一人だったのに……!
そんな心を読まれたのか、顔に出ていたのか。紬さんがかけてくれたのは、優しいけどあまり嬉しくない言葉だった。
紬「少なくとも唯ちゃんのせいじゃないわ、安心して?」
唯「安心、って、そんな……それは……」
……それはなんか、蚊帳の外に置かれているような感じがする。しかも無理矢理に。
皆が私を大切にしてくれているのは知っている。だからこうして蚊帳の外に置こうとするんだろう。無理矢理にでも。
でも、だからって梓ちゃんの記憶喪失がそんな優しい皆のせいになるのも私は嫌だ。
……っていうか、そういうのは違う。さっき梓ちゃんのお父さんにも言われた通り、責任の所在を追及したところで何も変わらないはず!
唯「……原因を探すよ、私は」
和「えっ?」
唯「聞き込みしてみる。朝とはいえ、梓ちゃんを見かけた人がいるかもしれない。もし現場を誰かが見てれば……」
和「……そうね、原因がわかればこんな議論もしなくていいし、梓ちゃんの治療方針もある程度は固まるはずよ」
紬「じゃあ、それは私がやる! 唯ちゃんの時もやったし、大体わかってるから」
唯「紬さん、私もやるよ。もう待ってるだけなんて嫌だし、万が一相手が魔物でもやりようはあるんでしょ?」
澪「……いや、ダメだ。唯はダメだ」
唯「なんで!? 私は戦えないの!? 梓ちゃんが言ってた『対処する術』っていうのが私にはないの!?」
澪「そうじゃない。それ以前の問題だ」
唯「……記憶が戻ってないから?」
恐る恐るそう聞いたけど、澪さんはそれには答えず、ただ私の方を指差した。
正確には私ではなく、私の影に隠れている梓ちゃんを。
澪「梓を一人にするつもりか?」
唯「……それは……いや、でも」
「でも梓ちゃんが入院する事になったりしたなら」と反論しようとしたけど、口にする前に私の頭は答えを弾き出していた。
そうなったとしても私はきっとずっと梓ちゃんのそばにいるだろう。梓ちゃんがどこにいてもそばにいるだろう。梓ちゃんが私にそうしてくれたように。
私は梓ちゃんのそばを離れられない。離れたくもない。だから原因を探す事も魔物と戦う事も出来ない。確かに澪さんの言う通り、それ以前の問題だった。
紬「そもそも魔物の仕業と決まったわけでもないし。今日中に原因もわかるかもしれないし。ね?」
律「……そう、だな。パパッと原因をハッキリさせてきてやるさ……魔物だろうと、何だろうと」
和「私も手伝うわ。人手は多いに越したことはないでしょ」
澪「というわけだ、唯。おじさん達が何を話しているのかにもよるけど、ひとまず原因探しは私達に任せてくれないか?」
唯「……でも、またみんなに任せっきりなのは……」
澪「今回は任せっきりじゃないだろ?」
唯「えっ?」
澪「梓の事……任せたよ、唯」
唯「……うん、わかった」
◆
梓父「入院するかどうか等の判断は、全て梓に委ねる事になったよ」
しばらく後、大人全員が揃っての第一声はそれだった。
普通であればお医者さんが仕事を放棄しているようにも映るけど、私という前例があるから誰も何も言わない。
梓母「平沢さんの時と同じであれば、入院しても改善するとは限らないから、本人の望みを優先する、って」
紬「あの、それについてですけど。まずは原因の解明の為に聞き込みをしてみようかと思うんです」
梓父「……それは、警察の力を借りるという事かい?」
父「いや、そうはならないと思う。ウチの娘の時も独力だったからね。琴吹さんがいろいろ手を回してくれたけど」
『魔物』などというものが世間に知られたらパニックになるから、と梓ちゃんからは聞いている。
けど今にして思えばそもそも『対抗する術』が警察にはないのかもしれない。もしかしたら私にも。
その『対抗する術』が超能力的な何かなのか、紬さんの家の支援に含まれているものなのかはわからないけれど。
とにかく、私以外の皆は、たとえ相手が『魔物』でも戦えるだけの力を持っている。私の時の実績がある。
梓ちゃんのお父さんもそれは知っているはずだから、この方向で決定になるだろう。
紬「はい。私達の力で。原因が警察沙汰になりそうなものだったなら、その後に通報します」
梓父「そうか……ありがとう。現場に向かうのなら送るよ、車で来たからね」
紬「ありがたいですけど……今はまだ梓ちゃんの近くにいてあげてください」
梓母「でも……私達の事、覚えてないから……」
唯「……あ、あの……覚えてなくても、家族がいるってだけで安心できるものですよ……」
図々しいかな、私が言っていいのかな、と思いつつも、どうしても言わずにはいられなかった。
だって、私は本当に両親に救われたんだから。記憶はまだ戻っていないけど、心は救われたんだから。
実際のところは私の言葉に梓ちゃんの両親もウチの両親も複雑そうな表情をしたけれど……でも最終的には微笑んで、言ってくれた。
梓母「平沢さん……ありがとう」
梓父「君みたいな優しい子が友達で、梓も幸せだと思う」
◆
結局、紬さん達の聞き込みにはさわ子先生が付き添う事になり、平沢一家と中野一家は病院に残ることになった。
私が以前使っていた個室がまだ空いてるらしく、お医者さんの好意で聞き込み班が戻るまではそこを使わせてもらえる事になった。
梓ちゃんをベッドに座らせ、梓ちゃんが手を離してくれないので私もその隣に座り、話を切り出す。
唯「えっと、梓ちゃん。自分の記憶がないことはわかる?」
梓「……はい」
唯「どのくらいの記憶がないんだっけ? 私と同じってことは、日常生活に困らない範囲の常識は残ってるけど思い出とかがない状態なのかな」
梓「……はい。あと、ゆいさん、あなたの名前だけは覚えています」
唯「こ、光栄です……でいいのかなあ?」
梓父「いいと思うよ」
それにしても、唯さん、か。なんか新鮮な呼ばれ方。
あ、そういえば皆の呼び方を変える作戦を実行してなかったな。さすがに今は梓ちゃんの事が優先だから後回しにするけど。
でもそうだ、呼び方の事は提案してみるべきかもね。あの時律さんが私に提案してくれたように。
唯「梓ちゃん、梓ちゃんは高校二年で私は高校三年だから、梓ちゃんは私の事を先輩って呼んでたんだよ」
梓「……じゃあ、ゆいせんぱい、ですか?」
唯「うん、そうだね」
梓「……なんか、落ち着きます。唯先輩」
唯「……ふむ」
私はお馬鹿キャラだったらしいけど、お馬鹿なりにちょっと気付いた事がある。
唯「……お父さん、私はどれくらい寝てたの?」
父「え? ええっと……二日くらいだったかな」
唯「……私は襲われて、二日くらい昏倒してた。でも、梓ちゃんは記憶を無くしながらもちゃんと早朝に私の家に到着した」
父「……そうだね」
唯「それに、私は本当に何一つ覚えてなかったけど、梓ちゃんは私の名前は覚えてた。私は以前の呼び方が慣れなかったけど、梓ちゃんはそうでもない。細かいところが結構違う」
父「………」
唯「……私は梓ちゃんも『魔物』に襲われたって思ってたけど、もしかしたら違うのかも?」
もちろん、全部ぼんやりとした憶測に過ぎない。
魔物に襲われた時に梓ちゃんが『対抗する術』で抵抗したのかもしれないし、誰かが助けてくれたのかもしれないし、今回の魔物が私の時より弱いだけかもしれない。
でも、魔物が原因じゃない可能性も結構出てきたように思う。少なくとも最初からそう決め付けて話してはいけないくらいには。
よく考えたら、実際に魔物を見た皆が魔物説を否定しているのに病室にいただけの私は魔物と決め付けている、というのも変な話だよね。
……いや、ホントに変な話だねこれ。もしかしたら私が過敏になりすぎていただけかもしれない。
律さんには悪いことしちゃったな、一旦落ち着こう。
梓「……唯先輩」
唯「ん、なに?」
梓「……まもの、って?」
唯「あ、えっとね、人の記憶を食べちゃう魔物っていうのがいるんだって。嘘みたいな話かもしれないけど、私はそれにやられちゃったらしくて」
梓「……なるほど。だから唯先輩は」
唯「うん、記憶が無いの。昔の私がどんな人だったかっていうのは、うっすらわかってきてるんだけど」
梓「……私達、記憶喪失仲間ですね」
唯「えへへ、そうだね。だから記憶喪失の先輩としてもどんどん頼ってくれていいからね? 記憶はまだ戻ってない身だけど……」
梓「……はい、お願いします。いろいろ助けてください、唯先輩……」
唯「……うん」
……梓ちゃんに、もっと甘えてほしい、と言ったのは私だ。実際、梓ちゃんもこれからは甘えると言ってくれた。
……それが、こんな形で叶うことになるなんて。こんなの誰も望んでいなかったはずなのに。
でも、こんな形でも、私が梓ちゃんに何かしてあげたい気持ちは変わらない。
梓ちゃんの記憶を戻してあげよう。
私の全てに代えてでも。
◆
和「――結論から言うと、目撃者はいなかったわ」
お昼を少し過ぎたくらいに、皆は戻ってきた。
扉を開いた時点で皆の沈痛な表情は見えていたので、良くない報告だろうなというのは予想できたが。
唯「そっか……朝といえど、誰かいるかもと思ったんだけど」
和「そうね、唯の家の近くはお年寄りも多い。私も誰かいるはずと思ったんだけど……運が悪かったようね」
唯「残念だね……どうしようか」
澪「……それについてみんなで少し考えたんだけど、魔物の可能性も視野に入れて行動した方がいいと思った」
唯「ええっ!? 私は逆にみんなの言うように魔物じゃない可能性も考えようって思ったんだけど……」
澪「意見がコロコロ変わってごめん。でも、実際に唯の時に魔物がいたんだから、有り得ないって言い切るのは難しいって思ったんだ」
唯「……でも梓ちゃんは私とは症状とかがちょっと違うんだ。だから魔物じゃなくて別の何かかもしれないよ?」
澪「そうか……そう言われると、そのあたりは否定しきれない、とは思う」
紬「……私達では結論が出せませんでした。あれだけ言ったのに、すいません」
律「ごめんなさい」
大人びている紬さんと、責任を感じている律さんが最初に梓ちゃんのご両親に頭を下げた。
すぐに他の人も続く。居心地が悪くなって私も頭を下げた。
梓母「……いいのよ、頭を上げて、みんな」
梓父「無い、という事が明らかになっただけでも収穫だよ。むしろ君達に任せてしまってすまない、ありがとう」
律「あのっ! 後でもう一度聞き込みに行ってきます! 行かせてください!」
梓父「…気持ちはありがたいけど、あまり先延ばしにするのも病院に迷惑だ。今後の事だけは、今この場で決めさせてくれないかな?」
律「あっ……わかりました……」
さわ子「……どうするおつもりですか?」
梓母「……私達の気持ちは変わりません。梓の望むままに、です」
その言葉を受けて、部屋の全ての視線が梓ちゃんに集中する。
梓「……ゎ、わたし、は……その……」
……私の時とは違い、なにかとジタバタしてしまって梓ちゃんは私以外の人とはロクに話をしていない。
つまり、ここで梓ちゃんに向けられてる視線のほとんどは記憶の無い梓ちゃんにとって『知らない人』の視線だ。萎縮してしまっても無理はない。
梓ちゃんは俯きながら必死にそこから先の言葉を搾り出そうとしているけど、なかなか声にならず……私と繋いだままの手は、震えていた。
唯「……梓ちゃん、私の家に来る?」
梓「……い、いいんですか…?」
唯「まあ、梓ちゃんやお父さんお母さん、みんながいいって言えば、だけど」
梓「わ、私は……唯先輩と一緒が、いいです……」
梓母「……唯一覚えていた名前、だもんね、梓?」
梓「は、はい、お母さん……」
梓父「……平沢さんは、どうですかね」
父「ウチは問題ないですよ。以前も部活で泊まってくれたと聞きました」
さわ子「ええ、軽音楽部全員でお世話になりました。その節はすいません」
母「いえいえ、こちらこそお構いも出来ず……」
梓母「でも明日まではそれでいいとしても、それから先は学校がありますよね」
さわ子「……平沢さんと同様、休学扱いにするよう申請は出来ます。中野さんはまだ二年生ですし真面目ですから問題もないでしょう」
梓母「いえ、娘の事ではなく……」
唯「……あっ、私?」
そっか、来週からは学生に戻るんだっけ、私も。
そうなると梓ちゃんは家に一人、か……
唯「となると、私の家でお父さん達とお留守番か、梓ちゃんの家に戻ってお留守番か、私も休むか、梓ちゃんも学校に行くか、ですね?」
梓父「三つ目はダメだ。人様の娘さんにそこまでの迷惑はかけられない」
私自身はあまり迷惑とは思ってないけど、私の世話をしてくれてた間の梓ちゃんも一日を除いてちゃんと学校に行っていたので、やっぱりダメそうだ。
となると残りの中から梓ちゃんに選んでもらうしかないわけだけど。
さわ子「学校に行くのであれば、協力してくれそうな友人に心当たりはありますが」
唯「でも、あくまで私の意見ですけど……気持ちを整理する時間って、必要だと思います」
梓母「では、平日は自宅で静養でどうでしょう? 私でしたら日中は家にいられますから」
梓父「……いいかい? 梓」
梓「………」
唯「……学校に行く前と放課後はお見舞いに行くから。ね?」
梓ちゃんが、私にそうしてくれたように。
梓ちゃんが私を救ってくれたように。
梓「……はい」
◆
医者「――なるほど、わかりました。では、月曜からは平沢さんと同様になるべく通院してください」
梓父「はい。どうもすいません、お世話になりました」
さわ子「……では、これから私の方で休学申請は進めておきますね」
梓母「すいません、よろしくお願いします」
ひとつお辞儀をして、さわ子先生は去っていく。
その背中は頼もしく、有能な教師のそれだった。
父「じゃあ、僕達も移動しようか。梓ちゃんは家に来るという事だけど、みんなも来るよね?」
お父さんのその言葉に、しばらく会話に入れなかった紬さん達は弾かれたように返事をし、
梓ちゃんのご両親は一度は渋ったものの、私がお願いしたら折れてくれた。
もちろんお願いといっても私が助けを求めたという意味ではなく、梓ちゃんのためにも側にいてあげて欲しいというお願いだ。
というわけで中野家の車と平沢家の車に分乗し、私の家へと向かうこととなった。
◆
ウチのお母さんと梓ちゃんのお母さんがお昼を作ってくれている間、私達は改めて梓ちゃんに自己紹介をした。
相変わらず梓ちゃんは私の後ろに隠れ気味だったけど、一応挨拶は返していた。良い傾向のはずだよね。
もっとも梓ちゃんに記憶が戻るような素振りはなかったし、皆も私の時ほどグイグイ行けてない感じがあったけど。
昼食を食べた後は、皆が私にしてくれたような事を梓ちゃんにしてあげよう、ってなった。
すなわち、私達の周囲の話をしたり、部活の写真を見せたり、ギターを弾かせてみたり、とかだ。
しかしいかんせん準備不足で、写真は私が持っている物に限られるため梓ちゃんのクラスの写真などはなく、
ギターもギー太しかないため手の小さい梓ちゃんでは弾く以前に使いにくそうだった。
日が傾くまでそうしていろいろやってみたものの、やはりというかなんというか、梓ちゃんの記憶が戻る気配は無かった。
ご両親とは落ち着いて会話出来ていたように見えたのが唯一の救いだろうか。
……いや、梓ちゃんにとっての救いではあるけど、私にとっての救いではない。
私にとっての救いは、梓ちゃんの記憶が戻ること。過程ではなく結果だけだ。そこはハッキリしておかないと、きっと何かを見落とす。
自分が焦っているのがよくわかる。わかるからこそ、何かを見落としたくはない。
そう思っているのは、私だけではなかったようだ。
律「……ごめん、みんな。私、まだ諦めきれない」
唯「……律さん?」
澪「…わかった。もう一回聞き込みに行ってくるか、律」
和「そうね。こういうのは現場百回と言うしね」
まるで律さんがそう言い出すとわかっていたかのように、皆が呼応する。
帰りがけにもう一度聞き込みをするつもりなんだろう。
その輪に自分が入れなかった事を少し寂しく思ったけど、それ以上に、今のうちに言っておかないといけない事がある。
唯「あっ……待って、えっと、紬さん!」
紬「私? どうしたの唯ちゃん」
誰にしようか少し悩んだけど、紬さんを呼んだ。
言い出した律さんを引き止めるわけにはいかなかったし、律さんが行くなら幼馴染の澪さんも行くだろう。
和ちゃんはちょっと話の内容にそぐわない。というわけで紬さんになったけど、間違ってはいないはず。
唯「えっと、ちょっと、あの、これからの話とかさせて欲しいな、なんて」
澪「……それもそうか」
紬「ううん、後でメールするから、澪ちゃんはりっちゃんと行ってあげて? 和ちゃんも二人をお願い」
和「わかったわ」
うん、私の予想は間違ってなかったね。
そうして三人が出て行って、今ここにいるのは私と梓ちゃんと紬さん、あと遠くで静かに見守る両親が二組、となった。
紬「どうしよっか、これから。なんでも言って、なんでも力になるから」
唯「……ありがと。でもその前に、一つ聞いていい?」
今のうちに言っておかないといけない事。
それは、今日一日見ていて気付いた事。ずっと気になっていた、私の時と梓ちゃんの時との、違い。
唯「……みんな、ちょっと梓ちゃんと距離を置いてるよね。計りかねてるっていうか」
紬「……それは……」
梓「…………」
唯「なんでかな、って思って。記憶のない私より、みんなの方が話せる事は多いはずなのに」
そのはずなのに、皆の梓ちゃんに対する姿勢は、どこか腫れ物を触るような、そんな気遣いと遠慮に満ちているように見えた。
私にはそれがわからなかった。
紬「……やっぱり、私達のせいじゃないか、って。みんなそう思っちゃって」
唯「……そんな、それを言い出したら私だって一緒だってば!」
紬「ううん。唯ちゃんよりずっと前から、私達は梓ちゃんを一人にして、いろいろ背負わせてきたから。だから原因は私達なの。今更いい顔なんて出来ないわ」
唯「違うよ! そもそも原因は魔物かもしれないし!」
そう言っても、紬さんは無言で首を振るだけだった。
魔物であろうと無かろうと、原因は私達だ。梓ちゃんを一人にしたのは私達だ。守れたのに守らなかったのは私達だ。……そう聞こえてくるような気さえする。
紬「あの日、唯ちゃんが守ろうとした梓ちゃんをそんな姿にしてしまったのは、私達。そういう意味では、本来なら今の唯ちゃんにも会わせる顔はないの」
唯「……だ、だったら、そんなの私は気にしないから、一緒に梓ちゃんの記憶を戻そうよ! そうすれば守ったのと一緒だよ!」
厳密には一緒じゃない。一度奪われたという事実は消えない。そんなのはわかってる。
でも、このまま記憶が戻らないよりはずっといいはずなのに…!
紬「……うん、その通りだよね。唯ちゃんの言うとおり、本当なら向き合わないといけないんだよね……。でもね、りっちゃんがあんな調子だから、どうしても、ね……」
律さん。
部長で、気遣いが出来て、明るく皆を引っ張る律さん。私にも何度も笑いかけてくれた律さん。
そんな律さんが、梓ちゃんの姿を見てくずおれたのは、私でも心が痛んだ。
記憶のない私でも心が痛んだんだから、ずっと一緒にいた皆はもっと痛んだのだろう。それなのに律さんを差し置いて梓ちゃんと仲良くしろなんて言うのは確かに酷だ。
唯「……ごめんなさい。無神経だったね、私」
紬「ううん、いいの。唯ちゃんの言う事も確かだから。でも……あ、ここから先は、完全に私個人の意見だけど、いい?」
唯「……う、うん。何?」
紬「……あのね、梓ちゃんを後回しにする、って意味じゃないんだけどね、でも梓ちゃんの記憶を戻すのに一番いいのは、唯ちゃんが記憶を取り戻す事なんじゃないかって思う」
唯「私、が…?」
梓「…………」
紬「……唯ちゃんの退院が決まった、あの日なんだけど、私達と梓ちゃん、ちょっと喧嘩しちゃったの」
唯「…そう、なの?」
それで翌日、様子のおかしい梓ちゃんが学校を休んでまで私のところに来た、というわけだろうか。
紬「私達はね、唯ちゃんの記憶が戻らなくても友達だ、って。そういう事を梓ちゃんに言ったの。でも梓ちゃんは、絶対諦めない、って。唯ちゃんの記憶を戻す、って」
唯「………」
紬「諦めるとも取れる言い方をした私達が悪かったんだけどね。……ともかく、そういうわけで、梓ちゃんが一番こだわってたのが唯ちゃんの事なのは確かだから」
唯「……私の事だけは覚えてるくらいに?」
紬「うん。だから本当の唯ちゃんが戻ってくれば、梓ちゃんが記憶を取り戻す何よりの刺激になるんじゃないかな」
唯「……そっか」
紬「あくまで私個人の意見だし、唯ちゃんが焦るのも良くないから、話半分くらいで聞いてね?」
唯「ううん、話半分だとしてもとても参考になったよ、ありがとう」
実際、自分一人で考えていたら思いつかない考えだった。私はあの日の梓ちゃんに何があったかを知らないんだから。
これまでの私は、私の全てに代えてでも梓ちゃんの記憶を戻す、と意気込んでいたけれど、私が記憶を取り戻す事で梓ちゃんの記憶も戻る、というハッピーエンドの道も見えてきたわけだ。
さっき呼び止めたのが紬さんで本当に良かった。
梓「……あの、つむぎせんぱい」
紬「……どうしたの? 梓ちゃん」
梓「……ごめんなさい。覚えてないですけど、ごめんなさい」
紬「梓ちゃん……」
初めて私の後ろからではなく、紬さんの正面に立って、梓ちゃんは頭を下げた。
そんな梓ちゃんを、紬さんはおずおずと抱きしめる。
紬「……あの頃はみんな、記憶を戻そうとする事自体が、唯ちゃんに辛い顔をさせているんじゃないかって思っちゃってて……諦めたかった訳じゃないんだけど、辛かった」
梓「………」
紬「おかしいよね、理不尽に奪われたものを少しでも取り戻そうっていうだけなのに、みんなどこかで悲しい顔をしてた……。梓ちゃん、私達、何か間違ってたのかな…? どこで間違ったのかな…?」
梓「………」
紬「……ごめんね、こんなこと聞かれても……わからないよね……記憶がないんだもんね……」
梓「……間違って、ないと思います……わからないけど、間違いだとは、思いたく、ないです」
……それは、目の前で泣く先輩に対しての言葉なのか。それとも、今の梓ちゃんが過去の自分に届けたい言葉なのか。
私にはわからないけれど、抱き合って肩を震わせる二人にそれを聞くつもりなんてあるはずもなかった
◆
これからの事については、結局そこまで話はしなかった。それ自体が紬さんを引き止める方便だったし、今までの皆のやり方を否定するつもりもなければ注文をつけるつもりもなかったからだ。
ただ、どちらかと言えば外に出たい、とだけ伝えた。紬さんは笑顔で頷き、梓ちゃんのご両親と一緒に帰っていった。駅まで送ってくれるらしい。
泊まっていけばいいのにと言ったけど、明日の梓ちゃんの服を取りに行くから、等の理由でかわされてしまった。
お風呂と夜ご飯を済ませてからは、私の部屋で梓ちゃんと二人きり。
それは私にとって、いろいろ考えを巡らす時間とも言える。
私は、自分の全てを賭けてでも梓ちゃんの記憶を取り戻したい、と思っていた。
でも紬さんの話を受けて、まず自分の記憶を取り戻すべきだと今では思っている。
そもそも自分の全てを賭けるなら賭けられるものは多いに越した事はない。記憶もその中の一つだ、とも言える。
なら、記憶を取り戻すためにこれから何をするべきか。
勿論、皆がいろいろ考えてしてくれるところに注文をつけるつもりはない。でも退院した今なら、私は受け身なだけじゃない。自分から何か出来る事があるはず。
今までにやった事をもう一度やってみるとか、逆にやってない事はないかとか、何か見落としてないかとか、考える事はいくらでもある。
中でも特に、今までやっていない事が鍵になるんじゃないかと思っている。何かが欠けている感じは私の中にずっとある。きっとそれが記憶の鍵だと思うから。
唯「……あ、そうだ」
今までやっていない事、という話で一つ思い出した。この部屋のどこかにあれがあるはず。
探そう。どこにあるのかな……
梓「……唯先輩?」
唯「お、あったあった。じゃーん、楽譜!もしくはバンドスコア!」
梓「……わあ……」
記憶のない梓ちゃんにとっても、昼間演奏しようとしたふわふわ時間以外の楽譜は物珍しいんだろう。私にとっても物珍しい。
とりあえず、せっかくだから今まで弾いてない曲でも練習してみようかな、というわけで発掘してみた。見つかってよかった。
さて、どの曲にしようか……
唯「えーっと、ふでペン~ボールペン~、カレーのちライス、わたしの恋はホッチキス……うーん……」
梓「……なんというか、独特なセンスですね……」
唯「全部澪ちゃん作詞なんだって。独特だとは思うけど、私は好きだよ?」
梓「……私も、嫌いじゃない気がします。唯先輩、良ければ聴かせてくれませんか?」
唯「覚えてないから上手く弾けないと思うけど……がんばってみるよ」
ギターを構えると、やっぱり懐かしい感じがする。
さて、最初は運指の確認だ。どうせ一発では弾けないだろうから、まずはゆっくりと、一曲通して指を動かす。
梓「………」
次は、少しスピードを上げて。
唯「うーん……」
まだ難しそうだけど、聴いてくれる人もいることだし次は本来の早さでやってみよう。
唯「………あっ、間違えた。あはは、やっぱり難し――」
梓「っ……」
唯「……梓ちゃん?」
梓「……すいません……わかりませんけど、何か……なぜか涙が……」
唯「…よしよし」
梓「すいません……っ」
私が何よりも梓ちゃんへの刺激になる。紬さんはそう言っていたっけ、と、梓ちゃんの頭を撫でながら思い出す。
ということは、梓ちゃんのこの無意識の涙は、私が私らしく梓ちゃんの記憶を揺さぶった、その証なんだろうか。
それはきっといい事のはず。だけど、その度に泣かせるのもなんだか可哀想なので、ギターはこのあたりでやめておこう。
……そういえば、私は泣いた事はあったっけ、とふと疑問に思う。
皆の話を聞く限りでは感情は豊かな方だったようだけど、今の『私』はまだ泣いていない、はず。
落ち込むことは結構あったけど、涙は流していないはず。
……それがいい事なのか悪い事なのかは、わからない。
◆
梓「すいません……急に泣いちゃって」
唯「大丈夫だよ。むしろごめんね、私、結構梓ちゃんを泣かせちゃってるね」
梓「……そうなんですか?」
唯「うん。三回くらいは泣かせちゃってるね……」
梓「……ひどい先輩です」
そう言いながらも、笑いながら甘えるように抱きついてくる。
やっぱり梓ちゃんは可愛い。記憶を失っていてもそれは変わらない……けど、記憶を戻してあげたいという私の気持ちも変わらない。
唯「……ひどい先輩は、頼りがいのある先輩になりたいんだって。梓ちゃんにいろいろしてあげて、私と梓ちゃんの記憶を取り戻して、先輩のおかげだって言われたいんだって」
梓「……頼りにして、いいんですか?」
唯「もちろんだよ」
自分の記憶を取り戻す事。梓ちゃんの記憶を取り戻す事。
何度も言ってるけど、それが今の私の全てだからね。
梓「……記憶のあった頃の私達も、こんな感じだったんでしょうか?」
唯「うーん……」
正直に答えていいものか、少し迷う。
正直に答えたとしても正しいかどうかわからないのも問題ではあるけれど、それは今考えてもしょうがない。
今の問題は、梓ちゃんがどんな返事を求めているのか。悩んだけど、正直に答える事にした。
唯「違ったんじゃないかなぁ。私はダメな子だったみたいだし、梓ちゃんも素直な子じゃなかったみたいだし」
梓「そ、そうなんですか?」
唯「そうらしいよー」
梓「……私は、唯先輩をダメな人だとは思いませんけど。そういう面もあったのかもしれませんけど、そう言い切れるとは思いません」
唯「私も、梓ちゃんに素直じゃない面があったとしても、ちゃんと心は優しい子だったんだと思うよ」
梓「……ふふっ」
唯「なんか変な感じだねぇ」
梓「そうですね。……記憶が戻ったらどうなるか、楽しみですね」
複雑な笑顔で、梓ちゃんは言うのだった。
その笑顔の意味も、やっぱり私にはわからない。
◆
唯「ちょっと早いけど、寝ようか」
少し他愛も無い話をしてから、梓ちゃんと一緒の布団に入り、横になる。
それからも少しだけ他愛の無い話が続いたけど、次第に梓ちゃんは静かになり、寝息を立て始めた。
ちなみに、他愛の無い話と言ったけど本当に他愛ない。
今日は大変だったねとか、明日は晴れるといいねとか、そんなものばかり。
梓ちゃんを泣かせて、複雑な笑顔をさせて、次はどんな話を振ればいいのかがわからなかったから。
わからない事ばかりで、自分が嫌になる。
自分のためにも梓ちゃんのためにも、早く記憶を取り戻したい。強く、そう思う。
……それを焦りだと言ってくれる誰かがいたなら、この先の何かが変わったのだろうか。
◆◆
お母さんと一緒に朝ごはんを作った。
お父さんと一緒に部屋の片付けと掃除をした。
梓ちゃんと一緒に記憶の手がかりを求めて家の中を歩き回った。
どれも成果は無かったけど、この家でする事はどれも身体が覚えていた。
梓ちゃんのご両親が荷物を持って訪ねてきたので、来客用のスリッパを出し、リビングまで案内し、お茶を出した。
これくらいは余裕でこなせるくらい、この家には慣れている。
午後は皆と外に出る予定だけど、家の中にいたほうが記憶が戻る可能性は高いんじゃないだろうか。
正解はわからないのに、『記憶の鍵』はこの家にあるような気がしてならない。
鍵。
鍵といえば、私の部屋の隣の物置には鍵がかかっている。
正確には、私の部屋と同じレバーハンドル型のドアノブにチェーンを引っ掛けて引っ張り、外で留める事により、内開きの扉を固定する。そういう仕組みになっており、そのチェーンを輪の形にするために南京錠が使われていた。
つまり、物置を開けたい時にはその南京錠を外すだけでチェーンが外れる。そういう仕組みのはずだ。
そのはずなのだが、これに関しておかしな点が三つある。
まず一つ。この家のどこに何があるかは大体身体が覚えていた、にも関わらず、この物置に何があるかに限ってはどうしても思い出せないこと。頭の中に靄がかかっている感じがする。
もう一つ。我が家のキーロッカーを見てみたけど、ここに使うような鍵が無かったこと。鍵は丁寧に分類されていたので、一目でわかった。
あと一つ。私はさっきお父さんと片付けをしたわけだけど、その時この物置には見向きもしなかったこと。聞いてみても「あそこは後回し」と言うだけだった。
どれもいくらでも言い訳が利きそうな程度の『おかしな点』だけど、三つ揃えば途端に怪しく見え始めて止まらなくなる。
記憶のない身で憶測はしないけど、それでも中を見たいという気持ちは強くなるばかり。
『記憶の鍵』はきっとあそこにある。いつの間にか、何の根拠も無いのにそう思うようになっていた。
となると、次はどうやって中を見るか、という話になるわけだけど、正攻法は無理だろうと思う。
理由は簡単、キーロッカーに鍵が無いからだ。そこに無いから私は鍵を使えないし、そこに無いということは誰かが意図的に『隠した』という可能性もあるから。
誰が何のために隠したのかはわからないけど、「私が聞いてくる時まで隠しておいた」とかいう稀なパターンでもない限り、私が聞いても鍵は出てこないだろう。
正攻法は無理だという事で、外を伝って窓から覗き見る作戦とかも考えたけどさすがに危ない。
結局、一番現実的なのは『力技』というシンプルな結論に達した。
梓「……唯先輩? どうかしましたか?」
そして、最後にして最大の問題は、この子。
どこに行くにも私の後ろをついてくる可愛い子だけど、可愛い子だからこそ、力技なんていう危ない事に巻き込みたくなかった。共犯者としての責任も負わせたくなかった。
よって、梓ちゃんの知らないところで実行しよう、そう胸に誓った。
唯「……ううん、なんでも。今何時だっけ?」
梓「11時くらいですね。リビングでお昼の話し合いをしてますよ」
唯「私達も行こうか」
梓「はい」
◆
さっき言った通り、梓ちゃんはどこに行くにも何をするにも私の後ろをついてくる。
それを可愛いと思うし、私としても出来るだけ梓ちゃんを一人にしたくなかったから、私達はずっと一緒にいた。
だから梓ちゃんの目を盗んで何かをするチャンスなんて、そうそう巡ってこないと思っていた。
……実際は、意外とすぐ巡ってきた。
皆でリビングで談笑していた時に、呼び鈴が鳴ったのだ。
その呼び鈴を鳴らしたお客さんの目的が、梓ちゃんのお見舞いらしい。
それを聞いた梓ちゃんは、珍しく「一人で行く」と言い出したのだ。
唯「大丈夫なの?」
梓「……何かあったら、叫びますから来てください」
唯「うん、それはもちろん」
そんな危ない友達が梓ちゃんにいるとは思えないけど、心配なのも確かだった。
梓ちゃんの目を盗んであの物置を見るチャンスなのも確かだけど、記憶の無い梓ちゃんを一人にするなんて心配に決まってる。
梓父「……珍しく一人で行きたいと言うんだ、思うところがあるんだろう。行かせてやってくれないか」
唯「…はい」
心配に決まってるけど、梓ちゃんの意思を尊重しないなんて真似も当然出来なかった。
ここは割り切って、あの物置を見るための行動に移ろう。心配だけど。
唯「……まだ外で待たせてるんだよね?」
父「ああ。知ってる子だったけど、本人がそう望んでたから」
そう望む子、というのはちょっと珍しいというか、理由の予想が付かないけど好都合ではある。
お父さんが知ってる子ということで、相手がどんな子なのかも気になるけど……今は自分の目的を優先しよう。
唯「……玄関まで送るよ。心配だから」
梓「唯先輩……」
唯「大丈夫、盗み聞きなんてしないから」
梓「……ありがとうございます」
ちょっと悩んだようだけど、結局は甘えてくれた。
梓ちゃんのそんな反応を利用しているようで心苦しいけど、記憶を取り戻すためだと必死に自分を正当化し、梓ちゃんと手を繋ぐ。
◆
梓「……じゃあ、行ってきますね」
唯「そんなにかしこまらなくても。すぐそこだし、何かあったらすぐ呼んでね?」
梓「はい」
この心配は本心だ。自分の目的も大事だけど、梓ちゃんの身の安全の方がもっと大事だ。そんなの比べるまでもない。
目的のためにわざと梓ちゃんを遠ざける事も出来た。出来るけど、やるつもりは一切なかった。梓ちゃんが大事だから。
この後だって、途中で梓ちゃんに呼ばれれば全てを投げ出して駆けつけるつもりだ。先輩として、優先順位は間違えたくない。
梓「……ありがとうございます、唯先輩。では」
そう言って少し微笑んだ後、梓ちゃんは扉を開けてスルリと外に出てしまった。
その動きは素早くて、私からは外にいたはずの相手の姿がまるで視認できないほど。
相手は気になるけど……仕方ない。ここからは私も時間との勝負だ、急ごう。
唯「っと、ここだったよね……」
あの物置の中を見る上で邪魔なのはチェーンだ。そして、私はそれを力技で突破すると決めた。というかそれしか思いつかなかった。
というわけで、あのチェーンを切れるような何かがあればいい。そう思い、一階で工具箱を漁る。しかしそれらしきものは見当たらない。
ただの見送りである私が、いつまでも一階にいるのは不自然だ。もう時間がない。
仕方ないので第二の方法、もっと強引な力技で行くしかない。そう決めて金槌を手に取った。
後は物置へ向かうだけなのだが、ここでまた一つ問題が浮上する。
三階へ上がるには大人が四人いるリビングをどうしても通らなくてはいけない。
金槌はサイズ的には服の中に隠せばどうにかなるかもしれないが、重量があるため人の前では動きが不自然になるだろう。
そもそも早々に三階に上がりたいんだから、逆に開き直って何も言わずリビングを走り抜けてもいいのではないか。
物音がすればどうせ様子を見に来るだろうし、リビングで丁寧に時間を稼ぐ意味もない。そう考えて、一気に走り抜ける事にした。
父「あ、おい唯、どこに行くんだ?」
唯「ちょっとね!」
当たり障りのない返事をし、物置部屋の前まで辿り着く。
レバーハンドル型のドアノブにチェーンが掛けられて南京錠で留められている、のは既に言った通りだが、そちら側は私にはどうしようもない。
この金槌を使うのは、反対側。南京錠で輪にしたチェーンを引っ張り、壁に固定している場所だ。
なんとも雑な事に、このチェーンは又釘で壁に打ち付けられているだけだった。固定としては十分だが、金槌で何度か叩けば外れるだろう。まあ壁もえぐれそうだけど。
問題は何度も叩くだけの時間があるかどうか。これに尽きる。急ぐしかない。
狙いを定め、金槌を思いっきり振り下ろす。
唯「……やあっ!」
一度目。外れた。若干上の壁を思いっきり叩いてしまい、若干の手の痺れと大きな物音を残しただけだった。
父「……唯!? なんだ今の音は!?」
階下からお父さんの声と足音がする。時間がない…!
二度目。当たった。金属の鈍い音がする。しかし外れない。
三度目。当たった。外れない。時間がない。
四度目……
唯「っ……取れた!」
ドアノブに引っかかっているチェーンを乱雑に床に落とし、ドアを開けた。
父「唯っ!!!」
そこには……
唯「………ぁ」
そこには、『ひと』がいた。
正確には、生きた人がいたわけではない。
でもそこには確かに、一人の『ひと』の生きた証があった。
机。ベッド。クローゼット。写真。制服。鞄。本。私服。ぬいぐるみ。貯金箱。観葉植物。時計。鉛筆立て。辞書。アルバム。等々。
おそらくそれらは本人のものだけではない。様々な場所から寄せ集められた、一人の『ひと』の存在の証が、ここに放り込まれているようだった。
それはまるで、その人の存在自体をここに封じ、見えないようにしたかのような……無かったことにしたかのような……
唯「……ぁ……っ、あぁ……」
そして、私はその『ひと』を、知っていた。
記憶が溢れ出す。
手を引いて歩いた記憶。手を引かれて走った記憶。一緒に笑った記憶。私に笑いかけてくれた記憶。いつも、どんな時も、ずっと一緒にいた記憶。
その手の温かさを知っている。身体の暖かさを知っている。心のあたたかさを知っている。一番近くにいたから、誰よりも知っている。
涙が、溢れ出す。
ここにいる『ひと』。その正体は――
父「唯ッ!!!」
怒声を受けて振り返ると、そこには声とは裏腹に悲しそうな顔をした皆がいる。
お父さん、お母さん、梓ちゃん、梓ちゃんのお父さん、梓ちゃんのお母さん。
皆一様に悲しそうな顔をしている。でも、私は……
梓「ゆい、せんぱい……」
唯「ッ!」
走った。
皆の間を強引にすり抜けて階下へと走った。
その時に姿勢を崩したのだろう、皆が追いかけてくる気配はまだ無い。
走った。
玄関で乱暴に靴を履き、外に出た瞬間、後ろから梓ちゃんの声がした。
梓「唯先輩!待って! っ、純!唯先輩を捕まえてッ!!」
その声を受けて戸惑う女の子の横を走り抜け、飛び出した。
記憶にある外に飛び出し、記憶に無い所に向かって走った。
一人で知らない所に行きたかった。
友達も、仲間も、一緒にいた子も、魔物も、何もいないところへ……
◆
唯「――ッ、はぁっ、はぁ……」
知らない景色が広がる。
ここはどこだろう。走った程度でそこまで遠くには来れないだろうけど、適当に歩いても戻れそうに無い程度には周囲の景色に見覚えは無い。
……多少記憶を取り戻したくらいでは、戻れそうにない。
そんな私の足を止めたのは、梓ちゃんだった。
もちろん物理的な意味ではない。ここに梓ちゃんはいない。
でも、思った。
あの子を一人には出来ない、と。そんな想いが私の足を止めた。
今はまだ、頭の中がごちゃごちゃしている。
この数週間の私の記憶と、取り戻した記憶と、取り戻すべき記憶が混在している。
まずは頭の中を整理しよう。そう自分に言い聞かせるけど、それが難しい事であるのもわかっている。
自分でわかるんだ。なぜなら恐らく私は『違う記憶』を取り戻しているから。
さっき取り戻した記憶は断片的なもので、本来取り戻すべき記憶は他にあるはずなんだ。
そうでないとおかしい。
おかしいんだ。
そう思いながら、自分の身体を抱きしめながら、呟く。
唯「……お姉ちゃん……」
もちろん、返事はない。
◆
「い、いた……やっと見つけたぁ……」
背後からの声に振り向く。そこには家を飛び出した時にすれ違った女の子がいた。
まあ、いかんせん見たのはその一瞬だけだ、人違いかもしれない。でも大事なのはそこではない。
私は、この子の名前を知っている。
唯「純ちゃん……」
純「えっ…? 唯先輩、記憶が戻ったんですか…?」
この子は軽音部の仲間ではない。澪さんに見せてもらったクラスの写真の中にもいなかった。
でも私は知っている。
あの時梓ちゃんがそう呼んでいたから、では説明がつかないくらいの事を知っている。
唯「鈴木純ちゃん。私の中学からの友達で、一緒に軽音部を見学した、今のクラスメイト」
純「……えっ…?」
唯「おかしい? これは私が知ってたらおかしい記憶なの?」
純「えっと……」
唯「私は平沢唯。三年二組。軽音部。ギター担当。そんな私が、純ちゃんの事を知ってたらおかしい?」
聞くまでもない。おかしい。
私はおかしいんだ。どこかが壊れてしまった。
ダメなんだ、ちゃんと全部の記憶を取り戻さないと、説明がつかないんだ、きっと……
純「……梓を、呼んでいいですか。梓だけを」
唯「呼んで、どうするの?」
純「説明には適役だと思って。少なくとも、私は梓を差し置いて先輩に説明する気はありません」
唯「梓ちゃんは、今の問いに答えをくれるの?」
純「くれると思います。ダメなら私が説得します。……私はあなたの味方のつもりだから」
唯「……どういうこと? 梓ちゃん達は私の敵なの?」
純「そうじゃないです。ベクトルの違う仲間というか……ま、梓に説明させます」
よくわからないけど、疑っても始まらない。
仲間だと言ってくれるならまずは話を聞こう。そうしないと私はもうどうにもならない。そんな気がする。
……あ、でも、話を聞こうにも今の梓ちゃんって……
唯「……でも、梓ちゃんは今は記憶が……」
純「ああ、そこは心配ないですよ。記憶の無い梓とはさっき話しましたけど――」
心配ないという言葉が表す通り、何でもない事のように純ちゃんは言った。
純「あれ、多分嘘です」
◆
梓「……唯、先輩……純……」
純「おー、よく迷わずに来れたね」
全力で走ってきたのだろう、梓ちゃんの息はかなり上がっている。
それだけ私の事を大事に想ってくれているんだ。それは嬉しい。
でも、それなら何故……
唯「……梓ちゃん、記憶が無いって、嘘だったの…?」
梓「…………はい。ごめんなさい」
唯「なんで…? なんでそんな嘘を? みんなに心配をかけるだけの嘘を?」
責めたくはない。梓ちゃんが優しい子なのは知っているから、責めたくはない。
きっと何か理由があるんだ。私はそう信じた。
梓「……そうすれば、唯先輩と対等な後輩でいられるじゃないですか」
唯「対等な、後輩…?」
梓「記憶の無い先輩と、記憶の無い後輩。条件が同じになれば、唯先輩は私に後ろめたさなんか感じないでしょう?」
後ろめたさなんて感じた事は……無い、と言いたかったけど、無理だった。
私の記憶を戻すためにいろいろしてくれている梓ちゃんに、記憶の戻らない私は申し訳ないという思いを抱いたから。
梓「それに、唯先輩もずっと先輩として振舞いたがっていたじゃないですか。私もそれが『唯先輩』の記憶が戻る鍵になると思ったんです。先輩は先輩ですから。だから……」
だから、記憶を失ったフリをした。
全ては私のために。そして、私の記憶を戻すという梓ちゃんの目的のために。
……責められるはずがない。少なくとも私にはその権利は無い。
唯「……ごめん、梓ちゃん」
梓「……いえ、他の先輩達に心配をかけたのは事実です。いずれ必ず謝らないといけません」
唯「ううん、そこまでしてくれたのに記憶が戻らなくてごめん。梓ちゃんは私の望みを叶えてくれたのに、私は叶えてあげられなくて、ごめん……」
梓「……それは……」
純「っていうか、梓も澪先輩達に相談した上でこれを実行すれば良かったんじゃないの?」
梓「あの人達は、半ば諦めてたから。そんなつもりはなかったらしいけど、あの時の私にはそう聞こえてしまったから、相談は出来なかった」
昨日の、紬さんの話が蘇る。
喧嘩別れしてしまった次の日、朝から様子のおかしかった梓ちゃんは、それでも午後に来た皆には何も無かったかのように接していた。
その間に決意してしまったのだろうか。決意するような何かがあったのだろうか。
……いや、あった。
私が料理で泣かせて、先輩なんだから甘えて欲しいって梓ちゃんに告げたんじゃないか…!
唯「わ、私のせい…? あの日、梓ちゃんの嘘の背中を押したのは私…?」
梓「唯先輩は悪くないです! 私、嬉しかったんですよ? ああ言ってもらえて……甘えていいって言ってもらえて」
唯「でも! 昨日紬さんは言ってた! そんなつもりじゃなかったって! 私が背中を押さなければ、梓ちゃんがみんなと話し合ってから決めてた可能性だって…!」
梓「…そうですね、もしかしたらあるかもしれません。でもそれでも、絶対諦めたくない私と、記憶の無い唯先輩を受け入れようとしていた先輩方とでは、そのうちどこかですれ違いがあったはずです」
純「私と梓みたいにね」
梓「……そう、だね。一番最初は、純だったね」
唯「……だから、純ちゃんは私のお見舞いには来てくれなかったの?」
純「そういうことになりますね。ずっと梓が近くで目を光らせてましたから、記憶を失うまでは近づけませんでした」
梓「……純は何を言い出すかわからないからね」
そうか、だからさっきも梓ちゃんが一人で向かったのか。わざわざ玄関の外で話していたのか。
珍しいとは思ったけど、私に近づけないためなら納得だ。
でも、最初に外で待つと言い出したのは純ちゃんらしいから、純ちゃんも梓ちゃんの考えを汲んではいるようだ。
本当に『ベクトルの違う仲間』という関係みたい。
純「でも、改めて言うよ、梓。やめたほうがいい」
梓「っ……私がやめられない理由を知っててそれを言う!?」
純「言うよ!私だけが知ってるから私が言う! もう誰の為にもならないところまで来てる! 唯先輩は『混ざってしまってる』!」
梓「ッ!? そんな、こと……」
純「梓の気持ちもわかるよ! でもこれ以上続けたら全部壊れちゃうんだ! あんたの大好きなその人も! 軽音部も! 全部!」
梓「じ、純に何がわかるのよ……私達の、な、何が……」
純「……唯先輩は私の事を知ってた。澪先輩は私に梓を助けてくれって頼ってきた。あんたはそんなザマ。これだけで十分わかるよ……」
梓「……っ、ぅ、うあぁっ……」
梓ちゃんが、膝を付き、泣き始めた。
慰めてあげたい。けれど、話が見えない私にその資格はないような気がした。
純ちゃんも慰めようとしない。ただ、静かに泣く梓ちゃんを、悲しそうな目で見ているだけ。
これが、この場での最善手なのだろうか。梓ちゃんを一人で泣かせる事が、梓ちゃんのためなのだろうか。
私にはわからない。私には――
梓「ごめん……っ、ごめんね、うい……!」
唯「っ――!」
うい。
その名前は、私にもわかる。
憂。
その名前を、私は知っている。
さっき、物置とされていた部屋で取り戻した、私の記憶。
私の手を引き、笑う、その人は私の顔をしていた。
手を引かれ、笑いかけられているのは、私だった。
あの部屋にいた『ひと』は、私だった。
私の名前は、きっと……平沢憂だった。
◇
――梓ちゃんが、唯ちゃんの所へ向かったらしい。
「一人で来て欲しい」と言われたらしく、他の皆は待ちぼうけを食う事となった。
唯ちゃんと梓ちゃんのご両親、そして和ちゃんは、戻ってくると信じて唯ちゃんの家で待機。
澪ちゃんは、自分を追い詰めすぎて疲れ果てているりっちゃんのそばに。さわ子先生が二人を送ってくれるそうだ。
そして私は……一人であの病院へ向かった。
紬「先生!」
医者「……ああ、これは琴吹のお嬢様。何かありましたか?」
紬「……何か、というわけではないですけど……」
そう、何かがあったわけではない。
ただ、嫌な予感がしてならない。
紬「…先生、本当に処置は成功していたんですか?」
医者「……確かに、あの子の記憶は一向に戻らない。お嬢様が不安になられるのもわかります」
確かにそれもある。でも多分それだけじゃない。
梓ちゃん以外の皆は、たとえ記憶が戻らなくても友達として過ごすと決めている。
記憶が戻らなかった、それだけなら諦めもつく。嬉しい事じゃない、そこに一人の女の子の犠牲と覚悟があったのは確かなのだから、嬉しくはない。
けど、諦めはつく。『唯ちゃん』が帰ってこない事自体には、諦めはつく。
唯ちゃんは死んだ。その揺ぎ無い事実を皆で受け入れるだけなのだから。
なのに、漠然とした不安は私の胸の内を多い尽くしている。
医者「……他者への記憶の転写。これは過去に類を見ない試みですからね」
◇
唯「――私は、本当は『平沢 憂』で、その頭に『平沢 唯』の記憶を上書きした、ってこと?」
梓「……はい」
にわかには信じ難い。
でも、私の記憶が何よりも証明してしまっている。私は唯のはずなのに、何故か憂の記憶がある。それが何よりの証明。
身体は憂で、記憶は唯。本来はそうなる予定だったのだろう。
でもそうはならなかった。恐らくどこかで失敗したのだろう、私は唯の記憶を持っていなかった。
しかし、それでも私は唯だと言われ続け、私も自身を唯として疑うことなく記憶と自我と自己を作り上げてきた。
そこに今、憂としての記憶が戻ってきた。厳密には憂の部屋を見た時から戻りつつあったものが明確になった。
しかしそれは私が今まで作り上げてきた私とは相反するもの。到底受け入れられないもの。
それでも確かに私のもの。かつての私が持っていたもの。つまり、どちらも私。どちらも手放せない。
純ちゃんの言う通り、私は『混ざってしまっている』ようだった。
……泣き止んだ梓ちゃんは、ただ淡々と、私の身に起きた事を説明していく。
梓「私を庇って事故に遭い、命を落とした唯先輩を生かす方法として、ムギ先輩が調べてくれました」
唯「事故? 私は……魔物に襲われたんじゃなかったの?」
梓「記憶を喰らう『魔物』……それは、私達が作り上げた『幻』です」
唯「……『魔物』なんて存在しなかった、ってこと…?」
梓「そうです」
唯「な、なんでそんなこと…?」
◇
医者「ですがお嬢様、少なくとも理論上は成功しています」
紬「……本当に?」
医者「琴吹様の信頼を裏切るような真似はしません。しかし、前例の無い試みであるが故に、完璧な処置を施しても成功が約束されているわけではない、という事は説明の通りです」
紬「……そう、ですね。その時の為に、私達は話し合っていろいろ仕組みました。……『魔物』などを」
医者「はい、そういうことです」
紬「同時に、貴方は医者としてしっかりと『失敗した場合にどうなるか』についても説明してくれました」
医者「………」
紬「『どうなるかわからない』と。前例が無いが故にわからない、と」
この人はリスクが不明瞭である事を誠実に説明してくれた。
それを受けて私達は仮説を立てた。専門家でもないのに考えた。
あの子は過去の記憶が戻らないまま一生を終える。
唯ちゃんの記憶だけ消え、憂ちゃんの記憶が残る。
そのどちらかだろう、と。そのあたりだろう、と。
その上で私達は『魔物』をでっち上げた。
そのほぼ全ては、唯ちゃんも憂ちゃんも消えてしまう、という、私達にとって最悪のパターンである前者の仮説を想定しての事。
過去の記憶の無いあの子が、自分の巻き込まれた事故を調べないように、極力突拍子のないものにする必要があった。調べようとする気さえ起きないくらいに。
調べれば、知ってしまう。自分のために命を差し出した女の子がいる事を。今の自分が一人の女の子の命の上に成り立っているものだと知ってしまう。
そうなれば普通は自分を責めるだろう。最悪の場合、罪悪感から自ら命を絶つ。そんな事、彼女は――憂ちゃんは望んでいない。徹底して隠す必要があった。
事故の目撃者、関係者、平沢家を知っている者、全てに徹底した緘口令を敷いた。時には権力をチラつかせ、時にはお金を握らせた。心を鬼にし、持てる全ての手段を使って隠蔽した。
唯一、唯ちゃんを轢いて逃げたあの男だけは当時は所在が知れなかったけど、『魔物探し』と称して皆で追い詰め、『退治』した。これで隠蔽は完璧なものになり、全ては『魔物』の仕業となった。
あともう一つ。同様に最悪のパターンを想定しての事ではあるが、こちらは皮肉にも、あの子に施された処置が最新の医療技術を用いていた事に関係する。
人の頭を切り開いて脳を直接すげ換えるような方法ではなく、脳から記憶をデータのように吸い出し、それを他の脳に上書きする、という、まるでパソコンやCDのようなにわかには信じ難い最新技術。
詳しい原理は説明されても全くわからなかったが、外科手術を行わずに記憶を弄れるという使い方次第では危険極まりない技術だという事。故に禁忌とされ、人に処置を施した前例はない事はわかった。
それを憂ちゃんに使った。その上で記憶が戻らなかった場合、あの子には何の外傷も無く、事故も私が隠蔽したので存在しない、なのに自分は病院にいて記憶はない、という不思議な状況となる。
『魔物』なら、そんな不思議な状況にも一応の説明は付けられる。何と言っても魔物なのだから。未知なる危険な存在なのだから、何が起こっても不思議ではない。
無傷で記憶だけを喰らうような真似だって出来るはずだ、『魔物』の仕業なら。
そして、あの子が後々唯ちゃんの記憶を取り戻せば、あるいは運悪く憂ちゃんの記憶を取り戻した場合でも、魔物をでっち上げた理由は説明すればわかってもらえるだろう。
最初から記憶があれば更に話は早い。魔物をでっち上げず、私達がした事を話すだけで済む。
その場合でも優しい唯ちゃんは憂ちゃんがいない事にショックを受け、自分を責めるとは思う。でも命を絶つ事は絶対にないと言い切れる。
何故なら、それは自分が身を挺して梓ちゃんを助けた事の否定になるから。その時の記憶と感情がちゃんと唯ちゃんの中に残っていれば、そんなことは絶対にしない。
あとは唯ちゃんが憂ちゃんのいない世界に慣れるまで、寂しさが癒えるまで、私達が総力を上げて支える。それで問題は無い。
そうだ、何も問題は無いはずなんだ。皆でそう決めたんだ。
なのに、胸騒ぎが止まらない。まるで私達が何か、もっと最悪のパターンを見落としているような……
◇
皆の危惧した通り、私の今のこの命が誰かの犠牲の上にあるというのは心苦しい。
かけがえのない姉妹が既にこの世にいないという事も考えるだけで辛い。
でも、今すぐに自ら命を絶とうとは思わない。まずは梓ちゃんの話を聞きたい。
唯「魔物についてはわかったよ。でも、言い難いけど……そもそもその医療技術が胡散臭いとは思わなかったの?」
梓「他の方はどうかわかりませんが、私は思いませんでした。私のせいで唯先輩は事故に遭ったんです、唯先輩が生きれるのなら私はどんなものだろうと迷い無く縋ります。たとえ代償が私の身体であっても」
唯「っ、そんな、そんなの……」
梓「…はい、あなたは初日に言ってくれましたね、先輩として守りたかったんだと思う、私が無事ならそれでいい、って。それを見越した事を、憂も言っていました」
唯「憂……私、が…?」
憂としての記憶を取り戻したはずの私だけど、何を言ったかは覚えていない。そのあたりの事は一切覚えていない。
いずれ思い出すのだろうか。
それとも、唯として生き続けている私が、唯が死んだ後の記憶を無意識に拒んでいるのだろうか。
梓「……「お姉ちゃんが守りたかった梓ちゃんがそこにいなかったら、お姉ちゃんは悲しむ」って。だから私じゃダメだって、そう言って、憂が身体を差し出すと名乗り出ました」
純「……そして私はそれに反対しました。梓と一緒に説得しようと思って、三人だけで話をしようとしました」
軽音部ではなく、家族でもない。言わば一番の部外者の純ちゃん。
だからこそ反対出来たのだろう。あくまで憂――私の友達として。
純「とはいえ、唯先輩を諦めろだなんて言えません。でも憂がいない事を知れば唯先輩は悲しむ。梓が言われた事を憂にも言おうとしたんです。でもそこで憂に先手を打たれました」
梓「憂は私に言いました。「お姉ちゃんの事、よろしくね」と。言わば事故の原因でもあるはずの私に、全幅の信頼を置いて、そう言ったんです」
純「私には、そんな梓を助けてあげて、と頼んできました。もうダメでした。わかっちゃうんですよ、目で」
唯「目で…?」
純「……この子は、この場で私が行かないでと叫んでも、きっとそのうちフラッとどこか遠い所へ行ってしまう。それがわかってしまって……憂にいなくなって欲しくないのに、憂の邪魔も出来なくて…!」
梓「……負い目のある私は、憂の信頼に背けず、憂の願いを叶えると誓いました。その信頼が私を責めるものだとしても赦すものだとしても、どちらでもよかった」
純「憂は、梓を責めたりなんてしないよ…!」
梓「…そうだね。でも当時の私にはどっちでもよかった。憂の望み通り、唯先輩を取り戻す事しか頭になかった。だから純は近づかせないようにした。ごめんね」
純「……今でも、私は憂の事を引きずってる。何か他に方法は無かったのかなって思ってる。だから梓の判断は正解だし、私も梓の邪魔もしたくなかったから近づかなかった」
なるほど。でもその結果、梓ちゃんは記憶を失うフリまでするくらい一人で抱え込んでしまい、澪さんが純ちゃんに助けを求めた。
その時の純ちゃんからすれば、本当に記憶喪失なら梓ちゃんを助けたくて、ウソだとしても今度こそは何か力になりたくて家まで来た、といったところだろうか。
梓「そして……その結果、今があります」
唯「今……」
梓「私だけが諦めず、あなたに『唯先輩』を押し付け続けたせいで、あなたは『混ざってしまった』……そんな今です」
唯「そんな、梓ちゃんのせいなわけ……」
無い、とは言い切れない。当人である私にはわからない。
なのに当人である私は『結果』としてここに在る。だから、梓ちゃんの言葉を、可能性の一つとして肯定してしまう。
否定は出来ないのに、存在だけで肯定してしまう。梓ちゃんを責めたいわけじゃないのに…!
梓「……唯先輩、『混ざってしまった』あなたは、私を憎みますか…?」
唯「な、なんで…? そんなことするわけ――」
梓「あなたが命を落とす原因を作り、あなたが命を差し出すのを止めず、あなたが取り戻してほしかったあなたを失わせた原因である私を、あなたはどうしますか?」
唯「梓、ちゃん……?」
『平沢 唯』が命を落とす原因を作り、
『平沢 憂』が命を差し出すのを止めず、
『平沢 憂』が取り戻してほしかった『平沢 唯』の記憶を失わせた原因。
それが自分だと、梓ちゃんはそう言っているんだ。
憎んでくれと、責めてくれと、殺してくれと、二人と同じくらいの傷を負わせてくれと、そう言っているんだ。
梓「あなたにとって私は姉の仇であり、妹の仇であり、妹の願いを潰した張本人なんですよッ!!」
純「あ、梓、落ち着いて……」
梓「純も言ったじゃない! もう取り返しのつかないところまで来てるって! そうしたのは私! 最初の原因も私! 全部私のせい! そうでしょ!?」
純「で、でも私は知ってる! 梓は憂との約束を守ろうとしただけだって!」
梓「守れなかったんだから何の意味もないよ! もう唯先輩は『混ざってしまった』んだから!」
純「そ、それは……」
梓「………あっ、そうだぁ……混ざったんなら……あなたは唯先輩でもあり、憂でもあるんですよね…?」
梓ちゃんが、空虚な瞳をして嗤う。
梓「今なら……謝れるじゃないですか。唯先輩、私はずっとあなたに……私のせいで死なせてごめんなさいって、ずっとずっと、それだけを言いたくて……!」
空虚な瞳から、涙が伝う。
梓「憂にも……唯先輩を死なせてごめんって、何度言っても足りないし……こうして今、憂の最期の願いもダメになっちゃって、私は謝らないといけないんだ……ごめんね、憂ぃ…!」
こちらに歩み寄りながら、手を伸ばして。
梓「ごめん、っ、ごめんなさいっ……ごめん、ひぐっ、ゆいせんぱ、っ、うい、っぁ、ぅ、うあぁっ……! い、いくら謝っても、っ、足りないよぉっ……!」
……私にしがみつく直前、梓ちゃんの顔が普通の女の子の普通の泣き顔に戻ったのを、私は確かに見た。
◇
律「――なあ、澪」
澪「ん? どうした?」
律「……私達、このままバラバラになるのかな」
澪「……らしくないな、律」
律「ずっと思ってたんだ、どこかで何かを間違ったんじゃないかって」
澪「例えば?」
律「……わからない。わからないけど、唯がああなって、憂ちゃんもいなくなって、今度は梓だ。どこかで何かを間違えたとしか思えない」
澪「……蝶の羽ばたきみたいなものかもしれない。少なくとも、律が気に病む必要はないはずだ」
律「そうかな」
澪「律は間違った事はしてないよ。万が一してるとしたら、きっと私達全員だ」
律「……そうかな」
澪「そうだよ」
律「でも、怖いんだ。唯をあんな目に遭わせたのだって、人間なんだ。私達を狂わせたのは人間なんだ。同じ人間である私達が、どこかで何かを狂わせてないとは言い切れない」
澪「……唯をあんな目に遭わせたのは、『魔物』だよ」
律「……そういえば、そう言い出したのは澪だったっけ」
澪「あんなのが、人のする事だと思いたくなかった。人の仕業だと認めたら、もう誰も信じられなくなる気がしたんだ……」
律「……でも、そんな私達は『魔物』を産み出した。恐ろしい『魔物』を。梓を傷つけた『魔物』を」
澪「………」
律「私達が、他のどこかでも『魔物』を産み出してた可能性だってある」
澪「……律らしくない。けど、それはその通りだな……」
律「なあ澪、聞き方を変えるよ。私達は、もう一度みんなで笑い合える時が来るのかな…?」
澪「それは、来るさ」
律「どうして?」
澪「私は、来ると思いたい。私達は、みんな唯の事を大事に思って動いたんだ。その気持ちだけは……私は信じたい」
律「たとえそこに『魔物』がいても?」
澪「……『魔物』がいたなら、また退治して、笑顔を取り戻せばいいだけだ。私達の手で――」
◇
魔物なんてどこにもいなかった。
ただ、人の手により一つの命が失われ、一人の記憶が失われただけだった。
そしてその結果、私がある。
死んだはずの『平沢 唯』の名前と器を持ち、消えたはずの『平沢 憂』の記憶を持つ私が。
人の手により、大切な姉妹を失った私がここにいる。
大切な人はもういない。あの頃にはもう戻れない。その事を想うたび、心が締め付けられ、涙が出そうになる。
しかし、同時にそれを事実として静かに受け入れようとしている自分がいる事にも気づいていた。
誰よりも近しい人を失ったはずなのに、皆のように不確かな技術に縋ろうという気持ちにはならなかった。かといって逆に梓ちゃんを傷つける気にも到底なれなかった。
私は感情の振れ幅が小さくなってしまったのだろうか。私はやっぱり壊れてしまっているのだろうか。
そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。
何故なら、妹が私のために命を差し出した事に心を痛めようにも、私には憂の記憶がある。私はこの世で唯一、憂の記憶を持っている。
しかも都合よく、事故の時間から後の記憶は無いままで。それが何故かはさっきも少し考えたけど、今はもう一つ説がある。恐らくは処置の影響だろう、という説だ。
頭の中で現実時間と記憶が紐付けられている、という前提になるけど、私が記憶を取り戻すよう処置された現実時間の範囲が、唯が事故に遭った時、あるいはその少し前だとしたら。
そしたら、その範囲から漏れてしまっている、唯の事故の後にあたる時間の憂の記憶は戻らない、ということになる。
その時間の憂の記憶も私の頭の中のどこかにはあるんだろうけど、その時間は唯にとっては眠っていた空白の時間であるため、取り戻すための処置をされなかった。
だから、それはどこかでずっと眠ったままなのだろう。無かったことにされた憂の中の、本当に無かったことにされた、悲壮な決意の記憶は。
ここまでは推測だけど、憂として死んだ記憶が私に無いのは事実だ。皮肉にもそのおかげで、生き続けている憂が私の中にはある、と言える。
同様に、姉が戻ってこない事を嘆こうにも、私は唯としての振舞い方を知っている。私はこの世で唯一、唯として生きる事が出来る。
更に言うなら、皆から学んだ唯の姿と、取り戻した憂の記憶に写る唯の姿を併せれば、私は今まで以上に唯になれる。
記憶こそ足りないものの、この世で一番唯に近いのは私だ。私が唯と呼ばれた事、皆が私を唯と呼んだ事、それら全てがその証明だ。
そもそも、私の中に唯としての記憶はなくとも、唯として生きてきた記憶はある。たとえ短いものだとしても、確かにある。
今は私が唯であり、この先も唯として在れる。そんな私は誰よりも唯と言えるだろう。唯として死んだ記憶もないのだから。
つまるところ、真実を知った私は姉妹を喪った事実を唯と憂どちらの視点でも見れてしまうから、皆ほど取り乱さないのかもしれない、と思う。
しかしそれは、死んだ姉妹の事をちゃんと悲しめないとも取れる。心から大事に想っていたはずの姉妹を喪って悲しめないなんて、そんな私は唯も憂も名乗れない、とも思う。
そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。
一体どちらが正しいのだろう?
わからない。私にはわからない。
肝心な事が何もわからない、こんな私は、誰なんだろう?
「………ああ」
そうか。
どちらでもないのかもしれない。
私は、唯であり、憂であり、そのどちらでもない。
そうだ。
表面を見れば唯であり、真実を見れば憂であり、内面を見ればどちらでもない。
『混ざってしまった』私は、そんな存在。
唯であって憂ではなく、憂であって唯ではなく、唯でも憂でもない。
そんな、曖昧な存在。
そんな、不確かな存在。
そんな、混沌とした存在。
そんな、夢幻のような存在。
そんな、作り物のような存在。
言わば、
そんな、魔物のような存在。
この世に『魔物』がいるとすれば、ここにいる。
人の手によって産み出された『魔物』が、ここにいる。
人の痛切な想いで生まれてしまった『魔物』が、ここにいる。
『魔物』は、尊い『平沢 唯』の記憶を喰らい、尊い『平沢 憂』の身体を奪い、ここに在る。
彼女らを大切に想う皆にとっての『光』を喰らい、ここに生きている。
『光』を喰らい、しかし『光』にはなれず、誰にも望まれなかった在り方で『魔物』は生きている。
それでも。
「……あずにゃん」
「っ!? ゆい……せんぱい?」
それでも、『魔物』は『ひと』に憧れた。
「……私は、『平沢 唯』になるよ」
大切な人のために自らを犠牲に出来る姉妹のような、そんな『ひと』に憧れた。
「ごめんね、記憶が戻ったわけじゃないんだ」
「それは……わかってます、私のせいです」
「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないよ。元々無理があったのかもしれない。人の手に余る分野だったのかもね、記憶っていうのは」
「でもっ……」
「うん、それでも、みんなはそれに希望を見出した。結果は残念だったかもしれないけど、それを知ってる人は、ここにいる三人だけ……」
「それって……」
「まさか……」
「……言ったでしょ? 私は『平沢 唯』になる、って。みんながそれを望むなら」
それを、こんな私に望んでくれる人がいるのなら。
私はいくらでも、この身を差し出そう。
「……『私』が、みんなと『平沢 憂』の望んだ未来を創る。二人とも、手伝ってくれるよね?」
「……はあ、そんな言い方は卑怯ですよ、全く」
「敬語、やめてもいいよ?」
「……考えておきます」
最初に私の手を取ったのは、純ちゃんだった。
確かに卑怯だったかもしれない。でも、純ちゃんが一緒にいたほうが、憂としては嬉しい。
そして、もう一人。
唯としても憂としても、私としても、一緒にいて欲しい人。
「……あずにゃん。梓ちゃん。あなたの隣にいるのは、『私』じゃダメかな?」
「……ダメ、じゃないですけど……でも、私は……私のせいで……」
「ダメじゃないなら、いいよね?」
「わ、私はッ!」
「ずっとそばにいる、って言ってくれたよね?」
「っ、そ、それは……」
「……私はあなたの望んだ私じゃないし、あなたは私に負い目がある。なかなか割り切れないかもしれないけど、私はあなたと一緒にいたいよ。一緒に考えようよ、私達の関係を」
「………いえ。私から言わせてください。……手伝わせてください。唯先輩と、憂と、あなたのために、私に出来る事をさせてください…!」
そう言って『私』を見つめる梓ちゃんを、あずにゃんを、抱き寄せた。
これで私達は運命共同体だ。
『魔物』と『ひと』と『ひと』。不思議な組み合わせでもあるし、以前も一緒にいた組み合わせでもあるし、人前であまり一緒にいるのは不自然な組み合わせでもある。
でも、二人は私を助けてくれるだろう。
私が皆にとっての光である限り。
喰らってしまった光の代わりである限り。
光が照らすはずだった道を、代わりに照らし続ける限り……
誰かが欠けた世界で、『魔物』は『ひと』に憧れ、ずっと一緒にいたいと願った。
それが叶うかどうかは、私には――まだ、わからなかった。
おわり。
スレ落としてごめんなさい
乙です
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1442838658/
Entry ⇒ 2016.07.10 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)
憂「先に何があるか」
憂「私はN女じゃなくて、別の大学を受ける事にしたよ」
雨上がりのその日、私はお姉ちゃんに電話でそう伝えた。
お姉ちゃんは少し寂しそうに、そっか、と呟いた後、私に尋ねる。
唯『憂も、悩んで決めたんだよね?』
憂「うん。きっとお姉ちゃんと同じくらい悩んだよ」
唯『そっか。じゃあすっごく悩んだんだね』
憂「うん、すっごく悩んだ」
自分ひとりで抱え込んで悩んで、誰かに相談して悩んで、また悩んで、すっごく悩んで、そして決めた。
それは本当のこと。隠す必要もないし、嘘をつく必要もない。大好きなお姉ちゃん相手に。
唯『決めるまではさ、もっと悩む時間が欲しいなーって思わなかった?』
憂「思ったよ。でも、決めちゃったら決めちゃったで大学も楽しみだなって思えてきた」
唯『わかるわかる! あ、でもあれだね、憂は卒業式は泣きそうだね、澪ちゃんみたいに』
憂「そうだねぇ……」
澪さんも泣いたと聞いたし、梓ちゃんも泣いていたのを知っている。
涙っていうのは意外と感情の方向とは関係なく出てくるのを私はよく知ってるから、それは悪い事だとは思わない。
……軽音部最後の日も、ちょっと涙ぐんじゃったしね。
あ、そうだ、軽音部といえば。
憂「……お姉ちゃん、あのね、私が別の大学に決めた理由だけど」
唯『あっ、憂、待って』
憂「えっ?」
唯『それは無理して言わなくてもいいよ。無理してないんなら聞くけど、その、私に気を遣って言おうとしてるんなら、大丈夫だから』
びっくりして、言葉を失った。
確かに私は、お姉ちゃんと別の道を選んだことで落ち込ませてしまった後ろめたさから、理由を言おうとしていたのだから。
それが私の、お姉ちゃんに大事に思われている妹としての義務だと思っていたから。
とはいえ、無理して言おうとしたわけでもない。自分の事を語るのはちょっと恥ずかしいけど、それくらい。
自分の事。
そう、お姉ちゃんの後を追って入った軽音部での事。
軽音部で、新入部員でありながら先輩でもあるという不思議な立場で過ごし、思った事。
可愛い後輩に慕われ、思った事。
それが、私の進路を決める何よりの一手になった。
憂「……あのね、お姉ちゃん」
ずっとお姉ちゃんの背中を見て育ってきた私が、初めて誰かにその背中を見られ、慕われて思った事。知った事。
それは。
……先に立つ人は、言うほど後に続く人に追いつかれまいと頑張っているわけではないという事。むしろ追いつかれたいと思ってる部分もある事。
……そもそも多くの人は、先に立つ人の背中を追っているうちに、自分もその立場になってしまっていただけ、という事。
そして、自分の背中を追ってくれる人との別れは、絶対に寂しいものではないのだ。
だって、自分の背中を追ってくれる限り、またすぐに会えるのだから。どうせすぐに追いつかれるのだから。
憂「もしかしたら私、卒業式では泣かないかもしれないよ」
私より先に後輩が泣いてくれたら、もしかしたら私は泣かないかもしれない。
またすぐに会えるんだから泣かないでと、笑顔でそう言うかもしれない。
憂「お姉ちゃんが泣かなかったみたいに」
唯『そっか、そうかもね』
その背中を追いたい人がいて、私の背中を追ってくれる人がいる。
私はそんな今を、幸せだと思った。
お姉ちゃんの背中を追い、足跡を追って入った、お姉ちゃんのいない軽音部。そこで私は幸せを感じた。
その場にお姉ちゃんがいなくても、お姉ちゃんの背中さえ追っていれば幸せになれるんだと知った。
だったら今度は、足跡を追わずにやってみよう。
お姉ちゃんの背中さえ見失わなければ、きっと足跡さえも私には必要ない。
だって私は、誰よりもお姉ちゃんの背中を見てきた妹なんだから。
憂「……ねえ、お姉ちゃん」
唯『なあに、憂?』
だから、私は私の足跡を刻もう。
お姉ちゃんの足跡と重ならない、私だけの足跡を。
私の選んだ道の、この先に何があるかはわからないけれど。
お姉ちゃんに胸を張って見せられる、私の生きた証を残そう。
そして。
憂「……いつか、お姉ちゃんに追いついてみせるからね」
いずれ訪れる春の日に、辿り着いた場所で、大好きなあなたと正面から向き合えますように。
なにはともあれ乙
もうちょっと話の前後も書いてくれたら尚良かった
掲載元:http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1467797714/
Entry ⇒ 2016.07.08 | Category ⇒ けいおん! | Comments (0)